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楽園の果実  作者: 蜜柑桜
第九章 夜の剣戟
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(二)

 ——まただわ。

 布団の中で目を覚ましたラピスは、小さく息を吐いた。昨晩は熱と気怠さがかなり残っていたし、食事をして冷えた体が温まったのも手伝ったのか、粥を平らげたら和やかな気持ちで眠りにつけた。しかし今日は夕食を食べて床についてもなかなか熟睡できなかった。体調がやや回復し、意識がだいぶはっきりしたからだろう。気掛かりばかりが胸を騒がせ、微睡んだと思っては目を覚ました。いま起きたのも、一体何度目だろう。

 もう一度眠りにつこうと寝返りをうつ。しかし今度はふと違和感を感じて、はっきりと瞼が開いた。

 室内は暗い。うつらうつらしながら繰り返し覚醒したのは確かである。それを考えれば、もうとうに夜も更け、人々が寝静まってかなり経つ頃のはずだ。なのに何だ、この気配は。

 旅足が遅れた焦りで神経が過敏になっているのかもしれない。そう納得して再び寝入ろうと布団を手繰るが、えも言われぬ感覚が体にまとわりつく。

 ——クエルは……

 不安に駆られてもう一つの寝台を見れば、そこはもぬけの殻だった。驚いて飛び起き、ラピスは従者の名を呼ぼうと口を開いた。しかし声を出そうとしたのと同時にラピスの上半身は押さえられ、身動きが封じられる。

「っ……」

「静かに」

 口を覆われ身悶えをしたら、囁き声と共に耳元に生暖かな吐息がかかった。

 それを聞いて、ラピスの肩の力が緩む。落ち着こうと、自分の体を押さえる腕を強く握る。

「音をなるべく立てないでください。外の奴らに気付かれる」

 クエルクスの言葉を受けてラピスは視線を巡らせ、息を呑んだ。窓にかかった白布の向こうに人影が揺れたのである。しかも月明かりで浮かび上がったのではない。影とともに動く朱い朧な光は灯火か。さらにそれだけではなく、影に並んで細い切先が天に向いている——槍だ。

 影はラピスたちがいる部屋に沿うように動き、窓枠の中に現れては止まり、また消えては戻ってくる。通常の街の巡回警にしては明らかに宿の壁に接近しすぎているし、街全体の警備なら一つの宿の前にここまで止まることはない。

 何かを探しているのか、それとももう見つけているのか。

 影の目的を見極めようと、ラピスもクエルクスも視線を窓に止めたまま息を殺す。すると、白布に映る影が二つに増えた。そして影の動きに呼応するように、低い犬の唸り声。姿は見えないが、数頭いるのか。少なくとも一、二頭ではない。すぐ近くから、やや遠くから、鳴き交わす声が聞こえる。

「ラピス。この部屋だと知られているかもしれない。廊下に出ます」

「知られているって、まさか……」

「早く」

 クエルクスは長剣を抜いてラピスの前に回り、構えをとったまま自分の背に隠したラピスの方へ一歩後退した。それを合図にラピスも急いで足を靴に突っ込み、床の荷物から羽織に巻いた短剣を取って後方の扉の方へ足を滑らせる。

 廊下に出ると宿の女主人が奥の方からこちらへ近づいてきていた。外の様子を訝しんだのだろう。寝巻きの上に毛の羽織をかけ、手には蝋燭を持っている。他に人の気配はない。

「おや、お二人も起きてしまったかね。一体この外のは……」

「しっ」

 女主人を制し、クエルクスは廊下の反対側にある玄関口を睨んだ。二人が泊まっていたのは宿の入り口に最も近い客室だ。狭い廊下の先には帳場があり、そこがやや空間の開けた玄関口になる。扉に嵌められた小さな覗き窓には薄布がかかっているが、その向こうにやはり朱い光がちらついているのが分かる。

 客室の窓を割って入ってくるのが早いか、正面から攻め込まれるのが先か。いずれにせよ、この状況では逃げ場がない。

「おかみさん、裏口は」

「無いよ、こんな狭い宿に」

 震え声の女主人の返答にクエルクスは唇を噛んだ。獣のように研ぎ澄ました神経が、外にいる者の数が増えていると察知する。犬の声は明らかに主人の言いつけで獲物を探しているのだ。

 クエルクスは背後をちらと見た。ラピスが羽織の合わせを握り締め、瑠璃の瞳が不安げに自分を見つめているのに、ただ無言で頷いて前に向き直る。玄関口に行けば数人から取り囲まれる可能性が高くなる。応戦するなら狭い廊下か。人一人通れる幅しかないここなら、向かってきた相手を順に撃てばいい。そう判断をつけ、剣を握る手に力を込めた。

 けたたましい犬の叫び声がしたのは、それと同時である。

 続けて馬の嘶きが聞こえ、そこに怒号が混じった。しかしすぐさま自分たちがいる宿に乱入してくるのではない。その代わりに「捕らえろ!」「そっちだ」と交わす声が聞こえ、その間に鋼の撃ち合う硬質な音が響き、掛け声、呻き、悲鳴が入り乱れる。窓の外で静かに揺れていた灯火の光が新たに点いた他の光と紛れて窓の外全体がさらにぼんやりと明るくなった。一体何が起きているのか。予想外の乱闘にラピスは唾を飲んだ。

 三人はしばらくじっと身を固めていたが、外が騒しくなってからそう経たない時である。三人の正面にある玄関扉がドンっという音とともに大きく揺れ、二回、三回とそれが繰り返される。ラピスの鼓動は速くなり、胸元で短刀を握り締めた。

 木製の扉だ。武具を使えばたやすく壊れるだろう。外の者が踏み込むまでそうかかるまい。クエルクスはラピスに下がるよう手で合図して飛び込みの姿勢へと身を低く落とすと、剣の柄を握り直し脇に構えた。

 バキッ……

 木の裂ける音がしたのと同時に外の騒音が一瞬にして鼓膜を圧迫する。そして廊下の中へ人影が飛び込み、銀の太刀が空を切った。

 キイィン……

 高い音が木霊し駆け込んできた者たちの動きが止まる。

扉から乱入してきたのは三人。狭い廊に成人の男が並んで通れるだけの幅などない。クエルクスは先頭の男の斬撃を止めると、相手の剣を抑えた力で弾みをつけ、軽く後方へ跳んで身を屈めた。打ち合った剣が離れて相手の男が体の支えを失ったところにすかさず踏み込み、頭から鳩尾に突っ込む。急所を打たれた男の体が後ろへ傾ぐと、背後に控えた男が体勢を崩した。そこへ間髪入れずに突きを繰り出し、男の腕を叩いて得物を落とす。男が痛みに悲鳴を上げている隙にクエルクスは一人目の男の体を蹴り倒した。後方へ雪崩れかかる男の体に押されて二人もろとも床に倒れ込む。その僅か数秒もない間にクエルクスは床を蹴り、三人目の男へ向かって刃筋を立てた。

 しかし相手の動きの方が今一歩、早かった。クエルクスの剣は空を切り、同じ瞬間に刃鳴りとともに左方から男の太刀が切り込む。

「……なるほど速いな」

 すんでのところでクエルクスは太刀筋を躱して跳び、右から撃ち込んだ。それを止め、男は逆にクエルクスの剣に凄まじい力を加えていく。その重圧にクエルクスの顔が歪んだのを見て、男は笑いを含んで低く言った。

「さすが、ただ一人で姫を攫い出すことはある」

「なんだ……と?」

 思いもよらぬ言葉にクエルクスの力がほんの刹那だけ緩んだ隙に、刃音が鳴るか鳴らないかのあと、鋭い切先が首筋に当てられた。

「だがここまでだな。ラピス姫を解放してもらおうか」

 男が半眼になり、手首の筋が微かに動いた——その時である。

「待ちなさい!」

 突然、クエルクスの背後から高い声が響いた。

「私がそのラピスです。私の従者たるその者から今すぐ剣を離しなさい!」

「はっ⁉︎」

 凛と響いた言葉に男は素っ頓狂な声を出し、その一瞬にクエルクスは男の剣先から逃れて間をとった。支点を失った男は体の均衡を崩して膝と手を突き、剣を離して顔を上げる。

「この者は……従者?」

「そうです。一体、何をもってそのような言葉を述べ、何が理由で私たちを襲うなどと」

 ラピスは短剣を持った腕を降ろして背筋を伸ばして立ち、クエルクスの横に進み出た。後ろでは宿の女主人が口を半開きにし、呆気に取られてラピスを見つめている。

「も、申し訳ございませんっ!」

 男は狼狽しながらも慌てて姿勢を正して片膝をつくと、胸の前で腕を床と水平に掲げた。

「自分はトーナ王室近衛団第一部隊副長を務めております者です!」 

「王室⁉︎」

 うわずった声は女主人のものだ。確かに男の姿勢は、トーナ王宮の正式礼だ。男は頷いて続けた。

「ラピス王女保護の命を受け参りましたが、とんだご無礼を!」

「全くだわ」

 男の背後から、張りのある澄んだ声が響いた。男が振り返るのと一緒にラピスとクエルクスもその方向を見ると、長剣を携えた女性が立っていた。一つに結んだ暗めの銀髪が戸外の明かりに照らされて煌めく。籠手を着けた手からは白い指が覗き、手首がしなやかに柄を操り剣を鞘に収める。

「だってラピス王女は男と一緒だから保護しろってアネモスが」

「誰がその男性が賊だと言ったのよ、ヒュートス。大体、外の奴等の動きを見れば王女を狙っているのは誰かわかるでしょう」

 見上げて抗議するヒュートスを、女性は目を細くして見下ろし、「まぁ外は片付いたからいいけれど」と呟いた。長い髪をさらりと揺らし、クエルクスとラピスの方へ向き直る。

「この盆暗が失礼致しました。申し遅れました。わたくしはトーナ王室近衛団第一部隊長を勤めております」

 アネモスと呼ばれた女性は剣の柄を二人の方へ向けた。そこには確かに、百合の花と十字が組み合わされた徽章——トーナの国章がある。

「先にこの宿を囲んでいた不貞の輩どもは、間違いなくパニアより侵入した賊です」

「パニア……」

「お心当たりがあるようですね?」

 ラピスの瑠璃の瞳が見開き肩が緊張で強張るのを、アネモスは見逃さなかった。そして、粛然とした表情を和らげて微笑む。

「御安心ください。奴等は全て捕らえましたから。わたくしは陛下よりラピス王女をお連れするよう拝命しております。陛下がお待ちです。どうぞ従者殿と共に御足労をお願い申し上げます」

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