第5話「再会と約束」
村とは違う街の生活に戸惑うことも多かったが、ギルドの同僚も街の人もエレナに親切にしてくれた。
ギルドで働くようになって初めてカーティスがロスハーゲンを訪れる日、口から心臓がと飛び出るのではないかと思うほど緊張していた。
それでもエレナは決めていた。
カーティスに一言声でいいから声をかけると。
前日は全く寝られなかった。なんと話しかけるべきかを一晩中考える。
ただ、感謝を伝えるだけで良いはずだった。一目見れば満足なはずだった。
しかし、四年間に渡るに煮詰まった想いがそれを許してはくれなかった。
結局、自分の気持ちをどう表現したら良いのか分からないまま翌朝になりギルドに出勤した。
幼い頃に見た、勇敢な剣士の姿が蘇る。
何度も記憶を辿り頭の中で反芻してきた姿よりも少しだけ柔らかな表情になっていたように思う。彼と共に歴史を刻んできた目じりのしわがそうさせるのかもしれない。
それでも、彼の眼差しがモンスターを前にするとどんなに鋭く、美しいかエレナは知っている。
ギルドのカウンター越しにカーティスと目が合った。
瞳に捉えられたかのようにその場を動けずにいると声をかけられる。
「……初めて見る顔だな」
当然だった。まさか、一度助けた少女が自分を追いかけてギルドの受付嬢になっているとは思いもしないだろう。
国内を飛び回っているカーティスのことだ。もしかしたら、北の端にあるあの辺鄙な村に行った事すら覚えていないのかもしれない。
「…初めまして。九月から働き始めましたエレナと申します。よろしくお願いします」
たったそれだけの言葉を交わすのに、心臓が痛いほど高鳴る。
カーティスは、ふっと口元をゆるめた。
それが何を意味するのかは、エレナには分からなかったけれど初めて自分に向けられた笑顔にこれが幸せなのかと思った。
その食事会が始まったのは、エレナが働きだして二年目になった頃だった。
一年目、たった一言言葉を交わすだけでやっとだったが、それでもあの時向けられた笑顔だけを頼りに時が過ぎていった。
二年目、その年も例年通りカーティスはロスハーゲンの街にいた。
ただ、例年と異なるのは大規模討伐の前にダンジョンの調査に行ったカーティスがダンジョン内で族に襲われたということだ。
ダンジョンではモンスターに襲われ文字通り命を落とすこともある。
冒険者たちはみなそのことを承知でダンジョンに臨むが、死体が紛れても誰がやったのか分からないことをいいことに冒険者を襲いアイテムを奪おうとする族がたまにいるのだ。
そしてその年は近所のダンジョンで族が良く目撃されていた。
エレナ達のギルドでも注意を促していたが、カーティスが標的になってしまったようで、ダンジョンの中で代わる代わる三十人程に襲われたらしい。
無事、捕縛したと聞いたので流石だと思ったが、S級冒険者のカーティスと言えどその人数を相手に刺殺ではなく捕縛しようとすると分が悪かったようで近所の病院に検査入院することになったと聞いた。
エレナはいてもたってもいられない気持ちになった。
ゴブリンたちからエレナと弟を救ってくれたあのカーティスが怪我をするなんて信じられない気持でいっぱいだった。
それ以上に怪我の程度も分からぬ中、彼が亡くなってしまう可能性を考えて心臓のあたりが芯から冷えるのを感じる。
ギルド側も怪我人には慣れているが国内屈指のS級冒険者の入院に多少慌てたようだ。
「誰か、カーティスさんへの見舞いの品を持っていってくれないか」
ギルド長の言葉に体は勝手に動きガタっと音を立てて席から立ちあがっていた。
「ああ、エレナさん持ってってくれるか。申し訳ないが、仕事終わりによってくれ」
そう言って果物の詰め合わせを渡される。
呆然としたまま籠を受け取ると業務に戻った。
仕事を終え、病院へと向かう。
本当に自分が行って良かったのだろうかと今になって緊張が走った。
何か手土産を個人的に持っていこうかとも悩んだが何が好きなのか分からず諦める。
看護師に病室を教えて貰い向かう間も自分の様子がおかしくないか鏡があると逐一そちらを見てしまう。まるで自分が自分ではないようだった。
病室の前についた。手汗をかいてないか最後に確認して中に入る。
カーティスは起きていた。
てっきり倒れているものかと思っていたので目が合って驚く。
「…そんなに驚かなくていい」
彼の方は全く驚いた様子はなく、こちらだけが恥ずかしい思いをした。
「あの、これお見舞いの品をギルド長から預かってきました」
「ああ、受付の………。ありがとう」
一応エレナの顔は覚えてくれていたらしい。
受付の人間だと認識すると果物を受け取ってくれた。
どうしたものか。入院と聞いていたので意識がないことを勝手に想像していたので何を話すべきか全く考えていなかった。
二人の間に沈黙が落ちる。
「…S級の名が泣くな」
ポツリとカーティスが呟いた。
彼の中では入院をしたことはよっぽどショックだったのかもしれない。
「で、でも、ちゃんと族を一人で三十人も捕縛したって聞きました。カーティスさんじゃなかったら、この街の冒険者がやられていました」
そうだ、彼がいなければ自分に優しくしてくれたギルドのメンバーたちが襲われる可能性もあった。
「ありがとうございます」
そう言ってエレナは深々と頭を下げた。
「いや、お礼を言われる程のことはしていない。俺は襲われたから対応しただけだ」
ぶっきらぼうにも見えるが、彼なりの謙遜だと受け取った。
「君は、この街が好きなんだな」
カーティスから話しかけられたことに再度驚く。
「はい、皆さんには良くして頂いています」
「そうか、良かった」
話題の豊富でないエレナと口数の少ないカーティスの会話は弾まない。
何か話題を、何か話し出さなければとエレナが焦っていると再度カーティスが呟く。
「甘いものは得意ではない。君、少し持って帰るか」
そう言って先ほどエレナが持ってきた果物たちを指さした。
「あ、えっと、せっかくの頂き物ですし…」
エレナがあたふたしながらもそう返すと再度カーティスは黙り込んだ。
「あの、カーティスさんは何かお好きなものとかありますか」
聞いてしまった。
話題がないことは確かだが、子供でもない相手に急にほぼ他人と言って差し支えない人間が尋ねるには突飛な質問をしてしまったかと後悔する。
だが、カーティスは律儀だった。
「シチューは好きだ。暖かい」
意外だった。南の出身だと聞いていたので、どちらかと言えば海鮮や生野菜がふんだんに使われた料理を好むものかと思っていたがそうではないらしい。
「シチュー、私も好きでよく作ります」
この言葉に嘘はない。出身の村は北の方にあることもあり、冬の寒い時期には毎日のように暖を取るためにもシチューをよく食べていた。
その習慣はロスハーゲンの街に来てからも変わらず温めるだけで簡単なこともあり、よく冬の自炊では作っていた。
「いいな」
カーティスが口元をゆるめて笑った。
去年も見たあの優しい笑みだ。
何か彼にしてあげたいと思った。
冒険者、それもS級の彼にただの受付嬢である自分ができることなんて何もないことぐらいわかっている。それでも何かできることはないかと考えてしまったのだ。
「あ、あの」
そう切り出した時には、病室に入る前にあれほど確認したにもかかわらず、緊張から手汗がにじんでいる気がした。
「もしよければ、お作りしましょうか。あの、病院まで差し入れとしてお持ちしたり…」
声は尻すぼみに小さくなっていた。
ここにきてようやく大胆な提案をしてしまったことに気が付く。
なんてことだ。
街の方では見ず知らずの他人の料理を口に運ぶことを嫌がる人もいると聞いたことがある。
しかも病院であれば食事も出るはずだ。
なんて愚かなことをしてしまったのだろうとエレナは思考の渦に飲まれていた。
「…病院食は足りないからありがたい申し出だが、明日には退院する」
杞憂な部分もあったが、迷惑な提案をしてしまったことには変わりがない。
エレナは穴があったら今すぐにでも入りたい気分だった。
だが、優しいカーティスはエレナの固まった様子を見て同情したのかもしれない。
もしかしたらただ気が向いただけなのかも。
いずれにせよ、彼はやはりエレナの勇者だった。
「君が作る料理は美味しそうだから残念だ」
その一言、たった一言を添えられただけでエレナは救われた気持ちになった。
そして、この日のエレナは自分でもおかしかったのではないかと思うほど恐いもの知らずだった。
「もしよければ、うちに食べに来ませんか」
口をついて出た言葉に戸惑う。時間を巻き戻せたのならどんなに良かっただろうか。
カーティスが驚いているのが分かった。
こんな小娘が何を言い出すのかと思っているのだろう。
「明日でいいか」
思ってもいない申し出だった。
「あの、いいんですか。うち狭いし、私お金持ちでもないし、ご飯が美味しいかも分からないし」
焦ってネガティブな言葉ばかりが飛び出す。
「………すまない。社交辞令だったか。俺は、あまりそういうのは分からないんだ」
そう言うと「忘れてくれ」と言って、彼は気まずげにエレナとは反対の窓の方へ視線を移す。
「いえ、来ていただけるなんて思っていなかったので。お待ちしています」
そう言うと、病室のドアを開けて退出した。
病院の廊下を可能限り速く、でもはしたなく無い程度の速度で歩く。
約束をしてしまった。
今すぐ部屋を片付けて、少し普段よりもいい食材をそろえなければ。
先ほどまでの病室での恥ずかしさとは別の意味で頬が赤くなる。
エレナは天にも昇る気持ちだった。