討伐
翌日、一睡も出来なかった僕は夜が明けて間も無く、すぐに町の中心にある一際大きな建物、『ギルド』へと向かった。扉が開くのを今か今かと待ち続けて、その日は誰よりも早く受付のカウンターに並んだ。
受付の人は交代制で、店長がブラックなバイト並みに入れ替わりが激しい。
ただ、この日は比較的見知った顔の女性が受付を行なっていた。ショートボブの爽やかな印象の女性だ。
僕が軽く会釈をして挨拶すると、いつものように営業スマイルを振りまいてそれに応えた。
そして、待ってましたと言わんばかりの手際で薬草採取の依頼をいくつか紹介される。
普段なら、そのまま紹介された依頼をいくつか引き受けていただろう。しかし、今日は違う。
僕は提案された依頼を断り、より上のランクの依頼を指差した。
受付の女性は僕より年上だが、まだ仕事の経験が浅く、受付を担当している人の中でも比較的若い人だ。だからこそ予想外の展開、つまり思い掛けない僕の行動に随分と困惑しているようだった。
受付の女性は心配そうな顔をしながら、上から下まで僕の風貌をじっくり観察すると『本当に大丈夫?』というったニュアンスの言葉を僕に言った。
この異世界の言葉は僕には分からないが、表情や仕草、状況を見ればなんとなく察しがつく。
僕は彼女の問いに自信を持って、この異世界の『はい』という意味の言葉で返答する。
受付の女性は困惑した表情で奥の事務室のような場所へ行き、上司と何かを話しているようだった。
しばらく待っていると、如何にも中間管理職ですといった風貌の、四十代くらいのきっちりとした身なりの男性が受付の女性と一緒にやってきて、僕に向かってあれやこれやと何か質問してきた。
言葉の意味は分からないが、何を言わんとしているかは分かる。
要するに、お前本当にこの依頼受ける気か? お前が死んでも何の責任も取らないぞ? と言った具合だろう。
そして、一枚の紙を僕の目の前で広げてある項目を指差す。
書いてある内容は読めないけど、何となく察した。やっぱり、上のランクの依頼は急には受けさせてもらえないらしい。とはいえ、僕も意地になって何とか身振り手振りで必死にアピールしていると、上司の男はため息をついてようやく一つの依頼を持ってきてくれた。
討伐依頼の中でも比較的優しめなものを、わざわざ僕のために選んでくれたらしい。
僕は中間管理職のおじさんの厚意に甘えることにした。
確かに、いくら能力の制御が上手くいったからといって、実践経験も碌に無い僕がいきなり討伐依頼を引き受けるのは、いささか無謀だった。
でも、この時の僕は所謂ランナーズハイというか、一睡もしていない影響も相まって妙なテンションになっていた。
根拠のない自信と、全能感。
今の僕は、出来ないことはないと言っても過言ではないほど、精神的に興奮していた。
その自信も、依頼を受けてすぐに脆くも崩れ去ることになる。
矢が当たらないのだ。
僕は必死に自分の能力の制御を訓練していたが、もっとも大事な部分を訓練することを忘れていた。
今回引き受けた討伐依頼は、兎のような見た目の魔物だった。
実際戦闘能力は低く、人に出くわすと一目散に逃げていくほどだ。
この町では農業が盛んで、畑を荒らす害獣としてこの兎のような見た目の魔物の討伐依頼が出ていた。
逃げ足は早いものの、討伐自体の難易度は非常に低い。
こちらが近づく前に一目散に逃げていくこの魔物を討伐するには、遠距離からの狙撃が望ましい。
だからこそ、僕にとってうってつけの相手だったはずなのに。
どれだけ火の矢を放っても、明後日の方向に飛んでいき、掠りもしない。
「はぁ……はぁ……こんなの埒が開かないよ」
さっきまでの威勢はどこへやら。もうすでに僕は弱音を吐いて地面に座り込んでいた。
そもそも弓矢を碌に扱ったことがない奴が、なぜ武器に弓矢を選んだんだ?
こんなことになるのは目に見えていたはずなのに。
昨日の能力のコントロール練習と火の矢が草に移って燃え広がらないように制御するのに、大分精神を削られていて、いつもより疲労感が凄まじい。
100メートル全力疾走をした後、ビル1階から非常階段で屋上まで永遠に上らされているような気分だ。
こんなことを繰り返していたら、とてもじゃないけど身が持たない。
そこで僕は考えた。矢を当てるのではなく、『矢そのもの』をコントロールすればいいと。
もう一度僕は魔物に向かって火の矢を放つと、それはやっぱり明後日の方向に飛んでいった。
しかし今度はその矢に意識を集中して、自分の飛ばしたい方向に無理やり軌道を捻じ曲げる。
正直、上手くいくはずの無い挑戦だったがこれまで無謀とも言える、能力をコントロールするための訓練が役に立ったというべきか。
あまりにも無茶苦茶な力技で、僕はこの困難を乗り越えた。
まるでブーメランのような挙動で、一度離れてから大きく弧を描くように飛んできた矢に、魔物も明らかに虚をつかれたようで、ほとんど逃げるそぶりもなく命中した。
「やった……!」
僕は心の中でガッツポーズをした。
しかし、火そのものでできた矢に殺傷能力は殆ど無く、ちょっと毛が焦げたくらいで、魔物はびっくりして何処かへと逃げ去ってしまった。
あまりにも惨めな結果に、僕の期待は大きく裏切られる結果になった。
その内、僕は魔物に完全に舐められてしまい、もはや僕の姿を見ても魔物の群れは逃げるそぶりすらしなくなった。
早朝から日が沈みかけるまで、僕は同じ魔物の群れと対峙し続けていた。依頼を受けてからもうかれかこれ、10時間以上が経とうとしている。
そろそろ何とかしないといけない。
とはいえ、いい案は中々思いつかない。やはり、僕にはまだ討伐依頼は早すぎたということなのだろうか。
早く何らかの対策を講じなければ、あの中間管理職のおじさんを、より一層憐れんだ目で落胆させることになってしまう。
刻一刻と迫るタイムリミットを前に、必死に僕は考えを巡らせた。質量のない火の矢に、殺傷能力を持たせるためには一体どうすれば良いか。
考えに考えて、僕は一つの方法を思いついた。
正直、行き当たりばったりすぎるし、本来なら何度も練習したのちに実践するべきだ。
こんなぶっつけ本番見たいな展開は僕の性格的に好みじゃ無かったが、いちいち愚痴を言ってられる暇もなければ、好みなんて選んでいる余裕もない。
やるしかないんだ。無茶でも、無謀でも。
やらなきゃ、飢えて死ぬまでだ。
僕は覚悟を決めて火の弓矢を構えて狙いを定める。
思いっきり引き絞り、勢いよく離すと、火の矢は勢いよく飛んでゆく。もちろん矢は狙いから大きく外れていった。
次に僕は火の矢に意識を集中し、コントロールする。すると、矢は軌道を変えて大きな弧を描きながら目標へと向かってゆく。
魔物はそんな僕の矢を気にするそぶりすらしていない。それは僕にとって好都合だった。
飛んでいった火の矢は魔物に命中する。
その瞬間、僕は一瞬だけ感情を爆発させた。
不甲斐ない、惨めで、無力だった『あの日』の自分を思い出した。
僕は一瞬だけ、怒りの感情を解き放つことで意図的に力を暴走させ、火の矢の威力を底上げする方法を思いついた。ただし一瞬だけとはいえ、意図的に力を暴走させるのは非常にリスキーではあった。
しかし、僕の不安をよそに、それはどうやら上手くいったようだ。
一拍、遅れて爆発音が聞こえる。一瞬何が起きたのか分からず、僕は尻餅をついてしまう。
轟音と共に土煙が立ち上り、雨のように土塊が頭上に降り注いだ。
焦げたような匂いと、生臭い土の匂いが周囲に立ち込める。火の矢が着弾した地点には、小さなクレーターが出来ていて、その中心に焼けこげた魔物が一匹。
周囲に群れを成していた魔物共も、鳴き声を上げながら一斉に散り散りに逃げていく。
ぶっつけ本番で、とんでもなくリスクの高い方法だったけど、一応成功はしたようだ。
「は、は…は…やった。はぁー……疲れた」
僕はその場に仰向けになって倒れ込んだ。
僕はこの日、初めての討伐依頼を達成し、報酬を手に入れることが出来た。
その報酬はなんと2000ギリカだ。
この異世界で初めて、こんなに多くのお金を手に入れることが出来た。嬉しくてその場で小躍りしてしまいそうになったが、慣れないことをし続けたせいか疲労でクタクタになり、報酬を受け取るとその場でへたり込んでしまった。
立てるようになるまでおよそ1時間ほど放心していたところ、呆れられたのかギルドのスタッフに抱えられるようにして無理やり入り口まで歩かされた。
その日の夜、僕は初めて宿に泊まることが出来た。数ヶ月ぶりのお風呂を堪能し、ぐっすりふかふかのベッドで寝ることが出来た。
僕はこの異世界に迷い込んでから、初めてまともに眠れた。