第66話 魔族領
枝の上のランチタイムがひと段落し、
エクレアが満足そうにココアのカップを抱えたままうとうとし始めた頃――
しゃもがふと、空を見上げながらつぶやいた。
「そういえば……この木って、そもそも“結界”を張っていて通れないはずでしたよね?」
その言葉に、アーク・カノン・エクレア(半分寝ている)すらビクッと反応した。
一同は同時に思い出す。
商人の言葉――
『この木のせいで、魔族以外は先に進めない』
本来なら触れることすら難しい。
まして登るなど不可能。
にもかかわらず、
・すんなり接触できた
・登り始めたら普通に登れた
・むしろ木が登りやすいように枝が配置されていた
・気付いたら木のてっぺんでランチをしていた
完全におかしい。
カノンは目をぱちぱちさせながら言った。
「……ということは、わたしたち、通れてる時点で……もうなんかおかしい?」
アークは腕を組んで唸った。
「ふむ……確かに、結界があるなら、本来“拒まれる”はずじゃが……」
しゃもが冷静に続ける。
「それが一切なかった。つまり――
この木は“わたしたちを拒まなかった”ということです」
エクレアは眠気と満腹の影響でぽかんとしたまま、
だが小さくうなずいた。
アークは枝から周囲の景色を見下ろしながら、
「わしらは……通過を“許された”ということになるのう」
カノンは少し不安そうに呟く。
「でも……なんで?」
アークはその問いにすぐ答えず、
木の幹にそっと手を当てた。
「……さあのう。だが確かなのは――
勇者が関わっておる、ということじゃ」
あの大木を育てたのは、勇者の魔力。
その痕跡は先ほどアークが確認している。
つまり――
勇者の残した魔法が、
“誰か”を拒み、
“誰か”を通すよう設定されている。
しゃもが静かに結論を口にする。
「アーク様は“拒まれない側”だった……ということですね」
アークはしばらく黙ったあと、小さく鼻を鳴らした。
「ふん……皮肉なもんじゃ。
勇者に追放されたこのわしが、
勇者の魔法に“歓迎”されるとはな」
風が吹き、枝が揺れた。
その風は――まるで道を促すようだった。
アークは立ち上がる。
「行くぞ。まだ先があるようじゃ。
この木を越えた先に――エクレアの答えがある」
カノンは眠っていたエクレアをそっと抱きとめ、立ち上がる。
しゃももアークの肩に乗る。
木のてっぺんからの景色は清々しく、
その向こうには――続く旅路が広がっていた。
空気が変わった。
草の色、風の温度、遠くから聞こえる獣の声。
ここから先は完全に魔族の領域。
アーク一同は自然と背筋を伸ばし、表情を引き締めた。
このあたりでは人間は歓迎されない。
むしろ、見つかれば即トラブルになる可能性すらある。
だからこそ――準備は万全。
アークは収納魔法から、夜なべして作ったローブを取り出した。
・猫耳フード付きローブ(エクレアの角隠し用)
・お揃い仕様のカノン用
・自分の分(無駄に仕立てがいい)
・しゃもには猫耳アクセサリー(※本人の意思は反映されていない)
それらを全員が装着し、フードを深くかぶる。
アークは小声で言う。
「よいか。人間に見られるのは危険じゃ。
あくまで、わしらは“魔族の旅人”というていでいくぞ」
しゃもは肩で揺れながらつぶやいた。
「……猫耳で魔族っぽさを演出しようとする発想が、すでに変なんですけどね」
アークは無視して胸を張る。
カノンはというと――
いつの間にか尻尾だけドラゴン形態に変えていた。
フードの下から、しゅるりと赤い尾が揺れる。
「魔族っぽさを出すなら、これで十分じゃないですか?♪」
その仕上がりが完璧すぎて、
アークは内心ちょっと悔しそうにしながらうなずく。
そして――突然ひらめいたように、収納魔法でガサゴソ漁りはじめた。
取り出したのは サングラス。
そこからさらに布と金具を取り出し、即席で工作し始める。
しゃもは嫌な予感しかしない顔をする。
数分後。
アークはサングラスをキッと決め、
そして――腰の後ろに見事なまでの疑似尻尾を装着していた。
まるで自分だけ置いていかれてたまるかと言わんばかりのドヤ顔。
しゃもは静かにため息をつく。
「……アーク様って、毎回どこかに行くたびに
ただコスプレしたいだけですよね?」
アークは胸を張って、言い返した。
「やかましいわ! これは擬態じゃ!
旅というのはな、完璧なロールプレイングこそ命なんじゃ!」
しゃもは無表情のしゃもじのまま、
完全に「はいはい」と言っている空気を出していた。
――こうして全員の変装(?)が整い、
アーク一行は魔族の領域へ向けて一歩を踏み出すのだった。
カノンに乗っての移動は、どう考えても目立つ。
そのためアーク一行は、周囲の様子をうかがいながら 道なき道を歩いて進んでいた。
森の景色は、人間の領域とはまるで違う。
紫、青、銀色――見たことのない植物がそこかしこに生えている。
アークの足が止まる。
そして次の瞬間――しゃもを使い鑑定が始まった。
「ふむ……この葉は食えるな。
こっちは痛み止めにも使える。
これは毒。危ないのう。触れるでないぞ」
数歩進むたび鑑定。
また鑑定。
さらに鑑定。
旅は一切前に進んでいなかった。
しゃもは無表情のしゃもじのまま、声だけ疲れきっていた。
「アーク様……このままだと、永遠にゴールしませんよ。
そろそろ、先へ進みましょう。わたし、疲れてきました」
アークは鑑定の手を止めずに言う。
「構わん構わん。魔力が切れたら、わしが補充してやるからの」
完全にやめる気などなかった。
しゃもはしばらく黙っていたが――
突然、空気が変化した。
ピリッと魔力の気配が走る。
しゃもが即座に感じ取った。
「アーク様。魔族の気配……複数です。こちらへ向かっています」
アークの鑑定の手が、ようやく止まった。
戦いの気配が、森に静かに迫ってきていた。
近づいてきたのは、三人の獣人だった。
一人は長い耳のうさぎ。
一人はずんぐりとした体格のかば。
もう一人はたてがみを持つライオンの戦士。
どの者も屈強で、腰には武器を帯びている。
アークはすかさずカノンとエクレアを背後へ下がらせ、前に立つ。
しゃもはアークの肩に軽く待機し、状況を注視。
やがて、かばの獣人が一歩前に出た。
だが構えるわけでもなく――おそるおそる、丁寧な声だった。
「……すみません。このあたりは、我々――“カバ輩”たちの縄張りなのですが……何をしているのですか?」
いかにも警戒はしているが、敵意はない様子。
アークはできれば騒ぎ立てたくなかった。
それでも、迷惑をかけたくない空気が強い。
アークはわずかに間を置き――苦し紛れの言い訳を展開する。
「わ、わしは薬師での。
このあたりに良い薬草が生えていると聞いて、遠路はるばる取りに来たのじゃ。
しかし道に迷ってしまってのう……気づけば、ここまで入り込んでしまったわい」
その言葉だけでは弱いと悟り、アークは収納魔法からいくつかの植物を取り出した。
手のひらに乗せられた薬草、食用になる葉、匂いの良い香草、そして毒草まで。
それを見せながら、淡々と補足する。
「これらは採取したものじゃ。
薬になったり、薬味になったり、食べられたり、毒だったり……いろいろ見つかってのう」
うさぎの獣人が、それを興味深そうに覗き込む。
ライオンの獣人は腕を組んだまま、何度かうなずいている。
かばの獣人は、気まずそうに頬をかいた。
「な、なるほど……薬草採取だったのですね……
縄張りだと知らずに入ったのなら、こちらも大声は出せません。
失礼しました」
とりあえず――敵ではない。
空気がひとつ、やわらいだ。
空気が和らぎかけた、そのとき。
うさぎの獣人が、耳をぴょこっと揺らしながら言った。
「もうすぐ暗くなるうさ。
このあたりは夜になると危ないうさ。
よかったら今日は、村に泊まっていくうさ?」
穏やかな誘い。
どうやら本当に悪気も敵意もないらしい。
続いて、腕を組んだまま様子をうかがっていたライオンの獣人が口を開く。
「……まだ少し怪しいとは思ってる。
けど、困ったときは助け合いだトラ。
ついてくるトラ。案内するトラ」
言ってから、わずかに目をそらした。
素直じゃないが、不器用な優しさがにじんでいた。
アークは一応うなずきつつ――
頭の中では、別の疑問が暴れ回っていた。
(かばは “カバ輩”。
うさぎは “うさ”。
ならばライオンは “ライ” とか “ガオ” とかじゃろ?
なぜ “トラ” なんじゃ?
トラとはなんじゃ? 同族? 借り物? 流行り?)
聞きたい。
ものすごく聞きたい。
しかし今は、まだ踏み込める空気ではない。
アークはごくりと飲み込み、何食わぬ顔で答えた。
「案内してくれるのか。かたじけない。
では、世話になるとしよう」
うさぎは嬉しそうにうなずき、
かばは安心したように微笑み、
ライオン(※語尾はトラ)はそっぽを向いたまま歩き出した。
カノンとエクレアは小声でひそひそと話している。
「獣人さんたち、いい人だね」
「……うん……」
しゃもは小さくため息をついた。
「アーク様、絶対あとで語尾のこと聞きますよね」
アークは顔をそむけたまま、鼻で笑った。
「……聞かぬとは言っておらんぞ?」
夕暮れの森を、獣人たちの村へと一行は歩き出した。
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