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突貫工事

作者: 嘉多野光

 高峯は念願だった英収社の少年マンガ編集部に転職を果たした。

 高峯の経歴は英収社の人事部から見ても実に輝かしかった。まだ二十五歳と若いが、直近の一年では大手プラットフォームの子会社にてウェブ掲載のマンガの編集を経験。専門学校で学んでグラフィックデザインにも明るく、プロ仕様のデザインソフトの使用歴も長い。プロジェクトの一環でウェブ広告業にも携わったこともあるとのことだった。

「じゃあまずはこの原稿の校正、お願いします」

 ざっと社内の説明を受けた後、早速高峯は上司から仕事を指示された。しかし、高峯は固まって動かない。

「どうしました?」

「あの……『校正』って何ですか?」

「え?」高峯からの思いもよらない質問に思わず上司も固まってしまった。


 実は高峯はろくに編集業務の経験などない。いや、まったくないと言って差し支えなかった。

 高峯は直近一年で「ワーキングインソーシャル」という名のベンチャー企業で編集業務などを一通り経験したことになっている。しかし、実際にはほとんどウソである。

 確かにその会社に一年在籍していたのは書類上事実だが、その会社には一日しか出社していない。リモート勤務だったわけでもない。ただ、書類上で在籍していることになっているというだけだ。

 ワーキングインソーシャル社は、表向きは大手プラットフォームの傘下として多くの事業を行っていることになっている。高峯の所属していた出版業もあれば、小売、卸、メーカー、アパレル、リース、コンサル、建設、不動産、IT、金融、等々。しかしそれはあくまでも建前で、本当の業務は、高峯のように全く違う業種に転職したいけど経験がない人のために、実務経験を書類上行ったことにする企業所属実績を与えるための企業だ。

 ワーキングインソーシャル社に就職した高峯のような者は、建前として一日だけ出社し、そこで出版業界での研修を受ける。内容は学生の一日インターンシップのような、業務の表面を軽く撫でたようなものだ。

 高峯はこの一年、副業としてワーキングインソーシャル社に属していたことになっているが、実際には別の企業でずっと働いていた。高峯の前職はパティシエだった。専門学校卒業前に一度英収社を含む出版社に応募したのだが尽く書類で落ち、流れ着いた先がパティシエだったのだ。ただ、どうしても少年マンガの編集者になる夢を諦めきれずに、ワーキングインソーシャル社の力を借りて再度挑戦したのだった。

 ワーキングインソーシャル社のやっていることはほぼ詐欺である。巷では「経歴突貫工事屋」と揶揄されているほどだ。実際、最近の新たな社会問題としてガイアの夜明けでもワーキングインソーシャル社は直撃取材を受けたことがある。しかし、英収社のように、まだワーキングインソーシャル社の存在を知らない所も多い。また、まさかこんな悪徳会社が出てくるとは思ってもおらず、まだ法整備も追いついていない。

 高峯も、ワーキングインソーシャル社を利用して転職した元従業員の皮を被った利用者と同じように、面接では面接官の目を欺けたとはいえ、初日からこれでは上司にバレるのも時間の問題だった。それでも正社員で入社したので、会社側も早々には首を切れないはずだ。現時点では、ワーキングインソーシャル社だけでなく、高峯のような利用者を法的に捌く法律もないのだ。


 次の日から高峯は雑用係になった。

 大抵の場合、ワーキングインソーシャル社を使って就職した者は窓際族となる。当人としては「経験あり」をクリアしたかっただけなのでやる気はあるのだが、会社側が失望して教育を放置するのだ。ワーキングインソーシャル社は「経験の有無だけで判断されずに済んで、今は夢だった職場でバリバリ働けています」などという利用者の「喜びの声」を使って新たな利用者を釣っているが、実際にはそんな例は極めて稀だった。その点では利用者もワーキングインソーシャル社に騙されいていると言えた。

 ワーキングインソーシャル社の利用者を採用した企業も、開き直って新卒と同じと見做して一から教育するという手もなくはない。しかし、そもそも企業が転職者を採用する際には、経験が豊富であることが前提だ。イチからコストと時間を掛けて教育する余裕がないから中途を雇うのであって、何もできないと言われては困るのだ。

 高峯は要らない書類をシュレッダーしながら、こんなはずではなかったのにと思っていた。

 シュレッダーした後に昔のマンガ雑誌の棚を整理していると、少し離れた箇所から「このフォント、どう反映すれば良いんだ?」という上司の声が聞こえた。

 持ち場を離れてそれとなく高峯が近付くと、上司はPhotoShopを使用していた。

「課長、それは右に表示されている文字ツールから」

「なんだ高峯、張りぼての突貫工事なくせして偉そうに」

「いや、フォトショは」

「ふん、校正も分からねえのにフォトショは分かるんだな」上司は吐き捨てるように言った。「まだ仕事終わってねえだろ。さっさと所定の場所に戻ってろ」

 取り付く島もないと、高峯はそれ以上食い下がることなく戻った。

 編集業務自体は実質経験のない高峯だったが、実は画像編集技術だけは十年以上の経験があった。実務はほとんどないが、趣味で様々なバージョンのソフト使用経験があるのだ。高峯から見れば上司はかなり初歩的なところでつまずいているので使い方を教えてあげたかったが、これ以上つっかかっても逆上させるだけだ。

 こうして英収社は採用した人材を無駄にしてしまったのであった。

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