06
校内放送が鳴ってから、理事長室まではやけに遠く感じた。
廊下を歩くたび、床がわずかに傾く。
視界が泳ぐほどではないが、頭の奥が遅れてついてくる感覚が消えない。退院はできたが、完全に元に戻ったわけではないらしい。
理事長室の前で一度、深く息を吸う。
理事長、学園のトップ。葉山にはその認識しかない。
どんな人だったか?
入学式でみたが、しゃべり方は丁寧な落ち着きある初老の男性。その程度しか知らない。
ノックをすると、すぐに中から声がした。
「どうぞ」
扉を開けると、部屋の奥に理事長が座っていた。
そして、その手前。革張りのソファに、見知らぬ男がだらしなく腰掛けている。
理事長よりは若い、30代くらいだろうか。
スーツ姿だが、ネクタイは緩み、足を組んだ態度に緊張感はない。
こちらを見る目だけが、妙に鋭かった。
「葉山薫くんだな」
男が先に口を開く。
「警視庁の伊藤。刑事やってる」
男はトランプのカードを配るように名刺を差し出した。
受け取ると、男――伊藤はすぐに興味を失ったように視線を外した。
「座って」
理事長に促され、葉山は椅子に腰を下ろす。
「体調はどうですか」
形式的な問いだった。
「問題ありません」
そう答えると、伊藤が鼻で笑った。
理事長が軽く咳払いをする。
「伊藤刑事。今日は事情を――」
「ああ、分かってます分かってます」
伊藤は面倒そうに手を振り、それから葉山に向き直った。
「久我山亮。お前の友達だな」
「……はい」
「どれくらい親しかった」
「よく一緒にいました」
これが事情聴取という奴だろうか。
短いやり取りが続く。
久我山との関係。遺書を受け取った経緯。バスで起きた爆発。
伊藤はメモを取らない。
ただ、葉山の顔、声の間、呼吸のタイミングを見ている。
「で、その遺書だ」
伊藤が言った。
「内容、覚えてるか」
「だいだい、燃えてなくなったらしいですし」
「ふーん」
それだけで済ませ、視線を理事長に向ける。
「例の件、説明してもらえます?」
理事長は一瞬だけ言葉を選び、それから口を開いた。
「学園内、ならびに付属大学を含めて……現在、確認できる範囲で七名の行方不明者が出ています」
「七人?」
葉山の眉間にしわが寄った
「いずれも生徒、または関係者です。失踪理由は様々で、事故、家出、連絡不能……現時点では共通点を断定できていません」
葉山の喉が、わずかに鳴った。
七人。久我山も、その中の一人ってことでいいよな。
理事長は続ける。
「警察の捜査に全面協力する方針です。ただし、学園としても不用意な混乱は避けたい」
「要するに、おとなしくしてろってことだ」
伊藤はあっさり言った。
くぎを刺されている。そう受け取った。
「……そういうことになります」
そこで、理事長は引き出しから一枚の写真を取り出した。
机の上に置かれ、葉山の方へ向けられる。
「この人物に、心当たりはありますか」
瞬間、葉山の心臓が跳ねた。
遺書に入っていた女性の写真。
学生証用の、十月学園の制服。
だが、葉山は視線を逸らさず、首を横に振った。
「ありません」
嘘だった。
学園を、信用していなかった。
「そうですか」
理事長はそれ以上踏み込まない。
だが、伊藤は葉山を見ていた。
ほんの一瞬、口の端が歪む。
「ま、そうだよな。知らねぇよな」
軽い口調。
伊藤は何事もなかったように背もたれに体を預ける。
「俺の勘だけどさ」
勘、と言いながら、その目は冴えている。
「この写真、学園の中だけじゃ追えない」
「……どういう意味ですか」
理事長が問う。
「久我山の私物、直接見たいってこと。家だよ、家」
空気が一段、重くなった。
「ご実家への立ち入りは……」
「許可、もらえりゃ十分です。内密で」
しばらくの沈黙の後、理事長は小さくうなずいた。
「条件付きで、認めましょう」
伊藤は立ち上がり、葉山を見下ろす。
「お前も来い」
「……俺が?」
「当たり前だろ。あいつのこと一番知ってるの、お前だ」
伊藤は言い切った。
「変なもん見つけたら、すぐ言え。黙ってたら後で面倒だぞ」
葉山は、ゆっくりとうなずいた。
含みを感じた。この人はこんな遠回りな言い方をするのだろうか
葉山を散れていく、理由はわからないがその意図がみえた。
理事長室を出ると、廊下はいつも通りだった。
生徒の笑い声。部活動の呼び声。
日常は、何事もない顔をして続いている。
伊藤が歩きながら、ぼそりと言った。
「嘘つくの下手じゃねぇな」
「なんのこってでしょーか?」
「刑事やってりゃ分かるんだよ。そういうの」
廊下に二人の足音が響く。




