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聖女様が忙しそうなので、雑用係の私が国を回しておきました【連載版】  作者: 星渡リン
第2章 王都は回り始める、けれど敵も動き出す

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第9話 裏口から来る面会者

 面会控室の前は、少し前より静かになった。


 それは喜ばしいことのはずだった。


 少なくとも、面会札がどこへ消えたのか分からなくなって侍女が廊下を往復したり、同じ名前が別々の札に書かれてその場で揉めたり、神殿側の返答が戻らないまま待つ人だけが増えていくような、あの濁った忙しさはだいぶ薄れている。


 札は今どこにあるか分かる。

 侍女たちも、何が先で何が後かを前より掴みやすくなった。

 フィリアの机へ届く紙も、少し軽くなった。


 だから、本当なら空気はもっと楽になっていてよかった。


 なのに。


「正面が静かになると、今度は裏がうるさくなるんですね……」


 面会控室付きの侍女、ミレナが疲れた声でそう言ったのは、昼前のことだった。


 私は雑用口から控室へ持っていく返答札を抱えたまま、思わず足を止めた。


「裏って」

「裏口です」

 ミレナはこめかみを押さえた。

「正面でちゃんと札を取って待つ方が増えた分、今度は“列を使わないで何とかしよう”とする方が増えてしまって」

「……ああ」


 それは、ものすごく分かる。


 人は列があると諦めるようになる。

 でも、列があるだけでは諦めきれない。

 列の先が見えないと、諦めるより先に抜け道を探し始める。


「今日もですか」

「朝から三件です」

「三件」

「貴族のご親族、神殿の縁者、地方の陳情者」

 ミレナは指を折った。

「皆さま、それぞれ理屈があるんです。だから余計に面倒で」

「理屈」

「“少しだけ”とか、“急ぎなので”とか、“遠方から来ていて今日を逃すと戻れない”とか」

「全部、断りにくいですね」

「そうなんです」


 彼女は深くため息をついた。


 その顔にあるのは怒りより疲れだった。

 割り込みをする相手が憎いのではない。

 ただ、毎回その“少しだけ”に付き合わされるのがしんどいのだ。


「正面でちゃんと待ってる方がいるんですよ」

 ミレナはぽつりと言う。

「なのに横から声をかけられると、待ってる人ほど損した顔をするでしょう」

「……しますね」

「でも、こちらも全部は切れなくて」


 私は返答札の束を抱え直した。


 面会控室の前そのものは、前より整っている。

 整ってきたからこそ、そこへ入れない人が“外側”で動くようになった。


 変化って、たいていこうだ。

 ひとつ詰まりをほどくと、次の詰まりが顔を出す。


「見ます」

「何をですか」

「列の流れです」

「……助かります」


 ミレナはそう言ったけれど、その目は半分諦めていた。

 紙ならまだしも、人の顔と立場と感情が絡む列なんて、そう簡単に整うと思っていないのだろう。


 私だって、簡単だとは思っていない。


 でも、嫌な予感はしていた。

 こういうとき、問題はたいてい人の性格より、見えないことにある。


     ◇


 面会控室のある廊下は、王宮のほかの場所より少しだけ空気が張っている。


 壁際には順番を待つ人が並び、侍女が名前を確認し、ときどき神官補佐や役人が中へ出入りする。面会札の所在が見えるようになってから、控室前そのものの混乱はかなり減った。少なくとも、「誰の札が今どこにあるのか分からない」という種類の騒ぎはずいぶん少ない。


 だからこそ、目立つ。


 正面の列から少し外れた柱の陰。

 控室の裏手へ回る細い廊下。

 そこに、いかにも“少しだけ話を聞いてほしい”顔が集まり始めている。


 最初に見たのは、年配の侍女に声をかけている上等な服の若い男だった。自分では待っていない。誰かの使いなのだろう。声を潜めているつもりらしいが、慣れていないのか、内容はきちんとこちらへ聞こえた。


「ですから、顔を見せるだけでよいのです」

「申し訳ありませんが、順番札をお取りください」

「札は取っております。ただ、順番を少しだけ」

「少しだけでも順番は順番でして」

「家名を申し上げれば分かるでしょう」

「分かりますが、なおのことこちらでは」


 年配の侍女の顔は笑っていた。

 でも、その笑顔はやわらかい方ではなく、固い方の笑顔だ。


 次に見えたのは、神殿縁者らしい若い神官が別の侍女へ話しかけている場面だった。


「本当に一言だけ確認したいのです」

「面会札を通してください」

「通している間に遅れると困る件で」

「皆さまそう仰います」

「神殿側としては急ぎなのです」

「急ぎかどうかは、順番札の上で見ます」


 言い方は穏やかだ。

 でも、お互い一歩も引いていない。


 さらに廊下の奥では、地方から来たらしい痩せた中年の男が、半ば泣きそうな顔で食い下がっていた。


「今日を逃すと、帰りの荷馬車が……」

「それでも順番札をお持ちなら」

「持ってます。持ってるんです。けど、今日中かどうかだけでも」

「それは中の進み次第で」

「それが分からないから……」


 その言葉で、私は少しだけ目を細めた。


 それが分からないから。


 そうだ。

 そこだ。


 裏口から来る人の全員が、特権を乱用したいだけではない。

 もちろん、そういう人もいる。

 でも全部ではない。


 分からないから、不安になる。

 不安だから、横から聞こうとする。

 横から聞く人が増えると、正面で待っている人が苛立つ。

 苛立つから、さらに“裏から行った方が得では”という空気が濃くなる。


 嫌な循環だ。


「見たでしょう」


 いつの間にか隣へ来ていたミレナが、小さな声で言った。


「正面の列は静かになったんです。でも今度は、こっち」

「全部に理由がついてますね」

「そうなんです」

 ミレナは唇の端だけで苦く笑った。

「横入りしたいだけなら、まだ切りやすいんです。でも“遠くから来たので”“今日を逃すと”“家の都合で”“神殿の手前”って言われると、こちらだって人ですから」

「全部切ると、あとで別の面倒が来る」

「はい。しかも正面で待ってる方にはその事情が見えませんから、横から入れたようにしか見えない」


 私は廊下の列を見た。


 人はちゃんと並んでいる。

 でも、その列が今どこまで進んでいるのかは、外からは分からない。

 今日中に呼ばれるのか、明日へ回るのかも分からない。

 急ぎ案件が入ったとき、何を基準に前へ入るのかも分からない。


 列はある。

 でも、列の先が見えない。


 その時点で、もう半分詰まっている。


「ミレナさん」

「はい」

「正面でちゃんと待ってる人って、何がいちばん嫌だと思いますか」

「……割り込み、ですか?」

「半分はそうです」

「半分」

「残り半分は、分からないことです」

「分からない」

「自分がいまどこなのか。今日呼ばれるのか。いつまで待てばいいのか。途中で急ぎが入るなら、それはどういう基準なのか」

 私は列の方を見たまま言う。

「並んでいても、自分がどこにいるか分からない列が一番つらいんです」


 ミレナが目を瞬いた。


 たぶん彼女は、“割り込みは悪いこと”として見ていた。

 もちろん、それは間違っていない。

 でも私はもう少し手前を見る。


 人のずるさより先に、人の不安がある。


 前世でもそうだった。

 窓口の順番待ち。

 返ってこない申請。

 “確認中です”のまま先が見えない手続き。

 並んでいるのに、前に進んでいる感じがしない列。


 あれは、想像以上に人を削る。


「……確かに」

 ミレナがぽつりと言う。

「順番が遅いことそのものより、“今日のうちに呼ばれるか分からない”方が空気が悪くなる気がします」

「ですよね」

「でも、分からないものは分からないんです。中の進み方次第で」

「全部は無理でも、見える範囲だけでも出せます」

「見える範囲?」

「いま何番まで進んでるか。次の目安はどこか。急ぎの基準は何か」

「それを出すんですか」

「出した方がいいです」


 ミレナはすぐには頷かなかった。


 気持ちは分かる。

 基準を見せれば見せたで、今度はそこへ文句をつける人もいるだろう。

 でも、隠していて減る不満なら、とっくに減っている。


「隠しても不安は減りません」

 私は静かに言った。

「減らないなら、せめて“今どうなってるか”だけでも見える方がましです」

「……やってみる価値は、ありますか」

「あります」

「怒られませんか」

「たぶん少し」

「少し?」

「かなり、かも」

 私が言うと、ミレナは吹き出しかけて、それから肩を落とした。

「じゃあ、巻き込まれる前提で手伝います」

「助かります」


 私は余り紙を探しに、いったん雑用口へ戻った。


     ◇


 札を作るのに、立派な道具は要らない。


 余り紙と、板の切れ端と、炭。

 それで大体どうにかなる。


「また始まった」


 ナラが言ったのは、私が板切れへ炭で数字を書き始めた時だった。


「今度は何」

「面会の見通し」

「見通し」

「うん。いま何番まで進んでるか出したい」

「また地味だねえ」

「地味です」

「でも効きそう」

「効くといいな」


 ダンおじさんが帳面から顔も上げずに言う。


「人間は、待ってるときほど数字が好きだからな」

「好きなんですか」

「好きだろ。あとどれくらいか分かるだけで機嫌が変わる」

「……分かります」


 前世でもよく見た。

 待ち時間五十分、と書いてあれば長く感じる。

 でも未定、と書いてあると、それより短くてもずっとつらい。


 私は小さな札をいくつか作る。


 現在案内中

 次の目安

 急ぎ案件の扱い

 今日中対応見込み

 後日対応見込み


 もちろん、これで完璧に回るわけではない。

 でも、何もないよりはずっといい。


「レティア」


 呼ばれて顔を上げると、アルフレッドが立っていた。


 最近、彼は私の変な作業を見つけるのが妙にうまい。

 というより、私が変な作業ばかりしているからかもしれない。


「今度は何だ」

「面会の列です」

「列」

「裏口から声かけが増えてるので」

「知ってる」

「じゃあ話が早いです」

「早いか?」

「少なくとも説明は省けます」

「便利な言い方だな」

「便利であることと、正しいことは別です」

 つい口をついて出て、自分で顔をしかめた。

「……嫌なところで覚えましたね」

「覚えるだろ、あんな言い方をされれば」


 アルフレッドは板切れの札を見る。


「現在案内中」

「いま何番まで進んでるか」

「次の目安」

「次に呼ばれそうなところ」

「急ぎ案件の扱い」

「命に関わるものとか、今日中の判断が必要なものとか」

「全部見せるのか」

「全部は無理です。でも、隠していても不満は減らないので」


 アルフレッドはしばらく黙っていた。


 それから、少し低い声で言う。


「人は、並ぶのが嫌で抜け道を探すんじゃないのか」

「半分はそうです」

「半分」

「残り半分は、不安です」

 私は炭を置いて彼を見る。

「どこまで進んでるか分からない列って、待ってる方はどんどん嫌になります。自分だけ置いていかれる気がして」

「……」

「だから裏から聞きに来るんです」

「ずるいからじゃなく」

「ずるい人もいます。でも、ずるさより先に不安があるなら、そこを少し減らした方が早いです」


 アルフレッドは札を見下ろしたまま、小さく息を吐いた。


「お前は」

「はい」

「紙と物だけ見てるんじゃないんだな」

「見えちゃうので」

「面倒な目だ」

「本当に」


 彼は口元だけで少し笑って、それ以上は何も言わずに立ち去った。


 でも、その背中は前より少しだけ軽かった。

 たぶん、分からないなりに納得はしてくれたのだろう。


     ◇


 午後の面会控室前に、小さな掲示が出た。


 現在案内中 十四番

 次の目安 十五番から十八番

 急ぎ案件は、命に関わるもの、今日中の判断が必要なものを先に扱います

 それ以外は順番札の順です


 板というほど大げさではない。

 紙札を木板へ留めただけの、いかにも間に合わせの掲示だ。

 けれど、人の視線は驚くほどそこへ集まった。


「十四番……」

「じゃあ次は十五から」

「私は十七だから、今日はまだ待てるか」

「十九は?」

「その次か……」


 ざわつきはした。

 でも、そのざわつきはさっきまでの苛立ちではなく、確認のためのざわつきだった。


 正面の列の中ほどにいた年配の男が、札を見て肩の力を抜く。


「何も分からんより、ずっといいな」

「はい」

 ミレナが柔らかく答える。

「絶対ではありませんが、いまの目安です」

「目安でもあると助かる」


 別の女が聞く。


「今日中対応見込みって、どこまでですか」

「二十番前後までを見ています。急ぎ案件が増えたら少し前後します」

「急ぎはどういう」

「こちらです」


 ミレナが掲示の一文を示すと、女は読んで、それから不満そうな顔ではなく、納得しようとする顔になった。


「じゃあ、命に関わらないなら順番ですね」

「はい」

「……分かりました」


 それだけで、空気が少し変わる。


 裏口側でも変化があった。


 地方から来たらしい中年の男が、さっきと同じように侍女へ食い下がりかけたところで、掲示へ目をやった。彼は少し迷って、それから低い声で尋ねる。


「私は……二十一なんですが」

「はい」

「今日中は厳しいですか」

「いまの目安だと、少し厳しいです」

「……そうですか」

 男は肩を落とした。けれど、さっきのように半ば泣きそうな顔ではない。

「なら、宿を取り直します」

「明日の朝、札をそのまま使えるようにしておきます」

「ありがとうございます」


 彼は礼を言って下がった。


 私はその背中を見送る。


 待たされること自体は、やっぱりつらいだろう。

 でも、先が見えないまま押し出されるよりはましだ。


「……効いてる」


 ミレナが小さく呟いた。


「ですね」

「守ってくださいって言うより、こっちの方がずっと早い」

「人は怒られると、怒った相手しか見えなくなりますから」

「見える札には怒りにくい?」

「怒る人もいます」

「いますね」

「でも、“いまどうなってるか”には、少なくとも説明があります」


 ミレナは少しだけ笑った。


「レティアさんって、変なところを見ますね」

「変ですか」

「割り込みする人を叱るんじゃなくて、待ってる人の気分の方を先に見るから」

「叱って減るなら、もう減ってる気がして」

「ああ……それはそうですね」


 列の前方で、若い侍女が少し明るい声を出した。


「十五番の方、どうぞ」


 すると後ろから、「次は十六か」と小さな声が漏れる。

 それは不満ではなく、確認の声だった。


 私はその変化を聞きながら、胸の奥で静かに確信する。


 やっぱり、人のずるさより不安の方が先だ。


     ◇


 もちろん、これで全部が解決するわけではない。


 急ぎ案件は差し込まれるし、高位貴族の使者は相変わらず裏口を使おうとするし、侍女たちの気疲れがゼロになるわけでもない。


 でも、露骨な怒鳴り合いは減った。

 「私はどこですか」「今日中ですか」「いま何番ですか」が、裏口で囁かれる前に表で確認できるようになっただけで、空気はかなり違う。


 その違いは、すぐ次に現れた。


「こちらを先に」


 低く、よく通る声だった。


 振り向くと、質のいい外套を羽織った男が立っていた。三十前後だろうか。顔立ちは整っているが、整いすぎていて印象が薄い。いかにも“家の顔ではないが、家の空気を背負っている使者”という感じだ。


 彼は順番札を持っていない。

 それどころか、持つ気もなさそうだった。


「ご用件を」

 ミレナが笑顔で問う。

「北方伯家の使いです」

 男は当然のように答えた。

「聖女様へ急ぎの伝言を」

「順番札をお取りください」

「少し確認するだけです」

「確認も順番札を」

「家名を申し上げています」

「承知しております」

「なら話は早いでしょう」


 ミレナの笑顔が固くなる。


 周囲の空気も少し張った。

 正面で並んでいる人たちが、ちらちらとこちらを見る。


 男はそこで初めて掲示へ目をやった。


 現在案内中。

 次の目安。

 急ぎ案件の扱い。


 その視線が、露骨に不快そうになる。


「何ですか、これは」

「面会の目安です」

 ミレナが答える。

「お待ちの方へ、現在の進み具合を」

「目安」

「はい」

「北方伯家へも、この札に従えと?」

「皆さま同じ基準でご案内しております」


 男はゆっくりと私の方を見た。


 面会札の流れや、雑用口まわりの変化は、もう少し外へ漏れ始めているのだろう。誰がこれをやっているのか、完全には知らなくても、“下働きの娘が余計なことをしている”くらいの噂は届いているのかもしれない。


 彼の視線は、私の服と手元の札を順に見た。

 それだけで、値踏みされているのが分かる。


「ずいぶん生意気な札ですね」


 吐き捨てるような声だった。


 周囲がしんとする。


 私は少しだけ瞬きをした。


 札が生意気なのではない。

 見えるようになると、今まで見えないまま通れていたものが通りにくくなるだけだ。


 でも、それをわざわざ説明しても、この男は聞かないだろう。


「見えないよりは、ましです」

 私はできるだけ平らな声で言った。


 男の眉がわずかに動く。


「下働きが決めることですか」

「決めてはいません」

「では誰が」

「待つ方にも、迎える側にも、今どうなっているか分かるようにしているだけです」


 男は鼻で笑った。


「分かるように、ですか」

「はい」

「身の程をわきまえた方がいい」


 その言葉に、横でミレナが息を呑んだのが分かった。


 私は怒りより先に、少しだけ納得した。


 ああ、ここへ来るのか、と。


 板も、札も、伝言票も、全部そうだ。

 見えるようになることは、便利になることだ。

 でも同時に、今まで曖昧なまま通れていたものを通りにくくもする。


 順番が見える。

 基準が見える。

 そうなると、“家名”だけでねじ込める余白が減る。


 それを快く思わない人は、当然いる。


「お伝えしておきます」


 男は最後にそう言った。

 脅しのつもりだろう。

 実際、脅しとして機能する言い方だった。


「北方伯家として、こういう軽率な札は好みません」

「承知しました」

 ミレナが言う。

「では、順番札を」

「……結構」


 男はそう言って踵を返した。


 完全に引いたわけではない。

 たぶん別の窓口から圧をかけてくるだろう。

 でも少なくとも、この場では割り込めなかった。


 男が去ったあと、控室前の列は妙に静かだった。


 やがて、後ろの方に並んでいた老婦人が小さく言った。


「見える札の方が、よほど礼儀正しいと思いますけどね」


 その声に、別の誰かが苦笑する。


「同感です」


 空気が、ほんの少しやわらぐ。


 ミレナが小さく息を吐いた。


「……怖かった」

「ですよね」

「でも、前ならたぶん通してたかもしれません」

「今日は札がありますから」

「札、強いですね」

「札が強いというより」

 私は掲示を見た。

「皆の前に置いた基準が強いんだと思います」


 ミレナはそれを聞いて、ゆっくり頷いた。


「今までは、断ると私が意地悪みたいでした」

「見えてないと、そうなりやすいです」

「でも今日は、“順番があるから”って言えました」

「はい」

「それだけで、ずいぶん違う」


 私は列を見た。


 完全な公平ではない。

 完璧な秩序でもない。

 それでも、少なくとも今は、自分がどこにいるか分かる列になっている。


 その“少なくとも”が、王都では案外大きい。


 雑用口へ戻ると、ナラが面白そうに聞いてきた。


「どうだった、裏口劇場」

「劇場でした」

「拍手は?」

「嫌味つきで一回」

「やだねえ」


 ダンおじさんが帳面を閉じる。


「貴族か」

「使者です」

「なら本体は後から来るな」

「たぶん」

「面倒だ」

「知ってます」


 私は小さく笑った。


 面倒だ。

 でも、こういう面倒が出てくるということは、少なくとも札は効いている。


 効くものほど、誰かの都合を悪くする。


 私は板の前へ立ち、今日中の山へ新しい札を差し込んだ。


 面会控室。

 現在案内中。

 次の目安。


 たったそれだけのことが、妙に大きく見える。


 人の流れも、物の流れと同じだ。

 見えないと詰まる。

 見えると、少しだけましになる。


 たぶん、王都じゅうで。


 そして、その“少しだけまし”が、誰かにとってはずいぶん生意気に映るのだ。


 私は炭を持ち直した。


 生意気で結構。

 見えないままの方が、もっとたちが悪い。

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