第11話「執着」
想えば、エレナは最初から少し特別だった。
温かい笑顔で擦り寄るわけでもなく、ただひっそりとその香しい匂いで彼の視線を惹きつける。
その上、彼が倒れた際にフラフラとあちらから近寄ってきたかと思えば、何を望むでもなく彼の欲を満たすのだ。
彼女が特別な存在になったのはいつの頃だろうか。出会って三年目、二回目となる彼女の家への来訪を果たした時にはもう本能は告げていた。
―彼女が特別だと。
だが、カーティスはそれに気付かなかった。
いや、正確には無視したのだ。
もうその時には、年齢なんてものを考えるほどには彼女のことを意識して、抗うことが難しい程、無垢な彼女に魅了されていたのに。
彼は初めて恐れを感じた。
彼女が彼を拒絶するのではないかと。
たった二回、その幸せだった時間まで否定されてしまうのではないかと。
そこからは彼は慎重だった。ただ、分からなかっただけかもしれない。
それでも、彼女を木綿で包むように、この今まで感じたことのない何かを近づいて壊してしまわぬように、そう心のどこかでは思っていた。
だから、いつか彼女に大切な何かが出来たとしても大丈夫だと思っていた。
ブレスレットを贈ったのはちょっとした意地悪のつもりだった。
彼女はあんなにも蠱惑的な香りをさせながら絶対に自分から何かを欲したりはしない。
そんな彼女に男が出来たかもしれないとそう聞いて自分だけ動揺したのだ。
無意識のうちに所有印を刻むように、あの小さな飾りが彼女に寄り添い続ける事を望んでいた。
それでもなお、人生の年長者として、本能に抗って、彼女を自分という存在から守り続けられる―はずだった。
決闘を終えた晩、カーティスはエレナの家の前にいた。
サミュエルの告白を聞いたとき、カーティスは確かに驚いた。けれど、それ以上にどす黒い不快感が彼を支配していた。
告白というものをされることはこれまでも何回かあったが、カーティス自らしたことはない。
付き合うというのは好きだと言い相手を束縛する権利だとカーティスは理解している。だが、野生から出てきて以来、人とあまり深く関わることが出来ないカーティスにとってその行為は無謀とも思えるものだ。
人の行動を制限することなど出来ない。師匠となった冒険者からの半躾のような教育を除いてカーティスは誰からも行動を制御されることは無かった。それと同じように他人を好きと言うだけで相手の行動を縛り付けることが出来るとは全く思えなかった。
―本当に好きならば、どこか自分の手に届く範囲に相手を縛り付けておく必要がある。
家の扉を叩く。驚いた様子のエレナがいた。
「えっと…………」
戸惑うエレナをよそに家へと入る。
勝手知ったる他人の家だ。彼女の香りに安心した。
エレナは戸惑っていた。
待ち望んでいた来訪だった。カーティスが年に一回ではなくエレナの家にいる。
どうしていいか分からなかったが、作りかけの食事はあった。それに自分でも嫌になるが、期待してかこの数週間いつでもシチューを作れる材料があった。
シチューを作るまでの間、食事を勧める。
「君の食事は、シチューだから温かいと思っていたが全て温かいんだな」
彼が今食べているのは、エレナが作っていたサラダだった。
ただ、食材を洗って切っただけの簡単なものだ。
それにも関わらず感動した様子の彼にエレナは戸惑う。
シチューを準備し、煮えるのを待つ間、食事をしているとカーティスに見つめられ、エレナはどうしていいのか分からなかった。
何とか顎を動かし味がしないご飯を胃に流し込んでいく。
カーティスは黒い感情に支配されると同時に戸惑っていた。
サミュエルが告白をしたとき感じた不快感はエレナが直ぐ断ったことで消散したかと思ったが、そのあと何倍もの大きさになってカーティスを襲っていた。
―エレナに好きな男がいる。
ダンジョンでギルドのメンバーたちが話していたのは本当だったのだ。
彼女にやたら近い男に妻がいることも、ダンジョンで彼女の名前に反応したものは、彼女以外にも好意の香りを寄せるような不埒の奴だということも知っている。
彼女はそういった奴らに敬意は払ってもカーティスに向けるような甘い香りをまき散らしたりはしない。
匂いは通常の人間は隠せないものだと慢心していた。それに、いくら尋ねても彼女にしては毎回キッパリと否定してくるので、ついいつも通りに接していたが、結果はどうだ。
やはり彼女は誰かを想っていたのだ。
自分以外の人間が彼女の温かい食事を食べ、あの甘い匂いを嗅ぐのだ。
そう考えるだけでカーティスは胸を搔きむしりたい衝動にかられた。
彼女は自分の料理を食べる時必ずカーティスの一口目を待つ。
そして彼がその味を舌で楽しんでいる様子を見て安心したように笑顔を浮かべるのだ。
なんといじらしいのだろう。
他の誰かがに彼女の笑顔が向けられる。
この家の暖かな灯りが、自分ではない別の誰かを迎え入れる。
そんなことに耐えられるはずがなかった。
これはサミュエルの告白のように爽やかで陽だまりの中にある思いではないことはとっくの昔に分かっていた。もっと生臭い何かだ。彼女を好きかと言われれば分からない。けれど彼女は自分のものだと本能が告げていた。
カーティスは無意識に拳を握る。
束縛もせず、執着もせず、ただ去る者を見送り、自分は何にも縛られずに生きてきた。
なのに——
今日エレナの家に帰ってきた瞬間、彼は理解した。
もうここが居場所だと。
誰にも彼女を取られてたまるものか。
「……エレナ」
気づけば彼女の名を呼んでいた。
彼女がこちらを向く。
「お前、本当に……誰か好きな男がいるのか」
それを聞いてどうするつもりなのか、自分でも分からなかった。
ただ、このままではどうにも収まりがつかなかった。
エレナは、一瞬目を見開いた後、困ったように笑う。
「……どうしてそんなこと聞くんですか」
問に問で返されカーティスは答えなかった。
エレナに想う相手がいることを彼の想いは許さない。
彼が本気になれば、まだまだどんな相手だってその骨もろとも葬ることが可能だった。
サミュエルのように言葉にすれば何かが変わるのだろうか。
彼女が自分のことをその想いの人を差し置いてこの席に座らせ続けてくれるだろうか。
カーティスには分からなかった。
出来上がったシチューを食べるとカーティスは部屋を出る。
彼女からは彼が家にいる間ずっと好意の香りがしていた。
彼女の言葉を信じ、驕りがあった。
ただ、それが無くなった今、カーティスは彼女から香る、微かな香り縋るしかない。
―彼女を縛る鎖がいる。
彼は、彼女の家を出るとダンジョンの方に向けて夜の闇へと消えていった。
ギルドではエレナの好きな相手とは誰かという話で盛り上がっていた。
一番仲の良いマーガレットが何故自分にすら言ってくれなかったのかと詰め寄ったらしいが、彼女は切なそうな顔をするだけで一切教えてくれなかったそうだ。
あれは訳ありだと皆の中で話題になり、エレナの好きな人は所帯持ちだの既に死亡しているだの好き勝手な噂が飛び交っていたが彼女が何も反応を示さないため有耶無耶になったままだった。
そうこうしているうちにカーティスがロスハーゲンに留まってから一カ月が立とうとしていた。




