第61話 プリン
カノンと少女がお風呂に行っている間、
アークは商人宅の広々としたキッチンに立ち、そわそわと歩き回っていた。
「……ふむ。少女は何が好きかのう……」
棚を開けては閉め、冷蔵庫を覗いてはうなり、
完全に落ち着きがない。
「酒に合うねぎ魔の炙り……いや、子どもが酒に合うものを食うかの。
なら魔グロの刺し身か?いや、刺身が好きとは限らんし……
魔スの塩焼きは渋すぎるか……」
しゃもが、壁に立てかけられたまま、声だけ冷静に呟いた。
「……落ち着いてください、アーク様。
少女が帰ってくる前に厨房が戦場になります」
「わ、分かっとるわい!」
分かっていない声だった。
しゃもはため息をつき、仕方なさそうにレシピを提案する。
「子ども向けで、食べやすくて、お腹も満たされるものにしましょう。
ねぎ魔を使ったチキンライスで“オムライス”。
黒毛魔牛の“ハンバーグ”。
穴ぐ魔の“シチュー”。
デザートは……“プリン”。」
アークはすっと背筋を伸ばした。
「……ふむ。実にいい案じゃな。
――じつはわしも同じことを考えておったところじゃ」
しゃも
「絶ッ対に今聞いて初めて思いつきましたよね」
アークは聞こえなかったフリをし、
しゃもじを片手に豪快に鍋を振り始めた。
バターを熱したフライパンでねぎ魔(チキン扱い)がじゅわっと音を立てる。
香りが広がり、アークの顔がぱぁっと輝く。
「よし! まずはチキンライスじゃ!」
鍋の上では米が跳ね、ねぎ魔が踊り、野菜が飛ぶ。
次に黒毛魔牛の肉をこね始める。
「黒毛魔牛はのう……肉質が繊細じゃから、空気を含ませすぎるといかん。
ほんの少しだけ……こねて、休ませて……」
妙にプロっぽく語りながら、手は完全に職人のそれ。
シチュー鍋では穴熊の肉がほろりと崩れ始め、
オーブンではプリンがぷるぷると揺れていた。
しゃも
「……毎回思うんですが、アーク様。
旅の目的が“食”になってません?」
「なっとるが何か?」
自慢げに言いながら、アークは仕上げの卵をくるりと巻いた。
ふわっと柔らかい黄金色のオムレツが、チキンライスの上に乗る。
次々と料理がテーブルに並んでいく。
・ふわとろオムライス
・黒毛魔牛の肉汁溢れるハンバーグ
・穴ぐ魔シチュー(長時間煮込み)
・ぷるぷるプリン(魔力温度管理)
アークは鼻を高くし、腕を組んで言った。
「完璧じゃ。あとは……あの少女の好みに合うといいのう」
しゃも
「(絶対どれにも合いますよ……このレベルなら)」
ちょうどそのとき。
廊下のほうから、カノンと少女が戻ってくる足音がした。
静かに、優しい夜の食卓が始まろうとしていた。
浴室のほうから足音がして、
カノンと少女がリビングに戻ってきた。
少女は身体こそ綺麗になっていたが、
その表情にはまだ硬さが残っている。
怯えが完全には抜けていないのだろう。
カノンはそっと少女の背を押し、
自分の隣の席へ座らせた。
そして――
少女の目が、丸くなる。
テーブルいっぱいに並べられた料理。
ふわとろのオムライス、肉汁がこぼれるハンバーグ、
温かいシチュー。
どれも湯気を立て、柔らかな香りを漂わせている。
少女は言葉もなく、ただじっと見つめていた。
アークは腕を組み、少し顎を上げて聞いた。
「……食べぬのか?」
少女はびくりと肩を揺らし、
一度アークを見て、それから皿へ視線を落とした。
そして――
恐る恐る、スプーンを握る。
オムライスを小さくすくい、
まるで試すように口へ運んだ。
ひと口。
その瞬間、少女の表情がふわりとほどけた。
「……おい、しい……」
か細い声。
けれど、確かに“喜び”が乗っていた。
次の瞬間、少女は急にスプーンを動かし始め、
もぐもぐ、もぐもぐと勢いよく食べ始める。
カノンはあわてて少女の肩に手を置きながら言った。
「だ、だめだよ……!取ったりしないから……
ゆっくり食べていいんだよ?」
少女は一瞬だけカノンを見て、
小さくうなずき、それでも食べる速度はほとんど変わらなかった。
よほど空腹だったのだろう。
あるいは――これまで満足な食事をしてこなかったのかもしれない。
アークはその様子を見て、
しゃもじを胸の前で軽く組み、思わずふっと笑った。
「……よい、よい。
食は心を満たす。
まずは、腹いっぱいでええんじゃ」
しゃも
「アーク様……その言葉だけは本物っぽいですね」
「誰が本物っぽいじゃ!わしはいつでも本物じゃ!」
やかましいやりとりが響く中、
少女はもくもくと皿を空にしていった。
そして最後は、カノン、アーク、商人も加わり、
自然と“みんなで食卓を囲む”時間になった。
温かい湯気が立ち、
食器の触れる音が優しい夜を彩っていく。
少女の頰には、ほんの少し赤みが差していた。
少女が皿を空にするころ、
アークは立ち上がり、そっとキッチンから皿を持って戻ってきた。
テーブルに置かれたのは――
つやつやと揺れる、黄金色のプリン。
カノンも商人も、目を丸くした。
商人
「こ、これは……何でございましょう?」
アークは腕を組みながら言った。
「たまごと牛乳で作ったデザートじゃ。
まあ、食べればわかる」
商人はおそるおそるスプーンで一口すくい、
口へ運んだ。
……数秒後。
「……っ……! な、なんという……!!」
目を見開いたまま固まった。
カノンもひと口食べた瞬間、
ぱあっと顔を輝かせる。
「な、なにこれ……!おいしすぎる……!!
アーク様、なんで今まで作ってくれなかったんですかぁ!」
アークはしゃもじを振りながらそっぽを向いた。
「材料が揃わんかったんじゃ。文句を言うでない」
少女もプリンをじっと見つめたあと、
小さくスプーンをすくった。
とろりとした甘味が口に広がった瞬間――
少女の表情が、ゆっくりほどけた。
ふるえるような声で、ぽつりと。
「……おいしい……」
その一言に、カノンの目が潤む。
少女は、次のひと口、またひと口と、
夢中になってプリンを食べ進め、
やがて――はじめての「笑顔」を見せた。
その笑顔を見て、アークは静かにうなずいた。
そして、皿を抱えた少女の前にしゃがみ込むと、
優しい声で問いかけた。
「……名は、なんと言う?」
夜の灯りが少女を照らし、
その小さな唇がゆっくりと開いた――
少女は、アークの目をじっと見つめていた。
もう怯えてはいない。
ようやく――“この人は危害を加えない”と理解したようだった。
そして、小さな声で口を開く。
「……エクレア……。わたしの、名前……」
アークは腕を組み、うむ、と一つうなずいた。
「エクレア、とな。……なんだか旨そうな名前じゃのう」
しゃも
「すぐ食べ物に結びつけるのやめてくださいね」
しゃもは続けて、淡々と分析した。
「たぶん雷系の魔力を持つ魔族ですね。
髪の色や魔力の揺らぎ……そして、その小さなツノ。
あれは雷属性特有の“導角”です」
アークは改めてエクレアの頭を見る。
確かに、髪に隠れるようにして
小さなツノが左右にちょこんと生えていた。
カノンはエクレアの隣に座り、やさしく頭を撫でた。
「雷、得意なの? えへへ……あたしも雷得意なんだよ。
今度、ちょっとだけ、一緒に練習しよ?」
エクレアはビクッとしたが、
少しだけ――ほんの少しだけ、頬が緩んだ。
アークは姿勢を正し、真剣な表情で尋ねた。
「……親はどうした? どこにおる?」
エクレアの手が、静かに震える。
「……わからない。
村が襲われたとき……はぐれて……それっきり……」
カノンは胸を押さえ、苦しそうに息をのんだ。
「……そんな……」
アークは黙って聞いていたが、
その隣で、カノンがふわりとエクレアを抱き寄せた。
「大丈夫。
まだ生きているか、分からないけど……
でも――探してあげようよ、アーク様」
アークは大きくため息をつき、頭をかいた。
「……まあ、そうじゃの。
食材探しのついでにでも見つかるじゃろ」
しゃも
「言い方ァ!」
カノンは、ホッとしたように笑った。
エクレアはゆっくりとアークのほうを見つめ――
かすかに、でも確かに、うなずいた。
その夜。
商人の屋敷の一室。
柔らかなランプの灯りが、静かに揺れていた。
エクレアは、カノンに連れられて用意されたベッドに腰を下ろした。
ふかふかすぎる布団に、最初は戸惑っていたが――
目の下には、長い恐怖と疲労の影があった。
アークはそっと近づく。
「……疲れたじゃろ。今日はもう、休むがよい」
声に、怯えはもうなかった。
エクレアは小さくうなずき、布団に潜り込む。
カノンはその横に膝をつき、布団を軽く整えた。
「大丈夫だよ。ここは安全だからね」
エクレアはカノンの手を握った。
その細い指が、少しだけ震えている。
アークは静かに手をかざし、わずかに魔力を流した。
暖かく、柔らかい光が、エクレアの胸元に広がる。
「安らぎの魔法じゃ。
怖い夢も、嫌な記憶も……今夜だけは眠りの外じゃ」
エクレアの瞳がゆっくり閉じていく。
しばらくすると、小さな寝息が部屋に満ちた。
カノンはほっと息をつく。
「……よかった。ちゃんと眠れた」
しゃも
「アーク様。いつになく優しいじゃないですか」
アークは照れくさそうに鼻を鳴らした。
「子どもには、そうするもんじゃ。
わしの世界でも……そう習ったでの」
エクレアの寝顔は、先ほどよりもずっと穏やかだった。
アークはランプの光を少しだけ落とし、
そっと部屋を後にした。
その直前、エクレアの小さな声がかすかに漏れた。
「……ありがとう……」
誰にも届かぬほど小さな声。
だがアークには、しっかりと聞こえていた。
「……礼など、いらんわい」
静かな夜が、そのまま流れていった。
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