AI=人工知能(ビッグバンの遺伝子)
最近話題のAI=人工知能が世界を変えようとしている。
私は「私の考えることは全てコンピュータでもできる」と信じていました。それは今もあまり変わっていません。
高校生の時だったでしょうか。BASIC言語でリバーシを自作したことがあります。コンピュータを相手にして対戦するリバーシで、自分がどう考えて打つ場所を決めているかをプログラムに落とし込んで戦わせるようにしました。私ならここに打つという場所を選ぶことができるプログラムですから、私がリバーシをする時の考え方をコンピュータにコピーしたと言えます。
でも、私がこのプログラムと対戦すると、高確率で私が負けてしまう。人間は間違うし見落とすけれどもコンピュータは間違えないし見落とさない。もちろん、私の考え方が最強の戦略ではないので勝てる人が対戦すれば、コンピュータに100%勝てることでしょう。でも私の戦略は私の中の最強なわけで、間違えれば負ける。AIとの違いはこのあたりにもあると思います。
生きることはリバーシのような単純な話ではないので、この程度でAIが人間のコピーになれるとは言いませんが、多くの判断はそれほど複雑なものではなく、数値化されていないためにコンピュータでの比較演算が難しいことと、AIが人間の肉体をコントロールするような機能を持つ必要がないことに起因するズレが問題になるのだろうと思います。
そして考えたのが「肉体を持たないAIは新しい遺伝子なのではないか。」という発想。
今回「ビッグバンの遺伝子」というタイトルを付けている理由の1つがこのAIの台頭にあります。
人間と他の動物との決定的な差は、私が文化遺伝子と言っているものの大きさにあると考えています。肉体に依存しない文化遺伝子は共有され時代を超えて未来に運ばれます。人間は教育によって人間になると言いますが、教育によって与えられるのは文化遺伝子であり、他の動物と一線を画する文化遺伝子そのものは肉体を必ずしも必要としません。
過去の遺伝子の形態、序章に書いたビッグバンの遺伝子、エネルギーから時空と物質への変遷という未来に託された世界が星を形作り、そこに生物の遺伝子が形成され、人間によって生物の持つ遺伝子に依存しない文化遺伝子へと変遷した。そしてAIは人間と同じ判断が出来る肉体を持たない遺伝子となる。AIは新しい人類の形ではないのか。
と、考えたのですが、肉体は必要なくても半導体は必要で、AIの住むコンピュータは人間が作らなければいけません。AIも人間同様に物理的制約があるのです。この物理的制約が解消されない限り肉体を持つ人間に依存しなければ生きられない遺伝子は、やはり人間の文化遺伝子の一部からは抜け出せないのかもしれません。