10:エルフの森、炎上寸前
* * *
ユーミを後ろに乗せ馬を飛ばすこと西に半日、広大な森が見えてくる。
それがこの辺りのエルフたちの最大の居住地、エルフの大森林。
エルフたちの言葉ではもっと別の呼び方があるのだけど、私のような他の種族からすると長ったらしいので、概ねその呼び方で定着している。
あまりにも定着し過ぎて、当のエルフたち本人もそう言われても訂正しないくらい。渋々と、ではあるけれど。
「でも、出来ればちゃんと呼んだ方が良いんですよね?」
「そうだね、可能ならそうすべきだね。エルフ語で言う――『大いなる恵み齎す月と星の森』っていうのが彼らにとっての名前。これに自分の枝族……血統、家系というのかな、その名前を繋げて、最後に名前を名乗るのがエルフたちの名乗りの作法かな」
こういうことは真似する必要はないけれど、覚えておいて損はない。
相手の文化を尊重するということは、それに配慮することの出来る教養と余裕、何よりも話が通じる相手だ、ということを示す大事な要素だったりする。
この話をしたのは馬を休ませる休憩の際に、エルフの森で気を付けることは何か、ということをユーミが聞いて来たからで。
前に話したまず知ることの大事さを彼女なりに考えて、最初の一歩……まず喧嘩せずに済む方法は何か、ということを気にしたらしい。
「エルフだって、森での禁則を有無を言わさず押し付けてくるわけじゃないんだよ」
私たち、エルフ以外の異種族から見た彼らの性質というのは、森と一体となりそれと共存し、守っていくその文化に根差すところが大きいんだけれど、彼らだって、他の種族がどう考えるかというのは解らないわけじゃない。
「よほど切羽詰まった、問答無用の衝突ならともかく、かならず警告をしてくる。向こうだって好き好んで喧嘩をしたいんじゃないからね」
「考えてみればそうですよね……道に迷って入ってくる人だっているんでしょうし」
「うん。警告はきちんとしてくれるんだから、決して悪い連中じゃないんだ」
実際、出会ったエルフたちはほとんどが悪いやつではなかったと思う。
反りの合う合わないはあるにせよ。
「警告されたならそれ以上踏み込まず、そこから自分の目的……迷い込んだなら帰り道を、知りたいことがあるならその事柄を聞くなりするようにすれば、そうそう悪いことにはならないよ」
そこで自分勝手に自分の都合だけを押し付けようとするから、衝突も起きるわけでね。
まあ、エルフはエルフで森の外のやり方に従おうとしないやつもかなりいるから、この辺はお互い様なのかな、と思ったりもするのだけど。
ともかくそれが一応の原則。
原則なんだけど――。
* * *
「そこを動くな。動けば撃つ」
私たちが森に作られた街道――辺境伯との約定で森の木を伐りだす際に作られたもので、今は交易用に使用されている――に入って少しすると、走らせていた馬の足元に、一本の矢が突き立つ。
……これが警告だ。それも、かなり殺気立っている。
普通じゃないのは確かだけれど……。
ユーミはすぐに馬から飛び降り、臨戦態勢とは言わないまでも、いつでも動けるように僅かに腰を落として立つ。
その様子から見て完全に囲まれているし、私が目星をつけているよりもっと多くの人数がこちらに狙いをつけているのだろう。
私も怯え嘶く馬を落ち着かせてから降り、胸に手を当てながら名乗る。
《我は南の喪われた地に住まう魔術を生業とする者、アーミリア。これなるは大地の神に仕え聖騎士の位階を授かりしユーミ・アルティール。大いなる恵み齎す月と星の森に生きる者よ、我に森と精霊の理に逆らう故無し、伺うべきことがあり罷り越した!》
隣のユーミが目を丸くして私を見上げる。
さっきの名乗りと口上は人間の言葉ではなく、エルフたちの間で交わされる言葉だったから、実際はもっと長いし、人間にとってはちょっと入り組んで解り難い文法もあったりするのだけど、大まかに訳せばそんなところ。
「エルフの言葉も話せるんですね……」
「一応はね。森の奥にいる古老たちが話す、神代の古エルフ語とかまで行くと無理だけどさ」
そんなことを話していると、近くの樹から一人のエルフが飛び降りてきて片手を上げる。
周りを囲んでいた圧迫が緩み、その半分くらいが森の奥に移動していく。
《人間がこんな時に何の用だ、と言いたいがこちらも名乗ろう》
私たちの前に立ったのは、エルフの平均からすれば良く鍛えられ、力強い印象を与える若いエルフ。
口をへの字に結んで、生真面目な印象があるけれど、侵入者の応対を任されている様子で、だとするならそれも当然か。
あと、エルフは精霊に親しみ、強い術を使うことが出来るが、彼はそれに加え、弓と矢筒、長剣を携えている辺り、戦士なのだろう。
彼は私がそうしたように、自分の胸に手を当てる。
《我は大いなる恵み齎す月と星の森に棲まいし樫と黒曜の枝族のもの、エシルゥア。月と星の森は汝を受け入れよう。如何なる事を知りにおいでになられたか、用向きをお聞きしよう》
真剣な顔で名乗りを返すエシルゥアと名乗るエルフ。
その前に、と前置きをしてから話し始めたのだけど。
《要件の前に……人間語で良いかな? こっちのユーミはエルフ語が話せないけど、内容は解っておいてもらいたいから》
《致し方あるまいな、そのような顔をされていてはこちらとて気の毒にも思う》
私たちが何と言っているか解らなくて、ユーミの顔が私と自分の顔をきょろきょろと往復していたら、そりゃあ落ち着かないよね。
「では改めて。この森に棲むエルフのエシルゥアという者だ。お見知りおき願おう」
「だ、大地の神殿の聖騎士、ユーミ・アルティールです! よろしくお願いします!」
背筋を伸ばして大きく礼をするユーミに、エルフの目が細まる。
こういう素直な感情が嫌い、って人はあんまりいないよね。
「それでなんだけど、こっちは東の街から人探しに来たの。この街道を往復する旅程を取っているはずの隊商の中にいるはずで、もう旅を終えて帰着しているはずなのに、まだ戻っていないんだ」
ジェレミアに聞いた、件の人物の情報を話すと、少し穏やかだったエシルゥアの顔が厳しいものに変わる。何かあったのかな。
「その隊商とやらの所属等の証はあるか? あるなら確認をして欲しいのだ。先日、壊滅した馬車の一群を見つけてな」
「……街に照会とかはしていないの? そうすれば……」
「したかったのだが余裕が無くてな。とにかく来てくれ、何か事態の打開になるならこちらから頼みたいくらいでな」
確かにエルフは広大な森をその領域にしているのに比して、人数が少ない。
けれど、街に使いが出せないというほどであるはずがない。
そうまで言われると、どれほど異常な事態が起きているかは理解できないはずもなく。
ユーミと顔を見合わせて頷いた。
「解りました、案内してください!」
「何だか大事の気配がするね、まったく困ったものだね」
「そう言いはするが……」
エシルゥアの視線がユーミに、そして私へと向く。
何だかとても変なものを見るかのように。
「そちらの少女はまだわかる。大地の神殿の者たちとは付き合いがないでもない。聖騎士を見るのは初めてだが、装束を見ればそういうものだとはわかりやすい」
「そうだね、神官衣に籠手とか防具を足して、うまい具合に動きやすさと意匠をまとめてるからね、ぱっと見で神殿関係者だってわかる。似合ってるし、良い装備だと思うよ」
私たち二人に褒められたユーミはえへへ、と笑いながらもじもじしている。
うん、こういうとこがねー、本当に可愛いんだよね。
「そこに来てお前は……」
「あー、確かにこう……うん……言いたいことはわかります……」
「なんだよ、長い冒険者生活で練りこんだ装備一式なんだよこれ! 変な目で見られるようなものじゃ……」
私の装備はと言えば、黒色の厚めの布で縫われた上下に、同じく裏地や内布に護符を仕込んだ黒の皮外套。身体のあちこちに術を使うときに用いる呪符や触媒の入ったホルダーが吊るされ、全体として重めの構成だ。
素の筋力だと重さでうまく動けないのは否定しないけど、どうせ避けられないんだし、と諦めて防御力優先にした代物で、これのおかげで命を拾ったことも少なくない。
「そっちは良いんですけどね?」
「うむ、重厚過ぎてどこの戦場に行くのかと聞きたくはなるが、まあ想定の範囲内だ。問題はだな……」
二人の視線が私の背中に向かう。
何かおかしいかな……携帯食料とかその他の一式が入った背嚢の他に背負っているものと言えば……。
「「何で大剣??」」
二人の声が重なる。
あー、街を出る時にこれに着替えてからこっち、時々ユーミがもの言いたげにしているから何かと思えば……。
「あー、事情があって不死者と戦うことが多かったものでね、彼らはほら、術で解呪か何かするのも良いんだけど、叩いて潰した方が早いことも結構あってさ……」
エシルゥアには私が死霊術師というのは話していないので、そういう表現をしたけれど、ユーミは思い当たることもあったようで、得心して頷いてくれた。
何せ魔術は全体的に消耗がある。勿論剣を振るにも疲れは伴うけれど、物理に訴えてしまった方が楽な時はあるものでさぁ……一応比較的軽い片刃のものだし、槌鉾よりは扱いやすいんだよこれ。
「なるほど、そういうことだったか。ならば理解もするが……名乗りの時、その物々しい姿で呪い師を名乗るものだから、何の冗談かと思っていたのだ」
「やっぱり、魔法使いって言われたらローブとか護符、長い杖って思いますよね?」
「うむ。我々エルフの術者もそのような軽装であることが多いな。達者になればなるほど寸鉄すら身に帯びる必要が無くなる、というのもあるが」
やっぱり変だよ、という視線が私に突き刺さる。
ユーミは初対面の時のことをまだ気にしてたね、くそぅ。
いやまあ確かに少数派だとは思うけど……そんなに変かなぁ?
「剣士ほど使えるわけじゃないんだけどね。でもとっさの時の盾にもなるし、他にも使いどころは結構あるんだよ、これが」
「荒事の際には期待させてもらいたいが……ともかくだ」
エシルゥアがまだちょっと微妙な顔をしつつも、街道の奥を指さす。
「外の流儀を知るものならわかることもあろう。見てもらいたいものがあるのだ、ついてきてくれ」
これも何かの縁か導きだろう、と。
* * *
そして案内された現場は、一種異様な状況だった。
何かの拍子に脇道……獣道にでも入り込んだのか、街道それ自体から少し森に入った場所で、何台もの馬車が横倒しになったり、破壊されていて。
馬や人の死体が見当たらないけれど、それは取るものもとりあえず葬ったからだろうし、エシルゥアに聞けば大半のものは後に返却するために回収し、回収できないものは一応そのままにしてあるという。
けれど、異様だったのはそんなことではなく――
「ここに来る前からも感じていたんですけど……凄く焦げ臭いんですけど……」
「ああ、なんだこれ……油が燃える臭いに近いけど、そんなものは見当たらないし……」
目を凝らせばうっすらと白い煙すら漂っているのが見えるというのは、いくら何でもおかしい。
どう考えたってろくでもない何かが起きているのは間違いない。
エシルゥアが言うには実際に小火の類も頻発しているらしい。
エルフにとって森が焼けるということは死活問題。
外に助けを求める余裕がないのも、この辺りの枝族総出で火災防止のために見回りや待機を行っている為だそうだ。まあエルフとしてそういう発想が薄い、というのもあるだろうけど。
「時期としてこの隊商の遭難跡の発見と、火災の頻発は同じでな。関連はあると考えるのが自然なのだろうが……皆目見当がつかなくてな」
「普通に考えると、そういう魔物がどこかに現れた、って考えるのが自然ですけど」
「我々もそう考えたのだが、この一帯は魔物が出にくい領域のはずなのだ」
エルフの青年は真剣な表情で言う。
我々エルフの中で、森の外の者たちに隔意を持っている者は確かに少なからずいる。しかし、と。
「人間に譲って森の恵みを分けることには反対があったとはいえ、我々とて一度そうと決まったならば協力はする。せめて安全な経路を提供するくらいはするのが当然だ」
人間が神の力を借り、祈祷所や神殿を作ることで魔物除けを行うように、他の種族、ドワーフや獣人、そしてエルフにも魔物除けの方法は伝えられている。
エルフのそれは聖樹と呼ばれる、森の奥の聖域に存在する大樹がそうなのだけど、確かにその守護域から外れたところを提供するかと言われると、ユーミのように首を傾げざるを得ない。
「確かに凄く気になりますけれど、ボクたちの探している人って、もしかして――」
「それもあるんだよね……エシルゥア、隊商の死者の中で、こんな人を見なかったかい?」
ジェレミアに念のためにと渡された似顔絵を、エシルゥアに見てもらう。
彼はしばらくそれを見て、いいや、と首を横に振る。
「立場上弔った者たちの顔は覚えているつもりだが、このようなものはいなかった。間違いない」
「……けれど、ジェレミアさんはこの隊商にいるはず、って言ってましたよね?」
「ああ、そうなると何らかの事情で別の場所にいると考えるのが自然だろう。隊商から分かれたか、或いは――」
「有力な容疑者、ということになるな」
もしそうなら許しはせぬぞ、とエシルゥアが呟く。
それはそうだろう。エルフにとって森を焼く行為とは禁忌以外の何物でもない。
実はエルフ自身も焚火程度のことは否定しないのだけど。
それは暖を取ったり自らで獲った獲物を食べる時に用いるもので、その際には厳重に注意しながら火を扱う。
彼らだって森の環境、生態系を守るために狩りはするし、狩った以上は無駄なく利用し森に還す必要があるというわけで。
エルフは肉を食べないという俗説があるけれど、その一環として肉食自体は否定されていなかったりするんだよね。
……好き嫌いはあるらしいけど。
そんな雑学をユーミに語り、エシルゥアが頷いて補足するという一幕はあったけれど、ともかく手掛かりがあるというなら捕らえねばなるまい、と踵を返そうとするエルフに、ちょっと待ってと制止の声をかけておく。
「何のつもりだ、森の外の者だからと庇うつもりか?」
「いや、そういうわけじゃないよ。けれど無根拠に疑うのもどうかと思うんだよね」
「根拠? 根拠ならば――」
「ここにいない、というのは有力かも知れないが決定的な証拠じゃない。そうだろう?」
む、と口ごもるエシルゥア。
とりあえず、もう少し別のアプローチをしてみるとしようか。
「エシルゥア、一つ聞きたいのだけど――」
私はくすりと笑って提案をする。
「――《伝心》の術を使えるエルフはいるかい?」
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