第3話 プリチャ(永賢尼)
プリチャ(永賢尼) 1515年生、1569年没、(第1部から第5部まで登場)
シャム王国のターク出身、その為にシャン語訛りが入ったタイ語を母語とするが、日本人の上里松一とアユタヤで同居生活を行ったことを発端として、更には日本に移住して尼僧生活を送ったことから、日本に移住して数年後には、日本語を母語のように読み書きできるようになった。
尚、シャム王国の国王の血を引く女性という本願寺等に遺された複数の日本の記録があるが、シャム王国の王統記等には該当する人物が存在せず、日本の記録の誤りと今ではされている。
極めて頭が良い女性で、その血は美子を始めとする子どもらにも受け継がれた。
例えば、上里松一の現地妻になった後、上里屋の奥を取り仕切り、奉公人たちを取りまとめている。
そして、本来の夫のサクチャイの安楽死を発端として、松一と別れた後に本願寺に入った後は、本願寺で出家した際の三条氏の縁から、本願寺顕如の妻の如春尼(細かいことを言えば、如春尼と名乗るのは、顕如と死別後になるのですが、実名不詳の為に本編等では如春尼と表記しました)と知り合い、両親を物心つく前に失った如春尼から母代として慕われるようにもなっている。
そうした背景から、顕如の後見人に1554年に没した証如から、(顕如からすれば父方祖母になる)鎮永尼と共に指名されて、本願寺の舵取りを1563年に顕如が成人するまで鎮永尼と共に担う。
猶、成人後も顕如は実祖母の鎮永尼よりも、事実上の義母になる永賢尼を頼りにしたと伝わっている。
1567年に重い結核にり患、その為に1569年に病死する。
結核にり患する前、次女の武田(上里)和子の下に教如の指導の為に赴く計画が本格化していたことから、永賢尼の才能等から後世において、
「もし、永賢尼が和子の下に赴いて、教如を指導していれば、北米独立戦争勃発は無く、それによる悲劇は避けられて、北米共和国成立は無かっただろうに」
等々の惜しむ声が絶えることは無かった。
(作者としての呟き)
エッセイでも触れましたが、当初は軽い思い付きから投入したキャラなのですが。
それこそ最終部まで、その影響が及ぶような重要キャラになるとは、何とも想定外でした。
本当に彼女の子孫は、それこそ日本、北米共和国、ローマ帝国という世界三大国にまたがって栄えることになるとは。
(何しろ、織田(三条)美子、上里勝利、武田(上里)和子に加えて、小早川道平や伊達(上里)智子の実母にプリチャ(永賢尼)はなるのです)
実はシャム王国の王族の血縁というのが、本当ではないか、と作者の私さえ、疑いたくなります。
その一方で、彼女を投入したことから、色々な影響が出たのも事実です。
それこそ張娃、上里愛子が色々な意味で不憫なことになったのは、彼女が発端ですし。
更に言えば、彼女とその実子がいなければ、織田信長を始めとする多くの面々は、本編において重要人物になることは無く、この小説の流れが大きく変わっていたのは間違いないです。
でも、彼女を登場させたことをきっかけとして、私なりに振り返ると、この小説に様々な深みが出た気がしてなりません。
もし、彼女が登場しなければ、それこそ私の当初の構想通りに、いわゆるイケイケドンドンの話にこの小説は成ってしまった気が、今更ながらします。
しかし、彼女が登場して、更にその子どもらが登場したことから、どうにも上手く言えませんが、色々と人生に苦悩する登場人物が作中に登場することになり、最終部まで連なる大河小説を描くことが出来た気がして、私は成りません。
そうしたことからすれば、彼女の登場は奇貨おくべし、という事だった気さえ私はします。
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