動物達の園
午前八時、ガーリックが仕事の支度をしている。
その横で、にんにくは朝食の焼きマグロを食べていた。
『ピロン』
通知音に釣られ、にんにくがスマホを覗き込もうとした瞬間。
ガーリック「行儀悪い!」
ガーリックの叱咤に肩を跳ねさせ、にんにくは慌てて残りのマグロを口に放り込んだ。もごもごと飲み込み、画面を確認する。ニラからのメールだ。
『ルナリア動物園のチケットが手に入ったんだ 今日行こ。十時に僕の家に集合で』
にんにく「動物園か、たまにはオシャレでもしようかね」
にんにくは耳を揺らし、急いでシャワーを終え、髪を乾かした。
鏡台の前。にんにくは格闘していた。
櫛で髪をとき、三つの毛束を交互に重ねる。右を真ん中へ、左を真ん中へ。「あれ、どれが真ん中だ?」と首を傾げ、不器用な指先で何度も編み直す。ようやく形になった端っこをゴムで結び、満足げに鼻を鳴らした。
にんにく「よしできた」
クローゼットをひっくり返し、にんにくは両手に二着の服を抱えてリビングへ走る。
にんにく「動物園行くことになったんだが、足元キュッてなってるこのズボンか、足元ダボダボのこのスカートかどっちがいい?」
ガーリック「どっちでも良いわよ。」
にんにく「俺のセンス考えろよな」
ガーリック「……上着を先に決めなさい」
にんにく「そうするか」
その助言を受け入れ、再び自室へ。羽織付きのトップスを選び、にんにくは三度目の全力疾走でガーリックの元へ戻った。
にんにく「上はこれ で、下は?」
鏡越しに一瞥したガーリックが、観念したように口を開いた。
ガーリック「……それならスカートの方が、まだマシじゃない?」
にんにくは再び部屋に戻り着替え、またリビングへ行った。
にんにく「どうだ」
ガーリック「まぁ、……いいんじゃない?」
ガーリックの耳が少し垂れる。
にんにく「曖昧だな」
納得のいかない様子で鼻を鳴らすと、にんにくはカバンを背負い、腰に杖を差した。玄関の鏡に向かって一度だけ耳をピシッと立て直すと、そのまま勢いよく家を飛び出した。
整えた髪が風に揺られ崩れていく中、三つ編みだけは形を保ちながら身を任せている。
ニラの家に到着すると、にんにくは弾む耳を抑えながらインターホンを叩いた。少しして、スピーカーからノイズ混じりの冷静な声が響く。
『……まだ二十分ほどあるよ?』
にんにくは一瞬、言葉に詰まった。
にんにく「ニラか?なら急げ …ミオも連れて行こうぜ」
『元からミオも連れてくつもりだよ。それで今服を選んでて、ノックしても「入っちゃダメです」としか言わないんだけどね。あとね、君が早く来すぎたんだから、君が待つべきだよ、本当に。』
ぷつりと通信が切れる。
にんにく(まぁそりゃそうか)
手ぐしで髪をなんとなく整え直し、せっかくのスカートがシワにならないよう、玄関先で所在なげに耳を揺らしながら扉が開くのを待った。
ガチャリと扉が開いた。ニラとミオが出てきた。
にんにく「……悩んでた割には変わってなくねぇか?」
期待外れだと言わんばかりに、にんにくはミオを上から下まで眺めた。
パーカー、短パン、黒いタイツ。シルエットだけ見れば、昨日までと寸分違わない。
ミオ「全然変わってますよ。どれもいつもより『ぽりうれたん』の量が多いんですから」
胸を張りながら自慢げに言い放った。
にんにく「素材で悩んでたのかよ てかよく同じ見た目なやつ売ってたな」
ニラ「シトルイユにかかればこんなのどうってことないよ。」
にんにく「やっぱ有能だな」
ニラ「そうだね、そろそろ行こうか」
三人は歩き出した。気合の入ったスカートの歩幅に合わせるように、ニラとミオが両脇を固める。
にんにく「俺もミオも服選び拘ったけど、お前はどうしたんだ?たまには別の服でもいいだろうよ」
ニラ「僕はこの正装がいちばん落ち着くからね」
にんにくは改めて、ニラを上から下までジロリと眺めた。
隙のない襟元、重厚な生地、腰に木刀。学生服やスーツを彷彿とさせるソレは、遊びに行くための服というより、儀式にでも向かうかのような厳格さだ。
にんにく「そういりゃよくそんなので動けるな」
ニラ「慣れ」
にんにく「……だろうな」
それ以上聞くのは無駄だと悟り、にんにくは前を向いた。
しばらく歩いているとミオの足が止まった。にんにく達が振り返ると、パン屋の方をじっと見ている。
にんにく「どうした?腹減ったか?」
ハッと我に帰ったかのように、ミオの肩が跳ねた。
ミオ「……いえ、ただ、変わった人がいるなと思いまして」
ミオが指差す方向を二人は見る。
にんにく「……何も変わったことないだろ」
ミオ「そうですかね?体がでこぼこで、目が大きくて、とかげみたいです。……もしかしてリザードマンってやつですか?」
にんにく「お前のいた世界にもいたんだったら……いやいなさそうだな」
にんにくは、三つ編みの先を無造作に弄っている。
ミオ「リザードマン、はじめて見ました。強そうですね」
ミオは去り際まで名残惜しそうに振り返っていたが、ガラス越しにパンの生地を力強くこねているリザードマンを尻目に、三人はまた進んで行った。
ミオがまた立ち止まる。二人は「またか」と振り返り、その目線の先を確認した。
ミオ「あの人大きいですね。私より大きいです。」
ミオは、自分の頭がトロールの腰あたりにしか届かないことに気づき、その厚い胸板を見上げて呟く。
ニラ「あの人はトロールだね。力自慢な種族だよ。」
ニラは事も無げに答え、正装の襟元を軽く整えた。
ミオ「ご飯とかどうしてるんでしょう……」
にんにく「やっぱり腹減ってるのか?」
三人はまた歩き出した。途中、ミオが二人に尋ねた。
ミオ「そういえばお二人とも可愛らしい耳してますよね。」
ニラ「そうかな」
にんにく「だろ?」
にんにくは耳をぴくりと動かした。
ミオ「もしかしてお二人も珍しい……のですか?」
ニラ「珍しいかは分からないけど、僕達は亜獣人って分類だね。僕は熊族でにんにくが狼族。」
ミオ「アジュージンでクマでオオカミで。……なるほど、たぶん分かりました。そのアジュー…以外は。」
ミオは指折り数えながら呟き、最後は自信なさげに視線を落とした。
にんにく「分かってねぇじゃねぇか …てかあれか?」
にんにくが指を差す。「私立ルナリア動物園」と大書された看板がその先にあった。
ニラがチケットを三枚、受付に渡して、三人は中に入った。
にんにくは三つ編みの位置を無造作に直すと、迷いのない足取りで進んでいく。
ミオ「……そういえば動物園って初めて来ました」
物珍しげに、ゲートの先へと視線を巡らせた。
にんにく「俺もそんなに行ってなかったな……」
どこか遠くを見るような目で、ぼそりと呟いた。
ニラに続くように園内を歩いていく。屋根のある細い橋にやってきた。
ニラ「ここがサバンナゾーン。サバンナの動物たちがいるよ。」
ニラは橋の手すりに軽く手をかけ、眼下に広がる光景を指し示した。
見渡すと黄色い草原に、大型の肉食獣や蹄が自慢の草食獣が逞しく生きていた。
ミオ「キリンいますよ。本当に首長いんですね」
ミオは身を乗り出すようにして、悠々と歩くキリンの姿を目で追いかけた。
にんにく「…食われないのか?大丈夫か?」
にんにくは片眉を上げ、眼下の弱肉強食が混在する草原をいぶかしげに見下ろして、ニラに尋ねた。
ニラ「うん、大丈夫だよ。肉食動物達は皆いつもお腹いっぱいだからね。」
にんにく「へぇ〜」
にんにくは三つ編みの先を軽く弾きながら、どこか腑に落ちない様子で肉食獣たちを眺めた。
三人は橋を更に進んで次のゾーンへと向かった。
ニラ「ここはステップゾーン。馴染み深い動物が多いと思うよ。」
にんにく「ステップ?流石に一とか二とかのやつじゃないだろ?」
にんにくは耳を垂らしている。
ニラ「暖かい地域の草原のことだよ」
ニラは歩きながら、視線を前方の開けた景色へと向けた。
すると、ミオの目に鮮やかな生き物たちが映り込んだ。
ミオ「あ、馬…ペガサスですか?すごいですね …あっちはユニコーンですか。…普通の馬もいるんですね、皆さんかわいいです」
無表情な鉄仮面は崩さないものの、ミオは弾むような足取りで柵に寄り添った。その様子は、はしゃぐ幼子のようであった。
にんにく「馬は『かっこいい』だろ!あの脚の筋肉と凛々しい顔!それでいて優しい目!それをかっこいいと言わずして何になるんだよ!」
ミオ「かわいいになります」
ミオはユニコーンの輝く毛並みをじっと見つめたまま、即座に、そして淡々と断言した。
ニラ「……君ってそんな馬好きだっけ?」
にんにく「いや別に ……でもかっこいいとは思う」
にんにくは三つ編みの先をぶっきらぼうに指で弾き、顔を背けながらも、小声で自分の主張を付け加えた。
ニラ「だろうね」
ニラは短く、納得したように頷いた。
三人は次のゾーンへと進んだ。
ニラ「ここが砂漠ゾーンなんだけど……」
にんにく「あ?何もいないぞ?」
にんにくは耳をぴんと立て、殺風景な景色を見渡して鼻を鳴らした。
ミオ「隠れるのが好きなんでしょうか?」
三人が見渡しても、そこにあるのは薄茶色の大地。所々に枯れ草や小さなサボテンが点在しているだけだ。
ニラ「うさぎがいるはずなんだけどなぁ……?」
ニラは困ったように眉を下げ、耳を少しだけ垂らした。
にんにく「兎?そんなの雪山とかじゃねぇの?」
にんにくは片眉を上げ、そんなところにいるはずがないと言いたげに、ニラに問いかけた。
ニラ「いるはずなんだよ。胸元に三日月みたいな――」
ニラが話していると、ミオがまた指を差して叫んだ。
ミオ「あれじゃないですか?兎」
見ると、遠くの方に、丸い茶色の体と天に向かって伸びる二本の耳があった。間違いない、兎だ。
にんにくとニラは目を凝らしてその姿を捉えた。
にんにく「……マジでいるんだなぁ すげぇや」
にんにくは耳をぴんと立て、目を丸くした。
ニラ「ね、いたでしょ。……でもなんで一羽しか?」
ニラは安堵したものの、何かに気づいたように耳を少し傾け、広大な砂漠ゾーンを再び見渡した。
ミオ「よく見えませんが、たぶんかわいいんでしょうね」
ミオは遠くの茶色い塊をじっと見つめ、鉄仮面の下で静かに、しかし確信に満ちた声で呟いた。
『ぐぅぅぅぅ』
小動物の唸り声のような重低音が、突如として三人の耳に響いた。にんにくの肩が跳ねる。
ミオ「お腹すきました。ご飯食べましょう」
にんにく「やっぱ腹減ってんじゃん」
ニラ「じゃあフードコート行こうか。」
にんにく「お前のおごりな」
ニラは苦笑しながら二人を促し、三人はミオの腹の音を背に、フードコートへと向かった。
フードコートには複数の店が軒を連ね、それぞれに動物園らしい趣向を凝らしたメニューが掲げられていた。ミオは迷いのない足取りで、サンプルが並ぶカウンターの前へ進む。
ミオ「私、この『ホットダックス』っていうのと、『ジラフフライドポテト』と……あと、『揚げ鳥』にします」
にんにく「よく食うなぁ」
ミオ「筋肉を維持するのにはたくさんの栄養がいるんですよ。本に書いてました」
ミオは袖を捲り、左腕を曲げてみせた。一見すればか弱そうな細く白い腕だが、力を込めた瞬間に浮き上がったのは、想像もつかないほどがっちりと引き締まった鋼のような筋肉だった。
にんにくは、引き気味に視線をそらすと、カウンターのメニューを二度見した。
にんにく「あぁそうか……じゃあ俺はユニコーンアイスで」
ニラ「僕も」
三人は注文をし、席に着いた。
ミオ「そういえば、ホットダックスの……この黄色いのって……」
ミオの頬に汗がひとつ。
にんにく「ん?マスタードだなこれ 無理なら食うぞ?」
ミオ「いえ、食べます」
ミオは覚悟を決め、ホットダックスを掴むと大きく口を開けてかぶりついた。
――その直後。
鼻に抜ける強烈な刺激が、ミオの脳を直撃した。
ミオ「あ…から……やば………ぁ…………」
目にみるみるうちに涙が浮かび、先ほどまでの無機質な表情が、ボロボロと崩れ落ちた。
その姿を見て、にんにくとニラは眉を下げている。
にんにく「……アイス食うか?」
にんにくは自分のユニコーンアイスを差し出すようにミオの前に突き出した。
ミオ「!!食べます」
間髪入れず、鼻声混じりの声が返ってきた。
にんにくからアイスを受け取ると、ミオは一心不乱にそれを頬張り始めた。冷たさと甘さが舌の上で混ざり合い、火照った口内を癒していく。ミオは最後のコーンの一片まで、名残惜しそうに残さず平らげた。
ミオ「……ありがとう、ございます。おちつきました」
ようやく呼吸を整えたミオは、少し赤くなった鼻先を指で擦り、元の表情を……取り戻そうと必死に取り繕った。
にんにく「こういうのってハチミツのマスタード使われてそうな気がするんだけどな …ちょっと食ってみていいか?」
ミオ「ぜんぶどうぞ」
ミオは食い気味に、トレイごとそっとにんにくの方へ押しやった。
にんにくはホットダックスをゆっくり一口食べ、眉をひそめた。
にんにく「……やっぱりハチミツのマスタードだ」
にんにくはそのまま、残りのホットダックスを器用に平らげた。
落ち着きを取り戻したミオが「ジラフポテト」を淡々と口に運んでいた時、ふっと思い出したかのように座席から飛び跳ねた。
ミオ「稽古!行かなくていいんですか?」
にんにく「ん?あぁ、休む分には何も言われない」
ミオ「じゃあなんで初めて会った日に休まなかったんですか?あの時、休めば急ぐ必要があったかなと思うんですが……?」
ミオはポテトを口に咥えたまま、じっとにんにくの横顔を見つめた。正論すぎる問いかけに、にんにくは三つ編みの先を指で弄りながら、視線を泳がせた。
にんにく「……まぁ、うん そういりゃそうだな」
にんにくは泳ぐ視線の先で、なんとかこの正論を誤魔化せる「それっぽい理由」を必死に探していた。
にんにく「……あれだ、結局住める家が見つかったんだから結果オーライだ」
ミオ「なるほど」
ミオは納得したようにこっくりと頷くと、再び、手元の「ジラフポテト」の攻略に戻った。長いポテトを端から淡々と、しかしどこか満足げに食んでいく。
その様子を穏やかな視線で眺めていたニラだったが、ふと指先に冷たい感触を覚えた。
ニラ「あ……」
見れば、見入っている間にユニコーンアイスが溶け、指に一筋、パステルカラーの雫が滴っていた。
ニラ「……っ」
ニラは少し顔を赤くして、恥ずかしそうに急いで残りのアイスを口に放り込んだ。
そんな時だった。『ピンポンパンポーン』とアナウンスのチャイムが鳴った。それに続いてスピーカーから声が聞こえた。
『園内のお客様にお知らせいたします。
ただいま、砂漠ゾーンより『ユミハリウサギ』が三羽、出ていることが確認されました。
このウサギは大変臆病な性質で、急に動いたり追いかけたりすると、パニックを起こして思わぬ怪我をする恐れがございます。発見された際も、決して捕まえようとせず、そっと見守ってください。
個体の見分け方として、胸元に弓のような曲線状の、毛が生えていない部分がございます。
もし、胸元にそのような特徴のあるウサギを見かけましたら、お近くのスタッフへ静かにお声掛けいただくか、周囲の施設窓口までお知らせください。
皆様のご理解とご協力をお願い申し上げます。』
アナウンスの余韻が消える中、三人は顔を見合わせ、誰からともなく口を開いた。
にんにく「あそこにいなかったのはそういう事か?」
にんにくは、ミオに譲って空になったアイスの包み紙を指先でいじりながら言った。
ミオ「さっきの一匹だけは脱走しなかったんでしょうか」
ミオはポテトと揚げ鳥を咀嚼しながら、どこか不思議そうに呟いた。
ニラ「とりあえず、見かけたら報告しようか。」
ニラはポケットに手を拭いたハンカチを仕舞った。
二人がミオを待っている。ミオが唐突に口を開いた。
ミオ「……あ、にんにくさん、ポテト一本いりますか?」
口の中のものを飲み込んだミオが、一本だけ残ったジラフポテトの欠片をにんにくに差し出した。ホットダックスを代わりに食べたのと、アイスを譲ってもらったことへの、ミオなりの「お返し」のつもりらしい。
にんにく「……もらうわ」
にんにくは細く小さなポテトを口に運んだ。
にんにく「美味いな やっぱり揚げ芋は細切りだな」
それを聞いたニラとミオが驚いたように言った。
ニラ「あの太いやつの方が良いよ。皮が美味しいんだよ。」
ミオ「確かにその二つも美味しいですけど、やはりいちばんはあの薄くてカリッとしたやつですよ」
ミオは至極真面目な顔で、指で薄さを作りながら力説した。
にんにく「それポテチじゃね?」
ニラ「ポテチだねそれ」
ミオ「あれ」
ミオは指を止めたまま、瞬きをした。
ミオ「……ポテチも……、揚げた芋です……」
力なくボソボソと呟いた。
にんにく「確かにそうだが違うんだ それはさておきニラよ、お前、聞き捨てらないことを言ったよな?あ?」
にんにくはミオの『ポテチ、フライドポテト説』を強引に脇に追いやり、ニラに向かって凄んでみせた。
ニラ「誰が何を思おうが自由だよ。それでどちらが正しいかと争おうとするのは見苦しいよ。」
ニラは取り合わず、聖者のような落ち着きで諭した。
にんにく「一理あるわ すまん」
素直に謝ったにんにくを、ニラは何も言わず、ただ優しく見つめた。
にんにく「……でもよ、それならなんで細切りを否定したんだ?」
落ち着いて湧き出た疑問をニラに投げかけた。
ニラ「……ごめん」
ニラは少し困ったように視線を落とし、短く謝った。
ミオ「食べ終わりましたよ。行きましょう、次の場所に」
にんにく「んな大層に」
にんにくは呆れながら、空の包み紙が乗ったトレーを持ち上げた。
三人は席を外し、ゴミを捨て、次のゾーンへ向かった。
次のゾーンに到着して、ニラが口を開いた。
ニラ「ここは熱帯雨林ゾーンだね。」
にんにく「確かにジメジメしてるわ」
にんにくは湿気で少し重くなった前髪を手ぐしで整えながら言った。
ミオ「ねったいうりん……」
なにか引っ掛かりがあるのか、頭の中で反芻している。
ミオ「中学で習ったような気がします。雨が多いんでしたよね」
ニラ「そうそう。今日は雨降ってないみたいだけどね。」
三人が辺りを見る。背の高い草木に、色とりどりの花が咲いていた。
にんにく「あ!虎だ!……でもなんかちっちゃいな」
茂みの向こう、低い位置にいた虎を見つけてにんにくが声を上げた。
ニラ「熱帯雨林のトラはそんなもんだよ」
にんにく「ほーん」
にんにくは、どこか残念そうに、でも納得したように伸びをした。
「オイ!犬!犬!」
突然、後ろから声が聞こえた。
「オイ!そこの三ツ編ミ犬!」
にんにくの目に光が消える。両手には震えるほど力がこもる。
にんにく「俺は犬じゃねぇよ!!」
にんにくが怒って振り返ると、そこには一羽の大きなオウムがいた。
止まり木にどっしりと構えたその鳥は、面倒そうに首を傾げた。
「あんまり叫ブなヨ ウサギが逃ゲるだロ」
オウムは嘴で後方を示した。にんにくがそこを見ると、茂みの陰で一羽の兎が眠っていた。
「ユミハリウサギダ お前、飼育員呼ベ」
偉そうなオウムの物言いに、にんにくは眉間にしわを寄せた。
にんにく「そういう事か 後で覚えとけよ」
にんにくは捨て台詞を吐きつつも、状況を優先して背を向けた。
三人は近くにいた飼育員に声をかけ、無事に兎を捕まえてもらった。
オウムがいた場所に戻ると、まだオウムは立っていた。
にんにく「おう覚えてたか? 犬みたいに俺は家畜じゃないんだがな」
「フン、自己家畜化ノ極ミガ お前ノ狼成分ハ、その飾リ気ノある耳ニ少シ残ッている程度ダろうヨ」
にんにく「ジコ……なんだそれ」
にんにくはスマホを取り出して『じこかちくかとは』と調べた。画面をスクロールし、内容を飲み込む。
にんにく「……なるほどな、だが俺は狼なんだがな」
にんにくはスマホをポケットに放り込み、冷静に言った。だが、オウムはさらに嘴を尖らせて追い打ちをかける。
「鳥頭デすら分カる言葉ヲ、お前ハ検索シないと理解デきないとハ ……犬ト言ッた事ヲ謝ロウ」
オウムは一度羽を休め、冷徹な瞳でにんにくを射抜いた。
「お前ハ犬以下…、家畜未満ダもんナ」
にんにく「……あ?」
にんにくには余裕が無くなった。
にんにく「あー怒った、怒った 犬はいいよ、狼が進化した先だし 自己家畜化もまだいいよ、社会で生きるのに必要な進化みたいだし」
にんにくは一歩踏み出し、オウムの目の前で声を荒らげた。
にんにく「だからこそ家畜未満はダメだろうが!」
にんにくの剣幕に、横で見ていたニラとミオが顔を見合わせた。
ミオ「難しい言葉だらけですね。私には難しいです」
ミオは二人の言い合いに、少しだけ置いてけぼりな表情を見せる。
ニラ「でも、怒る理由としては最もだよ。」
ニラは冷静に分析しながらも、どこか呆れたように肩をすくめた。
しばらく言い争っていると、先程の飼育員がやってきた。
飼育員「無事砂漠ゾーンに入れられました 次、このようなことがないように精進いたします」
飼育員が話すと、それに続いてオウムも話し出した。
「全くダ お前ラのせいでこっちも被害ヲ被ッたんだゾ 朕モ探シたんだからナ」
飼育員「それはごめんよ おかげで助かったよ、ありがとう」
飼育員はオウムに笑みを浮かべているが、オウムの態度は変わらない。
「お前ラが管理ヲ怠ッているかラ、わざわざ感謝ヲ述ベねばならなくなるのダ 朕ハここに飽キたゾ 別ノ場所ニ行ク 上ノ奴ニ連絡ヲ入レロ」
飼育員は動物園を運営している「ルナリア」に電話をした。
『もしもし、ルナリアです。』
重厚だが、どこか優しさを感じさせる声が響いた。
飼育員「動物園スタッフのゼニゴケです 少し困ったことが起きまして……ゼレニアオオオウムについてなのですが」
ルナリア『どうしました? あの子は度々トラブルを起こすので、近いうちに別の施設へ移す予定ではありませんでしたか?』
飼育員「はい ですが、本人が今すぐここを去ると言い出しまして 直接ルナリア様に連絡を入れろと」
ルナリア『そうだったんですね。しかし、今日明日では施設との調整もつきません。あの子や、トラブルに巻き込まれたお客様には申し訳ないのですが……。もうしばらくは、そこに置かせてもらいましょう』
スマホから漏れるその困り果てた声を、にんにくの狼耳がしっかりと拾い上げた。にんにくはしめたと言わんばかりに、グイと身を乗り出して会話に割って入る。
にんにく「スタッフさん、引き取る話ならこいつがいけるぜ」
にんにくは親指で、隣にいるニラを無造作に指差した。
いきなり厄介事の引き受け先に任命されたニラは、目を見開いてにんにくを凝視した。その熊耳が、困惑で小刻みに震えている。
飼育員「本当ですか!? それは、その……こちらとしては大変助かりますが……」
飼育員は、窮地を脱すると言わんばかりにニラへ期待の眼差しを向けた。逃げ道を塞がれたニラは、天を仰いで短くため息をつく。
ニラ「……とりあえず親に連絡してみます」
ニラは渋々スマホを取り出し、慣れた手つきで電話をかけた。
『はい。ゼレニア王宮、執事室でございます。』
ニラ「あ、シトルイユ。僕だよ、ニラ。アサツキに用があって。」
シトルイユ『おや、王子。承知いたしました。ただいまアサツキ様に代わります。……アサツキ様ー! お電話ですよー! 王子からですー!』
執事らしからぬ、親戚の家のような気の抜けた呼びかけが響く。
電話の向こうから、バタバタとスリッパを鳴らして駆け寄るような音が聞こえてきた。
アサツキ『はいはいはい!はいもしもしニラどうした?』
スマホ越しでも分かるほど、アサツキの声は弾んでいた。
ニラ「あ……うん。あのさ、今、ルナリア動物園にいるんだけど」
ニラは、にんにくからの突き刺さるような「早く言え」という視線と、飼育員の祈るような目線に挟まれ、少し言い淀んだ。
アサツキ『動物園? ああ、今日行くって言ってたな。それで、何かあったのか? 怪我したのか?お金足りなくなったか?』
流れるような心配の波状攻撃に、ニラはスマホを少し耳から離す。
ニラ「いや、そうじゃなくてさ……。そこにいる変わったオウムを、飼っていいかなって」
アサツキ『……オウム?』
電話の向こうで、アサツキの思考が停止したような、奇妙な静寂が流れた。
アサツキ『ルナリア動物園のオウムか。私立である以上、私の立場からは法の観点からしか手出し口出しできないんだぞ?』
アサツキの声から、さっきまでの親馬鹿な浮かれ具合が消え、一国の主としての理知的な響きが戻る。
ニラ「そうでもなくて……、そのオウムがトラブルばかり起こすからって、引き取ってくれる人を探していたみたいなんだよ。」
アサツキ『なるほど、……で、そのトラブルの内容は?』
内容によっては国として預かるリスクがある、と言いたげなアサツキの問い。横で聞き耳を立てていた飼育員が、ニラの耳元で必死に補足した。
飼育員「……よく口論を起こしていましたね。オウムが、お客様を侮辱するような真似を……」
ニラ「……だって。聞いた?」
ニラが恐る恐る尋ねると、再び電話の向こうで間が空いた。そして、
アサツキ『ハハハハ! それは面白いオウムだな!』
スピーカーから、アサツキの堪えきれないといった笑い声が弾けた。王としての威厳はどこへやら、その声はただのいたずら好きの子供のようだった。
アサツキ『……そのオウムの種類は?』
ようやく笑いが落ち着いたようで、アサツキが興味津々に質問を続けた。
ニラ「確かゼレニア……オウム? とかだったような気がするけど」
アサツキ『あぁ、それは多分ゼレニアオオオウムだな。うちの国鳥だぞ』
その言葉を聞いた瞬間、にんにくが弾かれたように飛び上がった。三つ編みが宙を舞う。
にんにく「こんなのが国鳥なのかよ!象徴として終わってんな」
アサツキ『お、そこにいるのはにんにくか。今日は人助けの息抜きか?』
電話の向こうから、すべてを見透かしたような、いたずらっぽい声が降ってくる。
にんにく「……っ! まぁ、! まぁまぁ、そんな感じだ! うん!」
泳ぐ視線を誤魔化すように、自分の三つ編みの先を無意味に弄った。耳が落ち着きなくパタパタと動いている。
アサツキ『ははは、そうか。……よし、いいぞニラ。そのオウムを連れて帰ってこい。せっかくだし、とびきり凄い鳥かごでも買ってこようかな!』
電話の向こうで、アサツキはすでにカタログでも広げそうな勢いだ。
ニラ(なんでうちにばっか変なのが集まるんだろ……)
一昨日やってきたミオといい、今目の前でふんぞり返っている毒舌オウムといい。自分の周囲に渦巻く「厄介事」の引力の強さに、ニラは内心で深く、深いため息をついた。
ニラ「分かった」
ニラは静かに、呆れたような声で返すと、スマホの通話終了ボタンをタップした。
飼育員は、まだ繋がっていたルナリアへの報告を再開した。その手は、長年の悩みから解放される安堵でわずかに震えている。
飼育員「……ルナリア様、あのお客様がオウムを引き取ってくれると言っておられました」
スピーカーから返ってきたのは、穏やかで深く、どこか確信に満ちたルナリアの声だった。
ルナリア『ええ、始終聞いていましたよ。口が悪いと説明したときに、それを笑って流してくれるような王の元なら……。あの子も、きっと退屈せずに暮らせるでしょう』
ルナリアは、にんにくたちの喧騒や、アサツキの豪快な笑い声を、電話越しに楽しんでいたようだった。
ルナリア『ゼニゴケさん、移送の準備を。……王子、そしてお連れの方。あの子をよろしくお願いしますね。退屈が一番の毒になる子ですから』
その言葉に応えるように、オウムがニラの肩に乗った。
ニラは、「国鳥」の重みを感じながら、これからの王宮での騒がしい日々を予感して、一度だけ小さく息を吐いた。
―――――――――――――――――
動物園でのひと騒ぎがあって、三人は帰路についている。
ミオ「喋るオウム、かわいいです。ゼリニヤオオオオウム?でしたっけ?初めて聞くオウムですね」
ミオが、肩の上の鳥を物珍しそうに覗き込んで首を傾げた。
ニラ「『ゼレニアオオオウム』ね。さっき調べてみたけど、ゼレニア在来の魔鳥なんだってさ」
ミオ「『ゼレニアザイライノマチョウ』……すみません、ぜんぜん分かりません」
にんにく「お前なんにも教えてねぇのか」
にんにくが横から野次を入れるが、ニラは慣れた手つきでそれをスルーし、ミオに合わせて言葉を噛み砕く。
ニラ「いい?ゼレニアはここの国の名前。在来は昔からいることを指す言葉。魔鳥は鳥の魔獣のこと。……つまり昔からこの国に棲んでいる鳥だよ」
ミオ「ゼレニアは国の名前……、覚えました。ざいらいは昔からいる……、きっと大丈夫です。まちょうは魔獣の……」
そこまで反唱したところで、ミオの言葉がぴたりと止まった。
相変わらず無表情のままだが、ミオを包む空気が、一瞬で警戒の色に染まる。
ミオ「……えっ、魔獣なんですか? それって、大丈夫なんですか?」
「お前、そこの犬ッころよりも馬鹿ソうだナ」
肩の上でオウムが横やりを入れる。
ミオ「確かににんにくさんは私より頭良いんでしょうけど、私はまちょうなんていう危険なのは嫌ですよ。」
相変わらず警戒を続けている。もしこの鳥が少しでも怪しい動きを見せれば、その瞬間にすべての羽を引きちぎる。そんな静かな殺気が、ミオの周囲に漂い始める。
「お前、やっぱり馬鹿ダナ オウムのどこが危険ダと思ウんダ?」
あざ笑うようなオウムの問いに、ミオはほんの数秒だけ思考を巡らせ、小さく頷いた。
ミオ「……。確かに、オウムは危険じゃないと思いますけれど。でも、魔獣はやっぱり危ないのではないでしょうか?」
『オウム』という種族は受け入れつつも、『魔獣』というカテゴリーを論理的に切り離して警戒するミオ。そんな警戒に少し恐れるようにオウムは冷静に尋ねた。
「雀ハ危険カ?」
突拍子もない問いかけに、ミオは思考を巡らせる。
ミオ「スズメですか……?かわいいですよね」
「可愛イかは聞イていない 危険カ?雀ハ」
ミオ「……いえ。危険ではないと思います」
「ライオンは危険カ?」
ミオ「……危険ですね」
「じゃあアライグマはどうダ?」
ミオ「……危険じゃないのでは?」
「アライグマは危険ダ 荒イ性格ダしナ」
オウムはもっともらしく頷いてみせた。その尊大な態度に、ミオは思考の海に沈み込み、じっと自分の指先を見つめる。
ミオ「難しいですね……。もう一問、いいですか?」
学習意欲を燃やすミオがさらなる質問を重ねようとしたが、オウムは羽を苛立たしげに震わせてそれを遮った。
「馬鹿、そんな話ヲしているんじゃなイ」
ミオ「じゃあどんな話なんですか?」
ミオは表情一つ変えず、ただ不思議そうに首を小さく傾げて問う。その仕草には、悪意も敵意もなく、 純粋な疑問だけが宿っていた。
「お前ハ、何ガ危険で何ガそうでないかを見分ケられなイ なのに『魔獣ハ危険ダ』と最初カら決メ付ケる、驕ッた奴ダという話ダ」
オウムは勝ち誇ったように胸を張り、畳みかける。
「魔獣デない種デも分カらないのニ、よく分カった気ニなれるナ」
ミオは再び立ち止まり、オウムの言葉を一つずつ脳内で精査した。
アライグマも安全だと思っていたけれど、答えは違かった。自分には「危険」を正確に判別する頭が無い。その事実を突きつけられ、無表情の下で理屈が組み変わっていく。
ミオ「つまり、あなたは危険ではない、ということですか?」
一点の曇りもない真っ直ぐな問い。それに対し、オウムは深く、重々しく頷いてみせた。
「そうダ そもそも危険ナら飼育員ガ譲ラないだろうシ、この子熊モ引キ取ラないだろうヨ」
プロである飼育員が許可し、ニラが引き取る。これ以上の「安全証明」は、今のミオには必要なかった。
ミオ「……確かにそうですね。やっぱり私バカですね。」
表情は動かないが、その声には自身の浅はかさを恥じるような、静かな沈み込みがあった。
「ああ馬鹿ダ」
オウムは容赦なく、しかしどこか導くような重々しさで言い放つ。
「だからこそ自分ヲ疑エ お前ガ常ニ正シいとは限ラなイ 分カった気ニなるのが一番愚カダ」
にんにく(なんだこいつ、めちゃくちゃ真面目なこと言ってんな)
にんにくは感心したようにぼーっとオウムを見つめる。ニラはそれを見て頭を抱えた。
ミオ「……。自分を疑う。はい、肝に銘じます。ありがとうございます、チンさん」
ミオは深く、敬意を込めて小さく頷いた。先ほどまで羽をむしり取ろうとしていた相手を、今は「導き手」のように見つめている。ニラはさらに深く頭を抱えた。
「分カればいいんダ ……チンさん?」
勝ち誇った顔で頷いていたオウムだったが、その聞き慣れない響きに、わずかに首を傾げた。
「朕」という尊大な自称を、まさか親愛の情を込めた「さん」付けで呼ばれるとは。オウムにとっても、それは想定外のカウンターだったらしい。
ミオ「はい、だって『チンは……』って話してたじゃないですか。チンって名前なんじゃないんですか?」
「お前、救イようのない馬鹿ダ お前ノ名前ハ何ダ?」
ミオ「ミオです。十六歳、趣味はゲームとスポーツです。」
「お前ノ理屈ダと、お前ノ名前ガ『ミオ』じゃなくて『私』だと言ッているのだゾ。『朕』ハ名前じゃなク、一人称ダ」
ツッコミを入れるオウム。しかし、ミオは相変わらず首を傾げたまま、納得した様子はない。
ミオ「ワタシ……? 私はミオですけど、あなたはチンさんですよね?」
「違ウ 朕ノ『朕』はお前デ言う『私』と同ジだと言ッてるんダ そもそも朕ニ名前ハ無イ」
オウムは羽を逆立てて説明するが、ミオの思考はすでに次の段階へと進んでいた。
ミオ「じゃあチンさんって名前にします」
「嫌ダ」
ミオ「さっき言いましたよね。『自分を疑え』『分かった気になるのが一番愚かだ』と。……私は、あなたの名前が『チン』ではないという話を今、疑っています」
「そういうことでは無イんだガ……」
オウムは呆れたように羽で頭を搔くように撫でた。
「……分カった 朕ノ名前ハ『アオリンゴ』ダ それに決メタ 故ニ、朕ハ、チンではなイ」
ついに折れたオウムが、必死に思考を巡らせて自らの名前を口にした。それは、ミオからの「チンさん」攻撃を回避するための、オウムなりの最終防衛ラインだった。
にんにく「緑色の体で、煽りっぽくて、お前らしい良い名前じゃねぇか アオリンゴ」
にんにくが感心したように、オウムの鮮やかな緑色の羽をジロジロと眺めながら吹き出す。
ミオ「分かりました、チン……じゃなくて、アオリンゴさん。」
ミオは真っ直ぐな瞳で、新しい名前を刻み込むようにアオリンゴを見つめた。その眼差しは「師」への敬意か、あるいは「美味しいそうな名前の鳥」への興味か。どちらにせよ、アオリンゴは居心地が悪そうに嘴をカチリと鳴らした。
にんにく「じゃ、俺こっちのが近いし帰るわ」
にんにくは、自分の家へと続く道が見えたところで、ひょいと手を振ってそのまま耳を揺らしながら帰った。




