第十四話 本当の被害者
「さてと、じゃあ今から読み上げるから、瀧くんの最期の言葉をみんな真剣に聞いてね」
言われなくとも、僕は一文字も漏らさずに聞き取るつもりだった。僕の身に何が起きたのかがわかるチャンスかもしれないのだ。
「えーと……『私はこの高校に入学してから、ずっと苦痛に満ちた生活を送ってきました。もちろん私にも友達はいましたし、その友達と他愛のないおしゃべりをする時間や、一緒に昼食を食べる時間などは楽しいものだと言えました。ですがそれを上回るほど、あることに苦痛を受けていたのです』」
瀧くんが、苦痛を受けていた? いや、考えてみれば遺書が残っているということは、瀧くんは死を選ぶほどの苦痛を受けていたと考える方が自然だ。
というか、瀧くんは自分のことを『私』と呼ぶ人だったのだろうか。生前の瀧くんを覚えていない僕では判断のしようがない。もしかしたら、遺書を残すにあたって、丁寧な言葉遣いにしたかったのかもしれない。
「『私は最期だからこそ、告白します。私はずっと、ある人物から暴力を受けていたのです』」
その一文を聞いて、クラスメイトがざわめく。もちろん僕も驚いていた。まさか瀧くんも、暴力を受けていたのか。
そして当然のことながら、僕は一人の人物の顔を思い浮かべていた。その人物は、僕が先ほどまで復讐を行っていた相手だ。この前まで、僕を散々いじめ抜いてきた相手だ。
そう、扇綾香は瀧秀輝に暴力を振るっていた。僕はこの時点でそう確信していた――
「『その人物の名は、蓬莱実嵯人。私は彼からずっと虐げられてきたのです』」
――そしてその確信は、あっさりとその言葉の衝撃に打ち消された。
「『蓬莱実嵯人は、私に殴る蹴るの暴力を振るうだけでは飽き足らず、私の持ち物を切り刻んだり、ゴミ箱に捨てたりと、嫌がらせの限りを尽くしてきました。私は彼を人間とは思えません。人間でないものに立ち向かう勇気はありません。だから私は死を選びます……』」
……僕が、瀧くんを虐げてきた? 記憶を失う前の僕が?
そんなわけがない、と言おうにも、僕には以前の自分がどんな人間だったのかの記憶がない。否定することができない。だけど現実に、瀧くんの遺書が僕が非道な人間だったという事実を残している。僕の思いと、実際の現実が乖離している。
だけど僕は否定したい、そんなわけが……
「そんなわけがありません!」
だけどその言葉を発したのは、僕以外の人物だった。
僕の後方から、さっきまで僕に蹂躙されていた扇綾香が、僕が行ってきたとされる非道な行いを否定した。
「何かの間違いです! 蓬莱くんが、そんなことするわけないじゃないですか!」
扇綾香は萱愛先生に詰め寄って、遺書の内容がデタラメであると訴えている。だけど何故だ? 僕は実際に扇綾香に暴力を振るった。彼女からしたら、むしろ遺書の内容は僕の本質を表しているはずだ。なのにどうして、こんな訴えをしているんだ?
そうだ、そもそも僕はさっきまで扇綾香を蹂躙していた。なら、あれこそが僕の本性なんじゃないのか? 今の僕が扇綾香を踏みにじっていたように、記憶を失う前の僕も、瀧秀輝を踏みにじっていたんじゃないのか? そう考える方が自然だ。
「落ち着いて、扇さん。先生は遺書に書いている内容を読み上げただけよ。何もこの内容全てが本当のことだとは思ってないわ」
「だとしても! こんな内容の遺書をみんなの前で読み上げることはないじゃないですか!」
「先生だって辛いわ。だけどね、瀧くんが残した最期の言葉を、みんなもちゃんと聞くべきだと思うの。だってみんなは、瀧くんの仲間なんだもの。あなたはひとりじゃないって、ちゃんと天国の瀧くんに伝えるべきだと思うの」
「……あなたは!」
扇綾香が、感情を露わにして萱愛先生に詰め寄っている。僕に対して怒っていた時とはまた違う。真剣さを感じる。
一方で僕は迷っていた。この遺書の内容は本当なのだろうか。現に僕は扇綾香を蹂躙することに楽しみを覚えていた。この感情が、記憶を失う前からのものだったとしても不思議ではない。
しかしそう考えると、ひとつの問題が出てくる。仮に僕が瀧くんに暴力を振るっていたとすれば、終業式の日に起こった出来事の意味がまるで変わってくる。僕は今まで、扇綾香が僕を突き落とし、それに瀧くんが巻き込まれたのだと思っていた。だけど遺書の内容が事実だとすると……
僕が瀧くんを突き落とそうとして、扇綾香がそれを止めようとして結果的に僕と瀧くんの二人とも階段から落ちた。
そういう可能性も出てくる。そうなると僕がやっていた復讐は全くの筋違いということに……?
「萱愛先生、私もその遺書の内容には疑問がありますよぉ」
僕が考えを巡らせていると、赤尾さんが萱愛先生に声をかけていた。そういえば赤尾さんも教室にまだ残っていたんだったな。
「失礼ですが、その遺書を実際に見てもよろしいですかぁ?」
「ええ、いいわよ赤尾さん。あなたも瀧くんと仲が良かったと聞いてるわ。彼の最期の言葉を、ちゃんと受け止めたいよね?」
「え……?」
赤尾さんが瀧くんと仲が良かった? なんだその情報、初めて聞いたぞ。
赤尾さんを見ると、僕と一瞬目を合わせたけれども、すぐに気まずそうに目を逸らした。なんだ? ここに来て、今まで僕が聞かされてきたことと違う事実が次々と出てくる。
「……萱愛先生、この遺書はパソコンで打たれたもののようですねぇ。そうなると、本当に瀧くんがこれを書いたのか証明するのは難しいんじゃないですかぁ?」
「ああ、それなら瀧くんのお母様に確認したから大丈夫よ。彼の机の中から出てきたものだから間違いないって」
「私も蓬莱くんが瀧くんに暴力を振るってきたというのは疑問があるのですがぁ……」
「それならさっきも言った通り、先生も全てが本当だとは思わないわ。だけどね、瀧くんは蓬莱くんとちょっとケンカしちゃったのよ。だからこんな内容の遺書になっちゃったの。それは先生も残念なことだと思うわ」
萱愛先生は全てを信じているわけではないと言いながらも、瀧くんが僕に虐げられてきたという内容そのものを否定する気ではなさそうだ。
「だからね、蓬莱くん。ちょっと前に出てきて頂戴」
「は、はい……」
僕は混乱しながらも教壇に上がる。クラスメイトたちの視線が痛かった。
「蓬莱くん、あなたが瀧くんの何が気にくわなかったかはわからないわ。だけど瀧くんが自分から死を選んだ以上、あなたのやったことはきっと瀧くんにとって辛いことだったと思うの」
「……あの、先生。僕は……」
「あなたのやったことは、到底許されるべきじゃないかもしれない。だから先生は、このことを職員室で議題に出そうと思うの。蓬莱くんが瀧くんとケンカしちゃって、瀧くんが自殺してしまったって」
「ちょ、ちょっと待ってください! 僕は瀧くんを追い詰めたりしていません!」
「自分のやったことから逃げちゃダメ! 大丈夫、あなたならきっと乗り越えられるわ。あなたはちょっと瀧くんと仲が悪かっただけで、本当は良い子だって先生は知ってるから。誠心誠意、みんなに謝れば、きっとみんなも許してくれる。ねえ、そうでしょみんな?」
萱愛先生はうっとりした顔で、クラスメイトたちに問いかける。彼らは顔を見合わせながら、力なく頷くしかなかった。
「ほら、みんな君のことを許してくれるって言ってくれてる。大丈夫、あなたは一人じゃないわ。だから瀧くんに謝ろう? 瀧くんとケンカしちゃったことを謝ろう? そうすればみんなが幸せになるんだから」
……いやだ、僕はこんな事実を認めたくはない。そもそも僕は、何も覚えていないんだ。何も知らないんだ。そんな状況で謝れるわけがない。
だけど事態は完全に僕を謝らす方向に向かっている。それどころか、萱愛先生がこのことを他の先生たちにも知らせれば、事態はもっと大事になってしまう。この学校にいられなくなるかもしれない。そんなことになったら、僕は以前の記憶を永遠に取り戻せなくなるかもしれない。
どうしよう、ここで謝ってしまえば、とりあえずは事態は収まるだろうか。だけどそんなことをすれば、僕は完全に悪者になる。それでいいのだろうか。
「か、萱愛先生、僕は……」
頭ではまだ迷ったまま、言葉を発した僕だったが、その時……
「謝る必要なんてないですよ、蓬莱くん」
僕の言葉を、銀髪の少女……扇綾香が遮った。
「……どういうつもりかしら、扇さん?」
「言った通りですよ、萱愛先生。蓬莱くんは何も悪くないんです。謝る必要なんてありません」
「扇さん、同じクラスの仲間が悪いことをしたのを認めたくないのはわかるわ。だけどね、現実を見るべきだと思うの。だって現に遺書が……」
「現実を見ていないのはあなたじゃないですか? 『キリカ先生』」
その時、クラス内が凍ったような空気に包まれた。クラスメイトたちがビクリと身体を震わせ、萱愛先生は固まったように動かない。
なんだ? 何が起こったんだ? そういえば、萱愛先生を『キリカ先生』なんて呼ぶ人を、見たことがないような……
「私をその名前で呼ぶなぁ!!」
突然、雷が鳴ったかのような怒号が教室内に響き渡った。振り返ると、そこには鬼のような形相をした萱愛先生が立っていた。
「扇綾香ぁ!! 私は教師だ! ちゃんと『萱愛先生』と呼びなさい!! 一学期の始めにちゃんとそう教えただろう!! なんでその程度のことも守れないの!!」
「ああ、ごめんなさい。先生はご自分の名前がお嫌いなんでしたね。だから『キリカ先生』と呼ばれたくないんでしたっけ?」
「そんなことは関係ない! とにかくあなたは謝りなさい! 先生に失礼な口を利いたことを謝りなさい!」
「そうやってすぐに生徒に謝らす癖に、自分の間違いは認めないんですね。瀧くんが遺書を残した? それだったら、先生にも責任があるじゃないですか。瀧くんの悩みに気づかなかったんでしょう?」
「……私は教師だけど、生徒全員を隈無く見るのは限界があるわ。だから今回のことは……」
「仕方がないって言うんですか? そんなことだから、あなたは……!」
そして扇綾香は、その目から涙を流しながら言った。
「私が瀧秀輝から散々暴力を受けていても、気づかなかったんじゃないですか!」
……は?
扇綾香が、瀧くんから暴力を受けていた?
ちょっと待て、それは今までの話とも遺書の内容とも違うぞ。一体何が……
「あ……」
扇綾香は、僕を見て目を丸くしている。どうやらこのことは、僕の前で言ってはいけないことだったらしい。
「ほ、蓬莱くん、その……」
「……どうやら、ここまでのようだねぇ」
僕たちの後ろで赤尾さんがため息を吐いた。
「萱愛先生、ちょっとこの二人、借りますよぉ」
「え……? ちょっと!」
「まだ昼休みですよねぇ? 終わるまでには戻りますよぉ」
そして僕と扇綾香は、赤尾さんに強引に教室から連れ出された。




