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中篇

 中に通されると、店内は多くの人で賑わっている。

 僕たちのようなサラリーマンや、女子会の様相で話に花を咲かせるおばあちゃんたち、端の席で昼からビールを楽しむ男性など、皆思い思いにそれぞれの時間を過ごしていた。


「和泉くん、どれにする?」


 部長にメニューを渡されて、僕は頭を悩ませる。

 初めての店だと何を食べれば良いのか迷ってしまうのだ。決めかねた僕は「部長は何にするんですか」と聞いた。


「私はおかめそばにしよう」

「では僕も、それで」


 同じものを頼むなんて嫌がられるかと一瞬不安が(よぎ)ったが、部長は何の感情も見せず、事務的におかめそばを二つオーダーする。一つ任務が終わったことで人心地が付き、僕はテーブルの上のお茶に手を伸ばした。

 ちらりと目の前の同行者の様子を窺う。部長は何をするでもなく、中空を見つめている。店内は賑やかなのに、僕たちの間にだけは小さな沈黙が佇んでいた。この和やかな空間の中で異質な存在で居続けることに耐えきれず、僕は口を開く。


「――お昼は、いつも外ですか」

「うん」


 大して中身のない問いに、部長は最低限の反応をした。

 まさかこのまま会話が終わってしまうのでは――そう僕が危惧(きぐ)をしたところで、部長が次の句を続ける。


「食べるのは好きでね。社員食堂も悪くないけれど、時間がある時は外に食べに行くようにしているんだ。この店は企画室長に教えてもらった」

「企画室長ですか」

「夜は予定が入っていても、ランチタイムは空いているという人多いからね。異動当初は色々な部署の人たちと食べに行ったよ。時間も決まっているし、効率的に関係性を深められる」


 成る程、偉くなる人の思考法だ。ランチタイムをそうやって活用するなんて、僕は考えたこともなかった。


「その……すごいですね、鴫原部長は。僕と違って」


 思わず口から(こぼ)れたその言葉が、部長の視線を僕に向ける。

 そこで初めて、僕は自分が口走っていた内容に気付いた。


「あ、変なことを言ってすみません。その――僕は入社してもう4年目ですけど、特段仕事ができるわけではないですし、日々の仕事を何とか回すのがやっとで……今日の会議の資料も夜通しやって何とか形になったというような体たらくなので……」


 そこまで言って、僕は曖昧(あいまい)に笑って口を(つぐ)む。

 自分でも何を言いたいのか、よくわからなかった。徹夜明けの頭は、いつにも増して回転が鈍い。こんなことを言われても、部長は困るだけだろう。

 またあの沈黙が戻ってくるのか、そう内心諦めたところで――「別にすごくはないよ」と部長が言った。


「今でこそ部長なんて偉そうにしているけれど、私は新人の頃出来が悪くて沢山(たくさん)ミスをしたし、会社を辞めてやろうと思ったことだって一度や二度じゃない。短気で面倒くさがりで、できるだけ無駄なことをせず楽できるように自分なりのやり方で進めてきたら、今のポジションに居たという感じかな」


 部長はお茶を一口(すす)る。


「人にはそれぞれ良い面も悪い面もあって、それは一つの鏡のようでもある。私の面倒くさがり(ゆえ)の発想が、効率的な仕事のやり方に繋がっていくように。そういう意味で、先程和泉くんは仕事ができるわけではないと言ったけれど、そんなことはないと思うよ。時間がかかるのは丁寧さや慎重さの表れだと思うし、それは私にはないものだから」

「……あ、はい」


 僕は返す言葉を見付けられなかった。どちらかと言えば冷たく見える部長から、そんな言葉が出てくるなんて思わなかったからだ。

 そんな僕の戸惑いを断ち切るように「おかめそば、おまちどおさま」と丼が運ばれてくる。


 テーブルの上に置かれたおかめそばは、盛り沢山の具が綺麗に並べられていた。

 湯葉、しいたけ、なるとにかまぼこ、(たけのこ)とほうれん草の間に横たわる大きな玉子焼き……目の前の彩りに反応するように、なかったはずの食欲にぐらりと火が灯る。


「いただきます」


 汁を啜ると、濃いめの出汁(だし)の味が僕の味覚を刺激した。

 我慢できずにそばを手繰(たぐ)る。細めのそばはつゆを(まと)っていても、しっかりとその味を主張していた。こんなにそばらしいそばを食べたのはいつ振りだろうか。ふと、実家の両親たちと食べた年越しそばの味を思い出した。初めて食べたはずなのに、何だか懐かしい――そんな味だ。


 もう一度そばを持ち上げると、黒い彩りが加わっていることに気付く。どうやら具の下に海苔(のり)が隠れていたようだ。何だか得した気分になった。

 ほうれん草の歯ごたえがしゃくしゃくと嬉しい。こんなに野菜であることを全身で主張しているというのに、全く違和感がない。しいたけを噛むとつゆが口いっぱいに広がった。次はどの具を食べようか、楽しくなってくる。


「和泉くん、ゆず七味使う?」


 部長から差し出された七味を振りかけてそばを啜ると、かぐわしいゆずの香りが上書きされた。

 単なる会社の昼休みなのに、とても上質な時間を過ごしているような――そんな気分に酔う。


 最後に取っておいた玉子焼きの甘みを堪能(たんのう)していると、そば湯が運ばれてきた。

 あたたかいそばにそば湯を入れるのは初めての経験だが、見様(みよう)見真似(みまね)で入れてみる。恐る恐る口にすると、最初に啜った汁に具とそばのほのかな味わいが溶け込んでいて、満足感がよりいっそう膨らんだ。

 目の前の鴫原部長も綺麗(きれい)にそばを平らげている。

 僕が食べ終えたことに気付いて、部長が小さく「ごちそうさまでした」と呟いた。


 店を出て、オフィスまでの道を戻る。

 僕と部長の間には変わらずに静かな空気が佇んでいるが、行きの時に感じていた一種の息苦しさはなく、それはとても自然なものに感じられた。

 だから、僕も気負うことなく、言葉を吐き出すことができた。


「とてもおいしかったです。ごちそうになってしまって、すみません」

「別に良いよ。こちらが付き合わせたんだから」


 少しつっけんどんに聞こえる台詞も、今の僕には気を(つか)わないで良いように感じられる。

 同じものを食べて、通じ合うものができたんだろうか――そんな風に考えられるくらいには、気持ちが穏やかになっていた。

 きっと部長自体は何も変わっていないのだろうから、もしかしたら僕が変わったのかも知れない。


「ちなみに、和泉くんはいつもお昼どうしているの」

「僕ですか? そうですね……最近は食べないことが多いです。恥ずかしい話ですが、仕事に追われて食べる暇がなくて」


 そう答えると、部長が真面目な顔でこちらを見た。


「仕事は大事だけれど、食も大事にした方が良い。食欲が無いのなら無理しなくても良いけれど、せめてお昼は好きなものを食べなさい。でないと、心がすり減ってしまうよ」


 信号が赤になり、僕たちは立ち止まる。


「おいしい食事は心に余裕を作ってくれる。それはきっと、周囲の人間だけでなく――和泉くん、君のためにもなる。仕事は他の誰かにもできるけれど、和泉くんの代わりは誰にもできないのだから。自分を犠牲にし過ぎないこと、それだけは気を付けるように」


 車が行き交う道路をバックに、鴫原部長は僕にそう言った。

 その眼差しには、普段の部長にはない感情の熱が(くすぶ)っている。

 切実さをも内包したような言葉の温度にあてられて、僕はただ頷くのがやっとだった。


 すると、部長はいつもの涼しい顔に戻って「まぁ、余裕のない職場を作ってしまっている私の責任もある」と言う。

 どうリアクションして良いかわからずに戸惑(とまど)っていると、部長が「こういう時は『そんなことないですよ』と言うものだよ」としれっと続けた。

 何だかそれがおかしくて、僕はつい吹き出してしまう。


 ――気付けば、信号が青になっていた。


 ***


 それからあっという間に時が過ぎていき、季節はもう次の春に差し掛かっていた。

 僕たちの職場には秋に新しい主任がやってきて、これまで僕が一人で回していた仕事を少し分担してくれている。

 お蔭でだいぶ僕の負担は減って、さすがに徹夜で仕事をしなければならない状況からは脱することができた。


 そんな中、僕は鴫原部長の言い付けを守り、必ず昼食を取るようになっていた。

 時間がない時は朝コンビニで買ってきたお弁当を、少し余裕がある時はオフィスを出て、行ったことのない店を開拓したりもした。


 その内、段々と仕事の効率が上がっていることに気付く。

 際限(さいげん)なく仕事をしていた時は正直なところ集中力も落ちてしまっていたが、適度に休憩を挟むことで脳もリフレッシュできているらしい。

 それ以外にも仕事の進みが悪い時には思い切って帰ったり、できるだけメリハリを付けるようにした。


 そうなると自分の不健康な生活も気になってくる。

 以前は仕事かそうでなくても寝てばかりいた週末に予定を入れて、学生時代の友人たちと運動したり、人と逢う時間を作るようになった。たるんでいた身体(からだ)も少しずつ締まってきて、気持ちも上向きになってきたように思う。

 毎日が良いサイクルで回り始めている――そんな風に思っていた、或る日。


「和泉、4月に広島の工場への異動が決まったから」


 ――課長に呼ばれ、そう示達を受けた。


 いつかその日が来るだろうと覚悟していたつもりだった。

 もうすぐ入社して丸4年が経つ。

 20人居た同期の内3人が辞め、そして同じく別の3人が既に転勤している。そう思えば、僕だっていつ異動しても不思議じゃない。


 しかし、いざその時を迎えてみると、もやもやとした形のない不安が少しずつ僕を侵食していくのを感じた。

 たまたま都下に実家があり、これまでの人生を全てこの東京で過ごしてきた僕にとって、広島は未知の場所だ。

 その上、やっとこの本社での仕事に慣れてきて、色々なことが上手くいき始めたところだったのに――気持ちの整理が付かないまま、ただ日々だけが過ぎていく。


 そして異動を2週間後に控えた金曜日、僕はばたばたと業務に追われていた。

 僕のポジションには、工場の1年先輩が来る――つまりバーターというやつだ。先輩から届いた引継ぎ資料はきちんと作り込まれていて、僕の作ったマニュアルもどきとは雲泥(うんでい)の差だった。


 たまたま課長は出張、主任は有休で不在にしており、従業員からの問合せに対応しつつ、飛び込みで隣の課から頼まれたデータを探し、その合間に引継ぎ資料を作って――限界を迎えた尿意に対処すべくトイレに行って戻ってくると、既に時刻は17時を迎えていた。

 気付けば、あれだけ毎日食べようと心掛けていた昼食も食べ損ねてしまっている。

 疲れ果てた僕は大きく溜め息を()いて、深く椅子に腰掛けた。

 4年間居た職場でもこんなにいっぱいいっぱいで、僕は果たして新しい環境で上手くやれるのだろうか――。


「――和泉くん、少し良い?」


 不意に僕の鼓膜を、凛とした声が揺らす。

 顔を上げると、そこには鴫原部長が立っていた。

 多分ひどい顔をしているであろう僕のことを冷静な眼差しでじっと見つめて、そして――部長はその真面目な表情のまま、命令を下す。


「今日は定時に出よう。行きたい場所があるから」

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― 新着の感想 ―
[一言]  サイズの小さい短編なら、昼食をちゃんととるようになって、生活が変わったところで終わっていたのでしょうね。  サイズのより大きい物語だからこそ、もうひと転がり。  素敵な部長を、もう少し楽し…
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