伯爵令嬢とアレクシス②
愛という名のもとに全ての罪が許されるというのなら。
神はなぜ二度も私の命を奪ったのだろうか。
「本音を言えば、結婚相手は別の相手がよいだろう? ……私ではなく」
「そんなことはありません!」
本当に、あなたでなくては駄目なの。
強く否定したのにも関わらず、冷ややかな視線が容赦なく突き刺さる。
いまさら前世の話をしたところで信じてもらえそうになかった。これなら気味が悪いと避けられても前世の話をしておけばよかったわ。少しでも話しておけば、過去から繋がる因縁を彼に信じてもらえる可能性だってあっただろうに。
少なくとも捨てられる恐怖に怯えることはなかった。婚約がなかったことにされるのが怖くて隠していたのが仇になったみたいね。でもこうなってしまってはどちらが正しいかなんて、もはや意味はない。
「もう出て行ってくれないか?本当に仕事が忙しいんだ」
嫌味のような言葉を返して、こちらを見ることなく彼はペンをとった。唇を噛み、無言で一礼し退出する。呆然として王城の廊下を歩いていると、使用人に呼び止められた。彼の腕が向けられる先にはアレクシス様の上司にあたる第二王子……殿下が笑みを浮かべ佇んでいた。相手の正面まで移動し、礼の姿勢をとる。
「気を楽にして。君の取り乱す様子が気になって様子を見にきただけだから」
「見苦しいところをお見せしまして、申し訳ございません」
「人目もあるし、少し別室で休んだらどうかな?」
促されるままに客間の一つに案内され、向かい合わせに座る。侍女によってかぐわしい香りのする紅茶が置かれたところで殿下は私の持つ手籠に視線を留めた。
「そこに入ってるのは贈り物かい?」
「いえ、アレクシス様とお昼ご飯をいただこうと思いまして持参した軽食ですわ」
「ふーん、もしかして手作り?」
「そうですが……なぜご存じなのですか?」
「アレクシスが自慢してたからね。君が持参する軽食はすべて手作りだと」
興味津々という様子だったので、手のつけられなかった部分を侍女に盛りつけてもらい、お出ししてみた。作ってもらう料理では味付けが濃い時があるので、アレンジするには自ら作る方が便利だからね。平民として暮らしていたときの記憶のおかげで家庭料理なら作ることができる。友人曰く、料理を作ることは貴族の娘では珍しい趣味だそうだが、無作法というわけでもなく、家族の誰も止めないからかまわないのだと思っていた。
「アレクシスは君の作った軽食を嬉しそうに食べてたよ」
「そうですか、アレクシス様が……」
「まあ、もう過去の話だけどね」
室内にひんやりとした空気が漂う。まっすぐに視線を向けると殿下の瞳にはアレクシス様と同じ嫌な感じがあった。決して私を心配したからという理由だけで別室に招いたというわけではないらしい。
「発言をお許しいただいてもよろしいでしょうか」
「公的な場ではないからね、いちいち許可を得ずとも発言していいよ」
「ですが不敬を問われると困りますわ」
「大丈夫、素直な意見が聞きたいから不敬は問わない」
「それでは単刀直入に申し上げますが、殿下は私に何をご所望でしょう?」
唐突とも思える私の台詞に、殿下は心底嬉しそうな表情を浮かべる。勘が嫌な方に当たる場合もあるのね。この部屋に招いたのは心配していたからなどではなく、裏があるらしい。
「さすが他国にも顧客を持つ伯爵家のご令嬢だ。こちらの意向を読むのが上手い」
「それは買い被りすぎですわ」
「ご当主が君が男であれば国外拠点の一つを任せたものをと残念に思う気持ちがわかったよ」
紅茶を飲むと優雅な仕草でサンドイッチを摘んだ。だが口に運ぶわけではなく、観察するように眺めていただけだった。
「君の方がよほど客商売にむいていると思うよ。……あの食堂の娘よりもね」
やはり本題はアレクシス様がらみのことらしい。表情を隠くすため、顔に笑顔を貼りつける。
「君の婚約者はね、とても有能なのだよ。仕事は完璧にこなすし、語学にも堪能で外交も任せられる。そして人当たりもいいから相手を選ばず誰とでも合わせられるしね。ただ残念なことに、彼と同年代に同じだけ有能な人材が見当たらないんだよ。だから将来的に彼があなたと結婚して国外に移住されると私にとっても国にとっても損失なんだ。だからあなたには申し訳ないのだけれど、彼が逃げないように恩を売り、首輪をつけることにしたんだ」
殿下は自身の首元をトントンと軽く指先で叩く。ああ、なんとなく意図が読めてしまったわ。
「あの食堂の娘は容姿が抜群に美しいだろう? それ以外の欠点を隠せるほどにね。そして思慮は足りないが純粋で人柄も悪くはない。だから国内に拠点を持つ伯爵家へ彼女を養女に出し、教養と身分を与えることにした。そしてゆくゆくは愛し合う二人を結婚させ、彼に爵位を与えようと考えているんだ」
だから私と彼の婚約を解消するように両家へ働きかける、と。国が彼女を庇護する代わりに、アレクシス様へ首輪をつけ、逃げられないよう囲い込む。話の流れから推察すると彼女の愛する人、それはアレクシス様で。あの様子から推察してアレクシス様も彼女を憎からず想っている。
本当、お似合いだったわ。頬を染め、見つめ合う二人の姿が脳裏によみがえる。
「侯爵子息と平民の身分を越えた愛。しかも意地悪な婚約者から嫌がらせを受けても彼女は健気に耐え忍び、結果、彼女の献身は周囲の人間から真実の愛と認められ結ばれた。庶民や貴族の若い女性が好みそうな物語だと思わないかい?」
本来、婚約者がいながら他の女性との交際が噂として流れるなんて醜聞だ。それをアレクシス様の不利にならぬよう、美談に仕立てたのはこの人か。彼の描いた物語には悪役が必要で、その悪役は嫉妬に狂う気位だけが高い無能な婚約者、と。
それが、私。
婚約者という立場だけが理由で偽りに満ちた物語の悪役とされるなんて。婚約者を奪われた側の人間が悪とされ、社交界では傷物と揶揄される。そんな理不尽が許されるなんて現実は残酷だ。
目の前が真っ暗になる。生きた時代と登場人物が違うだけで、平民と貴族の恋も許されるものなのか。
前世で私が死んだのは、取るに足らない脇役だったから。妹や彼女のように、ずば抜けて美しい女性ならば身分すら関係なく世界に愛され守られる。そして優秀であり容姿も美しいアレクシス様は彼女達と同じ場所にいる人。存在するだけで、愛する人とめくるめくような華やかな世界が手に入るのだ。
「だから私は、なんとしてでも死ななくてはならないのね」
役目を終えた平凡な脇役は死をもって退場せねばならない。なぜなら残りの人生は作者により描かれてはいないから。それが決定事項のように思えてならなかった。
死がまるで隣人のように親しみを込めて一歩ずつ私に近づいてくる。ぶるりと身が震え、見えない鎖が私を縛りつけた。なんだかとても気持ちが悪い。
「……障害が少ないと、油断してる場合じゃなかったということね」
「ん、何か言った?」
「いえ、なんでもありませんわ」
だけど残酷な結末……悪役らしく罪を着せられて処刑されないだけマシというものかしら?
愛などなくても少しでも長く生きていられるのならば、それでいいじゃないの。怪訝そうな表情を浮かべる殿下に曖昧な笑みを浮かべ誤魔化した。そして心を落ち着かせるために紅茶を無理やり流し込む。
とにかく隣国にも名の知られた伯爵家の娘としては、家の名誉だけは守らなくては。冷静に、時間が残されているうちに打てる手を打つためには確認しなくてはならない。私は切り捨てられるにしても家はどうする気なのか、考えをまとめ、殿下に許可を得てから口を開く。
「婚約は家同士の約束ですわ。そちらはどうされますの?」
「侯爵家には一足先に話をしていて私の正妃の座を侯爵家の娘に与えることを約束している。かの家が望むように他国との繋がりを得たいのなら王妃の実家という肩書の方が有利だからね」
「我が家はどうされるつもりなのです?」
「建前としては身分が上となる侯爵家側から申し入れて解消することとなる。だから侯爵家からは少なくない額の賠償金が君の家に払われるだろう。また婚約解消を受け入れるという条件で君の家が支払うはずの国内の商売に係る税を今後三年間免除する予定だ。これについては後日書面で通達する。その分売値が下げられるから国内の顧客は皆、君の家を利用するだろうね」
とりあえず伯爵家については、今すぐにどうこうする気はないらしい。そのことだけは安堵する。外堀は、いつの間にか埋められていたようだ。 彼を失うことが国にとっても損失という言葉は、殿下の正妃の選定や税の免除という根回しが必要な項目があることからも王や上層部も知ることというのは察せられた。そしてそれは国としての決定事項で覆ることはないということを意味している。切り捨てられるにしても、未来を決める時間すら与えられないのは残酷だもの。
ただ私には、そういう温情はないらしい。殿下の視線は私にとことん冷たいものだった。
「君は仕事の忙しい時に限ってアレクシスの邪魔ばかりしていた。正直言って君に良い感情は抱いていないというのが本音だ」
「婚約者に会いにきてはいけないと?」
「お互いに望むのならかまわないけれど。彼から距離を置かれていたことは気がついていただろう?」
「定期的に会いに来ていたのには理由があるからですわ。それと婚約解消のことについて、アレクシス様はご存知なのですか?」
「もちろんだよ、彼の望みが叶うのだから反対するわけがない。」
殿下は嘲笑った。脳裏に一回目の人生で出会った赤髪に緑の瞳をした女性が思い浮かぶ。願いを叶えてくれるって言ってたのに、全然違うじゃないの。もはや本物の呪いだと、意図せず苦笑いが浮かぶ。
「何かおかしな事でもあるかな?」
「いえ。また選ばれないのかと、ただそう思っただけです」
ああ、この人が目の前にいたことを忘れていたわね。誤魔化すように浮かべた笑みを別の意味にとらえたのか、殿下は唇を歪めた。
「ならば私の妾にでもなるかい? 君の父君や兄の商才が豊かなのは知っているし、使える駒は多いに越したことはない。こうなるのは、少々もったいないとは思っていたのだよ。それに計算高い君のことだ、相手は誰でもいいのだろう?」
「誰に何を吹き込まれたのか知りませんが、権力に興味はありませんわ。」
「……ふん、いまさらきれいごとを言える立場ではないだろうに。」
不愉快そうに彼は眉を顰める。私はことさらきれいに見えるよう微笑んだ。貴族の名誉に、あえて傷をつけたような人間が取り繕ったような慈悲を見せてもダメよ。たしかに王家によって付けられた傷を癒せるのは、残念なことに王家だけだ。婚約を解消され、傷ついた伯爵令嬢を哀れに思った王家が引き受ける。王家の慈悲深さを示す、またとない美談となるわけだ。
……ここまで貶められることをした記憶は全くないのだけれどね。忙しい時期にアレクシス様の元へ赴いたのだってちゃんとした理由があったのに。しかも事前に予定を伺い許可を得ていたし、場所も回数も良識の範囲内なのだから、忙しい時を狙ったという曖昧な理由で罰せられるわけはない。
ここまで徹底して嫌われる覚えはないのだけど……殿下に誰かが噂を吹き込んだか、嵌められたのかもしれないわね。視線を鋭くした王子殿下に、もう一度微笑んだ。
でももう、どうでもいいわ。
殿下のことだけではない。アレクシス様のことも、自分の未来も、もうどうでもよかった。なんだかここまで足掻いた自分が滑稽に思えて思わず小さな笑い声がこぼれる。
「何がおかしい?」
「だって、これを茶番と呼ばずしてなんと呼ぶのでしょうか?」
「私を愚弄する気? さすが性悪なだけあるよね」
「失礼いたしました。罪状に対する釈明の機会も与えず、噂だけで私に非があると決めつけていらっしゃるのですもの。どなたかが書かれた筋書きをなぞっていらっしゃるのかと思いましたわ。それともそれほど嫌う相手を妾にして、後宮の隅に飼い殺しにでもなさるおつもりですか? それはまた、ずいぶんと良いご趣味ですわね」
「それ以上は本当に処罰するぞ? 今すぐにでも家を潰してあげようか?」
「それは困りますわね。先程不敬を罪には問わないとお許しをいただいたつもりでしたの。では言い方を変えましょう。私、そんな大層なものを与えられても、残念なことに使い道がありません」
「屁理屈をこねて、こちらから譲歩でも引き出すつもりだろうが、そうは……」
「たぶん私、長くは生きられませんから」
被せるように発した私の台詞に殿下は毒気を抜かれたような表情を浮かべる。相手の台詞に言葉を被せるのは無礼だけれど、この状況ならお互いさまだ。そう、きっと私はまた命を落とすのよ。
脇役のくせに主役を愛したという罪を償うために。
「ああ、最後にひとつだけ申し上げますわ。天と地と精霊に誓いましょう。私は嫉妬に狂って嫌がらせなどしていません。嫌がらせをしたと知られれば我が家は醜聞により信用を落とします。殿下に評価いただいたとおりならば、計算高い私がそんなふうにして自らの首を絞めるわけがありませんでしょう?」
天と地と精霊に誓うという言葉は、我が家に古くから伝わる言い回しを引用した。神に親しい存在へ誓いを立てる行為は、裁判における宣誓と同じ重要な意味合いを持つ。我が家では、それくらい重いもので父は重要な商談などでよく使うそうだ。お守りと同じだそうで、この言葉を使うと商談が上手く纏まるらしい。
気持ちの問題なのかもしれないが、そこまでして誓うのは伯爵家の名誉のため。私は個人である前に伯爵家の看板を背負っているのだ、否定しないのは肯定したのと同じ。嫉妬のあまり嫌がらせをするなど、損なだけで得にもならない迂闊な行動を私がするわけがないじゃない。それを小娘の言い逃れだと受け取っただけなら、天と地と精霊によって罰が下されるかも知れないわよ。
神にでもなったような気で人を裁く偽善者には教えないけれどね。
「天と地と精霊……なんの事だ?」
訝しげな表情を隠せない殿下に礼の姿勢をとると振り返ることなく退出する。
城からの帰り道。馬車の客車に乗った途端、気が抜け、疲れた体を座席に預ける。ぼんやりと窓から流れていく景色を眺めた。私に告げたということは、私の口から家族へ伝えろということなのだろう。表向きは円満な婚約解消、裏側では私が悪いように印象操作される婚約破棄なんていう未来の話をするなんて気が重いわね。
今日、私が殿下と別室で話したことは、間をおかずして貴族に伝わるだろう。しかも面白おかしく脚色されたものが彼らによって世間に伝わるわけだ。そして私と側近であるアレクシス様の婚約が解消されれば間違いなく私が殿下の不興を買ったと噂されるだろう。噂でも私が王族と不仲とされたら三年間の温情などないに等しく、間違いなく商いに影響がでる。
我が家は領地を持たず、商業の収入だけで爵位を維持してきた。商いが滞れば、三年後には家が残っていない可能性が高い。つまり国は侯爵家と伯爵家を天秤にかけ、伯爵家を潰すことを選んだのだ。
全ては、アレクシス様を国の中枢へ縛りつけるため。私の力不足で、家へ致命的な傷を負わせてしまったわね。このときばかりは、今すぐに呪いが発動しないかなと切実に願った。
しかし残念なことだが、無事に城から戻った。
そして、父と母、そして兄に事の次第を告げる。さすが状況の読める人達だけあって皆の反応は早かった。
「妹の献身に対する対価がこれとはね。経済が停滞しているこの国での商売は利益も少ないし、良い機会だから国内の拠点を整理して隣国に移り住もう。そうすればアレクシスの顔も二度と見ないですむし好都合だ」
兄はいい笑顔で『情報提供しつつ出国の準備をしてくる』と言い残して出ていった。さすが兄様、噂をばら撒かれる前に国内外へこちらに都合の良い情報をばら撒く気ですか。機に敏い商人のお手本のようです。
だけどアレクシス様は親友でしたよね、あっさり見限っていいのですか?
それとも意外と信用してなかったのかしら?
父と母は取引先への手紙を書き、それを携えた使用人達が各所に散っていく。そして父と母は片方ずつ私の手を握った。
「この状況ではお前をこの館に置いておくことはできない」
「はい、お父様。不甲斐ない娘で申し訳ありません」
両親を潤んだ瞳で見つめ、深々と礼の姿勢をとった。もう二度と会えないかも知れませんが、私を愛してくれてありがとうございます。そう心の中でお礼をいうと、しばし沈黙が落ちる。
両親は知らないが、アレクシス様に見限られた私はいつ死んでもおかしくない状況だった。だから家の存続のために、勘当され、追い出されてもかまわないと思っていたのだ。
「……このままでは身に危険が及ぶかも知れない。荷を纏め、速やかに別邸へ向かいなさい」
「必ず迎えに行くからそれまでの辛抱よ」
別邸の方が隣国に近い。だからそこで落ち合い、家族揃って出国する。
想定外の台詞に驚いて顔を跳ね上げれば、労るように目を細めた父と視線が合う。そして優しく抱きしめてくれた母に思わず縋り付くと、私は声を上げて泣いていた。一回目の人生で母は私が幼い頃に病で亡くなっていたし、二回目の人生では両親の愛は全て妹に注がれていて、欲しいと望んでも欠片すら与えてもらえなかった。これが親から与えられる無償の愛というものなのだろう。二人の変わらぬ温もりが嬉しくて涙が止まらない。
「元々、我が家の取引は国内より国外の方が活発だ。拠点を他国に移したところで、爵位を返上し、国を出ることも視野に入れていたから時期がちょっと早まっただけだよ。それに国外拠点へ家族ごと移住したとしてもすることは変わらないしな」
今度はどんな商売をしようかと、父は労るような笑顔を浮かべながら私の頭をなでた。小説のように親不孝な娘となじられ、着の身着のままで放り出されるかもしれないと覚悟していたのに。実際私に汚名を負わせて勘当でもすれば伯爵家には同情が集まる。家を存続させるには、そのほうがよほど簡単だ。あの男、私のことを相当嫌っていたようだから実はそれを狙っていたりしてね。
鬼畜というか……私が奴に何をしたっていうのさ。
「おまえには辛い思いをさせていた。あんなどうしようもない男を選んだのが間違いだ」
これから城に向かい、伯爵家の今後も含めた報告と婚約解消の手続きをするらしい。そして手続きのついでに侯爵家との取引は一切お断りする旨を直接侯爵様へ申し上げるそうだ。
「これからどんな苦難が待ちかまえているか、愚か者共には何も教えてやらんけどな」
清々しいほどの笑みを浮かべ、父は部屋を出ていった。母は荷をまとめるために、残った使用人に指示を出している。とんとん拍子に出国の準備が進んでいるけど、本当に大丈夫なのかしら?
国外にも商売の拠点はあるから、移住したとしてもいきなり生活に困窮することはない。それでも険しい道には変わりないのに家族は私のために険しい道を歩んでくれる。私は唇を噛んだ。こんなにも愛されているのに彼の愛も得ようとした、その罰が当たったのかもしれないわね。
悔しい。今まで尽くしてきたのに代わりができたから捨てるなんて、そんなのあんまりじゃない。だけど爵位が上である侯爵家と王族が決めたことだ。どれだけ理不尽と思っても、たかが伯爵家ごときが逆らうことはできない。涙を拭うと自らの荷物をまとめた。そして馬車に乗り、別邸へ向かう。
連絡を受けていた使用人に迎えられて、およそ一週間。ひどく風邪をこじらせた私は手当の甲斐もなく、あっさりと命を落とした。記憶に残るのは、涙を流しながら私の手を握り必死に声をかけ続ける侍女の顔。
想定外の要因で出国の準備に手間取っていた家族とは再び会うことはできなかったのが心残りだった。