第6話「食事会」
約束の翌日を迎えるまでにエレナは一睡もできなかった。
帰り道の市場に行って割引されているが、質の良いお肉も手に入った。
急いで下ごしらえもしたので明日にはいい具合に味もついて肉質も柔らかくなっているはずだ。そして、部屋の掃除も忘れてはいない。普段は掃き掃除しかしない箇所もしっかりと荷物をどかして拭き上げる。
これで完璧かと思ったが、せっかく憧れの人を招くにも関わらずちょうどいい服がない。
料理をするので華美な服は合わないだろう。
かといって普段と同じ服装というのも気が引けた。
そうだ。
以前、マーガレットから誕生日プレゼントとして贈られたスカーフを思い出す。
大きな柄がプリントされたもので、貰った当時はまだ自分には大人過ぎると思ってあまり使う機会が無かった。
普段のブラウスにスカーフを付けてみた。
たった一年だったが少し彼女も大人になったのか、そのスカーフはよく似合っていた。
よし。明日の服装も決まった。
やっと眠りにつこうとするが、今日のカーティスとの会話と明日何を話そうか、本当に来てくれるだろうか、温かい気持ちと緊張、焦燥、せわしない感情を持て余して一向に睡魔が襲ってくることは無かった。
約束の日になり、ギルドへ出勤すると多くの冒険者が集まっていた。
何ということだ。今日は予定されていた一回目の大規模討伐の日だった。
大規模討伐は複数回に分けて行われる。
多くの場合冒険者たちも休息が必要なのでメンバーを交代しながら複数回にわたって討伐を行って行くのだ。カーティスは全日程参加することになっていた。
病み上がりの状態で大丈夫なのだろうかとハラハラした気持ちで集団を見つめる。
カーティスと目が合った気がした。
討伐隊はすぐにダンジョンへと向かってしまった。
大規模討伐の日は、主戦力と言えるギルドメンバーが討伐隊に参加するためお昼のギルド利用者はまばらだ。依頼の受注や報酬の振り込み作業など今の間に日頃溜まっている仕事をさばいていく。
受付カウンターは普段よりも気軽な空気が漂い、皆会話をしながら仕事をこなしている。
「エレナ!それ、去年私があげたやつでしょ!」
マーガレットは新人研修の時に声をかけてきてくれた以来仲良くしてくれていた。
彼女はロスハーゲンの街出身でエレナが知らない街のことを積極的に教えてくれる一人だった。
「うん。大人っぽくてずっと付けられてなかったけど久しぶりにつけてみたら少しは似合うようになったかなって」
そう微笑む彼女にマーガレットも同意する。
「やっぱりね!エレナは童顔だけど、こっちの生活にも慣れて、私が教えたお化粧もするようになったからそういうデザインも似合うと思ったのよ!」
「ありがとう」
気の置けない友人からの素直な賞賛に嬉しくなる。
「で、ところでオシャレをしようと思い立った理由があるんでしょ!」
ニヤニヤしながら尋ねてきた。こちらが本題のようだ。
「あの、その、たまにはいいかなって」
「たまにはー?ほれほれ、本当の理由を申してみよ!恋愛相談ならマーガレット様にお任せよっ!」
「そういうのじゃないから…!」
「えー、ホントにー⁈すごく似合ってるし、スカーフをつけてくれたのは嬉しいけど、エレナそういう話全然してくれないから」
そういうマーガレットの表情は不満気だ。
「はいはい、もしそういう話があったらするから」
「ホントにー?ホントよ!エレナ隠し事上手そうなんだから」
そう言うと彼女は仕事へと戻って行った。
エレナは、ふうっと息を吐きだす。少し適当にあしらってしまったようで申し訳なく思う。ただ、カーティスからすれば自分は、まだ何の関係もないただの顔見知りであり、一方的に自分が憧れているとの話をベラベラと話しても良いものか分からなかったのだ。
あと、他の人にとってはカーティスの武勇伝の一つに過ぎないだろうがエレナにとっては宝物のような思い出だ。
あまり人に話す気にはならなかった。
仕事をすることで気を紛らわしていたが、ふとあることに気が付く。
大規模討伐の日はモンスターを大量に討伐、アイテムの取得数も多いので冒険者たちにとって書き入れ時だった。
そして、ある程度報酬の目測が経つと彼らは宴会を開くのだ。
命がけで働いて稼いだお金をパっと使う。
普段であれば、なんとも気持ちの良い使い方だなと遠くから眺める程度の話だが今回は違う。
<カーティスは本当にエレナの家に来てくれるのだろうか>
よぎった不安はあっという間に大きくなっていた。
自分と会話するよりも難しいダンジョン一緒に攻略した討伐隊のメンバーとその日の戦果を話しながら飲んだ方がよっぽど楽しいのではないだろうか。
それに、去年はカーティスもその飲み会に参加していたはずだ。
彼はあまり話さないが、質問には丁寧に答えてくれるし、何よりS級冒険者であるにも関わらずそれを鼻にかけたところもないので、若い冒険者からも慕われており、二次会まで誘われて飲みに行っていたと聞いた気がする。
そこまで思い出し、エレナは顔を青ざめた。
自分はからかわれたのかもしれない。
いや、彼にからかったつもりはなく、勝手に社交辞令を勘違いしてしまったのかも。
それに家の住所も教えていなかった。
ギルドで会うことが出来るので気にしていなかったが、昨日の今日で住所も知らずにどうやってうちまで来るというのか。
ギルドから一緒に帰るとでも思っていたのだろうか。
<S級冒険者とただの中級都市のギルドの受付嬢が?>
誰がそんな姿を見たいだろうか。
エレナだってそんなことがあり得ないことぐらい想像がついた。
自分一人だけ舞い上がっていたのだ。
雲の上の遠い存在がたまたま物理的に近くにいるだけで、実際には果てしなく遠い場所にいると言うのに。
「エレナ、顔色が悪そうだけど大丈夫か」
アダムが心配そうにこちらをのぞき込んでいるのが見えた。
彼は、面倒見がいいのか新人研修が終わった後も良くエレナのことを気にかけてくれていた。
先日結婚したばかりだが、奥さんの妊娠が判明して今は出産準備で大忙しだと言っていたはずだ。それに病気にはなれないと神経を張り詰めているのでエレナの様子も気にかかったのかもしれない。
「大丈夫です」
「無理するなよ。必要な時には周りを頼れ」
「はい。ありがとうございます」
厳しくも優しい先輩のことだ。いい父親になるだろう。
あまり周りに迷惑をかけてはいけない時を取り直す。
ただ、やはりと言うか、集中力が多少削がれた状態になってしまい、その日は最低限の仕事を終えて帰ることにした。
マーガレットにも心配されながら定時で上がらせてもらう。
家に帰りつきベットに転がる。寝不足もあり何もする気が起きなかった。
勘違いをして期待していた昨日の自分が恥ずかしいやら、情けないやらで涙が出そうだ。
ぼーっと天井を眺めていると家の戸口の前でエレナの名前を呼ぶ声がした。
大家さんだ。連絡用水晶が鳴ったらしい。
連絡用水晶は都市部ではじわじわと広がっているが、ロスハーゲンのような中級都市では何軒かの家ごとに一個置いている家庭があり、そこで要件を受け付け必要であれば電話を取り次いでくれた。
電話をかけてくるような知り合いはいないのでギルドで何か問題があったのかと思い肝を冷やす。今日は、普段よりも上の空だったことは自覚していた。
ドキドキしながら水晶の前に立つとそこにはカーティスが映る。
「…ギルドから電話番号を教えて貰った。住所はさすがに教えてくれなかったが…どこに行けばいい」
本当に家に来てくれるつもりだったのか。驚きに声が詰まる。
「すまない。また、社交辞令だったか」
「いえ、討伐隊での食事は大丈夫なんですか」
自分で自分の首を絞める質問だとはわかっていたが、もう今日の昼間ような辛い思いはしたくなかった。
「ああ、君と約束した」
ああ、彼はこういう人なのだ。
ただ昨日口を滑らせただけかもしれない約束を律儀に守ろうとしてくれている。
「あの、ありがとうございます。」
「いや、私がむしろお邪魔するからお礼を言われるのは筋違いだ」
彼はそう言ったが、もう駄目だと思っていたのでエレナの目には涙で薄い膜が張り、視界は揺らめいていた。
住所を伝えるとあと一時間程でむかうとの事だった。
急いで家に戻ると昨日下ごしらえしていた肉類と野菜を使ってシチューを作る。
少し煮込み時間が足りないかもしれないが、副菜も作り準備は万端だ。
トントントンと自宅の扉を叩く音がする。
「俺だ」
エレナが扉を開けるとそこにカーティスがいた。
「押しかけてすまない」
「いえ、招待したのは私ですから」
そう言うとエレナは彼を中に招き入れた。
二人で食卓に着く。今まで椅子は二脚あったが、誰も座ったことが無かった。
ぽっかりと空いた空間にカーティスが座るただそれだけでエレナの中に満たされるものがあることを知った。
早速、食事をとり始める。
彼の口に運ばれるスプーンを食い入るように見つめた。
「………ああ、旨いな」
ゆっくりと彼の喉仏が上下するのを見届けるとエレナはほっと胸をなでおろした。
「いっぱい食べて下さい」
そういう彼女をよそにカーティスはすごい勢いで食事を終えた。
お代わりを進めるとお皿を差し出してくれた。
三杯も食べ終わるとやっと一息ついたのかポツリ、ポツリと話出す。
「実は、昔北の方の村に行った事があるんだ。その時にも似たようなシチューを食べた気がする」
エレナの村だ。
今日、彼女が作ったのは出身地域の伝統料理だった。
「あの時は、ゴブリンを倒したんだが、そのあとに食べたシチューが温かくてそれからシチューが好きになった」
そう言えば宴の席で出されていたなと思う。
村長の娘や村の人たちが総出で作っていたはずだ。
他にも村人にとって豪華な食事は沢山あったと思うが、彼の気に入った食事がシチューだったというのは意外だった。
その時助けた女の子のことを覚えているか聞きたい衝動にかられる。
しかし、去年の反応からあの時の少女が自分であることなど彼は露ほども考えていないだろう。
今日は色々なことを考えすぎてもう疲れていた。
衝動に任せるには、もう気持ちのうえで一杯、一杯だった。
切なげな表情のままエレナが固まっていると食事の終了の合図が告げられる。
「ありがとう。旨かった」
そう言うとカーティスは席を立つ。
何か言わなければ、もう二度と来ないこの幸福な時間が終わってしまう。
「あの、もしよければロスハーゲンの街に来た際には寄ってください。いつでもシチューは作れるので。私、待ってます」
一年経って少しは仕事に慣れても口下手な性格は変わらないままだった。
「ああ」
ただ一言彼はそう言って家を出ていった。
翌日からの大規模討伐には彼は出ていたらしいが、そのあとエレナの家に来ることはないままその年、彼はロスハーゲンの街を去った。