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楽園の果実  作者: 蜜柑桜
第二章 旅の一歩
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(三)

 手早く食事を済ませて林を抜け、二人はリノへ馬を進めた。林を抜けるとしばらくは草原が広がっていたが、次第に道も舗装の行き届いた街道に変わる。左右に人家が増えてきたと思えば、すぐに活気付いたリノの街中となった。

 リアの方面から来ると最初に入るリノの州都は、逆側から見れば王都リアへ向かう人々が最後に駐屯する地だ。それゆえに宿場街として栄え、経済的にも潤った都である。リアから運ばれる魚介類と内陸の農産物が融合して見事な食文化を生み、どんなに疲弊した旅人もその美食で癒すと言われるほどの滋養溢れる郷土料理が評判だ。

 旅籠の数は民家の数と同じほどあり、街の人口は住人半分、旅人半分と冗談が言われるほどである。そのような街だからして、旅装の者が馬を引いていれば他の宿より早く客を確保しようと左右から盛んに声がかかるのは当然だった。

 しかしクエルクスはそれらの誘いをやんわりながらもきっぱりと断っていく。陽が落ちる前にリノを横断したい。州都さえ抜けて郊外に出れば、呼び止められることもなく進めるはずだ。そうクエルクスが説明するので、早く先へ進みたいラピスも彼の言葉に従った。街を突っ切り、左右の家々がまばらになって来てから二人は再び騎乗し、クエルクスが軽く速度を上げて馬を走らせた。

 旅籠や商家の数が大分減り、民家の間に畑が目立ってくると、舗道は砂利や草の混じる道に変わった。

「リノを抜けてしまって、泊まるところなんてあるの?」

 ラピスは閑散としてくる左右の様子にさすがに不安を覚えて、後ろで手綱を握るクエルクスに尋ねる。

「大丈夫です。このリノを出てすぐの州境の村で宿を取りますから」

 クエルクスがそう言うのなら心配は無用なのだろうが、このまま足を進めたらさらに人家も減って来るのではないだろうか。

 そうこう考えあぐねているうちに川——ラピスの記憶では州境の川だ——を越えると、城壁のように石塀が視界を横切って建ち、その塀が二つに分かれたところに小さな木小屋があるのが前方に見えた。

「旅行者を取り締まる検問所です。姫様もご存知の通りですね」

 そこでラピスも地図を頭に描いて州境の村の作りを思い出し、クエルクスが心配ないと言った意味を理解した。ただし、問題があった。

「そういえば手形、持っていないわ」

 検問所の通過には旅券が必要だ。かと言ってまさか王女だから通してくれというわけにはいかない。自分の身の上を隠しての旅である。しかもリアの林を出てからは布で頭を覆い、顔を隠しているのだ。確かに、まだ年若いラピスは縁談の話すら国からは出しておらず、国外は勿論、国内にも肖像画などは出回っていない。しかしそれでもまだ、ラピスも旅をした地域のあるユークレース領内では特に用心が必要である。そうした理由から外目にも見えないよう気遣いをしていたはずなのに、王女である際には必要のなかった旅券について全く頭が回っていなかった。肝心の旅の必需品を忘れたというあまりにも間抜けな失態に、ラピスは自分で自分に呆れた。

しかしラピスとは真逆にも、クエルクスは至って冷静に答えた。

「宰相から渡された外国訪問の勅書を持っています——言ってみれば偽造ですけれど」

「あ、そう……作るなら一言断ってよね……」

 そのようなわけで、勅書を見せると怪しまれるどころかむしろ恭しく対応されてしまった。検問所に記帳し、馬を降りて石塀の向こうへ踏み込むと、その先には色とりどりの屋根が連なる町が広がっていた。都と呼べるほどではないが、少なからず人が行き交い、物売りの声も聞こえる。

「そういえばリノの州境はすぐに集落になっていたものね」

「ええ。川沿いで水が綺麗ですから、この辺の農作物は美味しいですよ」

 馬の手綱を引きながら、クエルクスは迷う様子もなく町中の小道をすいすいと歩いて行く。日はもう紅く空を染め、家々の窓に反射する光が美しい。料亭と思われる建物の中からは、早くも蝋燭の火が漏れている。そろそろ空も藍に変わり、道も暗くなるだろう。

「ねえクエル、どこに泊まるの?」

 前を行くクエルクスの歩幅が大きいのでラピスは小走りになりがちだ。クエルクスはちらとだけ振り返って言った。

「もう宿の手配はしてありますから」

「えっ嘘、聞いてない」

「言ってませんから。ああここです」

 立ち止まったのは、木造二階建てのこぢんまりとした一軒家だった。古そうな木の柱が年季を思わせるが、壁は塗り替えたばかりのように白く、窓も磨き上げられている。遠くから見た時、ラピスはてっきり民家かと思ったが、なるほど確かに間口の上に鉄製の透し彫りで馬が描かれた看板が下がっていた。馬が休む場所、つまり旅籠を意味する印である。その上の飾りは栗鼠と胡桃で、それらの周りを囲むように飾り文字が彫られていた。

「しまりす……亭?」

 古い行書体の文字を読み上げる。宿の名前らしい。

「すいません。遅くなりました」

 玄関前で呆けているラピスに構わず、クエルクスは扉を開けて奥へ向かって声を張る。するとすぐに宿の者らしい若い男性が出てきた。

「おう、遅かったじゃないか」

 気さくに話しかける男は、見たところクエルクスと大して変わらない年齢だ。

「リアを出るのに手間取って。日暮れ前に着いて良かった」

「それはお疲れだな。取り敢えず馬は厩舎に連れてっとくよ。部屋は二階だ。湯を使うなら……っと」

 知り合いなのか、互いに慣れた様子で話す二人をラピスは黙って眺めていたが、男の方がラピスに気がついて会話を切った。

「すみません、失礼しました。お綺麗になられたなぁ。こいつから話は聞いてますが……狭いところだけど一応、客のもてなしには自信持ってますんで寛いで下さいよ」

「御世話になります。ええと、何処かで?」

「少しですけれど都に居たので」

 男は、「すぐに食事にするから」と言うと、部屋の場所を教えて厩舎に馬を連れに行ってしまった。ラピスとクエルクスも客室へ荷物を運び、ふかふかの布団に腰掛けて長い騎乗で強張った身体を休ませる。

「知り合い? クエルの」

 ラピスは枕を抱えて足を揉みほぐす。馬にずっと跨っていたので太腿が痛い。

「彼は衛兵志願だったので。かなり優秀で試験も通ったのですけれど、やはりこの宿を継ぐと言って帰ったのですよ」

「私のことはその時に見たのね。 はぁーお腹減ったぁっ」

 布団の半分もの幅がある枕を体に当てたまま、ラピスは寝台の上をごろごろと転がる。長い一日だった。リノからこんなに離れた場所へ一日で来るのは初めてだった。馬車でもなかったし、何しろリノで林に入って以来、昼食の時しか休んで無かったのだ。それでも、まだ地図の上で見ると親指の長さほどしか進んでおらず、目的の北の地までは途方もなく先が長い。

 外の世界から見れば、きっと甘い生き方しかしてこなかった自分に不安が募った。

「ご飯まだかな。何かしらね。食べたらすぐに寝ちゃいそう」

 寝転がって天井を見ると、天窓の向こうにもう朱い光はなく、空には深い紺色が満ちていた。

「姫様」

「んー?」

 上を見たまま、明るい声でラピスは答える。長い間が空いてから、室内の静けさが優しく破られた。

「無理、しないでくださいね」

「……ありがとう」

 吐く息に言葉を乗せて、ラピスは枕を瞼に押し付けた。不安を隠そうとしても分かってしまう。しばらく顔を隠したまま、ラピスは体を動かさずにいた。

 何も言わずにそこに居る青年に、いままでのどんな時よりも感謝した。

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