07 陰からの帰還
目に留めて頂き、ありがとうございます!
今回も過去の話になります。
楽しんで頂けたら、幸いです。
1377年 萌葱月(6月)
デュボア家は深い森にある、国境を守る辺境伯である。
そのデュボア家伯爵令嬢としてシルヴィは生まれた。一族は植物に影響を与える血を脈々と受け継いでいる。
この令嬢もそれに漏れる事なく、植物の成長や実りに影響を与える植物魔法の持ち主である。
新緑のような艶やかな髪色、健康的で張りのある肌、秋の実りを思わせる紅色の瞳。
全てが大地の芽吹きを具現化している、それがシルヴィという少女だった。
デュボア家では特段珍しい属性ではないのだが、彼女は決定的に他者とは異なる点があった。
森を司る精霊【シルウァーヌ】の加護を持ち、他国からの侵略や間者の侵入を物理的に防いでいた。
3歳差の頭脳明晰な兄が策を巡らせ、妹のシルヴィが森を操り実行する。
正に鉄壁の守りである。
当然嫡子は兄なのだが、シルヴィは結婚後も辺境から出奔することはせず、領内に邸を持ち伯爵の爵位を賜る、という特例が設けられているのも頷けた。
ロクサーヌが初めて王子殿下に謁見した頃、シルヴィは辺境の地にて経験を重ねていた。
◇◇◇
物心ついた時から、シルヴィは精霊の存在を身近に感じ、親しい友達として多くの時間を共有してきた。
楽しい時は、真っ白なクローバーや青いアネモネが咲き乱れ、くるくると光の粒が舞い踊る。
寂しい時は、温かに薫る心地良い風を木々が生み出し、荒れた心を癒してくれる。
シルヴィの気持ちを汲み、最良の状態へと導いてくれる。かけがえのない存在。
そして親愛なる家族と過ごす、幸せな日常。
それが突然、闇の中にいた。
…目の前が真っ暗になった。流行り病に罹り大好きなお母さまが、あっさりとこの世を去った。
あんなに仲が良かった伯爵家から、明かりが消えたように会話がなくなった。
家の中からは、ぷっつりと感情が消えさった。
泣く事もままならない、人形になってしまったようだった。
精霊の声も膜がかかったように、遠くに響いていた。
闇が創り出す陰は、どこにいてもシルヴィの周りに纏わりつく。
明るい昼日中においても、薄れる事なく存在した。
好んで過ごした森の隠れ家にいても、温かな日溜りを遮り忍び寄る。
感情のない傀儡として、毎日が過ぎていった。
そんな中、この辺境へ宮廷魔導師団の視察が来ることになった。
少し前から国境の守備が弱まった、との報告を受けた王国の指示だった。
辺境伯として心当たりがあり過ぎる為、言われるがままにそれを受け入れるしかなかった。
宮廷魔導師団団長であるアラリー公爵を筆頭に魔導師団の精鋭2名に加え、シルヴィと同年代の女の子と少し年上と思われる男の子がやってきた。
聞くところによると、団長の息子、つまり公爵子息とその許嫁である侯爵令嬢だという。
辺境へ何をしに?旅行気分?何がなんだか分からない、気楽なものね…。
正直、今のシルヴィには迷惑でしかなかった。
流されるままに顔合わせが行われたが、シルヴィは名前も碌に覚えていなかった。
アラリー公爵と子息、魔導師団の2人はデュボア辺境伯と兄の6人で、父の執務室で何やら国境の現状について話を始めた。
アラリー公爵子息のルキウス様は兄より1つ下だというのに、兄よりも年上に見えた。
更にその若さにも関わらず、魔導師団員で能力も高いらしい。
どうやら遊びに来ただけではないようだ。
だからといって、別にどうでもよかったが。
大人達の難しい話に興味のないシルヴィは、少し離れた所からぼんやりとその様子を眺めていた。
するとこちらに近づいてくる気配を感じた。
この場にいるもう一人の令嬢だろうと、ゆるりとそちらに顔を向けた。
「シルヴィ様…とお呼びしてもよいですか?」
そう言いながら正面に来た令嬢は、少し眉尻を下げてどこか悲しそうな表情をこちらに投げかけた。
濃色の碧眼に薔薇色の頬と唇、白く透き通る肌を持つ少女。
その髪色から、まるで夜空をそのまま人にしたようだな、とシルヴィは思った。
「はい、私もロクサーヌ様と」
「うれしい、ありがとうございます」
当たり障りのない、会話が続く…そう思った矢先だった。
「シルヴィ様、お願いがあります。
シルヴィ様のお母様のお墓にもご挨拶したいのです」
思わぬ一言。王都から来た少女が自分の母親を気遣ってくれている、素直に嬉しく思った。
「丁度、私もお母様へ報告に行く所だったので、一緒に行きましょう」
こうして2人は辺境伯家庭園の端、森に程近い所にある墓へと向かった。
そこには、こじんまりとした石造りの十字架が佇んでいた。
その手前には長方形の囲いがあり、中には色とりどりの花がそよそよと風に揺れていた。
とても手入れが行き届いた、お墓だった。
ロクサーヌは墓前に祈りを捧げた。そしてこちらを振り返り、こう言った。
「シルヴィ様のお母様、心残りがあるの…かな?…ご家族の事みたい」
心配そうに、そう夜空の君は口にした。
「えっ…?どういう…こと…?」
食い気味に質問を投げかける。
「魔力の揺らぎが見えるんです、私。お母様のお墓からは、とても心配してシルヴィ様と、辺境伯家の邸を見ていらっしゃいます。それに…」
「それに…?」
「シルヴィ様の魔力が、周りからの干渉を弾いているの。壁があるみたい…な。
美しい緑色の光が近くからあなたを照らしているのに、届いていない。
お母様はそれを悲しそうに見ています」
「え……」
ひゅっと息を飲む。
そして、シルヴィは思い出した。生前の母は心配性で、父を、兄を、シルヴィをいつも気にかけてくれていた事に。
亡くなってからも、自分たちは母に心配をかけてしまっていたのか…と。
徐にロクサーヌが口にする。
「…泣いていいんです」
「!…っ」
「我慢しなくていい、泣きたくなったら泣いていいんです。1人で耐えないで。
シルヴィ様にはお父様とお兄様がついてます。
シルヴィ様のお母様は、みなさんの幸せを今も思っています」
そう話す少女の碧眼には、涙を湛え発光しているように滲んで見えた。
どうして…そう思ったシルヴィは、自分の変化にようやく気付いた。
これまで涸れていたはずの両目から涙が溢れて頬を濡らしていた。
まるで固く閉ざされていた心を、徐々に溶かすかのように。
暗闇に支配されてから続いていた、張り詰めた緊張がぷっつりと切れた。
同時に近頃すっかり記憶から抜け落ちていた、精霊の気配を久しぶりに感じた。
精霊シルウァーヌは森を震わせて、柔らかで心地の良い風をシルヴィとその周辺に巡らせていた。
…暖かかった。
―――泣きたかった…のか。
声を上げて泣き崩れた。涙が、とめどなく後から後から湧いてきた。
母との、そして家族4人のかけがえのない記憶は無かった事にはならないんだと安堵し、更に泣いた。
ロクサーヌは何も言わず、ただ傍に居てくれた。
日が傾くまで、たっぷりと時間を費やした後、ようやくシルヴィは立ち上がった。
邸宅へ戻った後、父と兄と3人で少し話し、また泣いた。
その後、微笑み合っている辺境伯家を見守る視察隊は、国境における不安が通り過ぎたと確信した。
◇◇◇
シルヴィは感情豊かに成長し、それは国境の守備を強固なものにした。
今ではロクサーヌとは家族ぐるみで親交を深めている。
シルヴィは精霊と共に、彼女を支えていこうと心に決めていた。
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修正・2021年12月2日
理由:謎の改行を消去。※内容変更はありません。