第53枠 朝げ
黒曜石の扉が重々しい音とともに開いた。
部屋の奥、玉座には闇そのものを纏った影が静かに座している。
カルボヘッドは膝をついた。
体は震え、息は荒い。
「……お戻りになられましたか」
玉座から、低く響く声。
「報告を」
カルボヘッドは唇を噛みしめる。
「……失敗、しました。
例の裏切り者ルナリア……取り逃しました。
それと……」
声が震えた。
「……得体の知れないジジイが現れました」
静寂が落ちる。
「ジジイ?」
視線だけで殺せそうな圧が、廊下の空気を歪ませた。
「名は……アーク・エルディアと名乗っていました。
しゃもじを武器に……群れを壊滅されました」
玉座の奥で、何かがわずかに動いたように見えた。
「……しゃもじ?」
カルボヘッドは小さく震えながら首を縦に振る。
「はい……しかし、ただの老人ではありません。
わたくしが放った《メガ・アースロック》を片手で粉砕し……
その破片すべてに“誘導魔法”を付与し……
軍を……壊滅されました」
再び、沈黙。
長い、長い沈黙。
やがて――
「……面白い」
闇の玉座の影が、ゆっくりと立ち上がった。
「その老人。いずれ必ず我の前に現れる。
それまでの間……準備を進めよ」
カルボヘッドは、震えたまま頭を垂れた。
「はっ……仰せのままに……魔王様」
魔王はただ静かに闇の奥へ姿を戻した。
部屋にはまだ、アークの名前だけが残響のように残っていた。
アーク・エルディア。
しゃもじを持つ、老人。
――魔王は、興味を抱いた。
そしてその陰で、世界はまた一段と蠢きはじめる。
夜明け。
森に差し込む光は柔らかく、葉の間でゆらゆらと揺れていた。
アークは、長い宴の疲れを引きずりながら、ゆっくりとまぶたを開いた。
外からは鳥のさえずりと、かすかに漂う甘い果実酒の香り。
「……ふぅ。よく寝たわい」
隣ではしゃもが、なぜか充電するように停止していた。
一方その頃――
里の広場では、ルナリアとカノンが並んで座っていた。
二人とも湯気の立つ草茶を手に持っている。
ルナリアはいつもより柔らかい表情だった。
昨日とは違う。
安堵と、どこかの恥ずかしさが混じったような空気をまとっている。
「……アーク様は、不思議な方ですね」
カノンは少し考えて、こくんとうなずいた。
「最初は、ただ変な人なのかなって思いましたけど……
本当は……優しいです。とても」
ルナリアの唇に、わずかに笑みが浮かぶ。
「腕を……戻してくれました。
あの魔法は……本来、神族か、あるいは“世界の理”に触れられる者しか使えないはず。
それを、あの人は……」
カノンは両手で湯飲みを包み込んだまま、少し照れたように言った。
「アーク様は……すごいんです。
でも、それを自分ですごいって言わないから……もっとすごいんです」
ルナリアは目を伏せる。
一瞬だけ、戦場で見せた鋭い表情が戻った。
「勇者は……強かった。
けれど、彼はただ“力が強い”だけの存在。
アーク・エルディアは……“生かす力”を持っている」
カノンの表情がぱっと明るくなる。
「でしょう!? 私もそう思うんです!」
そして二人は、声をそろえて笑った。
森にその笑い声がやわらかく広がる。
少し遅れてアークが広場にやってくる。
寝癖のまま、頭をかきながら。
「ふぁ〜……おはようじゃ……」
カノンとルナリアは、並んで振り返った。
その姿は、まるで昔からの友人のように自然だった。
ルナリアは立ち上がり、アークへ深く頭を下げた。
「……改めて。ありがとう、アーク・エルディア様」
アークは鼻をかきながら、そっぽを向いた。
「礼はよい。気にせんでええ。
……それより朝飯じゃ。腹がへった」
しゃもはゆっくりと目(?)を開きながらつぶやいた。
「やっぱり結局そこに落ち着きましたね」
アークはそのまま広場の中央へ向かった。
そこでは、すでに“朝の宴”とも言うべき準備が始まっていた。
炭火の上では、串に刺された肉がじゅうじゅうと音を立て、
巨大な鍋ではスパイス香るスープが煮え、
焼けた果実の甘い香りまで漂ってくる。
「……相変わらず肉じゃのう」
アークはため息をつき、腕を組んだ。
しゃも 「はい。たぶんこの里、肉7:酒3:野菜0です」
カノンは鍋の中を覗きこみ、ほわぁ……と感心していた。
しかし、隣でルナリアは苦笑する。
「この里の食は、良くも悪くも“陽”の文化。
狩り、宴、力、香り……わかりやすいものを好むのです」
アークはしゃもじを肩に担ぎながら首を振った。
「じゃがのう……
肉、水、酒ばかりでは、この里はいずれ“味”が死ぬ」
しゃもは即座に理解した。
「はい出ました。食文化改革宣言です」
カノンはすでにワクワクしている。
「アーク様、今日も料理するんですねっ!」
アークはにやりと笑う。
「当然じゃ。
今日は――朝の味を教える」
ルナリアは小さく首をかしげる。
「朝の……味?」
アークは収納魔法から、昨日仕込んだねぎ魔を取り出した。
鮮度抜群、脂がとろりと光る。
「まずは――
味噌汁じゃ。」
しゃもは頷いた。
「素材:ねぎ魔の出汁
調味:大ジャポンで拝借した味噌
香り:森で採れる薬草
……完璧ですね」
カノンの瞳がきらきらと輝く。
「わぁ……! あの美味しい味噌……また食べられるんですね!」
アークは大きな鍋に火をつけ、しゃもじを杓った。
穏やかな香りが、宴の騒がしさと対照的に、しんと広がっていく。
火照った朝の空気に、湯気がそっと溶ける。
ルナリアはその変化に気づき目を見開いた。
「……空気が……落ち着いていく……?」
アークは静かに言った。
「朝はな。
体を起こす時に、心も起こしてやる必要がある。
戦いに戻る前に、魂を落ち着けるための味……
それが“朝の味噌汁”じゃ」
ルナリアはゆっくりと目を閉じた。
「……あたたかい……」
カノンは両手で椀を包み、ひと口。
「……おいしい……
昨日の宴の味と、全然ちがう……
なんだか、胸が……ほっとします……」
やがて、広場の喧騒も少し静まり始めた。
パリピエルフたちも気づきはじめる。
「……あれ……なんか……落ち着く匂い……」
「なんだこの……朝に飲んだら泣きそうな味……」
アークは椀を置き、静かに微笑んだ。
「宴の夜には夜の味がある。
だが、朝には“心を戻す味”が必要じゃ」
しゃも 「アーク様、それ……名言です」
アークは照れたように鼻を鳴らした。
「ふん。わしはただの飯炊き爺じゃよ」
ルナリアは首を横に振った。
「いいえ……
貴方は 本物の“導く者”です」
その言葉は、昨日の戦いよりも、重く優しく響いた。
読んでいただきありがとうございます。




