第8話 上里勝利
上里勝利 1539年生、?年没 (第1部から第15部まで登場)
サクチャイとプリチャ(永賢尼)の第2子で、プリチャ(永賢尼)が上里勝利の先妻になったこと等から、上里勝利と張娃(上里愛子)の間の養子に迎えられることになる。
そして、中学校卒業を機にして、養父が取締役を務めていたインド株式会社に就職して、主にエジプト方面で活躍することになる。
これはこの当時の日本国内においてアラビア語を話せる者が極めて少なく、姉の織田(三条)美子からアラビア語を学んでいた上里勝利が、エジプト方面の即戦力として期待されたという事情からだった。
その後、浅井長政とお市夫妻がエジプトに赴任した際にも共に赴く等、エジプトとの縁を深めて、又、オスマン帝国政府の大宰相ソコルル・メフメト・パシャらのお気に入りにもなる。
尚、エジプト独立戦争時には、実母のプリチャ(永賢尼)が結核にり患したことから、エジプトに不在であり、もしも勝利がエジプトに居れば、エジプト独立戦争は起きなかったか、起きても様相が大きく変わっていたろう、とされる。
北米独立戦争勃発前後、浅井長政夫妻に乞われたことから、インド株式会社を辞職して、エジプト政府に仕えるようになった。
そして、竹中半兵衛没後はその様々な人脈等を評価されて、エジプト政府の大宰相になり、又、ローマ帝国建国後は帝国大宰相にまで出世して、藤堂高虎が次期帝国大宰相になるまで、帝国大宰相を務めた。
だが、生前の当時の世界での上里勝利への一般的評価は低く、
「龍の姉(織田(三条)美子)と虎の妹(武田(上里)和子)に挟まれた中の劣りの狗だ」
とまで、世界で謳われたという。
しかし、その一方で当時から世界の為政者の間では極めて高く評価されており、例えば、実姉の織田(三条)美子に至っては、
「弟の勝利?あれは狗の皮を被った(北欧神話の)フェンリル狼よ」
と高く評価している程である。
実際、そうでなければ、ローマ帝国を復興させたエウドキヤ女帝の大宰相が務まる筈が無く、最近では上里勝利の再評価が進んでいる。
宇喜多直家の妹と結婚するが実子には生涯、恵まれなかったことから、実姉の織田(三条)美子と織田信長の夫妻から、秀勝と冬子という養子を迎え入れる。
秀勝はエウドキヤ女帝の義理の姪にもなる浅井茶々と、冬子は蒲生氏郷と結婚して、それぞれが子を儲けており、上里勝利の家系は、ローマ帝国でも屈指の名家として続いている。
(作者としての呟き)
改めてまとめてみると、意外と書くことが少なくて、1話にまとめることになりました。
実際、それこそ描こうと想えば、もっと大きく活躍させることができた筈なのですが、色々な人物の陰に隠れがちになってしまい、本編での表面上の活躍が目立たないキャラに、上里勝利はなってしまいました。
(そうは言っても、あのエウドキヤ女帝の癇癪の嵐を宥めることができる人物の一人というだけで、トンデモナイ人物の片鱗を示している気がしてなりませんが)
もっとも、その一方で、下手に上里勝利を本編内で大活躍させると、エジプト政府の大宰相時代は浅井長政夫妻が目立たなくなってしまうし、ローマ帝国の大宰相時代は、それこそエウドキヤ女帝が目立たなくなるという問題が生じてしまいますので、こうなったのも止むを得なかったのかも。
尚、本編執筆中に寄せられた感想の中に、
「実は上里勝利って、「銀英伝」のヤン提督と同様の昼行燈のような人材では。最も「銀英伝」ではヤン提督は亡国の悲運に遭うけど、上里勝利は帝国の勃興を導いたという大きな違いがあるけど」
というものがあり、言われてみれば、その通りかも、と作者の私自身が、最近は考えています。
ご感想等をお待ちしています。