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第18話 織田信長(まとめ編・上)

 最初は上里家の一族を全て紹介した上で、織田信長等に触れるつもりでしたが、予定よりも上里松一の娘婿に触れることが多発したことから、急きょ織田信長には先に触れることにしました。

 予告と違う、という苦情に対しては、平にお詫びします。

 織田信長 1534年生、1595年没 (第2部から第9部まで登場)


「世界史上最大の無血革命家」という評価まである人物である。

 元を糺せば国人階級出身なので、必ずしも庶民出身ではないのだが、いわゆる公家、貴族階級出身で無いのは間違いない事実で、それなのに日本の初代首相にまで上り詰めたのだ。

 更に言えば、自らが、

「私は庶民の出だ。だから、官位等を自ら帯びることは出来ぬ」

と公言し続けた結果、生前に官位を帯びることは無く、その死後に正一位を贈られたという史実がある。


 これに対しては、

「そうは言っても、妻は清華家(公爵家)出身で従二位の三条美子ではないか。何処が庶民なのだ」

という批判が絶えないが。

 その一方で、美子が本来から言えば日本出身で無く、当時、断絶寸前だった三条家の養女に様々な事情から迎えられたことから、難癖が過ぎるのでは、という反論が行われているのも事実である。


 改めて、出生時からその生涯を述べるならば。

 出生時には尾張最大の実力者と謳われていた織田信秀の嫡長子として信長は生まれたのだが、成人(元服)前に「皇軍来訪」という大きな出来事があったことから、運命が激変することになる。


「皇軍来訪」により尾張国司は斯波家となった一方、信長の父の信秀は国司代どころか郡司にもなれず、それまでに築き上げていた財力等は保持できたが、権力者の地位からは追われることになった。

(とはいえ、それまでの経緯等から、信秀は尾張の陰の実力者の地位は保った)

 その一方、日本(政府)は積極的に日本国外への侵出を図るようになった。


 そうした状況から、信長は自分の将来について、積極的に尾張の外へ、でき得るならば日本の外へ、と考えるようになった。

 最初は軍人を志望したが、陸軍士官学校への入学に失敗したことから、長島願証寺を介して、本願寺に更に永賢尼へと働きかけて、信長はインド株式会社に就職することになった。


(尚、信長の異才を警戒した皇軍関係者によって、信長は軍人に成れなかったという少数説があるが、それならば有力な皇軍関係者といえる上里松一が、信長を娘婿に迎える筈が無い、という反論があり、通説はそれを支持している)


 そして、1552年のオスマン帝国への日本からの使節団派遣に際して、インド株式会社の一員として信長が随行したことが大きく運命を変えることになった。

 この使節団の副使を務めた久我晴通の婚約者兼通訳の上里美子を、信長が見初めて掠奪婚したことから、信長はインド株式会社の重役(後に会長まで累進する)である上里松一の娘婿になり、インド株式会社で出世することになったのだ。


(これ又、異説があり、美子の方が晴通に愛想を尽かして婚約を破棄した末に、信長に求婚したという説がある。

 だが、本来は庶民の美子が清華家の当主の久我晴通の婚約を破棄する等はアリエナイ、信長が美子と強引に私通してそれが公になったことから、晴通が婚約を破棄し、松一が世間体を取り繕う為に信長と美子を結婚させた、というのが多数説となっている)


 ともかく、信長と美子は仲の良い夫婦となって婦唱夫随の家庭生活を送り、その間に20人もの子どもを儲けて、更に生活の為にそのうちの何人もの子を、他家に養子に送り出すことになった。

(例えば、美子の弟の上里勝利の下に、信長夫妻は自らの子の秀勝と冬子を養子として送り出している)

 

 そして、自らを含む労働者の生活改善の為に、大坂全労連を信長は結成し代表に就任ことになり、更にここが母体となって、大日本帝国全労連が結成されて、更にはそこを主な支持母体とする日本初(というより世界初)の政党、日本労農党が結党されて、信長は初代党首に就任した。

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少数説(異説)と通説では、全部、通説が間違い。 「真実は小説より奇なり」ではなく「真実は通説より奇なり」で面白い。 それにしても流石の織田信長公。憲政の最初から議院内閣で、おまけに無産政党内閣とは驚愕…
 “逆張り”説をぶち上げ名前を売り込む上昇思考が近頃の歴史学会に蔓延ってるせいで昭和の終わり頃の信長株が大暴落してますが“紅蓮の革命児”像に親しむ読者には皇軍世界の「世界史上最大の無血革命家」評はある…
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