01
ikioideiku
エントランスの床に、さっきまで自分の中にあったものを盛大にぶちまけた葉山は、逃げるようにエレベータへ向かった。
吐しゃ物の主張がやたらと強い。こんなんみせられてもどうしようもない。心の中でだけ謝る。
銃声が響いてから、まだ一分も経っていない。
一緒に現場へ来ていた刑事――伊藤さんは、音がした瞬間に非常用階段へと走っていった。二十九歳、無駄に体力がある。
エレベータに乗り込み、四階のボタンを押す。
鏡に映る自分の姿を見て、葉山は少しだけ眉をひそめた。
十月学園の制服が、どこかくたびれて見える。
まあ当然だ。つい先日まで病院のベッドと仲良くしていたし、少し痩せたのかもしれない。
ポケットの中のハンカチに指が触れる。
口元を拭こうとして、やめた。
なんとなく、使いどころはまだ先な気がした。
チン、という間の抜けた音とともに、エレベータは四階に到着する。
廊下に出ると、四〇二号室の前で伊藤が無線を片手に立っていた。
外部と何やらやり取りをしている。声が低く、妙に落ち着いているのが逆に怖い。
「葉山、入るな――」
制止の声が飛んでくる前に、葉山はドアノブに手をかけていた。
扉を開けた瞬間、ベランダから吹き込んだ風が、玄関を一直線に駆け抜けた。
こもっていた空気が一気に流れ出る。
憑き物でも消えたのか。
さっきまでの吐き気が、嘘みたいに引いていく。
室内は、ひと言で言えば惨憺としていた。
中央のテーブルのそばで、肥満体の男がうずくまっている。息は荒く、意識も危うい。
本棚は倒れ、書類や紙の束が床一面に散乱していた。
男の腹部にはナイフが刺さっている。
致命傷だがまだ生きている。瀕死、という表現が一番近い。
床に散った紙の下を、葉山は静かに観察した。
潔癖症でもなかれフローリングの床ばどうしても汚れる。
薄っすらとした埃をかき分ける跡が二種類あった。
足跡だ
一方はベランダへ。
もう一方は、玄関へ。
ベランダ側の窓枠には、擦れた跡が残っていた。
四階から飛び降りたらしい。
そんな馬鹿なことがあるだろうか
葉山はベランダの柵から身を出した
しっかりとアスファルト上に黒い靴跡が残っている。
少しだけ考えた後、葉山はテーブルの方へ向かった。
男の肩をさすると唸るような声を上げた
意識はまだあるようだが、腹から大量の血を流している。
「大丈夫です?」
男の目がぎょろりとこちらを向いた。
「刺したのはベランダから逃げたやつでいいんだよね?」
男はうなずいた
「もう一人の方は?」
男は何も言わなかった、言えなかったのではなく言わなかった。
男の目が若干泳いだのを葉山は見逃さなかったが、問い詰めたところで答えは返ってこないだろう。
銃声がしたのに、ここにいる男は刃物で切られている。
つまり、撃たれたのはベランダから逃げた方だ。
その際に本棚が倒れ、部屋はこの有様になったのだろう。
「と、なれば」
葉山は垂れた本棚をどかし、その下敷きになっている本や書類を丁寧に取り除いていった。
何回かその動作をしてやっとそれを見つけた。
小さく赤い円を描き床にへばりついている。
血痕だ。
葉山は、しゃがみ込みこんだ。
誰のもみられていないことを確認すると、そっとポケットからハンカチを取り出した。
「……これが欲しかった」
誰に聞かせるでもなく、そう呟く。
床の血痕にハンカチを軽く触れさせ、真っ白なハンカチの端の一部分だけを赤く染めた。
血は少量、一滴分でもあれば充分だと聞かされていた。
葉山はハンカチをしまい立ち上がった。
救急隊が来たのだろう。
外からサイレンの音が聞こえる。




