田舎の風
まったりした短編です。
仕事柄もあるのかもしれないが、俺は周りからは寡黙な男と思われているようだ。
俺の仕事は最近の若い者には珍しく、畑仕事といったやつだ。
俺がここらでは一番の若手だというのが農業の高齢化をひしひしと感じる。
畑は俺とは違って、コロコロと表情を変えるので全く油断ならない。おかげで朝から晩まで畑とにらめっこする毎日である。
その仕事については何も不満はない。
やりがいのある仕事だし、自然の匂いというのだろうか、風が吹いたときに、全身に広がる耕された土の統一感のある濃い匂いと近くの森から様々な草木と動物たちのカラフルなのに爽やかにまとまった香り、対照的な二つを同時に感じるのは心地いい。
話がずれてきたので、そろそろ最初の話に戻るが、俺は寡黙な男だと思われている。
いや、それ自体は間違ってないかも知れない。一日畑仕事をしていれば、誰かと話す機会などないので必然的に言葉数は少なかろう。
寡黙な奴らの頭の中を覗いたことがあるわけではないので断定はできないが、寡黙な奴らはみんながみんな何も考えてないわけではない。
下手すれば、お喋りな奴らの何倍も考えているかもしれない。
ただ、考えすぎてうまく言葉が出なくなってしまうのだ。相手を傷つけないか、その言葉は本当に正解か、無責任な発言はしてないかとそんな具合にだ。
まぁ、性分だと俺は半ば諦めていたのだが、最近はそうもいかない事態に巻き込まれている。
毎朝近くの小学校の子供たちが元気な挨拶とともに俺の畑を横切っていく。帰りも同様だ。
集団登下校という奴だろう。こんなご時世だ、こんな田舎でも気を付けすぎるということはないだろう。
そんな集団の一番後ろで、少し離れて行きも帰りも下を向いて歩いている女の子がいるのだ。
「ユカちゃん」と呼ばれていた。
最初は特に気に掛けることもなく、遠めに眺めていただけだった。
だが、ある日の夕方、一息ついていると隣にユカちゃんが座ってきた。
ランドセルを背負ってないところを見るに、一度家に帰ってからここに来たのだろう。
ユカちゃんの家が、ここからどのくらいの距離にあるかは知らないが物好きなものである。
「あのね、ユカね、学校でお友達と上手にしゃべれないの」
「………………」
どうやらユカちゃんも俺同様、寡黙な子のようだ。
その最初の一言を皮切りに、ぽつぽつと話し始めた。
ユカちゃんはのんびりとした口調の女の子だ。
多分、小学生特有の元気いっぱいで脊髄反射で話しているような会話のテンポが苦手なのだろう。
少し話したらすっきりしたのか最後に「ありがとう」と言って帰っていった。
ユカちゃんのような子は、次の言葉をゆっくりと待ってあげた方が会話がしやすいだろうが、小学生にそれを求めるのは少々酷かもしれない。
つまり、現状を変えたければユカちゃんが変わるしかないのだ。
その日を境に、ユカちゃんは俺のところによく話をしに来るようになった。
最初は、主に友達と上手に話せない悩みのことばかりだったが、徐々に学校や家庭での出来事も話してくれるようになった。
それを聞くに、いじめられているとかではなさそうで安心したが、暑い日も寒い日も風の日も関係なくやってくるのだから困り者だ。
よりにもよって、寡黙な俺に相談する内容ではないだろう。
でも、俺は寡黙と言われ納得しているが、同時に聞き上手だと言う自負もある。
他人の話を聞くのは嫌いではない。
日に日にユカちゃんの表情が明るくなってきたような気がする。
そんなよくわからない関係が一年近く続いた。
その行為自体に効果があったのかはわからないが、最近では登下校の集団の中でも、最後尾ではなく中で楽しそうに話しているのを見かけ安心していた。
友達と遊んでいるのか、俺のもとに来る回数も順調に減ってきていた。
しかし、春一番が吹き始め、心地良い気温になってきて内心ほっこりしていると、それとは裏腹に沈んだ顔をしたユカちゃんが沈んだ顔をして、いつものように隣に座った。
「ユカね、最近男の子に意地悪されるの」
いじめかとも思ったが、小学生男子特有の好きな子へのちょっかいのようだ。
それでも本人にとっては深刻な問題だ。
去年の今頃に比べれば、ユカちゃんはかなりみんなと話せるようになったように見えるが、根の優しいユカちゃんは相手を否定してしまうような拒絶の言葉が苦手なのだ。
それでも言わなくてはいけない。
相手と考えが違っても、傷つけることになっても、嫌われることを恐れてはいけない。
言葉を発しない者はあっと言う間につぶされてしまう。
それは、君たちの人生の中では今から何度も訪れるだろう。
こんなところで躓いてちゃいけない。
そう言ってあげたかった。
でも、声が出ない。
寡黙な俺は言葉が発せれない。
「話したらすこしすっきりした。ありがとう案山子さん」
その言葉を残してユカちゃんは走り去っていった。
勿論、俺のあだ名が案山子だというわけではない。
俺は正真正銘、案山子。
話を聞くことはできても、それに返す言葉は持たない寡黙な男だ。
案山子をやっていて初めてもどかしい気持ちになった。
人間の寡黙な人たちも、こういった気持ちを抱え生きているのだろうか?
ユカちゃんもこんな気持ちなのだろうか?
言いたいことはあるのに声にならない。
こんな気持ち。
ユカちゃんの悩みを聞いた次の日、そんなこととは何にも関係なく、綺麗な夕陽が水平線に消えかけ一日何事もなく終わろうとしていた。
と思っていると、遠くから複数の駆けてくる音が聞こえた。
ユカちゃんと男の子が二人。
集団下校で見たことがある顔だ。同じ小学校なのだろう。
「お前、案山子と喋ってんだろう? こないだ見たぞー」
「変な奴だなー」
二人の男子がからかいながらユカちゃんを追いかけている。
ユカちゃんは涙目で逃げている。
「………」
ユカちゃんと目が合った。
助けたい。
でも駄目なんだ。
俺は案山子。
ユカちゃんを助けることはできない。
ユカちゃんが俺の前で男の子に追いつかれる。
「ほら、あの案山子と喋ってみろよ」
頑張れ、ユカちゃん。
寡黙なのは悪いことじゃない。
でも、言うべきことは言わなければどんどん損していくんだ。
周りは助けてくれない。
声を発しないと誰もわからないんだ。
でも、この瞬間、ユカちゃんが初めて勇気を出せるかもしれないこのきっかけだけは何か力になれないだろうか。
神様。
その時、山から強い風が吹き降りてきた。
俺はバランスを崩して男の子の上に倒れた。体重は軽いので安心してほしい。
それをユカちゃんが見下ろす形になった。
怯えながらも、のど元まで出かかってそうに見える。
言え、その言葉を言うんだ。
そして、神風は二度吹いた。
森の木々を震わせて俺のもとにやってくる。
ビュンビュン。
「言え!」
まるで、俺に声帯が生まれたように思いと音が重なった。
神様はいたのだな。
それは、風の反響音が偶然そう聞き取れるかどうかといった音になった。
でも、確かに俺の思いを乗せユカちゃんには届いたはずだ。
なんせ一年近くの話し相手だ。
ユカちゃんは膝の前に置いた両こぶしをギュッと握った。
「ユカ、からかわれるの嫌い! もう意地悪はやめて!」
そういって走っていった。
男の子たちは、俺をのけて呆然としていた。
俺はユカちゃんの小さく言った「ありがとう」を嚙みしめていた。
よかった。
それ以来、ユカちゃんが俺のもとに来ることはなかった。
便りがないのは何とやらだ。