邂逅
いまだに冬の寒風がどこからか吹き、土の上の草木を冷たく凍えさせながら潜り抜けている春の深夜の丘陵では、暗闇が丘陵の背後の山林を無限に侵食し、月は空からスポットライトを当てるかのごとく丘陵だけを照らしていた
そこから見える彼方の街は、まるで灯台のように、何十もの光線を夜空に向けて放っている
丘を風の音と、虫のさざめきが支配する中、そこに遠方の街を悠然と見下ろす一体の人影があった
「・・・・・・ここか・・・・・・・」
透き通ったソプラノの声だった。聞く者がいれば、不純物など一切混じっていない澄んだ純水を連想させる、そんな声だった
美しい少女だった。長く艶やかな黒髪、造形の整った端整な顔立ち、淡雪のような白く決め細やかな柔肌。街を歩けば、人々は必ずハッとして振り駆るだろう
だが、その振り返りは別の意味でも捉える事ができる。彼女は手に、誰の目から見ても明らかに不釣合いな、厚手のレザー・グローブを身につけていたからだ
そのグローブは防寒用という意味で付けている訳ではない
そして少女は腰に付けているカバンから、小さな、一つの羅針盤を取り出した。それは、羅針盤と言うには小さすぎるものだった
少女はその小さな羅針盤を、体に垂直に押し出した手のひらの上に乗せた
そのまま数秒が流れ、少女は羅針盤の中を覗き見る
「・・・・・・やはりこの街にいるのか」
常人ならば羅針盤に示された謎の模様は到底理解できないが、少女は見た瞬時に模様から何事かを察した。少女の顔が暗くなる
程なくして少女は歩き出し、懐から携帯電話を取り出して、どこかへ電話をかける。無機質な機械音が鳴り、電話はつながった
「もしもし、私だ・・・・・・よろこべ、貴様の予想は的中したぞ。嫌なことにな」
電話の相手が、周囲の鳥にも聞こえる位の声量で何事かをがなりたてる
「分かっている! 抜かりは無い。もうすでに拠点も構えられてるし・・・・・・ああ、請求費は全額本部に付けておくからな」
少女は続けて言う
「にしてももう少し人員配置はどうにかならなかったのか? いや、私に自信がないわけではない。 だが、私一人とは・・・・・・」
少女は不安げな様子だった。それは、彼女は今回が初仕事ゆえの表れだ
「・・・・・・まぁ、そこは上の私に対する信頼と受け取っておこう。支援物資もよろしく頼むぞ。・・・・・・ああ、・・・・・・ああ、ではまたな・・・・・・はぁ」
ため息と共に、少女は通話終了ボタンを押した。青く光る月光を、少女は仰ぎ見た
(・・・・・・これは私の初任務だ。ここまで来るのに何年かかっただろう。でも、この任務さえ成功させれば私もようやく『魔道師』として一人前だ)
(失敗は許されない。いや、それ以前に失敗は死につながるんだ・・・・・・)
初任務とはいえ、少女に下された指令は重大なものだった。新人に任される仕事では本来無いのだが、人手が足りないのが組織の現状だ。愚痴は言ってられない
そして彼女は、もう一つの不安要素を鑑みる
「高校、か」
もうすでにこの街のとある高等学校に入学することが決まっていた。今までにも教育と呼ばれるものを受けた事はあるが、学校と言う場所での経験はなかった
彼女にとっては集団生活など不要以外の何者でもないのだが、やはり街という空間で生活していくためには必要な事だと上が判断したらしい。彼女の世間体と言う事だ
要約すると高校生の生活と魔道師としての任務を両立しろということになる。
キツイ。それも特段に
「・・・・・・そろそろ戻るか。明日も早い」
ネガティブな思考を打ち消して、少女は町の方へと再び歩き出した
その足取りに、迷いはもう無い。自分に示された道筋を、これから歩き始める
「必ず探しだして、借りはきっちり返してもらう!」
森のフクロウがどこかから低い声で鳴いた後、バサバサ、という音を立てて荒く飛び立った。光る街は止まる事なく、時間が流れ人は動き続ける
四月の夜桜が舞う、夜のことだった
「・・・・・・」
まだ空の遥か東に太陽があり、同時に目覚め始めた小鳥たちが電線の上から、互いに会話するように囀り喚いている、春の早朝。人通りの少なかった街のいたる道に、ぽつ、ぽつと人の姿が見えるようになっていた。その人間の多くは、紺色のブレザーやセーラー服を身に纏う、学生である
この季節、この街、紹鴎町にはとある住宅街を抜けて少し歩いたところに、坂道沿いに続く桜並木がある。風光は美しく、花見に足を運ぶ地元民も数多く存在する
そしてまたその先に、この大半の通学者たちの目的地である高校、私立紹鴎高等学校が存在する。今日はその始業式だ
そんな思わず歩みを止めてしまうような桜並木で、二人の男女が隣り合って歩いている。男は目の下にくまを作っており、意識ここにあらずといった感じだ
空を飛び、朝を告げる小鳥たちの声が男の耳に入った時、女の方が男の顔を心配そうに見た
「どうしたの唯辻、元気ないじゃん」
少女が少年に向かって呟いた。唯辻と呼ばれた少年、京極唯辻は薄らぼんやりとした頭で、大きなあくびをかいた
「あぁ・・・・・・眠くてな」
「寝不足かぁ。昨日もアレしてたの?」
「・・・・・・いかがわしい言い方をするな品川。そうだよ」
「懲りないねぇ~」
あきれた様子で品川こと、品川鈴が言った。
「いや、開発は試作段階までには進んだんだが・・・・・・致命的な欠点が見つかってな」
「その台詞何回目よ・・・・・・」
「・・・・・・どこが悪かったんだ? いや、・・・・・・だから、いやしかし・・・・・・」
ブツブツと自分の世界に入り始めた京極
「まったく、昨日も上村がぼやいてたよ? 最近京極の付き合いが悪いって」
「・・・・・・あいつの場合は一年中遊ぶ事しか考えていないだろう」
「まぁ・・・・・・それもそうだね」
二人は坂道をのろのろと登っていく。そんな彼らを追い抜いて、他の生徒たちが学校へと向かっていく。通り過ぎていく生徒たちの、ほぼ全員の男子生徒たちが品川にいささかぎこちない様子で、
「お、おはよう、品川さん!」とあいさつしていく
品川も微笑んであいさつを返すのだが、それと同時に、横を歩く京極に男たちの明らかな殺意の眼差しが突き刺さった
「なぁ、品川・・・・・・今更なんだが」
前を進んでいく男たちの後姿を半ば引きつった顔で見やりながら、後ろからも突き刺さる何者かのどろどろとした念に、冷や汗を垂らす京極
「ん? 何?」
「入学して以来一年以上こうしてるのに今更なんだが・・・・・・もう二人で登校するのは止めないか?」
「へ? 何急に?」
京極の内心を知ってかしらずか、品川は何気ない顔だ
「いやその・・・・・・痛いんだよ、その・・・・・・色々と」
「???」
「・・・・・・念が、さぁ」
京極は改めて品川の容姿を見る
健康的な、薄く焼けた小麦色の肌に、短めの髪は、下手に手を加えないショートカットでまとめられていて、彼女の小さな顔と大きな瞳がより引き立っている。
体の線こそ細いが、それはスタイルが良いという意味でも受け取れる。
簡単に言えば、可愛かった。それも抜群に
(・・・・・・通り過ぎていく奴らが感嘆のため息を漏らすのも分かる。国民的美少女コンテストに出場しても優勝しない・・・・・・とは言い切れないのがこいつの恐ろしいところだ)
「念???」
「いやその、誤解されるだろう・・・・・・色々と」
「誤解?」
「あー・・・・・・もういい」
「そう? ならいいけど・・・・・・」
品川の頭の上に、クエスチョンマークが浮かんでいるのが京極には分かった。どうやら本当に意味が分からないらしい。自分の魅力に微塵も気付いていないらしい。そのせいでどれだけ被害を被ることか
そんな会話の流れを無かった事にするために、京極は話題を変えることにした
「クラス分けはどうなってるかな」
「あー・・・・・・全部で1学年8クラスあるからねぇ、私と唯辻は一緒になれないかもねぇ」
「・・・・・・」
やはりこの女は俺のことをからかっているんじゃないだろうか?
ニヤニヤと笑う品川に、京極は思う
「でも私たち一緒のクラスなきがするなぁ。去年もそうだったし」
「藤のヤツも、そうなりそうな気がする」
「上村? あ、凄い分かる」
「だろう? 「また一緒だぜお前らー!」とか言うに決まってるんだ」
二人は和やかに喋りながら、桜並木を進んでいく
舞い散る桜の花びらをかわし、春風が吹いた頃、校舎が彼らの目の前に現れた
すると品川が、思い出したふうに京極に告げる
「あ、そういえば知ってる? 編入生が来るって噂」
「編入生? 初耳だ」
京極は素直に驚く
「私も友達から聞いたから、そんなハッキリとは分からないんだけど・・・・・・東京の方から来たんだって!」
「へぇ・・・・・・」
「女の子らしいんだけどね、何か相当の美人さんらしいよ!」
「美人、ねぇ」
なるほど、こいつをも超える美人だとすれば、見てみたい気もするな
「あれれ~? アンタでも興味沸いてきた感じ?」
「フン・・・・・・言ってろ馬鹿」
「ちょ、ちょっと! 置いてかないでよ唯辻!」
スタスタと校舎の玄関に向かう唯辻に、慌てて品川は駆け出していく
そんな品川を尻目に京極は編入生の事に思いを馳せる
(編入生、か)
(別段興味があるわけじゃないが・・・・・・面白いな)
(・・・・・・関係ないが、昨日隣の部屋に誰かが越してきたらしい)
(二つあわせて良い事だ)
(俺の楽しい日常になるんなら・・・・・・それで)
さて、新しいクラスはどうなっているだろうか
京極は賑やかな生徒達の人ごみへと入っていった
初々しい新入生を迎えた入学式が終わり、京極達は自分のクラスへと戻っていく
「な、長かったねぇ・・・・・・校長先生の話」
「そうだな・・・・・・いつもの事だとは思ってたが、入学式で張り切ってたのか、いつもの倍は長かったな・・・・・・」
「うん・・・・・・あ、えっと・・・・・・あそこだよね?」
品川は2・Cの教室を指差した
バキバキと、鈍った肩を鳴らす京極は力なく頷く
そして教室へ入り所定の席へと座る京極に、元気よく突撃してくる一人の少年がいた
「また一緒だぜお前らー!」
「上村、おはよう! やっぱり言ったね!」
「? 何が?」
「三人一緒って事だよ! やった~」
「そうだな! やった~!」
ハハハと笑って小躍りする上村と品川を呆れ返って眺める京極は、ボソッ、と二人に聞かれない位の小声で呟いた
「・・・・・・本当に同じになるとは思わなかった」
まだどちらか1人と一緒になるならば分かるが、8クラスもあるというのに二年連続で三人一緒となると、流石に運命的だと京極は思う
(・・・・・・腐れ縁の方が正しいかな)
「何だってんだよ京極ちゃん! 顔が暗いぜ? もっと! 喜びを! 分かち合おうじゃないか!」
「・・・・・・いいかげんその変な呼称を変えろ、そして俺の視界から消えろ」
少年は依然と高いテンションで京極に話しかける
この妙なテンションの少年こそが上村藤だ
茶色に薄く染めた髪に、両耳にあけたピアス、わざと着崩れさせた制服。少し悪ぶってるように見せているつもりらしいが、実際には周りには『ちょっと張り切りすぎちゃった子』として受け止められているのが現状だ
そんな少年だが明るい性格とふざけた物言いで、意外と人望は高い
京極とは一年前のこの紹鴎高校入学当初からの友人である
「ハイタッチしようぜ! ハイタッチ!」
「消えろ」
「酷い! 酷いぜ親友! でも俺は分かっている・・・・・・本当はお前は昇天しちゃうほどこの三位一体が嬉しいってことがな! このツンデレめ!」
「消えろ」
「あ、もしかして・・・・・・俺抜きのほうが良かったぁ?」
意味深な笑みを浮かべ、こっそりと小さく言う上村
その瞬間、京極の額に青筋が浮き出た
「・・・・・・よし、藤、表に出ろ。今すぐお前を昇天させてやる」
京極が勢いよく席を立ち、固めた拳を目の前の上村藤に向かって振りかぶった
「あ・・・・・・アカン! 警察沙汰はあきまへんで! 助けて鈴ちゃん!」
「唯辻・・・・・・謝りなさい!」
「何でだ! 理不尽すぎるだろう!」
「グスッ、グスッ・・・・・・ブクククク」
「ほら~上村泣いちゃった」
「笑ってるじゃないか! 思いっきり!」
「「あーやまれ! あーやまれ!」」
「ハモるな!・・・・・・クソッ」
(こいつらは俺をどうしたいんだ!)
京極は舌打ちした
だが、不思議と悪い気はしなかった。久しぶりに友達に会ったからか、いや、それは違う。京極はこの二人といると、何故だか心が落ち着くのだ。
「あっれぇ~? 京極ちゃんのお顔が綻んでますよぉ~?」
「あ、ホントだ! 唯辻笑ってる!」
「ん、んなっ!」
京極は、自分自身知らず知らずのうちに上がっていた口角を、驚いて手で押さえた
「はっはっは、京極ちゃんは本当にツンデレだなぁ」
「ふ、藤ィィィ!!!」
「ギャアアア殺されるぅぅぅ!!!」
教室内を上村の悲鳴が木霊する。京極は上村を締め上げる。品川はそんな二人を笑って眺めている
―――いつもこんな調子だ。例えるならぬるま湯につかるような居心地の良さだ。だが京極は悪い気はしない。むしろずっとこうしていたいとも思う。いつか別れは来るんだろうと知ってはいるが、そんなことは今は後回しだ。とりあえず今は、今を楽しむ
―――これが俺、京極唯辻の大切な『日常』だ
そのとき、不意に教室の扉が開いた。そこにいたのは、新しく京極たちのクラスの担任になった女教師だ
「ハイお前ら席に着けー」
白衣を纏った教師は、その言葉とともに教団へとツカツカと歩み寄る
騒がしかった教室も、教師が教卓に立つ頃にはすっかり静かになり、全員が各々の席に座っていた
「私が、今回お前らの担任になった志麻だ。志麻おねーさんと呼んでも構わないぞー」
二十台後半らしき女の発言ではない。
そして教師が手に持つファイルの中を確認した
「・・・・・・あー、どうやら欠席者はいないようだな、うん、まぁ始業式じゃ当然か」
教師が誰ともなく言う
だが京極は違和感を覚えた。さっきまでは気付かなかったが、自分の隣の席が空いているのだ。ぽっかりと一人分
それに気付いたのは京極だけでは無かったらしく、京極の前の席の女生徒がその席を指差して、志麻に質問を投げかけた
「あ、あのー・・・・・・ここの席が空いてるんですけどー・・・・・・」
「うん? ああ、そうだそうだ、伝え忘れてたな」
「?」
くだけた志麻の態度が突然改まった
「お前らの中の何人かは知ってると思うが・・・・・・お前らの学年に編入生が来る事になって、このクラスに配置された!」
「おおおおお!!」
窓側の席の上村が歓喜の声を上げた。それと時を同じくして、クラスの男子生徒が一斉にどよめき立つ。口笛を吹くものもいれば、上村のように叫ぶものもいる有様だった
「「「うおおおおお!!!」」」
「な、何なんだ? この俺だけ取り残されているアウェイ感は!?」
そんな一人ポツンとしている京極を見かねたのか、先ほど志麻に質問した前の席の女生徒が、おどおどとしつつも声をかけた
「そ、それはアレだよ京極くん・・・・・・」
「ああ、えっと・・・・・・初宮さんだっけ? 何でなんだ?」
初宮の表情がショックを受けた感じになったが、京極は気付かず言う
「そ、それは・・・・・・転校生さんが、美人さんっていう噂だから・・・・・・」
「・・・・・・道理で」
そう、京極がどよめきたつクラスを見渡したときに同時に感じた、女性陣のゴミを見るかのような白い目は錯覚ではなかったのだ
「「「うおおおお!!!」」」
(それを差し引いても、ずいぶんとおかしなクラスに入ったものだ)
男たちの魂の叫びはとどまるところを知らない。事態に収拾がつかなくなりかけたとき、志麻が一喝した
「静かに!」
志麻が裁判官のように教卓を叩く。男たちの魂の叫びは鎮火された
「んじゃあ、そろそろ入ってきてもらおうか・・・・・・おーい」
志麻が呼ぶと、ガラガラ、と扉を開いた音が教室に響いた
その話題の編入生が姿を表す
(・・・・・・おいおい、どういう事だ? 話が違う)
シバは編入生を一見して、冷や汗を垂らしながら思う
教室の生徒達も、ましてや見たことがあるはずの志麻さえ同様だった。皆彼女を視界に捉えると、まるで時が止まったように声も発せず、動かず、硬直していた。そのとき、本当の静寂が教室を支配していた
京極は、思わず息を呑んだ
(『超絶』美人じゃないか・・・・・・!)
編入生は時が凍った世界を、無言で教壇まで進んでいく。その姿は、さながらこの時間の支配者のようだ
人は自分の知らない未知の芸術に触れたとき、言葉が出ず、言い知れぬ感動だけが心をいっぱいにするのだという。今の教室の生徒達は、それだった
彼女の『美』が、生徒達を虜にしているのだ
だが、京極は少し呆れた。クラスメイトにである
(・・・・・・いや、いくら可愛くても皆驚きすぎじゃないか? ノリとかも関係してるのかな)
生徒達はピクリとも動かない。訓練され、統率が完璧な兵士のように
比較的こういう事には不慣れそうな初宮さえもだ
「・・・・・・おい、貴様」
突如、凍った時の世界に、透き通った高い声が響いた
その声の発生源を見ると、編入生だ
彼女は細く白い指を、京極がいる方向へ向ける
(・・・・・・なんだ?)
京極は誰のことかと、彼女が指差した後ろを振り返った
「違う! 貴様だ!」
編入生の怒声が耳を劈く
再び編入生を見ると、またしても京極のいる方向に指先を向けている
京極は近くの席の誰かかとあたりを見渡した
「・・・・・・貴様」
いつの間にか編入生は京極の横まで近づいていた。顔を真っ赤にさせて、京極をにらみつけている
京極はそこで、ようやく気が付いた
「あのー・・・・・・もしかして、もしかしなくても・・・・・・」
「貴様だ! さっきからきょろきょろしているお前だ阿呆!」
顔に見合わぬ言葉遣いでさきほどから京極を怒鳴る編入生
流石の京極も、理不尽に怒ってくる編入生にカチンと来る
「・・・・・・ッ! 俺が何したっていうんだお前!」
「決まっているだろう!」
編入生は即座に答える
「なんで貴様だけ動いているのだ!」
「・・・・・・何だと?」
京極は唖然とした。彼女の言葉に
「・・・・・・ま、まさかお前は「自分の美貌を見て何でもっと感動しないのよ!」とか言うタイプなのか」
「違うわ! 阿呆が!」
バシィ、と音を立てて京極の頭が叩かれた
「い、痛っ!」
「そのままの意味で言っているのだ! 貴様、まさか逃走者か!」
「は、はぁ!?」
「・・・・・・しらばっくれおって!」
京極は彼女の言っていることがまったく理解できなかった
目の前の不可解に頭を悩ませる暇も無く、そのうち、一つの違和感が京極を包み込んだ
(な、んだ? ・・・・・・この感じ)
そして京極の違和感は確信へと変わる
その違和感の正体は、クラス
(俺たちが、さっきから大声で怒鳴りあってるのに・・・・・・さすがに、こいつらもふざけているとはいえ、反応しないほうがおかしくないか?・・・・・・大体皆、ふざけが異様なほど長い)
戸惑う京極に、編入生の少女は、信じられないといった風に、京極を見つめた
「理解してきたか、馬鹿者」
京極はクラスのこの悪ふざけの様子を、まるで時が止まっているようだと表現した
それは大きな間違いであり、そして正解でもあった
京極は、俄かには信じられないといった具合で、一つの推論にたどり着いた
「そんな、あり得ない・・・・・・こんな事が、あるはずが」
「でも貴様は現にこうして、その『ありえない』に直面している」
ようやく京極は驚き、瞠目し、背中から冷や汗を流す
そして少女を横目で見て言った
「まさか―――時が止まっているのか?」
「・・・・・・はぁー、そんな対応の者が逃走者なわけがないであろうな、そう、正解だよ。私が止めたのだ」
少女は軽く言うが、言っている事はとんでもないことだ
「な・・・・・・! 世界の時を止めるって」
「救いようのない阿呆だな貴様。誰が世界中の時を止めたといった・・・・・・ここだけ、この学校全体だけの時を止めた」
「・・・・・・! そんな、馬鹿な」
京極は床にへたりこんだ
この少女は、当然のように時を止めただのと言っているが、スケールがでかすぎて上手く想像できない
これは夢かと自分のほっぺたを強く抓った時、京極は気付いた
「・・・・・・あ、そういえば俺は動いているぞ?」
「だから最初に聞いたであろうが! 何で貴様は、私が時を止めたというのに動けるのだ!」
京極は少女の剣幕に、思わず気おされる
だがそんな風に戸惑い続ける暇は、京極の視界に上村や品川の、動かずに固まったままの姿が入った事で無くなった
「おい編入生」
京極は立ちあがって少女に向き直る
「・・・・・・どうしたのだ」
「一つ、聞いておきたい」
「?」
「俺の友達が今固まっているが、それは戻せるんだろうな」
彼女が何を考えて時を止めたのかは京極は知らない
しかし、そのせいで品川たちが現在被害を被っているのに、あまつさえこのまま一生動けないなんて事になっていいはずはない
京極は少女を睨む。すると少女は肩を竦めて、制服のスカートのポケットから四角く、黒い立方体の箱を取り出した
「安心するのだ。ちなみにこの黒箱の力で時を止めるのだが―――スイッチにオンオフがあるように、この箱にも切り替えの機能はあるから。・・・・・・というか時は無制限に止められるものではないのだ。今の状態だと、体感時間で後五分ほどでもどる」
「・・・・・・そうか」
京極は、ホッと胸を撫で下ろした
「ならもう戻してくれないか、編入生」
「・・・・・・何でだい? まだ君が魔道師である可能性が残っているんだが」
「魔道師だかなんかは知らないが・・・・・・周り、見ろよ」
「?」
「今はホームルーム中だぜ? 固まってるが・・・・・・しかもお前の自己紹介が始まる、な」
「・・・・・・フン、まぁいいだろう」
少女は言いつつ歩いて、教室の、彼女が入る直前だった扉へ戻った
京極は分からないことに頭を悩ませることを一時止め、とりあえず、黒箱を手にしてどこかを押しかける編入生に、遅れた挨拶を投げかけた
「なぁ編入生、名前、聞いてなかったな」
「・・・・・・人に名を問う時は、自分から名乗るのが礼儀じゃないかね?」
「あぁそうだな・・・・・・俺の名前は京極唯辻、お前は?」
「・・・・・・ふん、ま、いいだろう」
綺麗な少女は端整な顔を不機嫌そうにしながらも、とりあえず、といった様子で京極に返事を返した。少し遅れた自己紹介だ
「獅子堂 灰音だ・・・・・・よろしく」
彼女は顔を少し赤らめて言った。手に持つ黒箱を操作し、京極にシャボン玉が割れるような感覚がした後、時が再び流れ始めた。教室の静寂が壊され、活気が蘇っていく
そして彼女は生徒達の前へと出て行った