番外編「マーガレットの恋ー②」
マーガレットは、煌びやかな装飾が施されたギルドの大広間を見渡していた。
ギルド内は、仲間のお祝い事とあってかつてないほどの熱気に包まれていた。
「アダムさんも、とうとう結婚か……」
アダムはマーガレットやエレナの先輩にあたるギルド職員で、長年付き合っていた恋人と結婚し、今日はその披露宴が開かれている。
招待されたギルド職員や冒険者たちは盛大に祝福し、笑い声と歓声が飛び交う。
「いいわねえ……新婚さん」
マーガレットは、ふと隣に立つライルに視線を向けた。
彼の腕にはマーガレットが贈ったカフスボタンが光っている。
グレイドルの商談が初めて成立した際のお祝いとして、マーガレットから贈ったものだ。
商談などの気合を入れるような場面に付けて言ってくれているようだ。
最近は、グレイドルとの取引も順調なようで、護衛クエストの依頼回数も増えるごとに、ライルもギルドでの友人を増やしていた。
今日は、マーガレットのパートナー兼お得意様として披露宴に招待されている。
彼はいつものように静かに微笑んでいるが、祝福ムードの中、どこか遠くを見ているようにも見えた。
「ライルは、結婚って考えたことある?」
何気なく尋ねたつもりだった。
しかし、ライルは少し驚いたように目を瞬かせ、グラスの中のワインを揺らす。
「うーん……今は商人として一人前になることが先かな」
予想通りの答えだったが、マーガレットの胸に小さな棘が刺さったような気がした。
「まあ、そうよね」
明るく笑ってみせるものの、少しだけ苦い気持ちが残る。
アダムの結婚に触発されて、マーガレットは自分の将来について改めて考え始めた。
ライルは、いずれロスハーゲンを離れ、中央の都市グレイドルへ行くだろう。
自分は?
ここでギルドの仕事を続け、家族や友人たちとこの街で暮らし続けるのが幸せだと思っていた。
「一緒に行くか、ここに残るか……」
隣にいるライルにも伝わらないような小声で呟く。
自分がどちらを選ぶべきなのか、まだ答えは出せなかった。
それから数日、マーガレットはライルと過ごす時間の中で、微妙な距離を感じるようになった。
ライルは相変わらず優しい。でも、何かが違う。
だが、そんなマーガレットの違和感とは裏腹に、ライルの商売は波に乗っていた。
商売の話をするとき、以前よりも熱が入っている。
「今度、グレイドルの商会との取引を増やせそうなんだ。向こうだとロスハーゲンに流れてくるような商品は物珍しいみたいで付加価値も付いて、ロスハーゲンよりもずっと大きなビジネスになりそうなんだ」
「……すごいじゃない!約束の半年を前倒すの?」
「ああ。先方から少なくとも月一で来てくれって。僕だけじゃ対応しきれない可能性も出て来たから昔の友人にも声をかけてる」
マーガレットは笑顔を作った。
でも、ライルの言葉がどこか遠くに感じられた。
「ロスハーゲンよりも……ずっと大きなビジネス」
彼の夢が広がるほど、自分が取り残されていくような気がする。
「お金が絡むと難しい部分もあるから気を付けてね」
「うん。分かってるさ!でも、本当にマーガレットと付き合うようになってから良い事づくしだ。君は幸運の女神だよ」
ライルが珍しく歯の浮くようなセリフを言う。
「もう!都合の良い事ばっかり言って!」
そうやってじゃれている間は、漠然として不安に蓋をすることが出来た。
そんなある日、マーガレットはエレナの小さな変化に気がついた。
「エレナ!それ、去年私があげたスカーフでしょ!」
ギルドの受付で、エレナが珍しくスカーフを身に着けているのを見て、マーガレットは目を輝かせる。
ギルドで仲良くなってから直ぐ、エレナの誕生日が近いことを知り、贈ったものだ。
ロスハーゲンでも、マーガレットお気に入りの洋服屋を周ってようやく見つけたものだった。
「うん。大人っぽくてずっと付けられてなかったけど、久しぶりにつけてみたら少しは似合うようになったかなって」
エレナは微笑んだ。
以前プレゼントしたときは、「まだ自分には早いかな」と言って大事にしまっておくと言っていたスカーフだ。
たった一年の間に、彼女も少し変わった。
擦れた所のない内面はそのままに、少しだけ薄化粧をして身なりにも気を遣うことで大人びた印象へと変わっていた。
「やっぱりね!エレナは童顔だけど、こっちの生活にも慣れて、私が教えたお化粧もするようになったから、そういうデザインも似合うと思ったのよ!」
「ありがとう」
エレナは照れくさそうに微笑む。
しかし、マーガレットの恋愛アンテナは敏感に働いた。
何とかしてエレナがオシャレに目覚めた理由を聞き出そうとするが、なかなか手ごわい。
いくらがこちらが尋ねても、少し頬を染めるだけでいう気は無いようだ。
「はいはい、もしそういう話があったらするから」
エレナにしては軽くあしらわれる。
こういう時のエレナは意外と頑固だ。
「ホントにー? ホントよ! エレナ隠し事上手そうなんだから」
エレナは苦笑しながら仕事に戻った。
その背中を見ながら、マーガレットは「絶対、何かある」と確信する。
「エレナの恋……うーん、誰だろう?」
しかし、ライルとの関係に悩む自分と比べて、エレナの想いには強い意志があるように見えた。
マーガレットは、自分自身の答えを見つけられるのだろうか……?
マーガレットは、ギルドの受付に座りながら、ふとライルの言葉を思い返していた。
ライルの夢が順調に進んでいるのは嬉しい。
でも、それは同時に、自分と彼の未来が交差しないかもしれないという現実を突きつけられる瞬間でもあった。
まだ、どこかに移住するような話は出てきていないが、時間の問題なのかもしれない。
もし中央に行きたいと言われたら、果たして自分はどうするのだろうか。
「まだ、先の話だよね」
言い聞かせるように呟くと、ため息をつきながらギルドの窓から外を眺めた。
その日は、途中まで普段よりもちょっぴりふわふわとした雰囲気を垂れ流していたエレナが午後になると急に顔色が悪くなった。
「エレナ、大丈夫?しんどいなら早めに上がらせて貰ったら?」
思わずマーガレットが進めるが、責任感の強いエレナは一通り終わらせてからと言って定時まではきちんと最低限の仕事を終わらせていった。
せっかくエレナにも春が訪れると思ったのにと心の中でごちりながら自分の仕事を終わらせていく。
優しい親友の幸せをひっそりと願うのだった。
そうこうしているうちに定時になる。
「アダムさん、エレナの仕事で私の方でやっておいた方が良い事ありますか?」
今まで基本的に休んだことも無かったエレナが体調を崩した。
真面目な彼女のことだ、無理して出勤したりしないか心配だったのだ。
「いや、最低限は済ませていったみたいだから大丈夫だよ。全く、無理しなくて良いって言ったのに」
そう言いながらも、アダムもちゃんとエレナの仕事ぶりを認めていることが伝わってくる。
「おい、誰かエレナ君の連絡先を知っている人はいるか?」
急に受付まで降りて来たギルド長の言葉に驚く。
「どうしたんですか?」
「カーティスが彼女に連絡を取りたいらしい」
大物の名前に驚く。
「私知ってますけど、何でカーティスさんがエレナに?」
受付の皆、疑問をマーガレットが代表して尋ねる。
二人はあくまでもただの受付係と冒険者のはずだ。
「いや詳しくは分からんが、カーティスが用事があるらしい」
皆、まあと釈然としないながらも、そういう事もあるかといった雰囲気で業務へと戻って行く。
ギルド長の言葉なので一旦は従うがマーガレットの中で疑念は消えなかった。
翌日、無事出社したエレナを捕まえる。
「ちょっと、昨日大丈夫だった?」
「え、ああ、昨日は迷惑をかけてごめんね。でも、体調悪いとかじゃなくて元気だから」
エレナは、まだどこか浮ついた雰囲気を纏っていた。
「カーティスさんがわざわざ、あなたの連絡先を聞いてきたのよ?大丈夫だった?」
「うん、何でもなかったよ。ちょっと私の出身の所の近くの話を聞かれただけだった」
エレナの目が泳いだ気がした。
ただ、S級冒険者とただの中級都市のギルド受付嬢との間に何の関係があると言うのだろうか。
「…エレナ、何かあったら絶対言うんだよ。私はエレナの味方だから」
もし、カーティスが自分の立場を利用して、エレナに酷いことをするような事があれば、これまでの人脈を駆使して、ロスハーゲンに寄り付けないようにさせることぐらいは出来るはずだ。
S級冒険者の中でも一番総合力が高いと言われるカーティスだが、他にもS級冒険者はいるのだ。ギルド長に直談判だって厭わない。
どんどん嫌な方向に転がるマーガレットの思考を尻目に、エレナがコロコロと笑う。
「うんうん、何もないから本当に大丈夫だよ」
そう笑った彼女の表情は、いつもよりも柔らかいものに見えた。
毒気を抜かれた。マーガレットの脳内で広がっていた悪い想像が飛散する。
「マーガレット、心配してくれてありがとう」
微笑んだ親友を力一杯抱きしめた。




