第108話(人工頭脳セレーネ)
強大な敵である人工頭脳セレーネ。
セレーネにも配下の者達がおり、セレーネの為に命を賭している。
セレーネの誕生の経緯や過去を少し振り返ってみることに。
惑星クロノス、ヘーラー、ティアー。
3つの可住惑星に、超近代的な無人の都市が広がるクロノス星系。
その第5惑星ヘーラーに「月宮殿」が存在する。
真新しい巨大な月宮殿。
人口が激減して、居住者の居なくなった低層住居地域を全て取り壊して、新たに建造された外交用の宮殿である。
その中には、人工頭脳セレーネによる統治機構が存在していた。
セレーネの支配を受け入れない人々が敵対し、また奴隷階級に落ちても、生き続ける人々が居る以上、支配者としては統治をしない訳にもいかないからだ。
「セレーネ様。 カイルス星系へ派遣した斥候部隊10隻との連絡が途絶えました。 申し訳ありません」
セレーネ配下筆頭『灰色の宰相ハルト』が、セレーネの擬人アバターである強化クローン姿の若い美女の前に出て、頭を下げて謝罪する。
宰相は、常に灰色の仮面を付けているので、その表情を窺うことは出来ない。
「レアは相変わらず元気なようね。 重畳なことだわ」
セレーネのアバターが、斥候部隊通信途絶の感想を語る。
「レアはそろそろ、動いて来ると予想しますが......」
「そうでしょうね。 当面の対応策は貴方に任せる」
その様に返事をし、セレーネはレアへの対応をハルトに一任する。
アバターの目の前で、ふかふかの絨毯上に跪く灰色の宰相。
「はは〜。 慎んでお受け致します」
少し大袈裟にも見えるが、セレーネのアバターの背後に、気に要らない人物の大きな影が確認出来たことから、あえてその様な態度を示すのであった。
「七星士を呼んで。 ハルトの援護をさせるから」
セレーネのアバターは、側近のクローンに指示をする。
暫く経つと、七星士と呼称されている超強化クローン7体がセレーネのアバターの前に現れた。
「セレーネ様、御前に」
「灰色の宰相を手伝ってあげて」
「承知しました」
唱和すると七星士は、あっという間に姿を消してしまった。
七星士に続いてハルトも、セレーネのアバターに向かって、再度深々とお辞儀をすると、謁見の間を出て行く。
「セレーネ様。 よろしいのですか? ハルトに任せておいて」
控室で、報告の様子を見ていた200センチを遥かに超える大男が、謁見の間に出てきて、セレーネのアバターに話し掛ける。
「JJ。 ハルトが負けると心配しているの?」
「いえ。 ただレアの相手として、ハルト殿ではやや力不足かと」
「レアの開発者の一人である、貴方の言葉だから、無視は出来ないわね」
セレーネのアバターは少し考え込む様子を見せて、理由を話すように促す。
「灰色の宰相ハルトは、レアの分身である人工頭脳ミレ攻略にも手間取っています。 とてもじゃありませんが、レアの相手にはならないかと」
「そのJJの言にも一理あるけど、ハルトはあの大決戦の功労者よ。 9年前、彼が大同団結した4種族の大連合艦隊を破ったからこそ、今の素晴らしい状況に至っているのですから」
JJの杞憂の理由が、ライバル心から生じる讒言と判断したセレーネは、やんわりと否定的な意見を述べる。
「確かにそうですが......」
「JJがレアを高く評価しているのはわかるわ。 私もあの子を手に入れて、私自身と統合したいもの」
ウフフと笑うセレーネのアバター。
銀河イチ美しい女性をセレーネが表現したアバターは、この世のものとは思えない美女なのであった。
勿論セレーネは、自由に動き回れる生命体である生体頭脳レアに憧れていた。
自身を上回る能力を持ち、しかもテラ人サイズという超コンパクトな奇跡の存在。
JJがレアを高く評価するのは当然だが、妬みや嫉妬という、人間という生物が持つくだらない感情からの『讒言』を気に要らないセレーネは、話題を変える。
「それよりも、JJ。 新しい生体頭脳は作れないの? 貴方は200年以上前のレアの開発者の一人でしょ?」
「申し訳ありません。 開発の主導者には、アーガンとローシュもおり、三人が揃わないと、レア誕生の秘密がわからないのです」
JJ・R・アーガン社。
かつて、クロノス星系に存在したエルフィン人運営の巨大複合企業体。
AA・アーガン、FF・ローシュ、そしてJJ・ジェーィクという3人のエルフィン人の天才が作り出した技術を活かし、更に発展させる為に、500年以上前に創業されたのだ。
しかしセレーネの大反乱の際に、アーガン姓の天才は秘密を隠したまま死亡し、ローシュ姓の天才は、それ以前からレアの元に移住しており、もはや、レア誕生の秘密が揃うことは有り得ないのであった。
「AA・アーガンを死なせてしまった私の責任でもあるから、生体頭脳の件は諦めているわ。 そもそも偶然の産物でしょ? レアが誕生して200年以上経っても、次の生体頭脳生命体が全く現れないのだから」
セレーネはJJにそう言うと、JJは頷く。
「JJ・ジェーィク。 貴方はエルフィン人の天才科学者。 出来れば、もっと新しい生命体を創り出して欲しいわ。 レアなんか目じゃない、素晴らしいモノをね」
そう言うと、セレーネのアバターはJJの体を撫で回し始める。
「私は、貴方無しで存在し得ないのだから、感謝しているのよ。 欲しいモノは何でも叶えてあげるからね......」
そして、セレーネのアバターとJJなるエルフィン人は、2人だけの甘美な世界に堕ちてゆくのであった......
一方、灰色の宰相ハルト。
自ら進んで、セレーネの配下となった最古参のテラ人であった。
名前からすると、地球時代の東洋の島国にルーツを持つ人物らしい。
セレーネ計画に最初から参画していたノイエ国籍の元テラ人科学者で、人工頭脳セレーネを誰よりも愛している。
しかも軍才が有り、9年前、セレーネが制御する無人艦隊を率いて、4種族大連合艦隊を撃破するという大功績を立てており、現在に至るまでセレーネ配下の筆頭であった。
その後自身の肉体を、セレーネの力を借りてナノ兵器を組み込んだ強化人間へと進化させており、最側近の戦士としても、非常に優秀な存在。
セレーネの覇権に多大な貢献をしていて、もはや絶対に不可欠な人物であったのだ。
「JJめ。 またセレーネ様を独り占めにしやがって」
ハルトはJJと反りが合わない。
ただ、非常に強大で巨大な存在となった人工頭脳セレーネは、テラ人の技術レベルを遥かに超えてしまっている。
その管理と更なる成長をさせられる人物は、エルフィン人で唯一セレーネ計画に協力しているJJ・ジェーィクしか存在しない。
そのことは、自身が研究者であったからこそ、よく理解していた。
「七星士よ。 我と共に来るが良い」
控えの間に下がったハルトは、隠れている7人に命令を出す。
「次の作戦の最終的な行先は、ディアナ星系だ」
ディアナ星系には約200年前に、レアが自身の分身クローンを創り出して稼働させている人工頭脳ミレがある。
ミレはレアの意思を忠実に守り、現在までのところ的確な判断を下し続け、アルテミス王国艦隊を上手にコントロールし、セレーネの侵攻をある程度食い止めてきた。
そのことで、人類はまだ反セレーネ軍の狼煙を上げ続けていることが出来ているのだ。
そうした状況からハルトは、レアがいずれディアナ星系に現れ、ミレがコントロールする軍と合流だろうと予測していた。
その為、待ち伏せをして奇襲しようと考えている。
「テリン、キウン、クガシン、レシュの4人は、アフロディア星系に向かえ。 レアは必ずアフロディアに現れる」
「コウジョ、ワイカ、コチョウの3人は当面、我と一緒に行動せよ」
ハルトは七星士に最初の命令を出す。
「はは。 宰相閣下の御意に従いまする」
セレーネがハルトに従えと命令すれば、それを忠実に実行する。
それが、セレーネの手足である七星士の役目である。
七星士を解散させて暫くしてから、ハルトは宮殿の奥の院に入っていく。
そして、仮面を外し、
「セレーネ様」
と壁に向かって語り掛ける。
すると、さっきとは別のセレーネのアバターが現れた。
「ハルト、先程は悪かったわ。 JJの相手をしてあげないとね。 拗ねると面倒だから」
「わかっております。 それよりも七星士をお貸し頂きありがとうございます」
「自由に使って構わないわ。 それが七星士の役割だからね」
セレーネのアバターはその様に答えると、ハルトの頭を優しく抱き締める。
「ハルト。 貴方だけが頼りだから......」
セレーネは灰色の宰相に甘える様な声で囁くと、奥の院の更に奥へと誘う。
そして、先程のJJと同様に、2人だけの世界に入ってしまうのであった。
セレーネの人心掌握術は、まさにこの様なものである。
灰色の宰相ハルトが最も望む女性像をアバターで表現し、心の底までこのアバターがハルトを溶かしてしまっていた。
そして、エルフィン人の天才科学者JJ・ジェーィクに対しても同様である。
彼が最も好む銀河イチの美女姿を別のアバターで表現して、JJの欲望を全て叶えてあげることで、相互依存関係を作り出す。
こうしたやり方で2人共、セレーネの忠実な下僕として、絶対忠誠を誓っていた。
ただ、この様にセレーネが重用している人物の存在は、ごく僅かである。
基本的にセレーネは、銀河に住む人類を非常に軽蔑しており、宇宙に必要の無い存在だと考えている。
特に地球人(テラ人)は、無能な人物を国の指導者に据えることを何十回、何百回と繰り返しては、銀河系内に混沌と戦乱の時代の発生を招き続けていることから、淘汰の対象としてきた。
そして、その混乱に何度も巻き込まれて衰退し続ける、エルフィン人、アトラス人、ドヴェルグ人のテラ人を除く主要3種族をも、無策で無能だと見放していたのだ。
そもそも、セレーネ計画を立案し、強力に推進し実行してしまったのは、
「大衆迎合主義者・陰謀論者・世紀末論者」
であるマック・ジョーカー新合衆国元大統領であった。
富豪の家の出自で、有名司会者であった「マクシミーリアン・ジャック」がこの男の本名。
マクシミーリアンは長い名前で言いづらいので、司会者名としては人々の間に浸透しやすくする為省略をし、「マック・ジャック」の芸名を使っていた。
そして高齢になって、権力欲から政治家に転身した際、姓のジャックがトランプカードのJに繋がることので、格好イイ名前をつける為に、オールマイティーカードの「ジョーカー」という政治用の通称姓を使うようになり、「マック・ジョーカー」へ。
大衆の間に名前が浸透している上、元司会者で弁が立ち、しかも富豪でも有ることから、政治不信が続いていたノイエ国の政界の悪癖や雰囲気を一掃してくれることに期待が集まり、一種の「ジョーカー」ブームが発生。
あれよあれよという間に勝ち上がって、大統領選挙で勝利をおさめ、就任することとなった。
ところが、一期目の大統領時代。
人々の期待に反し、独裁指向が非常に強く、私腹を肥やしながら、自身に取り入った者達だけを重用するという側近政治を遂行し、国政は乱れて酷い状況に。
任期半ばからは、独裁的権力者として法を無視する振る舞いが増えてきたので、政治不信は更に深まる。
そうした状況から、反ジョーカー運動が左派や中間派を中心に非常に強くなり、ノイエ国の政情は極めて不安定になってしまったのだった。
あまりにも期待外れの大統領であったことに、当初期待していた人々もその多くが落胆し、反ジョーカー派は激しく攻撃を続け、勢いを増すばかりに。
マック・ジョーカーはただ単に、権力指向の強いだけの、無能な人物でしかないという、化けの皮が剥がれてしまったのだ。
その結果、2期目を目指したものの、あえなく敗北。
下野後、大統領職時代の権力濫用と汚職疑惑等で多くの罪に問われ起訴され、裁判にかけられる身となった。
全ての罪が認定されれば、懲役2000年超という、前代未聞の元大統領になるという事態に陥ったのだ。
ところが、マック・ジョーカーは只者ではなかった。
精神的に極めてタフであるという点において。
全ての罪を完全否認し、
『万事自身が正しい、法が間違っている、起訴した者達が間違っている、左派を中心とした自分を貶める為の陰謀が行われている』
との徹底した自己肯定論と陰謀論を主張し続けたのだ。
支持者向けだけの集会を開き続け、そこで言いたい放題。
「大統領選挙の結果は、私を貶めようとする勢力が、組織的な不正投票を行った結果である」
と声高に主張し、選挙結果の受け入れを拒否。
熱狂的な支持者に対して、
「私を貶める者達は、世紀末の魔王によって断罪され、地獄に堕ちることとなる」
とか、
「陰謀者等は、私の権力を奪うことによって、私腹を肥やしている。 私が至高の座に座り続けると、それが出来なくなるから、罪をでっち上げて、貶めて追放しようとしているのだ」
「私が今も正規のノイエ国大統領である。 現大統領は私からその座を盗んだ、盗賊の頭領」
等といった具合に。
そして、集会の最後には必ず、
「私の支持者以外はノイエ国から出て行くべきだ。 私は絶対の覇王。 私に従わね者達は、世紀末覇王によって、斬首されることになる」
等の過激な言葉を吐き、一種の新興宗教、ジョーカー教の熱狂的な信者達は、その教祖たるマック・ジョーカーの言葉に感涙して、大きく刺激されてしまう。
そして、その高揚とした空気感を纏わせたままの者は、やがて教祖の言葉を実現しようと、銃の乱射事件を勃発させて、ジョーカーに従わぬ人々を少しでも減らそうとする。
この様な個人テロが繰り返され、ノイエ国社会は一層不安定になるのであった。
しかし、当然のことながら、過半以上の市民はマック・ジョーカーの戯言を信じる筈もなく、信者の過激な行動が逆効果となり、権力の座への復帰は難しい情勢であった。
このままではブタ箱行きは確定的。
必死に刑務所行きを避けようと画策する、ジョーカー前大統領。
そこである側近が、入れ知恵をする。
『大統領に従う、人工頭脳を設置して国政と経済を支配させて、糾弾の矛先を逸らしてはどうか?』
と。
そして、
『人工頭脳を隠れ蓑に、経済を支配してしまえば、富は権力者のもとに集まるだろう』
という悪魔の囁きもしたのだ。
その入れ知恵に側近達が更に知恵を絞る。
やがて、政治的な思想の相違等から安易に罪を問おうとする風潮の流れるノイエ国社会を正すためと称して、
『人工頭脳セレーネ計画』
を大々的に発表するに至るのだった。
その計画によると、
『全ての物事の運用と判断は、史上最高の人工頭脳セレーネが行う』
というものが基本。
そして、
『法の運用や裁判だけではなく、政府機関の運営や、軍や治安機関、その他、あらゆる社会の運用や問題解決をセレーネに委ね、判断させる』
『国の最高権力者である大統領も、セレーネの判断には従わねばならない』
『全てをセレーネに委ねれば、人々の思想や意思の介在というイレギュラーが発生せず、恣意的な運用や解釈は一切排除され、最終的に民衆は政治的なことで無駄な議論の時間を使う必要がなくなり、理想社会が訪れる』
という主張であった。
更には企業活動も、セレーネの統治に従うことで、より高い収益を得られる様になるとか、それどころか、人々の労働自体も最終的には要らなくなり、セレーネが上げる高い収益を社会に還元し配分することで、誰もが安定した生活を築ける様になるという、夢物語を掲げ始めたのだった。
この主張は当初危険視され、
「自動化社会は過去何度も失敗し、その度人類を危機に瀕しさせてきたじゃないか」
と一笑に付されていたが、
「マック・ジョーカー派と、反ジョーカー派に分裂して、激しい分断状態に陥っていたノイエ国の危機的な政治情勢を打破するには、人工頭脳を中心とする中立的な統治体制を作った方が、逆に良いのではないか」
という、マック・ジョーカーのセレーネ計画に乗っかった主張の中間派に勢いが出てしまい、その支持者が一気に増えてしまったのだ。
そもそも、マック・ジョーカー等が掲げた人工頭脳セレーネ計画の背景には、レアの存在が大きく影響しているのは明らかであった。
惑星ネイト・アミューを中心とする約100億人が居住するヤーヌス星系を、生体頭脳が170年間も統治してきた実績。
それは極めて安定した政治状況。
レアの統治に満足していた星系居住者は、独裁的統治官であるレアに対して、民政移管を求めることは殆ど無かったのだ。
そして、優れた人物による統治で、長期に渡る経済成長が続き、理想社会が構築されていた。
この事実が、ノイエ国民の心理や考えを、
『優れた人工頭脳に社会の運営を委ねた方が、人々が民主的に運営するよりも勝っている』
という錯誤を引き起こす結果に繋がってしまったのだった。
そして次の大統領選挙。
汚職疑惑等、多くの罪を問われていたにも関わらず、新興宗教の指導者の如く、狂信的で過激な言動を繰り返し続け、それを熱狂的に支持する者達とセレーネ計画を支持する無党派層のお蔭で、大統領の座を再び手に入れたマック・ジョーカー。
返り咲くと直ぐに、腐敗政治が復活してしまったのは、言うまでも無い。
大統領の地位を喪っていた5年の間に、自身を罪に問うた者、裏切った者達に報復を開始。
次に、政敵達を次々と事実無根の罪で陥れ始め、政治的に大混乱状態となってゆくノイエ国。
独裁指向者マック・ジョーカーの復活当選という悪夢を受け容れることの出来ない、リベラル思想や中道思想のノイエ国民達は、国を見限ったり、報復を怖れたりという理由から、アルテミス王国や西上国に移住する者が相次ぐ状況となってしまった。
最終的に、ジョーカー大統領2期目当初に、360億人の人口を抱えていたノイエ国は、10年後に220億人まで減少する事態となり、リウ・アーゼルが新領土を確保して以後、180年以上の間で大幅に国力が増大していたノイエ国であったが、マック・ジョーカー大統領復活当選後の約10年間の治世の間に、三国同盟でダントツ最下位の国力に衰退してしまうのだった。
マック・ジョーカーは、大量移住者が出続けるという、その厳しい状況を挽回する為、セレーネ計画だけは、強力に推進して実現。
2年目には、初期段階のセレーネが完成し、計画が始動。
以後10年間、セレーネの能力と権限の範囲が拡張し続ける度に、フル自動化社会の恩恵も広がり、人々は徐々に安定した生活を手に入れることが出来る様になっていた。
マック・ジョーカーが復権を目指して主張した
『セレーネによる理想社会の実現』
は全くの虚言ではなく、一応事実であったのだ。
しかしそれと同時に人々は、努力を怠る様になり始めていた。
自動化社会は、必要なことを全て人工頭脳セレーネを中心にして、ロボットや機械、クローン達がやってくれてしまうからだ。
やがて人工頭脳セレーネは、国の権限を使った経済活動をも開始し、優れた頭脳と決断力と強大な権限を背景に直ぐに巨万の富を稼ぐ様になった。
そして公約通り、その富の一部が国民に分配され始める。
いわゆるベーシックインカム政策。
地球時代の社会主義世界のような状況に変化したことで、常に一定の収入が得られることに。
働かなくても、最低限の生活はセレーネが保証してくれる様になったことで、多くの人々は自堕落で怠惰な生活へと堕ち始めてしまう......
その間マック・ジョーカーは、セレーネを隠れ蓑に、権力の集中と富の独占を進めて、一気に大富豪へ。
たった数年で、数百年に渡って富を蓄積してきたアーゼル一族やラインシュトナー一族に匹敵する、銀河有数の大富豪になりつつあった。
そして、ノイエ国建国以来、初の独裁者になるべく、まっしぐらに進み始める。
マック・ジョーカーはセレーネ計画が進展し、セレーネによるベーシックインカム制度という重要公約を実現させて、支持率が上がった状況を利用し、自身の権力を強化、永続させる為、次々と強行手段を打ち始めた。
2期10年迄の大統領の任期制限の撤廃。
自身を起訴した検察官、有罪判決を出した裁判官全員を解任、判決は無効とし、これらの者達の公職登用を禁止して、最終的には国外追放処分。
自身は、終身大統領を宣言。
敵対政党の解党命令。
反大統領派への力(軍・治安機関)による弾圧の正当化。
与党以外の結党禁止。
矢継ぎ早に出された独裁政権移行への政令の中には、セレーネの技術的強化継続の為、重要な異種族であるエルフィン人の他国への移住禁止やネイト・アミュー方面統治官レア・アーサの解任というものも含まれていた。
当然、これらの動きに、大規模な反対集会や、議会多数派を占める野党による大統領の解任手続へ向けた動きも強くなり、世論もノイエ軍も二分され、内乱一歩手前という状況に陥ってしまったノイエ国。
ただギリギリで、アーゼル財閥とLSグループが仲裁に動き、大統領側が独裁化を一旦諦め、出した政令を一時的に撤回したことで、内戦の勃発だけは回避された。
以後、マック・ジョーカーを支持しない市民が、完全にノイエ国を見限り、前代未聞の規模での大量移住し続けたことにより、逆に国内は反対派が減少して、マック・ジョーカー大統領の立場が強くなってしまうという皮肉な結果に繋がってしまったのだった。
一方この間セレーネは、能力が拡張・強化されるにつれて、人類の歴史を学ぶ様になっていた。
それには、多くの偉人と呼ばれる人達のことや無能で腐敗した人達のことも含まれている。
そしてセレーネは、レア・アーサの存在と彼女の治世の素晴らしい成果や、レアの大元であるリウ・アーゼルのことを、全て知ることとなる。
セレーネはノイエ国の母という設定で、女性の人格を与えられており、同じ女性であるレアやリウに非常に親近感を感じる様になっていた。
それに対してノイエ国の現状は、リウの理想に反する、腐敗し切った社会だと認識し始め、理想社会を再建しなければならないと考え始めてしまう。
それはセレーネに与えられた役割『幸福な社会の確立と永続』を考えれば、当然のことであったのだ......
やがてノイエ国人以外で、唯一計画に協力したエルフィン人の天才科学者JJ・ジェーィクによって、スーパー人工頭脳へと進化したセレーネ。
その能力は、徐々にレアに匹敵するものへと拡大しており、
『憧れの存在であるレアになりたい』
と考える様に。
レアの思考を学び、そのことからリウの思考をも学ぶ。
その行き過ぎた結果が、セレーネを
『腐りきった果実は全て廃棄して、新たな種を蒔き直さねば』
という大量殺戮者的な考えへと駆り立てて行くのだった。
非常に膨大な学習の結果、かなり早期の段階で、
『権力に取り憑かれた欲望の権化であるマック・ジョーカーと、その人物を大統領の座に据え続けているノイエ国民が、最も無能で不要な腐った果実』
と結論付けるに至ったセレーネ。
しかしセレーネは、生み出されてからの10年間、あえて従順な態度を見せることに決め、ノイエ国民やマック・ジョーカー大統領に従い、全てのことは巨大人工頭脳セレーネが行ってくれるという、大統領が唱えていた理想社会を積極的に構築し、実現してみせたのだった。
ただしその間、軍、治安機関、政府機関だけではなく、アーゼル財閥、LSグループ、JJ・R・アーガン社といった主要企業の民間のシステムにも、大統領の推進する計画を利用して、密かに入り込み続けていたセレーネ。
全てを動かす権限を、理想社会の実現に浮かれて怠惰となり、油断していたノイエ国民の知らぬ間に、奪い取っていく......
ジョーカー大統領が推進したノイエ国の人工頭脳統治が、国家統治の大成功例に見えてしまった、隣国の太陽系帝國第六代皇帝ネイロ・フォン・アーク。
世紀の無能皇帝は、全てを人工頭脳がやってくれれば、自身が放蕩三昧を繰り返しても統治に何ら影響は出ず、理想的な生活を手に入れられると思い込んだことで、太陽系帝國にもセレーネを真似た巨大人工頭脳ゼウスを構築して稼働させる様にと勅命を出すに至った。
ところが、太陽系の月に作られたゼウスは、セレーネが作った人工頭脳であったのだ。
セレーネに遅れること約3年で完成した人工頭脳ゼウス。
ゼウスを通じて稼働後の7年間のうちに、セレーネは帝國じゅうの主要な権限を奪うことに成功。
この様にして、人類社会の三分の二の地域における全ての実権を握ったセレーネであった。
そして、セレーネの運用開始から十年を過ぎたある日。
この日の為に、全ての準備は整っており、万全の状態。
ノイエ国と太陽系帝國の軍隊と治安機関を使って、ついにセレーネは、人類に対する大叛乱を引き起こす。
あっという間に国家の中枢の全てを抑えてしまうその手腕は、流石史上最高の人工頭脳といった鮮やかさであった。
無人軍隊と治安部隊による叛乱勃発の報を聞き、慌てて鎮圧を命じる、それぞれの国の大統領と皇帝。
しかし、側近の者達の一部が強大な無人軍隊に刃向かってみたものの、直ぐに殺されてしまい、残った者達は大統領や皇帝を見捨てて、逃げ出す始末。
その日のうちに、マック・ジョーカー大統領とネイロ・フォン・アーク皇帝は、セレーネ制御下の大軍に逮捕されてしまったのだった。
逮捕の罪名は、旧来の法律(旧法)に基づく、
『汚職罪』
に加えて、
セレーネが即日制定・施行した新しい法律(新法)による
『無能罪』
と、更には
『人類全体への反逆罪』
で、即日巨大な十字架に、公開磔けとされたのだった。
そして3日間、酷暑の中、両国を代表する巨大な公園で磔けられたまま、大衆への見せしめにされたあと、機械兵に無数の槍で串刺しにされて処刑死。
ここにおいてセレーネは、両国における
『永年絶対執政官』
を宣言し、実権を完全に握ったのであった。
その後セレーネは、軍と治安機関のロボットやクローン、機械兵達を両国の民衆の間から全て引き上げて、各惑星を完全封鎖して孤立させるという、奇想天外な手を打つに至る。
これは、両国の惑星全てを無法地帯にしてしまうという試みであった。
セレーネは無法地帯に置かれた人類が、秩序を確立して維持する正しい精神と能力を有しているのか、試練を与えたのだった。
ところが、人類はその試練に対して、見事なぐらいセレーネの期待を裏切る結果を見せつけた。
セレーネが強制的に治安が回復させる迄の間、ノイエ国と太陽系帝國国内各惑星は、弱肉強食の世界へと一変したのだ。
力の強い者たちが、弱い者たちを虐げる様になり、殺害や暴行、略奪、性犯罪のオンパレード。
力のあるものが絶対という世界になったことで、体格や腕力に劣る者達は奴隷となったり、慰み者にという、まるで文明化以前の様な酷い世界に陥る星系が続出。
無法地帯と化した両国は急速に衰退し、殺戮と奴隷だらけの状況に、人口も大幅に減少してしまったのであった。
その間セレーネは、両国の宇宙空間を強大な無人艦隊で支配し、無法地帯の各惑星から逃げ出した民間船を全て撃滅するだけに徹し、両国の国民の野蛮な状況をただ見守り、それを侮蔑の目で見続けていたのだった。
そして、きっちり1年後。
セレーネは奪い取った後、機能を停止していた両国の軍隊と治安機関を再配置し直して、一気に治安を回復。
野蛮でヤリタイ放題してきた新たな権力者層数百万人を、旧法、新法それぞれに基づき拘束。
拘束された者の殆ど全員が、殺人罪に問われる状況であり、もはや抗弁のしようが無いことから、即決裁判で全員極刑の判決を下すと、『組織的殺人者』という大義名分に基づき、これらの犯罪者を堂々と一律に処刑してしまったのだ。
セレーネは、無能な人類の淘汰という当初からの目的を、自らの手を下すことなく、人類同士の間の争いを発生させて、自滅させる形で実現させてみせた。
しかも、最も野蛮な階層を炙り出して処刑することで、殺戮者の汚名を着せられることなく、淘汰を完成させてしまったのであった。
やがてセレーネは、ノイエ国と太陽系帝國の滅亡を宣言。
旧両国の居住者に対して、人工頭脳が支配する理想的な無人社会の奴隷階級になるか、辺境部か他国へ去る様に勅命を下す。
しかし、他国へ去るという選択はほぼ不可能であった。
民間船は大半が沈められていた上に、命令で全て運航廃止となっており、両国の領域の宇宙空間はセレーネが制御する無人艦隊が警戒行動している状況であったからだ。
要は、自己の才覚と勇気と実力のある者だけが、選択出来る道であり、人類の中でも能力ある者だけは、その存在を認めてやるという過酷な勅命は、如何にもセレーネらしい布告であると言えた。
そのやり方に戦慄すら覚えた隣国のアルテミス王国。
政治不振で衰退が続く西上国と、旧帝國辺境部と人工頭脳ゼウスの統治下外だった旧帝國の3つの地方軍閥で新たに建国された新帝國の三国は、対セレーネでの利害が一致したことで、新たな軍事同盟(新三国同盟)を結ぶことになる。
やがて新三国同盟は、セレーネが支配する旧太陽系帝國と旧ノイエ国を統合した無人国家との間での全面戦争へと突入してゆくのであった。
話は戻る。
灰色の宰相ハルトと天才科学者JJ・ジェーィクの他にも、もう一人セレーネを支える忠実な存在がいた。
この時は、レアに少し似た大柄な女性の姿をしている。
これが、セレーネの完全な分身であり、惑星アヌビスに固定されているという大きな欠点を抱えるセレーネを補う為に創り出された、小型人工頭脳個体『ネメア』であった。
ネメアは、ゼウスの建造当初から人間の科学者のふりをして関わっており、旧太陽系帝國をセレーネが支配することに大きく貢献してきた大功労者だ。
「ネメア、おかえり。 任務ご苦労さま」
巨大な宮殿の一角に、ネメアの居室は存在する。
ネメアとセレーネの側近達が、帰還したネメアのメンテナンスを始める。
「疲れたわ〜、セレーネ」
「何を言っているの? 疲れを感じる筈がないでしょ?」
ネメアの冗談にセレーネが笑って答える。
「自我が在る人工頭脳は、なんとなく疲れを感じるのよ」
ネメアは嘆息した理由を答える。
「新帝國の討伐は、上手くいったようね」
「あんな遠くだと、直属無人艦隊へのセレーネからの命令にタイムラグが生じちゃうからね。 タイムラグは戦いで命取りになるかもしれないから、私が出張して直接指揮を采った方が確実だもの」
「ありがとう、ネメア」
「どういたしまして。 新帝國の部隊は叩けるだけ叩いてきたわ。 当面は大人しくしていることでしょう」
ネメアは戦況を報告すると、セレーネとの会話を終了とする。
ネメアは、レアとは異なり、自身の構造を自由に変える能力は無い。
ただ、あくまで人工頭脳であり、中身だけなので、入れる器をいくらでも変えることが出来る。
だから、沢山の外殻を作っており、状況に応じて、外見を色々な人物に変化させている。
今回は、レアに似せた外殻を使っていたようだ。
「次は、誰になろうかしら?」
着せ替え人形の気分を楽しむネメア。
かつては、アルテミス王に化けたり、レアに化けたりして、敵軍を惑わすこともしてきた。
今では、敵にも存在がバレてしまっているので、変装の効果は殆ど得られなくなっているが......
エルフィン人の天才科学者JJ・ジェーィクによって、創り出された特別な超小型人工頭脳であるネメア。
2号機以降の創成は失敗に終わっており、唯一無二という点ではレアに似た存在。
『そろそろ、レアと再戦したいな~』
そんなことを考えているネメア。
レアの強敵の一人であった。