疲れましたね
女性と別れてから数分ほど歩き、草木のゲートで入り口が飾られているオシャレな家──と言うには少し大きな──ナエウォルでも旅人に人気の宿屋・“ウィスラル”が見えてきた。
「やはりここの宿屋が一番無難そうです」
宿屋の隣には小さな花園があり、バラ、チューリップ、リンドウ、アジサイ、ヒマワリ、スズランなど、色とりどりの花が植えられている。
自然に恵まれ、自然と共に生き、自然のことをよく知るナエウォルの街ならではの自然の力と技術の賜物──佳作だろう。
そして何よりも極めつけは、自然に囲まれていることにより、空気が澄み土壌は汚れがなく温暖で湿潤な気候である地域であることが、何よりの“自然の美しさ”なのかもしれない。
「……さて、呆けている暇はありません。 まずは宿屋に入って部屋の予約を取らなければ」
僧侶さんは半ば思い出したように呟き、草木で作られたゲートをくぐり、その先にある宿屋のドアを開けた。
ガチャ。
いらっしゃいませ、とカウンターのほうから声が聞こえてくる。
左手にいくつかテーブルとイスが置かれてあり、その全ては木製である。
何人かの旅人はここで交流していたり、寛いだりする姿が見られる。
「……僕は一人でのんびりしたいので手早く済ませてしまいましょう」
僧侶さんは右手にあったカウンターに直行し、店主に空き部屋がないか尋ねる。
「すみません、僕一人なのですが空き部屋はありますでしょうか? 」
カウンターのイスに腰掛けていた宿屋の店主は、にこやかな笑みで此方に顔を向けた。
「いらっしゃいませ。 はい、只今6部屋空いておりますが、ご指定する場所はございますか?」
「6部屋も空いているのですね。 ……そうですね……では、一番奥の部屋にしたいのですが、おいくらぐらいでしょうか?」
僧侶さんは宿屋の入り口から一番遠く、移動距離が長く面倒な部屋をあえて指定する。
これも、人との関わりをできるだけ避けるためだ。
「奥の部屋……でございますか。 1泊300Gですが、いかがでしょうか?」
基本的に宿屋は手前の空室から予約するか、部屋数が多いところでは分かりやすそうな部屋を指定するかなどして泊まることが多いのだが、6部屋も空室があるのにいきなり奥の部屋を指定するのは珍しいことであるため、店主は少し驚いたがすぐに営業スマイルに戻る。
「300Gですね、分かりました」
僧侶さんはアイテムバッグの中から銭袋を取り出し、300Gを店主に渡した。
「…………はい、確かに300Gを頂戴しました。 それでは、こちらが奥の部屋の鍵です。 ごゆっくりお寛ぎください」
店主から奥の部屋の鍵を受け取り、ありがとうございますと軽く会釈し、僧侶さんは足早に奥の部屋へと向かった。
ガチャッ。
部屋の中は一人暮らしするには必要最低限のもの──ベッドとテーブルと、イスが2つ、そして蝋燭が2本と外の景色が見える窓がひとつあった。
「さて……」
僧侶さんは部屋に入るなり、荷物を床に置き部屋の隅に置かれていたベッドへと向かい──
ボフッ、
倒れこむようにして俯せになった。
「…………はあ、やっとゆっくりできますね……」
神秘の森に入るなり道に迷い、出ようと思っても“帰還石”の補充のし忘れに気付き、その後にフォレストウルフと戦い、やっと出られたと思ったら森の入り口に遠回りして戻ってきただけで、宿屋に着く道中では人混みに入ったり人助けをしたりでかれこれいろいろと面倒事(その多くは僧侶さん自身が確実に確認するかなどすれば避けられることではあったのだが)に巻き込まれており、僧侶さんは今日は厄日でしょうかと思いつつ、しばらくそのままの状態でいた。
「……ふう、とりあえず軽く明日の準備のことも併せてアイテム関連で不足しているものはないか改めて確認しておきましょうか」
しばらく休んでいた後、僧侶さんは荷物からアイテムを取り出し、テーブルに置いていった。
昔から人々の生活に欠かせない原始的な応急手当のひとつとして現在でも使われている緑色の草──薬草。
水色の液体が入った瓶──癒しの水。
緑色の、いかにも薬のような瓶──ポーション。
赤色で、魔力を帯びている草──魔力薬草。
魔力薬草の汁を凝縮した瓶──術士の薬。
魔鉱石を粉末化し、それに術士の薬と合わせた魔力回復剤──魔導士の薬。
毒の研究と治療、2つのデータからあらゆる毒を中和することができる薬──解毒剤。
強いミント臭と葉根が真っ青な色が特徴的な──目覚まし草。
神経毒による痺れを緩和する錠剤──解痺錠。
──その他、いくつか日用品としても補給用としても使える品があるのだが、ここでは割愛しよう。
全体的に見て、概ね足りないものはないのだが、──確かに帰還石のみが明らかに足りない。
「おかしいですね、これだけ足りないなんて。 うっかり落としてしまった、なんてことも可能性の世界としての原因のひとつかもしれませんが……とりあえず、足りないことは改めて分かりましたので今回は“確認が足りなかった”ということで済ませてまた明日にでも買い揃えましょうか……」
それから一通り明日の準備と荷物の確認を終えた僧侶さんは、軽食を摂りつつベッドに横になった。
「さて、明日はどこに行きましょうか……」
旅路に想いを馳せながら、僧侶さんは再び眠りについた。