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番外編「マーガレットの恋ー①」

ロスハーゲンの冒険者ギルドで受付に座りながら、マーガレットは姿勢を崩す。

頬杖をつきたい衝動をこらえながら、昼間の閑散としたギルド内を見つめていた。


「はあ……恋がしたい」


隣に座るエレナが書類の整理をしながらちらりと彼女を見たが、特に何も言わない。

彼女の手は止まることなく正確に書類を捌いている。


「ねえエレナ、いい人いないの? ギルドの冒険者なんてみんな男らしくて、ちょっと荒っぽいけど頼れるタイプばっかりでしょ?」


エレナは手を止め、考えるふりをした後、「うーん……みんな良い人だけど、恋愛対象にはならないかな」と静かに答えた。

マーガレットはぷくっと頬を膨らませる。


「エレナはいつもそんな感じよね。こういう話になると必ずはぐらかす!私の一個下だから…花も恥じらう十七歳でしょ?」

「花も恥じらうって…そんなに美人じゃないよ、私」


エレナは苦笑しながらもマーガレットの話を聞いてくれるいい同期だった。

ギルドの試験を受けた時に、どこかふわふわとしながらも落ち着いた雰囲気の彼女に声をかけたのはマーガレットからだ。


ギルドに入ってから一年経ち、その見た目の通りの優しい性格と人を安心させる笑顔、加えて、擦れたところのないエレナは密かに冒険者からの人気も高いが本人には全くその気が無いようだった。


「エレナは、美人っていうか、可愛らしい感じだけどそこがいいって人もいるんだから!」


そう断言するが、エレナは本気にしない。


「はあ……せめて、運命の出会いでもあればいいのにねえ」


苦笑するエレナをよそに最近の悩みを吐露する。

もう前の彼氏と分かれてから約一年が経とうとしていた。


マーガレットが呟いた瞬間、ギルドの入り口の扉が開いた。


「すみません、物資調達の依頼をしたいんですが……」


マーガレットが顔を上げると、そこに立っていたのは見習い商人らしき若い男性だった。



その男――ライルは、質素な商人の服に身を包み、大きな荷袋を肩に担いでいた。

陽に焼けた肌と、少し頼りなさげな雰囲気が、彼がまだ若く経験の浅い商人であることを物語っている。


マーガレットは愛想よく微笑みながら対応する。

この一年で、受付業務も板に付いたものだ。


「物資調達の依頼ですね。どんな品目をお探しですか?」


ライルは帳簿を取り出して、少し緊張した面持ちで説明を始めた。


「えっと、薬草が中心で、それから保存食……あと、もし可能なら、護衛を一人雇えればと……」

「なるほどね。護衛付きの調達依頼ですね。予算はいくら程度でしょうか?」


クエストの申請項目を順次埋めていく。


「その……あまり高くは払えませんが、できるだけ交渉には応じます」


不器用ながら誠実な話し方に、マーガレットは思わずくすっと笑った。


「では、一般的な価格をまずは提示してみましょう。その上で、交渉可と記載しておけば興味のある冒険者から声がかかると思いますから。」


彼が少し安堵したように微笑んだ瞬間、マーガレットの胸がふっと温かくなった。


「私の方でもいい冒険者とマッチングできるようサポートさせていただきますね。」


少しだけサービスをしてしまったと思いながら、その日は彼も通常の依頼主として帰って行った。



ライルはそれからも何度かギルドに足を運んだ。


護衛を依頼した冒険者と打ち合わせをしたり、次の仕入れの準備を進めたり……彼はまだ駆け出しの商人だったが、仕事には真剣で、話しているうちにマーガレットも次第に親しみを感じるようになった。


何より、二歳差という年齢差もお互い似たような話題で盛り上がることができ、心地よかった。

いつしか、よそよそしかった態度も無くなり、敬語も取れた頃のことだ。


「ねえ、ライル。あなたの夢って何?」


ある日、何気なく尋ねると、彼は少し照れくさそうに笑った。


「いつか中央の大商業都市で自分の店を持つことだよ。ロスハーゲンの交易路を活かして、色んな品物を売り買いできるようになりたい」

「へえ……いいわね。でも、中央って遠いでしょ?」

「うん。でも、やるなら本気でやりたいから」


夢を語るライルの横顔は、普段よりもずっと大人びて見えた。

マーガレットは、彼女が思っていたよりも彼のことを気にしているのだと気が付く。


マーガレットは、ロスハーゲンの出身だ。

両親はこの街の商会で長らく働いており、父は大きな商会で番頭のようなことをやっている。

この街の皆に育てられ、それなりにいい暮らしをさせて貰っていた。


ロスハーゲンから出るなんて一度も考えたこと無かったなと心の中で思うと急にライルが遠い人のように感じられた。



親しい依頼人から、友人に格上げされた頃、ライルがロスハーゲンからもう少し足を延ばして、近隣の大都市であるグレイドルに遠征に行くことになった。


「ここで信頼を得られれば、ライルの夢に一歩近づくってことね!」


商人に取っての信頼の重要性については嫌と言うほど知っている。


「ああ、緊張しているけど、せっかく相手が会ってくれるって言っているからね。今の僕に出来ることをぶつけて見ようと思う。」

「緊張しすぎちゃダメよ!」


そう言って、いかにも応援している体で別れた。


しかし、マーガレットは、彼女の感情に気づいていた。

応援しているのは本当だ。だが、どこか寂しさを感じている彼女がいる。


「次はいつ来るの?」と聞きたい。

でも、そんなこと聞いたら彼女だけが彼を待ってるようで嫌だった。


彼の夢を応援したい。でも、彼女はギルドの仕事が好きで、ロスハーゲンを離れるつもりはない。これ以上は近づいては行けないのだろう。

そう言い聞かせながらも、マーガレットはライルと会える日を密かに楽しみにしていた。



ライルが戻って来る予定の日を過ぎた。

しっかりとその日から何日経っているかを計算している辺り、先日の決意はもう脆く崩れ去って行っている。


1日経ち、2日経ち、3日経つと道中何かあったのではないかと不安になった。

ギルド内でグレイドルについての話があると聞き耳を立ててしまう。


「マーガレット、最近、何かあった?無理には、言わなくてもいいんだけど…」


遠慮がちにエレナに尋ねられた。


「え?何で、エレナ?」

「いつもよりお喋りが少ないから体調悪いのかなって…。もし良かったら、昨日クッキー焼いてみから食べてね」


そう言ってウサギの形をしたクッキーを手渡される。

エレナなりの気遣いなのだろう。


全くこの子はと心の中で呟きながら、エレナのそういう所がマーガレットは大好きだった。


ちょうど良い焼き具合のクッキーを頬張る。

「よしっ」と声に出しながら、自身の頬を軽く叩いて気合を入れなおす。


月末と言うこともあってか、ギルドの中は午後になっても人でごった返していた。


奥の方から列に並んでいた依頼人がやって来る。


「マーガレット、ただいま。」


そう言って、はにかむ様な笑顔でライルが彼女の前に現れた時には心臓が止まるかと思った。


「ちゃんと帰って来れたのね!良かった!」

「うん、予想以上の成果だったから今日の夜どこかに食事でもいかない?」

「え、すっごく聞きたい!行きましょう!」


そう言って約束時間を決め、業務に戻る。

今日もいつも通り物資調達の依頼をすると、ライルは受付を離れて行った。


ライルはロスハーゲンの直ぐ近くの町から自分で身を立てたいと出て来たようで、このギルドに出入りするようになってから、街での知り合いも増えたようだ。


今も、以前護衛をした面々と話に花を咲かせている。

彼の魅力に皆が気づき始めているのだ。


良い商人になるために必要なのは、信頼と人脈そして運だ。

目利きや良い商品ももちろん大事だが、同じ商品でも自分から買いたいと思ってくれる人が何人いるかで売上が大きく変わる。


彼が多くの人から応援されることが喜しい反面、チクリと傷んだ胸に自分の我儘な独占欲を振り払うように大きな声で次の依頼人を呼んだ。



約束の時間になり、レストランに着くとライルは先に入って待ち構えていた。


「珍しいわね!ライルの方が早いなんて」


そう言ってからかうとライルが降参したように両手を上げる。


「僕はまだ駆け出しの商人だからね、終了時間が不定期で申し訳ないと思っているよ」

「嘘よ。私の方が基本的に時間単位で働いているから。商人の大変さは理解してるつもりよ」


積もる話をしながら、美味しい料理に舌鼓を打つ。


「今日は、一個報告があるんだ。」

「何?もったいぶらないでちゃんと教えてよ!」

「なんと、グレイドルの商会との定期契約が決まったんだ!」

「ええ!」


店内にマーガレットの声が少し響いた。

直ぐに、周りの喧騒にかき消されたが思わず大きな声が出てしまった。


「驚くよな。初めての取引だったのにまずは二カ月に一回、半年それを続けたら一カ月に一回の訪問も検討してくれるってさ」

「凄いじゃないライル!それだけライルの目利きが良かったってことよ!」


マーガレットが高揚しながら、ライルを褒める。

ライルも照れ臭そうに笑いながら、「運が良かった」と言っているが、本人の努力あってこそだろう。


父にそれとなく聞いてみたが、今回ライルと取引をした相手は、グレイドルの街では中規模程度の商会だ。ライルが相手を訪問する前に、多少彼の評判も調べているだろう。

つまり、彼の人となりも含めて認められたと言うことだ。


「お祝いね!今日は少し奮発したメニューを頼んでもいい?」

「もちろん」


二人の会話は、会わなかった数週間の隙間を埋めるようにいつまでも途切れることは無かった。



マーガレットは、その日はライルのお祝いなので奢ると言ったが、頑なに断られた。


「じゃあ、次回は何かプレゼントを買ってくるわね!」

「ええ、良いよ!」


ライルはそう言うが、マーガレットはどうしても彼をお祝いしたい気持ちでいっぱいだった。

何が似合うだろうか?

真面目な彼の雰囲気に合った万年筆や財布、せっかくのギフトなのだから彼が自分では選ばないようなもので、敢えて冒険しても良いのかもしれない。



久しぶりに夜の街を歩く。

良いことがあると、いつもと同じ街並みもより美しく見える。


ライルが急に立ち止まり、マーガレットをまっすぐに見つめた。


「ずっと考えてたんだ。マーガレット、僕は君が好きだ」

「えっ……?」


マーガレットの心臓が高鳴る。

中央に行きたいと言っていた彼の夢や、ギルドで過ごして来た自分のことが走馬灯のように脳裏に浮かぶ。

マーガレットが何も言えずにいるとライルの瞳が不安気に揺れた。


「嫌だった………?」


彼の言葉に、マーガレットは一瞬だけ迷った。

しかし、彼の真剣な瞳を見た瞬間、心の中にある気持ちがはっきりとした。


「私も好き!あなたが帰って来ないんじゃないかって不安だった」


そこまで言うとライルの顔に微笑みが浮かぶ、マーガレットは彼の手を取った。



それから、マーガレットとライルは恋人同士になった。

だが、中央に行くというライルの夢、ロスハーゲンに残りたいマーガレットの気持ち……二人の間にはまだ、超えなければならない壁がある。


「今はこれでいい。でも、いつか答えを出さなきゃいけないのよね……」


マーガレットは、エレナの静かな横顔を見ながらぼんやりと思う。

エレナの恋はどうなってるんだろう?

彼女も自分と同じように悩む時が来るのだろうか?もう、既に同じように悩んでいたりするのかもしれない。


けれど、無視できると思っていた想いは知らぬ間に膨らみ、そして成就した。

今までの学生らしい恋というよりは、もう少し大人びたそれに少し戸惑いながらもライルを大切にしたいと思っている自分を、今は大切にしたいと思う。


「好きな人に好きでいて貰えるなんて奇跡だもの。今は、私の恋を大事にしなきゃ!」


そう笑って、マーガレットはライルの隣を歩いた。

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