第20話 お口
王城の重厚な扉がきしみを上げて開く。
アークとカノンは兵士に導かれ、赤い絨毯の敷かれた広間を歩く。
アークは天井に並ぶ豪奢なシャンデリアを見上げながら、どこか懐かしい気持ちに浸っていた。
「(ふむ……この感じ、前世では何度もあったのう。王や貴族と会談し、ろくでもない要求を突きつけられる……。まさか異世界でまた味わうとはな)」
隣のカノンは緊張で肩を震わせていた。
その様子に気づいたアークは、しゃもじをトントンと手のひらで叩きながら小声で言った。
「まあまあ、終わったら美味いもんにありつけるかもしれんぞ。楽しみにしておけ」
カノンは不安そうに頷いたあと、ぎゅっと拳を握りしめて答える。
「……はい! 私、頑張ります!」
玉座の前で立ち止まり、兵士に頭を下げさせられるアークとカノン。
「顔を上げよ」と告げられ、二人はゆっくりと視線を上げた。
そこにいたのは――見るからに頭の悪そうな、超肥満体の王。
二重顎を揺らしながら、骨付き肉をむさぼっていた。
「ぐちゃ……ぐちゃちゃ……んぐっ……んふ……名は?」
クチャクチャと食べ物を咀嚼しながら話すその姿に、アークは眉をひそめた。
肉汁と食べかすが飛び散り、王冠や衣装を汚している。
口の動きはぬらぬらと湿っていて、見ているだけで胃がむかつくようだった。
カノンは強張った声を出しながらも、礼を尽くす。
「……カノン。カノン・エルディアと申します」
アークはその名に一瞬、耳を疑った。
「(エルディア……!? わしと同じ……!)」
思わず声を上げそうになったが、必死に唇を噛みしめて堪えた。
「ぐっちゃ……ごくり。よかろう……」
王は唾を飛ばしながら、不愉快な笑みを浮かべた。
「お前は今日から……余のそくしつとして迎えてやる。……光栄に思え」
カノンは顔を青ざめさせ、震える声で答える。
「そ、そのようなこと……お断りします!」
広間に緊張が走る。
王は顎を震わせ、ぐっちゃぐっちゃと咀嚼しながら問い詰める。
「な……に? なぜ断る……理由を申せ……」
カノンは恐怖に顔を強張らせながらも、震える声で答えた。
「……お、お口が……キモいです」
その瞬間、広間の空気が凍りついた。
その言葉はこだまのように響き渡り、兵士も貴族も誰もが目を見開いて固まる。
「(えええええええええ!? 言ったーー!?)」
アークも目をむき、口をパクパクさせる。
誰もが心の奥で思っていた。だが決して口にはできなかったことを、カノンはあっさり口にしたのだ。
慌てたアークが、しゃもを握りしめながら必死にフォローする。
「ま、待たれよ王よ! この娘はまだ年若く……物の言い方を知らんだけでしてのう!」
だが、王の顔は不愉快極まりない怒りに染まっていた。
二重顎を震わせ、肉片を飛ばしながら絶叫する。
「こ、こやつらを……捕らえよ!!」
兵士たちが一斉に剣を構え、アークとカノンに殺到した。
カノンは動揺し、アークの袖を掴んだ。
しかしアークは冷静に念話を飛ばす。
『……カノン、下手に騒ぐと面倒になる。今は大人しく捕まっておけ』
『で、でも……!』
『少しの間だけ我慢じゃ。状況を見極めてから動く。わしは千年生きた大魔法使いじゃぞ?』
アークはそう伝え、しゃもじを軽く持ち直してから、わざと抵抗せずに手を後ろに回した。
兵士たちが戸惑いながらも彼を拘束する。
「……まったく、勇者の尻拭いどころか、王の尻拭いまでせねばならんとはのう」
心の中で毒づきながら、アークはおとなしく捕らえられた。
石造りの冷たい牢屋。
アークとカノンは連行され、それぞれ隣り合う牢に分けて入れられていた。
厚い鉄格子と分厚い石壁に隔てられ、隅にはいつ片付けられたのか分からぬゴミ溜まりが鎮座していた。
牢屋なのかゴミ捨て場なのか、本人たちにも判別がつかないほどである。
カノンは膝を抱え、小さく身を縮めていた。
アークの言いつけを守って大人しくしているものの、顔が見えないことが思いのほか寂しく、不安を募らせていた。
「……アーク様……」
かすかな声で呼んでみるが、返ってくるのは水滴の音だけ。胸の奥に冷たい孤独が広がった。
しばらくして、隣の牢から低い声が聞こえてきた。
「気にするでない。あやつのような王の下では、遅かれ早かれ同じことじゃったろう」
その声に、カノンの表情が少し緩む。
「……はい」
震える声で返事をしながらも、目頭には光るものが滲んでいた。
しゃもがぼそりと口を開く。
「この国の王権、腐敗していますね。民衆は声をあげられず、貴族は王のご機嫌取りばかり。外から来た勇者や強者にすら依存している……」
アークは眉をひそめ、壁に背を預ける。
「(千年前も、似たような光景を見たのう……)民が苦しんでいるのに、王が私腹を肥やす。……まったく、歴史は繰り返すものじゃ」
鉄格子越しに互いの気配だけを感じ合いながら、二人はそれぞれの牢の中でじっと夜を過ごしていた。
アークの胸中には国の腐敗への疑念が、カノンの胸には孤独を和らげる安堵が、静かに広がっていった。
カノンは膝を抱え、寂しげに小さく呼ぶ。
「……アーク様……」
「おるぞ、ここに。顔は見えんが声は届いとるじゃろ」
アークが答えると、ほんの少しカノンの表情が和らぐ。
――が、その直後。
しゃもが唐突に言った。
「……アーク様、牢屋がお似合いですね」
「なにを言うとる! わしは千年生きた大魔法使いじゃぞ!? 牢屋など本来なら……あ、ちょっと居心地ええのう。ひんやりして夏向きじゃ」
「冬ですよ」
「ぬぬぬ……!」
鉄格子の向こうで、カノンがくすりと笑ってしまった。
「ふふ……アーク様……」
アークは鼻を鳴らしながら、しゃもを壁にコンコン叩く。
「おいしゃも! お主はなぜそんなに辛辣なんじゃ! もっとこう、牢屋でも勇ましく見えるとか褒めんか!」
「勇ましいどころか、隣の牢から見たら“背の低いおじいさんがしゃもじで壁を叩いて遊んでる”にしか見えませんよ」
「やかましいわい!」
その瞬間、カノンは思わず声を上げて笑った。
牢の冷たい空気の中、その笑い声は意外なほど温かく響いた。
アークは少しだけ満足げに笑い、しゃもを抱え直した。
「まあ、カノンが笑ったなら……牢に入った甲斐があったのう」
しゃもが即座にツッコミを入れる。
「何のために捕まったんですか」
「ふむ……ちと暑くなってきたわい」
そう言って、巻いていた毛糸のマフラーを外し、視線をさまよわせる。
そしてゴミ溜まりの隅に、ぽつんと立つ古びた石像を見つけた。
アークはにやりと笑うと、その首にマフラーを巻いてやった。
「ほれ、お主も寒かろう。これでも巻いておれ」
その光景はまるで、老人が石像に世話を焼いているようで、哀愁すら漂っていた。
しゃもがすかさず、冷めた声を差し込む。
「……ついに暑さでぼけましたか?」
アークはピクリと反応し、石像を指差しながら怒鳴った。
「誰がボケ老人じゃ!!」
しゃもは淡々と返す。
「そこまで言ってませんけどね」
牢屋は依然として暗く冷たいままだったが、不思議とその夜はあまり寂しくなかった。
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