(三)
「くあぁ、疲れた」
たっぷり二時間ほどかかった夕餉の席から部屋へ帰るや否や、ラピスは靴をほっぽり脱いで寝台に倒れ込み呻き声を出す。
「……見事な猫かぶりですよ……」
「が、い、こ、う、ですから、一応。表向きは王女のパニア訪問時の作法も聞けたし。でもなぁにぃあのパニア王は」
「やたらと贅沢なお暮らしがお好みのようで」
「ほんと。嫌よね。あの残っちゃったご飯どうするのかしら。ここのお城の方々が潤沢に召し上がれるならいいけど」
うだうだと言いつつ、綿織りの薄がけが敷かれた寝台をラピスは二回、三回転する。
「しかも何で父様の具合のことなんて……悪化していることは外には出ないよう注意していたはずよ」
四回転半回って寝台の端から端まで来たラピスは、仰向けのまま独り言ちた。クエルクスが何か相槌を打ってくれると思ったが何も応答がない。代わりに荷物を開ける音に続いて、椅子を引く重い音がするので半身を起こす。
「何してるの?」
見ればクエルクスは羽根ペンを雑に走らせて何やら書いている。
「何も」
「書いているじゃない」
「グラディ……宿のあいつに、連絡ですよ」
紙から目を離さず、面倒臭そうな答えだった。礼状でも書くのか、几帳面なクエルクスらしい。すらすらと動く羽根ペンをぼうっと見ていたら、ラピスもふと思いついた。
「私も、父様に手紙を書こうかしら」
そう言えば国を発ってから何も連絡を入れていない。城にいた時には父に手紙など書いたこともなかったので、書簡など思い付かなかった。
「駄目ですよ」
「えっ何でよ」
きっぱりと返された理由が分からず、寝台に座り直して抗議する。枕を力一杯掴んでクエルクスを睨みつけるが、相変わらず視線を落としたままで筆を休ませもしない。
「一般人の僕が一般人の友人に手紙を書くのは何ら問題ないですが、貴女は王族でしょう。御忍びで来ている人間が王族、しかも国王に書簡なんていけません。王城同士の書簡でない限り、検問を通して宛先が確認されます。一般人同士のものなら誰も気に留めやしませんが、女官が国王へとなれば何の封書か訝しがられるでしょうし、陛下に届くまでに誰の眼に触れるかも分かりませんよ」
「クエルなら鳩が使えるじゃない」
王城間で交わされる書簡ならば、管轄の役人の管理の下、国際法に則って他国不可侵のまま国に送られる。宰相は国王代理としてその方法をとったのだろうが、女官ほどの身分でそれは不可能だ。とはいえ鳥獣に言葉の通じるクエルクスなら、他人の手を介さず鳩や鴉に頼んで書簡を城まで直接運んでもらえるはずだ。ラピスはクエルクス自身の書簡も当然そうするものだと思っていたのだが、クエルクスは断固として首を縦には振らなかった。
「鳩は使えません。僕も今回は郵便馬車を使います。先ほど休暇で市街へ帰ると話していた下男がいたからちょうどいい」
インク壺の蓋をしその上に羽根ペンを置くと、クエルクスはまだインクの乾ききらない書面の上に紙を重ねててきぱきと折り畳んでしまう。先程の食事の時の王の鼻持ちならない態度といい、何か誤魔化していそうなクエルクスの様子といい、ラピスには苛つく事の多い日だ。
面白くない。供された酒の刺激がまだ喉の奥に貼りついているせいかもしれない。
「あらそう、ならいいわ。私はちょっと水でも貰いに行く」
宛名書きを続けるクエルクスに乱暴に言い捨てて、ラピスは廊下に出た。
食事の間に向かう廊下の途中に給仕のための小部屋があったはずだ。まだ二人が退席してから間もないので、誰か片付けに残っているだろう。そう算段をつけて再びさっき通った廊下を歩いて行くと、反対側から女官がこちらへ向かって来た。女官がラピスに気付き礼を取るので、ラピスも慌てて脱いだばかりの猫を被り直し、笑顔を取り繕う。
「先程は身に余る歓待の席をありがとうございます。少し美酒に気持ちが高ぶりまして。お水など頂戴できないかと」
すると女官は「ちょうど良かった」とラピスの手を取り、二人の客間とは反対側、城の奥を指した。
「王からお連れするようにと仰せつかったものですから、お部屋へお迎えに上がろうと思っておりました。お飲み物もお持ちいたしましょう。ぜひこちらへ」
「それでは連れも呼んで参りましょうか」
「その必要はございません。キュアノ様に関わることですから」
そう言われては、何の話か気になる。しかも今のラピスは、先ほどのクエルクスの様子も釈然としないので、同じ部屋でクエルクスと寛げる気分でもなかった。城内で隣国の賓客扱いなのだから、両国の関係を考えてもまさか滅多なことは起こらないだろう。そう判断して、ラピスは長い廊下を女官のあとについていった。




