表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ショートショート

高級時計

作者: 武田花梨

 千円の腕時計も、一千万円の腕時計も、一分一秒の重みなんて変わらない。それなのに、人はなぜ高い腕時計なんか欲しがるんだろう。

 人並み以上の年収を稼ぐシンガーソングライターの(けい)は、タクシーのシートにもたれながら高級ブランド店が並ぶ通りを眺めていた。お金に反比例し、時間は無くなる。一年ぶりの休日は、買い物にしようと都心まで来た。

「ここでいいです」

 目深に帽子を被った絅は、綺麗な声でそう告げる。運転手は車を端に寄せ止めた。

 料金をカードで支払い、後部座席から足を出す。バレなくてよかった。

 タクシーを見送り、絅は人の多い道を避け、裏道を歩く。排気ガスは多いが、気持ちのいい平日の午後。時間の事を考えたら、買い物なんて馬鹿らしくなってしまった。ただ歩くだけでいい。お金を使うより贅沢だ。

 小さな工場や、小料理店が並びつつも、人通りはない。帽子を取り、肩までの髪を揺らす。

 すると、目の端に時計店が見えた。そのまま通りすぎようとしたが、ちらりと見えたものに驚いて目を凝らし、黄ばんだショーウインドを覗く。汚らしい店には似つかわしくない値札がついていた。

 商品はすべて同じ時計だった。黒いベルトに大きめの文字版という、ありきたりなもの。それなのに、一つ一つ値段が違う。左から、百万円、五百万円……そして一億円まで、十ほどの時計が並んでいる。

「変なの」

 じっと見ていると、その時計に吸い込まれそうになる。離れられない魅力があった。誘われるように店内に入る。

 汚れた無人の店内。まさか一億円の時計があるとは思えない。

「いらっしゃい」

 驚いて悲鳴をあげそうになる。最初からそこにいたかのように、にっこりと微笑む男性がカウンターの向こうに座っていた。年頃は絅と同じ二十歳前後か。黒いスーツを着ているが、中性的な顔だし、声も高めだから、もしかしたら男装の麗人かもしれない。

「当店の時計は、値段に比例して時間の重みが変わります。時間を有益に長期間使いたければ、より高いものを」

 性別不明の店員が言う。

 まさか、さっき考えていたことが現実に? 絅は震えた。

「どういうこと?」

「人にとっての一秒が、あなただけ一分、一時間にもなるのです。腕時計をつけている間だけ」

 絶対嘘に決まっている。そんな非科学的な事。

「私は今年還暦になります」

 そう言うと、腕時計をはずした。すると、みるみる皮膚はたるみ、シミが増え、髪は半分程白くなった。あまりの変わりように喉の奥が鳴る。店員は時計をハメ直す。姿は元に戻った。

「どうですか。信じて頂けました?」

 微笑みながら言う。絅は唖然としたまま頷いた。夢じゃないなら事実だ。

「もっとも、これほど効力のあるものはもうありませんが。あなたも選ばれた人間だから、この店を見付けられたのです。時間、欲しいのでは?」

 店員は目を細くして絅に尋ねる。

 絅はしばし沈黙した。無音の店内に、通りからの喧騒が微かに届く。

「いりません」

 静かに首を振り、よく通る声で告げた。店員は表情を崩さない。

「私、時間だけは誰にでも平等に訪れるものだと思っています。だからこそ大切なんです。せっかくのお誘いですが、それを覆すのは嫌です」

 店員の顔はずっと、美しい微笑みのまま。しかし大切な何かを得られなかったように、瞳は虚ろだった。この姿で何を見てきたのだろう。表情とは反対の、少し悲しそうな声を出した。

「それがきっと、正しいのでしょうね」




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 不思議な感じがして素敵な作品ですね。
2012/11/07 17:17 退会済み
管理
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ