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楽園の果実  作者: 蜜柑桜
第十章 北の友人
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(一)

 扉を入って来たのは、空色の長衣を羽織った長身の女性だった。背中まで伸びる長い真っ直ぐな髪は薄明るい茶色だが、もうその半分ほどが白くなっている。目元に皺が刻まれているところから見ても年齢はユークレースの国王と同じくらいか。しかし柔らかな微笑みは目を奪われるほどに美しく、碧の双眸には衰えを感じさせない威厳がある。

「トーナ女王陛下」

 クエルクスが即座に跪き、頭を垂れた。それに応じてラピスも立ちすくみそうになるのを堪え、慌てて王室の正式礼を取る。確かに目の前にいるのは肖像画で見たトーナ国女王その人だった。

「どうぞお顔をお上げください。立話もあれでしょう。お座りになって」

 手に持った銀の扇子で二人に室内の椅子を指し、トーナ女王は自らもラピスの真向かいにゆったりと腰を下ろした。

「良かったわ、大事に至る前に貴女がたを見つけられて」

「あの……恐れながらお伺いします。一体どこで私たちを」

「あまり堅苦しくなさらないで結構ですよ」

 緊張のあまりラピスが恐る恐る口を開くと、女王は縦肘をついて頭をもたせかけ、目を細めた。

「一昨日、市門のところで貴女がたが揉めているところに通りがかりました。まさか、とは思いましたけれども、臣下から貴女の容貌を聞いてすぐに確信しましたの」

 微笑みを湛えたまま女王は話を続けた。それによれば、市門でユークレースの勅使と名乗った者について聞いた女王は、歳の頃や外見からそれが勅使ではなく王女ラピスであると即座に判断した。しかし勅使を名乗るからには何かしらの理由があるのだろうと踏み、まずは二人を市門の中に通したのち、側近に宿屋まで尾けさせ、動向を見張っていたという。

「やはりわたくしの見立ては間違ってはいなかったようですわね。本当にお母上の生き写しでいらっしゃるわ」

「母に?」

「ええ。特にその瑠璃色の瞳。こんなに美しい色の瞳を持つのは、彼女の血筋以外にあり得ませんわ。まだお小さい頃に一度お会いしたきりでしたけれど、美しくなられたこと」

 女王はころころと雪が音を立てるように軽く笑う。その嬉しげな様子とは逆に、ラピスはますますうろたえた。母親が外政についてラピスに話すことは少なかったし、国王の父ではなく母とトーナとの関係など聞いていないのだ。

「あの、失礼ながら、母とは……」

「あら、わたくしとお母上とは昔から大親友ですのよ。昔はお互いよく行き来しあったけれど、そうですわね、どちらも即位してからは……特に先代と今のパニア王が間に入ってしまってからはねぇ……」

 先代のパニア王の在位はラピスが十にもならない頃までの期間である。先々代までは大人しくしていたパニアが領土拡大を狙っているのでは、と周辺国が危惧し出したのは先代の時であり、特にパニアの北に位置するトーナとは微妙な緊張関係に入っていた。パニアがトーナを狙ったのは、伝説の果実がある秋の国と隣接していることが大きな理由だと言われているが、いずれにせよ陸上でパニアを挟んで位置するユークレースとトーナとの連絡に支障を来したのは確かである。物流などならばまだ問題がないものの、王宮同士のやりとりとなればパニアの警戒の目が光るのは明らかだった。

 その経緯を考えれば、女王と王妃という位の二人が個人的なやり取りを自粛するのも納得がいった。逝去の間際に親友との自由な語らいさえも叶わなかった母を思うと、ラピスの胸にぎぅと掴まれたような感覚が走る。

「申し訳ございません。陛下に拝謁を賜るべく、勅使訪問の書状はもうご拝読頂いているとは思いますが、ラピス本人としてではなく身を偽るなどと図りまして」

 パニア王宮と同様、トーナ王城にも宰相から訪問に関する事前の挨拶状が行っているに違いない。ならば女王は、意に反して疎遠になってしまった親友の国からの使いをいかほど待っていただろうか。

 母の友人を欺こうとしたこと、さらには会うことにすら怯えて逃げ出したくなっていた自分の非礼に、ラピスは心底恥ずかしくなった。胸の内で亡き母に対し詫びを述べながら、礼のない行いをした自分に対して優しい眼差しを向ける貴人の寛容さに、深く頭を下げる。

 しかし、ラピスの耳に入ってきたのは、全く予想しない返答だった。

「書状? そのようなものは、ユークレースから届いておりませんけれども……」

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