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楽園の果実  作者: 蜜柑桜
第七章 峠の一夜
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(五)

 呟くラピスの顔が曇ったのを感じて、クエルクスは我に返った。即座に笑みを作り、言葉を続ける。

「ラピスが暗くなることはないでしょう。昔の話です。もう僕が知っている親族の中にはすでに魔法を使えた人間はいなかったのだし」

「だけれど、駆逐したのは王族でしょう。私の祖先よ」

 もう何代も前のことになるが、半島の各国間で起こった戦禍の際、戦いに与した一部の国が魔法使いを動員した。戦力となった魔法は山村を壊滅させ、都市を焼き、戦が終わっても瓦礫に埋もれた町が元通りになるには何年もの時間がかかった。

 これに恐れをなした為政者たちは連合軍を組織し、一度は自国の利益のために利用した魔法使いを、今度は駆逐しにかかったのだ。その時に先頭を切ったのはユークレースを治める時の王だったという。

 その災禍をなんとか生き延びた魔法使いは一握りだった。彼らは自分たちの力を伝えることよりも生き延びる方を選んだ。同族同士の婚姻を避け、魔法の使えぬ人間たちと交わり、血は薄れに薄れ、魔力は微弱なまでに衰えた。希薄な血は以前のような強大な力を与えはしない。たまに能力を持って生まれる者がいても、その力は遥か彼方の鈴の音を聞き取る聴力や、薬草の識別能力、またはクエルクスのように人外の生き物の言葉を解するといった程度である。

 このことはしかし、全くの終わりではない、という意味でもある。

「それにそのあとだって。迫害はまだ記憶に新しいはずだわ」

 ラピスはクエルクスの瞳を見つめて訴えた。

 先代——ラピスの祖父が王位にいたとき、先王は老いに従って自らの力の衰えを感じ始めると、掌握した権力を奪われるのではないかと半ば狂乱状態になった。老年に入り長年苦しんだ病も不安を煽ったのだろう。そしてかつて権力争いで猛威を奮った古の力を恐れるばかりに、各地に残った魔法使いの末裔を一掃しようと試みたのである。見つけられた者は伴侶、子女もろとも理由なく捕らえられ、刃向かえばその先はない。当時、宮廷に仕えていたクエルクスの父親を始めとする末裔たちも例外ではなかった。見つかれば、ある者は獄牢に、ある者は処罰されたのだ。中にはクエルクスの縁者もいた。

「クエルだって、大事な人をなくしたでしょう」

 青い瞳には自らが傷つけられたような苦痛が滲んでいる。クエルクスの胸の内に、きり、と痛みが走った。

 それをかき消したくて、無理にでも明るい声を出す。

「そういうものがあったとしても、現国王が守ってくださったのではないですか」

 無闇な迫害が続く中、まだ魔法使いの末裔だと察知されていない者たちを先王より早くに見つけ、匿って守ったのが現国王、ラピスの父である。そして上官、医師を統率して老いた先王を説き伏せ、病状を理由に王権の譲渡を促し、穏便に横暴を止めたのだった。

「僕らがいま宮廷にいるのは陛下あってこそです」

 玉座から降りた先王はもともとの疾患ゆえに衰弱する一方で、その命長くは続かず、譲位まもなく他界した。そのすぐ後、現国王は一度方々へ退避させた末裔たちを呼び戻し、一般の者と同じく能力に応じて平等に諸官に登用したのである。

「だからラピスが気を落とす理由など、どこにもないから。むしろ僕たちは感謝しなくては」

 ——だから、止められない。

 この道を止めるべきだとわかっているはずなのに、自分への蔑みや、迷いが、クエルクスの頭を掠める。自分の顔を暗闇が隠してくれているといい、そう思う。

 ——何があっても、万が一にも陛下をお救いする手立てがあるのなら——

 南の空で星が一つ、赤く、強く輝く。その右下にもう一つ、青白く光る星があった。冬のユークレースで見上げた空と同じ星図だ。国からもうずいぶんと北上してきたはずなのに空には同じ星が見え、リアの王宮にいる時と変わらず、ラピスの横にはクエルクスが座っている。

「もし、もし万が一、父様の身に何かがあっても、クエルは私と一緒にリアにいてくれる?」

 ラピスの手が掴んだ服の布に、きゅっと皺ができる。ふと視線をやれば、ラピスは目の前に広がる天空を仰いだまま、唇を引き結んでいた。

 ——自分がこんなことを言う資格が、あるのかどうか。

 手の温もりを自分に伝えるのは優しくて強く、それでいて頼りなく弱い少女。自分とは異なる、気高い光を纏った存在。

 ——覚悟なら、とうにしたはずだ。

「僕は……」

 クエルクスは、ラピスの視線の先を見つめた。真南の方角、山々の遥か彼方にあるのは、リアだ。


()()()()()()()ラピスの味方ですから」


 ——貴女さえ、それを許してくれるなら。

 胸に疼く感情を振り切る思いで、クエルクスは立ち上がった。

「それよりこんなところにずっと座っていたら、明日の下山にひびく。先ずは寝ることです」

 そうしてまだ座ったままのラピスを洞に戻そうと華奢な肩に手をかけた。その途端、手のひらに感じた温度にぎょっとする。

「ラピス、すごい熱さですけれど、まさか熱……」

 慌ててラピスをこちらに向かせて額に手を当てると、冬の冷気との差を考えたとしてもいやに熱い。よくよく顔を覗き込めば、瞳もとろんと虚ろになっている。

「早く中に入りましょう。何やってるんですか」

「大丈夫、だいじょ……」

「ちょっ……」

 クエルクスに腕を引かれて立ち上がりながらラピスは体勢を崩し、そのままクエルクスの肩にもたれて動かなくなってしまった。クエルクスはラピスの頭が肩から滑り落ちるすんでのところで抱きとめ、その体の異常な熱を肌で感じた。もうラピスは目も閉じてしまい、全身から力が抜けている。明らかにまずい状況だ。急いで抱き上げ洞の中に戻って布団に寝かせると、ラピスがまとっていた毛布を外から取ってきて自分の掛け布団と重ねてかけてやる。

 仰向けになったラピスの呼吸は、顔を離しても聞こえるほど大きい。胸が上下しているのが布団の上からでも分かる。間違いなく過度の緊張と疲労が原因だ。国から持参してきた薬草の粉を水に溶かして口に含ませる。

 少しでも熱を下げなければ、夜が明けても下山できないだろう。

 ラピスの喉が動いて薬を飲み込んだのを確認し、クエルクスは水筒を持って立ち上がった。先ほど水を汲んできた沢までさほどの距離も無かったはずだ。そう判断すると、クエルクスは音を立てないように布団の側を離れて外へ出た。

 冬の空は澄み渡り、ラピスと見上げた天には一面、変わらず星が瞬いている。上空高くに昇った月は満月で、下界を見下ろし強く輝く。幸いその白い明かりのおかげで夜目もきく。沢まで難なく行って帰って来られそうだ。

 木々の間から山鳥の鳴く声がする。突然変わった季節にまだ戸惑いがあるようだ。仲間同士、鳴き交わしている。しかしそれらの声が、クエルクスにはいささか不自然に思われた。いくら何でも焦りすぎてはいまいか。

 野生の鳥獣の声を聞き分ける耳で、鳥たちの言葉を一つ一つ注意深く拾っていく。そのうちの一羽がクエルクスに呼びかけた。

 ——なんだって?

 首を反らし、頭上の木を仰ぐ。

 ——それは、本当か?

 上から降ってきたのは、肯定の応え。

 ——まずい……

 鳥の警告に小走りになる。彼らは伝えた。

 ——雪雲が近づいている。明日には、吹雪になる——

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