この駅のトイレは出るらしい
この駅のトイレには出るという噂があるらしい。
そんな噂など知らぬ俺は普通にトイレを利用した。
特に何の問題もなく用を足し、洗面台で手を洗う。
洗い終え顔を上げた俺は鏡に映る自分に違和感を覚えた。
「・・・。」
何がとは言えないが何か違う。
まじまじと鏡を見つめながら口元に笑みを浮かべてみる。
当たり前だが鏡の中の自分も微笑む。
「うーむ・・・」
今度は眉を大げさに二回動かし、首を振る。
傍から見れば生まれて初めて鏡を目にした人のような構図だ。
「・・・。」
鏡は問題なく機能しているが納得がいかない。
「あ、そうだ。」
ある事を思いついた俺は肩掛け鞄からチョコバーを取り出し封を開けた。
当然、鏡の中の自分も同じ事をする。
トイレで物を食べるなど普通ならありえないが、この時の俺にはそんな常識などすっかり頭から抜け落ちていた。
そして、俺は袋を剥いたチョコバーにかぶりつく・・・ふりをした。
「・・・。」
目線のみを上げ鏡を見る。
なんと鏡の中の自分はガッツリチョコバーにかぶりついていた。
「・・・。」
「・・・。」
無言で自分自身と見つめ合う。
鏡の中の自分は目を逸らさずにゆっくりと口からチョコバーを抜いた。
そのチョコバーは湿っている。
「・・・。」
―ガチャン
数秒の沈黙の末、鏡は粉々になり壁から脱落した。
あまりに現実離れした状況に恐怖感などはあったが、それ以上に俺は謎の勝利感を覚えていた。
「お客さん、どうされました?」
駅員の登場によって現実に引き戻され、得も言えぬ虚しさに容赦なく襲われる。
「いや・・・なんか突然、鏡が割れました。」
とても説明が出来る訳がなくそのままのことを言い、チョコバーをかじった。
俺は一体何をしてるんだろう・・・
その後、俺は友人からあのトイレは出るという話を聞き、最近は出たという話を聞かなくなったという話も聞いた。