名もなき四回目の人生、イライザ再び
こうして三回目も、やはり選ばれなかったことが引き金となって命を落とした。
そして迎えた四回目のやり直し人生。はっきり言って、夢も希望もなかった。だが今回が今までで一番何もなかったと言えるかもしれない。
なぜなら彼とはなかなか出会わなかったからだ。回避能力が磨かれていたらしく、気がつけば三十歳を超えていた。……残念ながら誰とも結婚はできなかったけれどね。自宅で洋裁の仕事をしていたので、買い物と納品くらいしか外出することがなかったおかげだろう。思わぬ展開に、このまま無難にやり過ごせれば長生きした上で天寿を全うできる。そう喜んだのも束の間、ひょっこり彼に出会ってしまったのだ。しかも別の意味で終わっていた。
すでに彼は結婚していたのだ。可愛らしい奥様と、二人の女の子のお父さんだった。そして何も抗う事はできず、数日後、やはり天に召される。
――――
そして、今回がやり直し人生五回目。
どうしよう。過去の記憶をずいぶん深くまでたどっても、経験と呼ぶには微妙な内容で何の役にも立たない。
「それにしてもまたイライザという名前がつけられたのは想定外ね」
そうなのだ。今世の私の名もイライザだった。ありふれた名前とはいえ、なんたる偶然。……名を呼ばれるたびに遠い過去からお父さんも見守ってくれているみたいでうれしいわ。
そして私が今住んでいる国は、かつてイライザとして生まれ育ったのと同じ国だ。近隣国と合併して国の名前は変わり、住んでいる場所も当時とは違う。けれど、そこここに残る景色にはかつて生きた時代の面影が残っている。世界を一周回って故郷に帰ってきたような、そんな懐かしい気持ちがした。
今世の父は、国の地方機関に勤める役人で、母は専業主婦。ただ、父は一回目とは容姿も全然違うし、ほぼ真逆の性格から判断して生まれ変わりではないだろう。顔も覚えていないが一回目の母と今の母もたぶん別人だと思う。そして私は、といえば。早い段階で記憶を取り戻し、学校には通っているけれど、それ以外は引きこもり気味な日々を過ごしている。
私が記憶を取り戻したきっかけもまた、イライザの名だった。三歳のときに自分の名前がイライザだと認識した瞬間に全ての記憶がよみがえったのよね。
大量の記憶を一度に得て、幼い脳みそには負担が大きかったらしく高熱を出して三日三晩寝込んだ。生死の境をさまよったらしいが、そのおかげでまだ幼いうちから将来の進路を選択できるから結果オーライだろう。
今世は、ある程度の年齢になったら国外へと移住しようと思っている。なぜならこの国はイライザの生まれた国であると同時にクラウス様の生まれた国でもあるから。彼と再会する確率が高そうなので、国外脱出を目指して今世は外国語の習得や国外の仕事に役立ちそうな技能の習得に力を入れた。前世の知識も含めると職業の選択肢が広いし、各国の特色も知っているからそこそこの運に恵まれている。
そして着々と準備を重ねた私は今年十八歳を迎えた。この国でいうところの成人で、学校を卒業すれば自由に働くこともできる。弟はいるが、かつての妹みたいに歪んではいないし、婚約者のように面倒な存在もいない。とはいえ適齢期ではあるので、出会いが増えて再会、とならないように国を出るまで気は抜けないけれど。まあなんとかなるよね、なんて前向きに考えていたから良かったのだろうか。
「お母さん、荷物持ってて!」
「え、どうしたの? そんなに急いで走ると危ないわよ!」
「見つけたのよ!」
見間違えるはずがない。何度も会いたいと夢にまで見た人なのだ。豊かな赤髪を束ね、白い肌に映える薄緑の瞳が印象的で。ありふれた旅装でありながら存在感が際立つ、あの女性を。
「もう逃しませんよ!」
人混みを掻き分け、腕を掴む。ギョッとした顔で女性は振り向いた。周囲の人々は何事かとこちらの様子を伺っている。息を切らし、腕を掴んだまま離さない私の鬼気迫る様子に、軽く恐怖を覚えたのだろう。女性は少しずつ後ずさりして距離を取ろうとする。ダメだ、絶対に逃しちゃいけない。呼吸を整え、彼女と視線を合わせながら、小さな声で囁いた。
「願いを叶えてくれるって言ってましたよね? 彼と結ばれるように生まれ変わるでしょう、って。」
その瞬間、彼女の顔色が変わった。そして私の右手を掴むと、反対の手を頬に添えて瞳の奥を覗き込む。私の身体の奥底にある魂の記憶を読み解くように、深く、深く覗き込まれる。そして彼女は驚愕した表情を浮かべ、叫んだ。
「……あなた、まだ結ばれてないの?」
「結ばれる努力よりも生き残るのに精一杯だったので、そちらに全力尽くしてました。しかも彼と出会っても縁が切れた瞬間に命の危機だということがわかってから、恋する以前に死を回避するのに必死で、ふわふわキラキラなんて甘酸っぱい感情を、ほとんど感じたことありません」
「えっ! 嘘でしょう、どういうこと⁉︎」
「ちょっと、イライザ。急に走り出してどうしたのよ」
「えっ、あなたもイライザ⁈」
「そういうことです」
「あらまあ、まるで恋人同士の痴話喧嘩みたいな展開ね。お母さん、どきどきしちゃう!」
「そんなわけないでしょう!」
呼吸ピッタリで否定する私達に、母はほわほわとお花を飛ばす。
片や鬼の形相で息を切らしながら美女に詰め寄る少女。向かい合う少女の頬に手を当て、顔を覗き込みながら驚愕の表情を浮かべる美女。そしてのほほんとした口調で娘を嗜める母親らしき女性。外野からすれば、なかなかお目にかかれないレベルのカオスだ。ここに至って、やっと周囲の人達が動き始める。
「お知り合いなの? 相手の方はいきなり腕を掴まれて、ずいぶんとびっくりされているじゃない」
咎めるような口調だけれど、子供みたいにこてんと首を傾げる母の姿を見て一気に気が抜けた。あざと可愛いじゃないか、母っ! あの真面目を三次元化したような父が、あっさり陥落するわけだよ。さて、どう説明しようか?
「……昔、縁があって知り合った人だよ」
遡れば数百年前だけどね。昔は昔だ、嘘は言ってない。とはいえ、いきなり手を掴むのは失礼だよね。慌てて手を離すと彼女に謝罪する。
「ごめんなさい。久しぶりに会えたのが嬉しくて、用事もあったし思わず掴んでしまいました。」
「本当にごめんなさいね、娘が失礼してしまったようで。お詫びもしたいし、良かったらうちに寄っていきませんか? このすぐ近くなんですよ」
謝罪をどう解釈したのか、母は積極的に彼女へ家に来てと誘う。いくらなんでも強引すぎやしませんか? 相手の女性も、グイグイくる母にいささか警戒気味だ。
「ですが、そういうわけには……」
「娘がこんなに積極的なのは珍しいのですよ。何かのご縁かもしれませんし、どうか遠慮なさらないで?」
「……では、遠慮なく」
無駄にキラキラした母の笑顔に圧力を感じるのは何故だろうね? 圧力に負けたのか、あれよあれよという間に母が彼女を家まで案内する。ついでのように彼女の名前まで聞いていた。彼女の名前はエレナさんというらしい。
「エレナさん、こちらへどうぞ。」
家に戻ると、居間のテーブルへと案内する。そして紅茶の入ったカップを彼女の前に置いた。さて、どこから話そうかな。間隔が開いていても、合計したら百年の人生だ。どう話せばこの状態異常が伝わるか。
「それで、エレナさん。話を始める前にひとつだけいいですか?」
「いいわよ」
「……お母さん、なんでちゃっかり隣に座っているわけ?」
私はエレナさんの斜め前、私の隣の空間に視線を向ける。嬉しそうに買ってきたばかりのお茶菓子を頬張る母を見つめ、ため息をついた。今から話すことに、母は関係がない。話しても余計な心配をかけるだけだから、聞かせるつもりはなかったのに。私の視線に気がついて、母が首をかしげた。
「えっ、だめ?」
「だめって……エレナさんと二人で話したいのだけど?」
「あら、つれないわね。じゃあ前振りとしてあなたの昔話をしましょう!」
母がポンと顔の前で手を叩くと、ふわりとした髪が揺れる。あ、これは斜め上な話をするつもりだな。だが止める間もなく、母は明日の天気を話すような気軽さで言った。
「この子、三歳の時に死にかけたんですよ」
「ブッ!」
「あらっ、やだわイライザったら。飲み物噴き出すなんて、お客様に失礼ですよ」
「いや、お母さんの方が十分失礼だから!」
このド天然めっ! 導入から深刻な話をぶち込んで、どうやって和やかに話を進めるつもりなんだよ! 内心慌てふためく私とは裏腹にエレナさんは痛ましい表情で母を見つめる。
「彼女は、そんな小さいときに死にかけたのですか?」
「ええ。突然悲鳴を上げたかと思うと急に倒れて、三日三晩熱に苦しんで。三日目の夜に、お医者様から『明日中に目覚めなければ身体が保たないだろう』とまで言われましたの。熱にうなされながら何度もうわ言で『死にたくない』とか言うのよ。我が子が苦しんでいるのに親として何もできないのは辛いものね」
母は今まで見たことのないような暗い瞳をして、深いため息をついた。そんなことがあったなど初めて聞いたわ。たぶん母の想像する死にたくないと、私の口にした死にたくないは意味が違う。私の場合、脳内に記憶が蘇ったからこその死にたくない、だ。だけど母が今だに覚えていて、親として深く傷ついているなんて思いもしなかった。
自立なんて程遠い。親の気持ちを知ろうともしないで、ただ自分の身を守ることだけを最優先としていた。子供がいたことがないから親の気持ちがわからないなんて、ただの言い訳だ。誰も皆、本来はまっさらの状態で生まれてくる。記憶がよみがえることが稀なのだ。大切なことには気づけなかったくせに、過去の知識があるから楽勝なんて調子に乗っていた私は、甘ったれた思考の抜けない子供のままで何も成長なんてしていない。
落ち込む私に、さらに追い討ちをかけるように母は言った。
「そのお医者様がね、こうもおっしゃったの。『高い熱以外、身体に症状がでていない。病などではなく知恵熱のようなものかもしれない。子供には稀にあることだけれど、ここまでひどいのは見たことがない』、とね。まるで『脳に大量の知識を無理やり詰め込まれているようにも思える』ともね」
そこで母は一度言葉を切った。そして真っ直ぐに私を見る。
「ねえ、イライザ。あなたの詰め込まれた知識の一端は、この方にも関係するものではないかしら? そうでないというのなら、すべてを諦めたように生きてきたあなたがここまで執着する理由は何なの?」
思わず息を呑んだ。ときどき恐ろしく勘が鋭いのだ、この母は。いや、もうこのレベルは勘の良さを超えている気がする。うろたえて否定すらできなかった。確証があるわけでもなく、真実はこれから聞くつもりなのに、まるでそう確信しているみたいじゃないか。
「直接エレナさんに関係があるか、私もわからないの。これからそれを確認するところなのよ」
「それなら余計に保護者である私にも聞く権利があると思うのよ。もし間違っていたら謝罪が必要でしょう? あなたはあなたが聞きたいことは聞けばいいいわ。それを私は隣で大人しく聞くだけだから、ね」
それだけ言うと、ニコリと笑って母は口を噤んだ。ずいぶん強引だな。普段ののんびりとした態度との差に呆然として母を見る。そんなやり取りを興味深く眺めていたエレナさんが口を開いた。
「言葉は選ばなくていいわ。あなたに起きたことをあなたの言葉で、最初から全部教えて。私から話すのはその後にするわ」
「わかりました」
覚悟を決めて話し出した。彼に出会ってから死ぬまでを繰り返した私の四回の敗戦の歴史を。二人共、ほとんど口を開かなかった。一度お茶を入れ直して、全て話し終ったころにはもうすぐお昼という時間になっていた。
「エレナさん、ご飯食べて行ってください!」
母は軽やかに立ち上がると、さっさと支度に取り掛かる。いや、まずはエレナさんの予定を確認しようよ。
「エレナさん、ご予定とかありませんか? あるならその後でもかまいませんよ?」
「まあ、ないわけではないけど後回しでいいかな? まずはあなたにかかった呪いを解かなければ」
「呪い⁉︎」
ならば本当に呪いになっていたということ⁉︎
驚愕のあまり言葉を失う私にエレナさんは真剣な表情を浮かべた。
「あまりにも置かれた環境や経験が特異すぎて私の呪いが変異してしまったのね」
「変異、ですか? それは……」
「大丈夫、ちゃんと順を追って話すから。もちろん、お母様にもね」
台所に立つ、母の背中を彼女は見ていた。深く、深く魂まで読むような、そんな視線を向けて。
「あなたのお母様の態度、私に対してずいぶん不躾だと思ったでしょう?」
「そうですね。普段はわりと気を使う人だからずいぶん強引だなとは思います」
「そうね、でも今回はお母様の対応が正解よ」
「そうなんですか?」
「たとえば私とあなたが後日会う約束をしても、私が再び会いにくる保証はどこにもないのよ。困っているのはあなた私ではないのだから。だから全て聞き出すまで、私を逃さないように手を尽くすのが正解」
たしかにそのとおりだ。思わず振り返って台所に立つ母の姿を確認する。
「あらっ、塩と間違えて粒胡椒買っちゃった!」
相変わらず二人の子持ちに見えないほど若々しく、ふわふわしていて可愛らしい。でも塩と間違えて胡椒って……粒の色もサイズ感も全然違うけど?
ヤダわーと言いながら、こっそり戸棚に胡椒を隠す母の姿から想像できない対応だ。
「普段は、ほぼあんな感じなんですよ? 危なっかしくて、なんだか心配だし……」
料理は上手なんだけど、買い物では道に迷うし、よく違うものを買ってきてしまうから付き添いは必須だ。ため息をついた私にエレナさんは、柔らかい笑みを浮かべる。
「あなたは昔と変わらず素直で優しい女の子のままなのね」
「どういうことです?」
「ごめんなさい、悪い意味ではないのよ。あなたの話を聞く限り、性格とかもっと悪い方に歪んでいても無理ないのに、根は真っ直ぐなままでしょう? すごいことなのよ、それ」
「そうなんですかね?」
「そうよ。だから逆に駆け引きというか……あなたのお母様みたいな発想がないの。無理もないわ。人として長く生きるほど色々な経験をして歪んだり、時に角が取れて磨かれるものなの。でも、今までそういう経験を積む前に亡くなっているから、純粋で真っ直ぐで、人の悪意を疑うことがないのね。繰り返し悪意にさらされながらも、与えられた無垢な愛情を忘れることもできなかった結果なのかも」
心に深く染み入るような声。彼女の声は私を捉えて離さない。彼女は純粋に褒めてくれているのだろうが私は別の視点から見た自分を想像して、ため息をついた。人の悪意を疑わないとはつまり、思慮が浅く甘いのだろう。そうか、だから護衛となった彼を妹に奪われ、次の生では王子の横槍にまんまとハマり、横からぽっと出てきた女性に彼を奪われたのか。
「はーい、ご飯ですよー。パンは必要な分だけここから取ってね」
母の明るい声を聞いて我に返る。塩胡椒で味つけをした焼きたての鶏肉と新鮮な野菜が盛られた皿が配られ、スープは鍋に入ったまま、籠には切り分けられたパンが盛られテーブルの真ん中に置かれる。
「女性同士だもの、お替りは自由に、食べたい量を自分で取りましょうね!」
母はそう言って各自にスープを盛ると同じ場所に座った。この国の文化である食前の祈りを捧げると、まずは黙々と食べた。それからお腹が膨れてくると、エレナさんがぽつぽつと自分のことや他国の様子を話してくれた。他国に興味のある私は大人しく聞き役に回る。運よく生き残れたのなら他国に行きたいな。
あらかた食べ終わり、再びお茶が皆の手元に配られたタイミングでエレナさんが本題に入った。
「先程お嬢さんにはお話しましたけれど、彼女には呪いが掛かっています。正確には、言霊が悪しき方向に変異した結果、呪いのような状況になったというべきでしょうか。」
「……それは解けるのですか?」
「はい。通常の場合は難しいのですけれど、私ならできます」
エレナさんはニコリと笑った。なんとも胡散臭い話だが次の台詞で状況は一変する。
「なぜなら、私がきっかけとなる言霊を贈った人物だからですわ」
やっぱり、あなたのせいでしたか。