1・目覚め
目を開けて、最初に視界に入ったのは、鬱蒼と葉を生い茂らせた幾つもの巨木と、その間から覗く澄み切った青空だった。
………………どこだ、ここ?
その見慣れない景色に、一瞬思考が止まる。
そして、思考停止状態から回復した後、最初に浮かんできたのは、当然の如く、疑問だった。
俺は確か、学校に行って、授業を受けていて。そしたら教室の床に魔方陣が現れて……そこからの記憶が無い。
クラスの皆は大丈夫だろうか?
まあ、大半の奴らとは話もした事ないし、怖がられているし、無事じゃなくても特に心は痛まないけれども。
あ、でも。守ヶ原さんとルリ姉と糸見には無事で居て貰いたい。
糸見は唯一の友達だし、ルリ姉は幼馴染みで恩人だし。守ヶ原さんは……好きな人だし。
そ、それよりも!まずは自分の状況を確認しなきゃいけないだろ。
視界に映る景色と背中に感じる草と地面の感触。
俺は、森の中に仰向けで寝かされていると見て間違い無い。
どうして俺はここに?
まあ、どう考えてもあの魔方陣が原因だろ。
魔方陣が教室に現れるなんて、異世界召喚もののラノベのド定番。
俺もそういう小説を何度か読んだ事がある。
だけど、そんなのあるのは小説の世界だけ、と思っていたのだが……実際にあったからには、実在すると認めなければいけない。
でもそれだったら、次に目を開けて俺が見るのは、召喚した神様か魔法使い、巫女、または王様、王女、っていうのが普通だろ。
それがどうして、森の中なんかに送られなきゃいけないんだ?
首を回して左右を見渡しても、見る事が出来るのは草むらだけ。俺以外のクラスメイトの姿は無かったし、他の人達が話している声も動いている音も聞こえない。
どうやら、俺は単独でこの森の中へと送られたみたいだ。
召喚者、そんなに俺の事嫌いなの?
不慮の事故というのも考えられるけど……いや、別にあの魔方陣の目的は召喚じゃ無くて、教室内の人達を何処かに送るだけの物という可能性も……。
ああ、駄目だ。考え出すと際限が無い。
とりあえず、自分の状態と周囲の確認をするか。
そして起き上がろうとして――出来なかった。
ど、どうしたんだ!?
どんなに頑張っても、起き上がる事が出来ない。
まるで、自身の筋力が異様に弱くなってしまったかの様に。
慌てて腕を目の前まで持ち上げる。
すると、俺の視界には、指は短く、掌は小さく、腕だけ太い、まるで赤ん坊の様な腕と手が映し出された。
…………いや、『まるで』ではない。『様な』でもない。
それは、紛れもなく、赤ん坊の腕だった。
ど、どうしたんだよ、俺の腕!?
しょ、召喚の影響か!?それとも、気を失っている間に、呪いでも掛けられたのか!?それとも……!
思いも寄らない事実を知り、思考が慌てふためく。
そして、俺の脳裏に、ある可能性が浮かび上がってきた。
まさか、な……?
俺は腕を目一杯伸ばし、手で体中を探る。
その結果分かった事が、こちらだ。
頭が大きく、胴が長いのに、足が短い。手や足は伸ばしても、力を入れていないと自然に曲がる。皮膚は軟らかく、張りがある。
って、これ。全部、赤ん坊の特徴じゃね……?
…………認めたくはない。認めたくはないが、そう考えなくてはならない。
つまり、俺は、赤ん坊になってしまっている。
って、そんなの、認められるかぁああああああああッ!
「あぁああああああッ!」
うわっ!
至近距離で叫び声が聞こえた!
って、どう考えても俺ですよねー。
あまりの事態に、思わず叫んでしまったみたいだ。
しっかし、まさかこんな事になるとはなー。
だとしたらこの状況、召喚っていうよりも、転生って言った方が正しいかも。
あの魔方陣、もしかして召喚するためじゃなくて、範囲内にいる人達を転生させる物だったのか?
いや、もしかしたらただ殺すための物で、俺は運良く転生しただけ?
どっちにしろ、何で赤ん坊がこんな森の中に一人居るのか、って言う疑問は残るけど。
やっぱあれか?捨て子?
理想としては、親は何か用事があって離れているけど、直ぐに戻ってくる、って事だけど……やっぱ無いか。
家の中ならともかく、普通の親が森に子供ほっぽっとく訳は無いからな。
頭が狂っている親とか、子供に愛情持っていない親だったら有り得るけど、そんな親は御免だ。
とりあえずこの後どうするかを考えないと……ん?
そこでふと、どこか違和感を覚える。
その原因を考えて――思い当たる。
音が、聞こえない……?
先程までは、そこかしこに、木々の葉が風で擦れる音や鳥の囀り、動物の鳴き声など、様々な音が溢れていた。
しかし、今は恐ろしい程に、それらがピタッと止まっていた。
……嫌な予感がする。
体が動かせないので、首を動かす事で周囲を警戒し。
そして、この現象の原因を知った。
俺が視線を向けた先、周囲にある中でも一際大きな藪が揺れ、そいつは現れた。
鋭く細められた、黒曜石の輝きを湛える瞳。その大きさ故に口からはみ出す巨大な牙。鍛え上げられ、鋼の如き強靱さを持つ筋肉を纏った大柄な体躯。純白に輝く毛並み。そこに存在するだけで全ての生物を圧倒するオーラ。
王者としての貫禄を漂わせる、白き虎が。