ダンス・マカブル
強い風の吹く日だった。町のメインストリートに植えられた木の枝が、ざわざわと音立てて揺れている。通りを横切る小さな黒い影があった。開け放たれた家々の戸口から、町の出口の門まで駆け抜けていく。同じように町のあちこちから、黒い影は沸いてきて、出口を目指していく。小さな身体には、黒い体毛と短い手足、そして鋭く歪んだ双眸があった。小さな獣たちは瞬く間にいなくなり、町には動くものの影はない。石畳の道の上には、倒れて動かなくなった死体が転がっている。小さな獣に齧り取られたのか、死体の輪郭はでこぼこであり、どす黒い血が大地を汚していた。町のいたるところで、そんな光景がある。惨劇に、悲鳴を上げる者はいない。すでに、この町の人間は、みんな死んでいた。死神の舞踏会が終わりを告げた町には、静寂と葉擦れの音だけがいつまでも残っていた。
その年の初め、西の国で死病が流行し始めた。身体の一部に水疱ができ、やがて全身に回る。高熱を出し寝込んだのち、全身の水疱から血が噴き出て、死んでしまう。恐ろしい、病だった。病は感染し、看病をする者、治療を試みる者、神に祈る者、あらゆる者へ死を運んだ。
それは、奥深い森にある小屋にも訪れた。
「おとうさん、おかあさん、お願い、死なないで!」
二つ並んだ寝台で、少女は両親の手に泣いてすがった。巻かれた包帯には血と膿が付着して、ぐちゃりと嫌な感触を伝えてくる。それでも少女は、両親の手を握らずにはいられない。
「ボク、何でもするから! 病気を治す方法、見つけるから! だから……!」
少女の手を、父親の手が握り返した。弱々しい力だったが、確かに、少女には父の握力が感じられた。
「おとうさん!」
「ネー、ブル……お、お前、お前は、お前、だけは……し、しぬな……病魔、の、侵攻、を、止めて……」
父親の手から、力が抜けた。
「おとうさん! やだ! ボク、おとうさんが死んだら……!」
母親の手に、ぴくりと力がこもった。
「おかあさん! ねえ、おとうさんを助けて! おかあさんも、こんな病気くらい、なんともないって、言って!」
「ネーブル、よく、聞いて……あ、あなたは、に、人間の、私と、エルフ、の、お父さん、から……生まれた、子よ……つ、強くて、優しい、自慢の、子……」
「おかあさん! しっかりして!」
「し、しっかり、するのは、あな、た……こ、心、を、平静に、こ、呼吸を……ほら、やってみて……」
少女は、物心ついたときから母に教わった呼吸法で息を吸い、吐いた。波立っていた心の激流が、少しだけ、静けさを取り戻してくる。
「そう、それで、いいわ……ネーブル、私たちが、死んだら、小屋ごと、焼き、払って……」
「おかあ、さん……おとう、さん……」
少女の手の中で、両親の手が滑り落ちた。息を吸って、吐く。目を閉じて、体内の気の流れを整える。それから少女は、炊事場で手を洗い、清めた。医療を行う者は、常に清浄な状態になければならない。両親に、教えられたことだった。火の入ったかまどで、針の先を炙る。消毒のためだ。二本の針を持って、少女は両親の横たわる寝台へと戻った。
「いま、ボクが、楽にしてあげるね……」
父親の、包帯の巻かれた胸へ、落とすように針を突き入れた。気脈の根源へ、針が到達する。父親の身体が、長い耳が、足先指先が、しばらく小刻みに震え、動かなくなった。
「おかあさん……これで、いいんだよね……?」
母親の胸へ、針先を当てる。母親の口が、わずかに動いた。それでいい。言われた気がして、針を打った。母親の身体は震えず、そのまま、動かなかった。
「苦しい思いをさせて、ごめんね……」
両親の胸から、針を抜いた。身体を、脱力感が覆っていた。細い針が、いつもよりも重く感じられた。両親の、顔を見た。どちらも穏やかな表情で、まるで眠っているような、静謐な顔だった。
「最後まで、やらなきゃいけないよね……」
萎えかける自分を叱咤するように呟き、少女は炊事場へ向かった。油の入った壺を持ち出し、小屋の中へ撒いていく。それから、かまどの火種を取り出して、テーブルに置いた壺の中に立てた。
「おとうさんの、弓……」
小屋の外へ出て、納屋から弓と矢筒を持ち出した。父親が、誕生日に作ってくれたものだ。神木を用いて作ったそれは、よく手に馴染んだ。
小屋から、少し離れた場所に少女は立った。弓に矢をつがえ、狙うのは小屋の入口から見える、テーブルの上の壺だ。
「さようなら、おとうさん、おかあさん。大好き、だよ……」
こみ上げる想いに、手が震えそうになった。息を吸って、吐く。気を整えて、矢を射た。矢は真っすぐに飛んで、壺を割る。立てていた火種の炭が倒れ、油に火を灯す。小屋中に火の手がまわるのは、一瞬のことだった。流れてくる涙を拭うことをせず、少女は燃えていく小屋を眺め続けた。煙が上がり、火の粉が空へ舞う。柱を焼かれ、崩れ落ちる小屋に合わせたように、少女が膝をついた。倒れそうになる身体を両腕で支え、燃える小屋を見守る。
少女の横を、小さな獣が二匹駆け抜けた。
「あ……」
どこか醜悪な形状の獣たちは、燃え崩れる小屋の入口へと飛び込んでいく。その直後、メキメキと音立てて入口が潰れた。呆けたように口を開けて、少女はずっと見つめていた。
焼けた小屋の跡には、何も残ってはいなかった。かりかりに炭化した残骸の中に、小さな獣の姿は無い。一緒に、燃えてしまったのだろう。結論を出して、少女は焼け跡に背を向けた。小屋のあげた炎が、森に延焼しなかったのは、幸いといえた。
「それじゃあ、ボク、行くよ……」
少女の呟きが、その姿とともに森へ消えた。小屋の焼け跡には、墓標のように二つの焼け折れた柱が立っていた。その下で、二塊の小さな炭が、風に溶けるように消えていった。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。
基本的に一つの短編だけでも楽しめるように書こうとは思っているのですが、リンクさせていくことを主眼にしてしまうとなかなか難しいものですね。
次は、もう少しお気楽なお医者さんものを書いていこうと思います。