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聖女様が忙しそうなので、雑用係の私が国を回しておきました【連載版】  作者: 星渡リン
第2章 王都は回り始める、けれど敵も動き出す

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第14話 小娘を外せと言うなら

 人は、追い詰められると二つのことをする。


 ひとつは、目の前の詰まりをほどこうとすること。

 もうひとつは、詰まりを見せてきた相手を邪魔だと思うこと。


 その日の私は、たぶん後者の方へ呼ばれていた。


 王宮と神殿の実務調整に使う小さな会議室は、広くはないくせに息苦しい。長机の上には、朝の差し替え札、配給記録、浄化依頼の控えが積まれていて、本来なら現場の確認をするための部屋のはずなのに、今日は“現場を誰が触っていいかを決める部屋”みたいになっていた。


 私は壁際に立っていた。

 座るように言われていないからではない。

 この場において、私の椅子は最初から存在していないからだ。


 正面には神殿側の監督官がひとり。年嵩の男で、衣の白が少し青みがかって見えるほどきっちり整っている。王宮側からは上位侍女の統括役と、配給記録を扱う役人、そして書記官バルド。少し離れた位置にアルフレッドが立ち、フィリアは窓寄りの席に静かに座っていた。


 机の上にある紙より、空気の方がよほど尖っている。


「では、申し上げます」


 最初に口を開いたのは、神殿監督官だった。


「最近、聖女様まわりの実務に、身分を越えた介入が目立ちます」

 彼の目が、机を挟んで私へ滑る。

「現場の便宜という言葉で飾ってはおりますが、下働き上がりの小娘が国家の流れに口を出しているように見えるのは、看過できません」


 言い方は丁寧だった。

 でも、刃はよく研がれていた。


 上位侍女の統括役も、すぐに続いた。


「面会控室、雑用口、物資整理、薬庫確認。どこも“助かる”という声は聞こえます。ですが、助かることと正しいことは別です」

 彼女は指先で紙を揃えながら言う。

「下働きが判断の流れへ入り込みすぎれば、線が曖昧になります」


 便利と秩序は別。

 助かることと正しいことは別。


 何度か聞いた言葉だ。

 私は顔を上げずに、その響きだけを受け止めた。


 反論しようとは思わなかった。

 ここで私が「助かってます」とか「止まらないようにしてます」と言ったところで、この人たちには余計に生意気に聞こえるだけだ。


 バルドがそこで口を開く。


「最近の運用は、確かに現場へ一時的な利便をもたらしました」

 一時的な、のところだけ少し丁寧に聞こえた。

「ですが、その利便が誰の権限のもとに成立しているのかが曖昧なままです。雑用係が仕分けをし、流れを切り、優先を見ているように映るのは、よい状態ではありません」


 映るのは。


 そういう言い方は、ずるいと思う。

 実際にやっていることを問題にする時、責める側はいつも“そう見える”と言う。そうすれば、事実と印象の両方をまとめて刺せるからだ。


 フィリアはまだ何も言わない。

 彼女は、私を助けようと焦って口を開く人ではない。たぶん今は、どの言葉ならこの場で一番重く届くかを見ている。


 私は壁際で静かに拳を握った。


 外したいのだ。

 板の前から。

 雑用口から。

 聖女へ戻る前に紙がほどける、その入口から。


「小娘を外せと言うなら」


 神殿監督官は、そこでついに言葉をはっきりさせた。


「外しても問題なく回る形へ戻すべきです」

 彼は穏やかな顔のまま言う。

「現場が一人の下働きへ依存しているように見えるなら、それ自体が異常です」


 異常。


 その単語は嫌いじゃない。

 異常は見つけて直した方がいい。

 でも今の言い方は、詰まりを直すための“異常”じゃない。元へ戻すための“異常”だった。


 アルフレッドが、壁際の私を一度だけ見た。

 たぶん、黙るしかないと分かっているから何も言わない。

 でもその目には、少なくとも“変な雑用係”を眺めていた頃の軽さはなかった。


「では」


 王宮側の役人が、気まずそうに配給札へ手を伸ばした。


「本日の配給と浄化依頼の整理から、正規運用で進めましょう」


 その言葉が、皮肉みたいに机の上へ落ちた。


 今日に限って、朝からいろいろ重なっていたのだ。


 下町南区の配給札差し替え。

 東井戸の追加浄化依頼。

 小神殿からの薬草補充確認。

 面会控室の順番変更。

 倉庫持ち出しの再確認。

 そして昼前の儀礼時刻変更。


 王都にとっては、特別な非常事態ではない。

 でも、こういう“少しずつ種類の違う面倒”が同時に来る日こそ、入口で切る人が要る。


 それを、いま外している。


     ◇


 最初の乱れは、本当に小さかった。


「南区の配給差し替え札です」

 役人が紙を出す。

「浄化依頼と一緒に来ています」

「浄化は神殿側へ」

 監督官が言う。

「配給は王宮側で」

「ですが対象は同じ地区です」

「だからといって同じ流れへ入れるものではありません」

「しかし現場では」

「正規に切り分けなさい」


 そのやり取りのあいだにも、別の侍女が面会札の差し替えを持ち込み、伝令役の少年が「書記室から戻されました」と紙を差し出す。


「どこへ戻されたの?」

 役人が聞く。

「重複確認がないと」

「重複確認は誰が」

「……それは」

 侍女が迷う。


 いつもなら、ここで私が机の端へ二枚並べて、“同じ井戸です”“これは今日中です”“こっちは倉庫確認が先”と切っていた。


 いまは誰も、その入口を引き受けない。


 だから全部がひとつ遅れる。


 ひとつ遅れると、次の札が机の上へ重なる。

 重なった時点で、また切りにくくなる。

 切りにくくなったものは、とりあえず上へ持っていこうとする人が出る。


 私はそれを見ているしかない。


 神殿監督官は眉ひとつ動かさずに言う。


「一時的な混乱です」

「しかし、配給の持ち出し時刻が」

 役人が言いかける。

「多少の遅れは現場で吸収しなさい」

「浄化依頼も重なっております」

「だからこそ、手続きを守るべきです」

「でも、待っている先が」

「だからこそ」


 だからこそ、ばかりだ。


 私は内心で舌打ちしそうになるのをこらえた。


 手続きは大事だ。

 秩序も大事だ。

 でも、手続きは届くためにあるのであって、止めるためにあるんじゃない。


 机の上の紙束が、少しずつ厚くなる。


 配給札。

 浄化依頼。

 書記室差し戻し。

 薬庫補充。

 面会差し替え。


 フィリアの前へ置かれる紙も、朝より目に見えて増えていた。


 彼女はそれを見て、静かに目を伏せる。

 大きく乱れてはいない。

 でも、“下でほどけるはずのもの”まで戻り始めている重さを、彼女はもう知っている。


 アルフレッドが一歩だけ机へ寄った。

 護衛として、ではない。

 たぶん観察者として。


 彼はいま、見ているのだ。

 レティアがいない時、何が起きるのかを。


「一時的な混乱です」


 バルドが、神殿監督官を助けるように言った。


「最近、現場が一人へ頼りすぎていた反動でしょう。正規運用へ戻せば、いずれ落ち着きます」


 その言葉に、私は思わず顔を上げた。


 いずれ。

 落ち着く。


 その“いずれ”の間に困るのは誰だ。

 待っている配給先や、浄化を必要としている井戸や、面会の順番を待っている人たちではないのか。


 でも、私がそこで口を開く前に、別の声が割り込んだ。


「済みませんが」


 ダンおじさんだった。


 いつの間にか、会議室の扉近くに立っている。たぶん倉庫からそのまま呼ばれたのだろう。帳面を抱えたまま、眉間に深いしわを刻んでいた。


「それでは済まないと思いますが」


 部屋の空気が止まる。


 神殿監督官が、明らかに不快そうではないまでも、“なぜこの男が口を開くのか”という顔をする。


 ダンおじさんは構わず続けた。


「配給持ち出しの札が二度止まりました」

「二度」

 役人が小さく反応する。

「はい。浄化依頼と対象地区が近く、いったんまとめて確認するか切り分けるかが曖昧になった。前なら入口で切れていた」

「それは各担当の熟練で」

「熟練不足ではなく、見る人がいないだけです」


 ダンおじさんの言い方は、あくまでぶっきらぼうだった。

 でも、だからこそ嘘がない。


「探し物も戻った」

 彼は帳面を軽く上げる。

「誰が何を持ってるか見えなくなると、倉庫と机の間がすぐ遠くなる。さっきも蝋燭の持ち出しで二度確認した」


 神殿監督官が少しだけ声を冷やす。


「倉庫番が、会議の場で感想を述べるのですか」

「感想じゃない」

 ダンおじさんは言った。

「困ってることを言ってる」


 その瞬間、私は少しだけ息を呑んだ。


 この人は、普段ならこんな場で口を挟まない。

 面倒を嫌い、余計なことを言わず、帳面と現物の間だけ見ている人だ。

 そのダンおじさんが、ここで“困ってる”と言った。


 それだけで、状況の重さが変わる。


「私も」


 次に口を開いたのは、面会控室付きの侍女ミレナだった。


 彼女は背筋を伸ばしたまま、でも指先だけ少し固く結んでいる。


「本日の面会控室でも、差し替え札の扱いが二度止まりました」

「止まった」

 上位侍女の統括役が問う。

「はい。今日中で足りるものと、今すぐ聖女様へ上げるべきものの切り分けに迷いました」

「それは侍女の判断で」

「普段なら、その前に下で整理されていました」


 ミレナは視線を逸らさず言った。


「順番を守らせることより、見通しを示すことの方が場が落ち着く。どの札が今どこにいて、何を待っているか分かる。私はその状態に助けられていました」

 彼女は息を吸う。

「今日は、また“とりあえず聖女様へ”が戻りかけています」


 その言葉に、フィリアの指先がかすかに動いた。


 助けられていました。


 誰も“すごいです”とは言わない。

 ただ、自分たちがどう助かっていたかを言う。


 それが、たぶんいちばん重い。


「僕もです!」


 高い声が響いた。


 伝令役の少年が、完全に勢いだけで手を挙げてから、慌てて下ろした。けれどもう遅い。皆の視線が集まっている。


「ええと、その、同じ場所を二回走らなくて済んでました」

 少年は耳まで赤くしながら言った。

「今は、誰に渡せば次へ行くかが分からなくなって……書記室前と面会控室を、さっき二往復しました」

「それはお前の」

 誰かが言いかける。

「僕のせいでもあります!」

 少年は震えながら言い返した。

「でも、前はそんなに迷いませんでした。札を置けば、“これはこっち”“これは待ち”って分かったから」


 会議室の空気が、また少し変わる。


 次に出たのは、薬師見習いの少女だった。


「薬庫も」

 彼女は胸の前で手を重ねる。

「不足ではなく、混乱だったと分けてもらえました。誰かが盗ったのではない、数え方が違っていただけだと分かって、ようやく怖くなくなりました」

「それと、この場の議論がどう」

 監督官が言う。

「関係あります」

 少女は珍しくきっぱり言った。

「見えていなかったものを見えるようにしてもらったから、疑わずに済みました」


 私は壁際で、少しだけ目を伏せた。


 居心地が悪い。

 こんなふうに、自分のやっていたことを人の口から並べられると、逃げたくなる。


 私は別に、褒められたくてやっていたわけじゃない。

 詰まるのが嫌で、戻ってくるのが嫌で、待つ人が損をするのが嫌で、見えてしまうから切っていた。


 でも。


 届いていたのだ、と知る。


 探し物が減ったこと。

 順番の見通しが立ったこと。

 同じ場所を二回走らなくて済んだこと。

 疑われずに済んだこと。


 その全部が、ちゃんと人に届いていた。


 嬉しい、より先に、少しだけ眩暈がした。


     ◇


 会議室は、しばらく妙な静けさに包まれた。


 上の人間にとっては、不愉快な静けさだろう。

 現場の声が、理屈の前に並んでしまったからだ。


 バルドが口を開く。


「現場が助かっていたことは否定しません」

 その言い方は、負けたくない時の言い方だった。

「ですが、それは便宜の話です。国家運用は便宜だけで」

「違います」


 その声は、アルフレッドだった。


 低く、よく通る声。


 私は思わずそちらを見る。


 彼はいつもの護衛の位置から一歩出ていた。

 けれど出しゃばるような動きではなく、事実を机の上へ置くためだけに動いた人の姿勢だった。


「これは便宜の話ではありません」

 アルフレッドは監督官とバルドを順に見た。

「護衛の立場から見ても、レティアがいる時といない時では、聖女様のもとへ戻る紙束の厚みが違う」

「紙束の厚み、ですか」

 監督官が皮肉気に返す。

「ええ」

 アルフレッドは少しも揺れない。

「下で迷いが止まるか、そのまま聖女様へ返るかが違います。今日は半日で、それが戻った」

「印象論では」

「違う」

 今度は、彼の声に迷いがなかった。

「俺は毎日見ている。紙が増えた時の聖女様の呼吸も、減った時の肩の下がり方も」


 その言葉に、フィリアがゆっくり顔を上げた。


 アルフレッドは続ける。


「変な雑用係だと思っていた」

 そこで一瞬だけ、彼の口元がかすかに動く。

「今は違う。あれがいないと、迷いが全部戻る」

「アルフレッド」

 フィリアが小さく呼ぶ。

「失礼しました」

「いえ」

 フィリアは首を振る。

「……ありがとうございます」


 そのやり取りのあとで、部屋はもう一度静まった。


 たぶん、ここが境目だった。


 現場の人間が助かっていた。

 護衛騎士が必要性を認めた。

 ここまで並ぶと、“下働きの小娘が勝手にやっていただけ”では済まなくなる。


 そして、最後にフィリアが口を開いた。


「私も」


 その声は大きくない。

 でも、この部屋では何より重かった。


「私も、レティアさんの働きに助けられています」


 誰も動かない。


 フィリアは、机の上に置かれた紙束を一枚見た。それから顔を上げる。


「レティアさんがいるようになってから、私のもとへ届く前にほどけるものが増えました」

 静かな声だった。

「必要な判断だけを、前より見られるようになりました」

 彼女は一度だけ息を吸う。

「そして私は、その分だけ少し呼吸ができるようになりました」


 その言葉は、私にとって想像以上に重かった。


 助かっている。

 呼吸ができる。


 それを、聖女が、公の場で言った。


 私はそこで初めて、自分の指先が少し震えているのに気づいた。


 褒められたからじゃない。

 フィリアが、ここで、私を公に支える側へ一歩出たことが分かったからだ。


 まだ“守ります”ではない。

 でも十分すぎる。


 上位侍女の統括役が、言葉を探すように視線を落とした。

 神殿監督官も、さすがにすぐには切り返せない。


 押し切れなかったのだ。

 納得したわけではない。

 でも、ここで“それでも外せ”を通すだけの空気はもうない。


 勝った、とは思わなかった。

 そんな簡単な話ではない。


 ただ、外し切れなかった。

 それだけだ。


 そして、外し切れなかった人たちの不快は、たぶんきれいには消えない。


     ◇


 重たい沈黙が部屋へ落ちた、その時だった。


 扉が、急いて叩かれた。


「失礼します!」


 飛び込んできたのは伝令役だった。

 さっきの少年ではなく、もう少し年嵩の兵士だ。息を切らしていても、礼式だけは崩れていない。


「西方より緊急報告です」

 彼は封蝋つきの文書を差し出した。

「印章確認済み。西方大聖堂方面にて混乱あり」


 部屋の空気が、一瞬で別のものになる。


「内容は」

 バルドが問う。

「聖女名義の命令に不審な点があるとのことです。現地神殿と領主府が、対応に迷っております」

「聖女名義?」

 神殿監督官が眉を寄せる。

「偽命令か」

「断定はまだ。ただ、印章の扱いに通常と異なる点があると」


 フィリアの指先が、机の上で小さく固まる。


 聖女名義。

 それは、この部屋の誰にとっても、内輪の面子よりずっと重い言葉だった。


 小娘を外すかどうか。

 下働きが出すぎているかどうか。

 そんなことを言っている間に、西方ではもっと根の深い混乱が動き始めている。


 私はその報告書を見ながら、背筋の奥が静かに冷えるのを感じた。


 王都の中だけでは済まない。


 フィリアは報告書を受け取り、わずかに息を整えた。

 先日覚え始めたばかりの、小さな呼吸の戻し方で。


 アルフレッドはすでに次の動きへ備える目をしている。

 現場の人たちは、さっきまでの空気を忘れたわけではないまま、別の重さへ引き戻されている。


 そして上の人間たちは、押し切れなかった不快を抱えたまま、もっと大きな問題へ向き直らなければならなくなった。


 会議室の空気は、まだ重い。

 でもその重さの種類は、もうさっきまでとは違っていた。


 私は壁際で静かに拳をほどく。


 いま必要なのは、勝ち負けじゃない。

 西方で止まりかけている流れを、どう見るかだ。


 そのことだけは、たぶんこの部屋の全員が、同じ重さで理解し始めていた。

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― 新着の感想 ―
そろそろ、聖女さんがレティアさんにかわっただけの、 属人という原因に気づいても欲しい。 ここまで問題が表面化されていて、以前から仕組みが〜という話をしているのに、結局、人に依存する部分は変わらず、越…
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