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楽園の果実  作者: 蜜柑桜
第六章 貝の矢尻
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(一)

 翌朝、ラピスは重い頭で目が覚めた。日の光が窓を覆う布を透かして和らぎ、寝台の上のラピスの顔を照らす。

 いつ寝入ってしまったのか憶えていない。体の上にある絹の夏掛けも自分でかけたのかどうか、記憶がはっきりしない。夜のうちに気温が下がったのか、少し昨日よりも肌寒い気がする。頭頂部に軽い鈍痛を覚えつつ夏掛けを払って身を起こすと、部屋の隅の布張りの椅子で、クエルクスが長剣を抱えた姿勢で静かな寝息を立てていた。

 日除けの布の合わせにそっと手を入れ、窓から中庭の様子を窺う。青々しい芝生の中央で金箔を貼った女神像が朝日を反射し、眩い光にラピスは眼を閉じた。

 光を遮断した瞼の裏に、昨晩のパニア王とのやりとりがまざまざと浮かび上がる。権力欲にまみれた声。民の労苦は無知と思われるほど不必要にけばけばしい装飾。ユークレースに対する明らかな優越感と、自身の権威利益のために隣国の王女を求めるという冷えた感情。

 途端に触られた手の感触が蘇り、ラピスは朝の暖かな陽に包まれながら、ぞっと寒気を感じた。

 ——会いたくない。

 建前としては、王国の使者たる者として王宮を辞する前に再び謝意を伝えに上がるのが礼儀である。しかしあの人物の前で平静を保ち、粗相なく社交辞令を全うする自信がラピスにはなかった。

 見方によっては王位継承者の代理とも言える立場で、王に会わずに城を辞すなどあり得ない。

——でも……

 早朝の空気は爽やかだというのに、目に見えない触手に全身がじわじわと蝕まれていくようだ。


 


「王には会わずに出立しましょう」

 部屋に運ばれた朝食をとりながら、なんの前触れもなくクエルクスが言った。

「先方も朝なら会議やら何やらで時間がとられるはず。王族本人ではなく使いの者にそこまで割いているほど暇ではありませんよ。今日中に国を出なければ旅程が間に合わないとでも言いましょう」

 機械的に食事を口に運んでいたラピスは、突然の提案に手を止めた。顔を上げると、普段と変わらぬ感情の起伏が少ないクエルクスの黒鳶色の瞳とぶつかる。

 ラピスの理性は毅然として王に対するべきだと判断しているが、感情の方がうまくいかない。否とも是とも答えられず、俯いてしまう。

「馬を借ります。いいですね」

 再び、クエルクスが食器を動かす音がしはじめる。

「……辞する際に訪問国に差し上げる献上品が無いわ」

「どうにでも言い訳は立ちます。話はつけますから、さっさと食べてしまいましょう」

 外から時報の鐘の音が窓を通って室内に届く。ラピスはクエルクスに倣って自分も肉の燻製に銀器を刺した。目の前に並ぶのは昨日と同じく鮮度の高い食材による逸品ばかりだが、喉を通るものはほとんど味がしない。


 


 食事が下げられると二人は出発の支度を整え、執事長インシッドとの面会を頼んだ。インシッドは昨日と変わらぬ紳士的な応対で二人の王宮滞在に礼を述べ、居心地を慮り、社交辞令とは思えぬ自然さでユークレースの国使としての二人の振る舞いを称賛した。

 クエルクスはラピスよりも一歩前に立ち、深々と頭を下げる。

「過分なお言葉を頂いておいてお恥ずかしいのですが、実は訪問の礼品、本国自慢の貝細工の品をお持ちしたものの、途中賊に襲われまして。こちらへ赴くに失礼のない身なりを整える以上の支度が出来ず」

 インシッドは僅かばかり驚いた様子を見せたが、すぐに同情のこもった笑みを浮かべた。

「それは大変でした。どうぞお気になさらずに。それよりも本日はどう致しますかな。御希望とあれば、御出立の前に城の中の美術品などをお目にかけますが」

 ラピスが何か口を挟む間もなく、クエルクスはやんわりと断った。

「お気遣いに感謝申し上げます。しかしあまり長居をしてはお邪魔になりますし、本日中に国境を超えねば次の地へ参れませんため、一刻も早くお暇しなくては。会議等でお忙しい陛下の御時間をわたくしどものような下の者が邪魔するわけにもいきません。お手間をかけず、すぐに出発いたします」

「左様ですか。では馬車を出しましょう。早急に手配させますが」

「いえ、そこまでしていただくには及びません。ただ一つ我儘をお許しいただけるのであれば、馬を一頭、拝借したいのですが。少し旅足を早められればそれで構いません。城下の外れの検問所かどこかでお返しするのをご容赦いただければ」

 インシッドは首肯し、手を打って人を呼んだ。

「我々の城の馬はよくしつけられていますから。城下までと言わず、隣町だろうと帰って来られますよ。パニア国内であればどの町まで乗って行っていただいても構いませんとも」


 


 パニア王は自室の出窓脇の椅子に足を組んで腰掛け、外を見ながら茶を喫していた。最上階にある王の部屋は王宮の中央にあたり、中庭を挟んで向こうに城の正門が見える。

「陛下、客人御二人がおいでになられましたよ。すぐに発たれるとのことで、御挨拶の言伝を承ってまいりました」

「見えているさ。北へ向かうようだな」

 王は姿勢を変えず、窓の外を面白そうに見たままである。手にする茶器を軽く揺らす。椀の中で茶が静かな波を作り、底の花模様が歪んだ。

 間口に立ったインシッドは事務的に問う。

「如何いたしますか」

「素直な返答がなければ、傷も厭わない……か」

 ことり、と茶器が卓に置かれた。

「予定通りだ」

 一礼し、インシッドは部屋を辞していった。

 扉の閉まる音を背後に聞きながら、王は誰に言うともなく呟く。

「ふふ、直に会ってみれば。面白いじゃないか……ラピス姫。噂には聞いていたが、ますます気に入った」

 王の眼は、珍しい玩具を見つけたように笑んでいた。

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