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褐色の民の戦士

直接ではありませんが、小児の性交渉、食人を示唆するような表現があります。

遊牧民の国よりさらに西へ向かうとそこはいよいよ草も生えない乾燥地帯となる。そこには褐色の肌を持つ民が住むという。彼らは長い手足と高い身長を持つ。体を動かすことに長け、獰猛な猛獣も槍一つで射止めてしまうという。


私はそのように言われる民族のとある村にやって来た。二十世帯、二百人近くが住む比較的大きな村だ。私がその村へ立ち入った際、村人は驚きの眼差しを持って私を迎えた。

族長に挨拶を済ませると、彼は予想以上に私を歓迎してくれた。


「旅人様、ようこそ我々の村へお越し下さいました。私は族長として貴方様を歓迎いたします」

「ありがとうございます」

「こちらへ来る途中、村人は貴方様を不躾に眺めたでしょう。申し訳ない」

「よそ者が突然現れれば当たり前の事です」

「いえ、実は少し理由があるのです。どうかお聞きください」


族長が言うには、褐色の肌を持つ民族が住むこの村では白い肌を持つ人間は特別で、神の化身と考えられているという。なるほど、私の肌は白くはないが確かに彼らと比べると白いと言えよう。


「そこで、貴方様にお願いがあるのです」

「どういったことでしょう」

「私達は近く、隣の村と戦をします。その間でよろしいのです。我が村の神の化身として兵士達の士気を高めては頂けないでしょうか」

「それは、いささか私には荷が重すぎるでしょう。私は神の化身などではありません」

「その間の食事や宿はこちらで用意いたします。戦の被害も及ばせません。どうかお聞き願いたい」

「しかし・・・」


断る私に族長はこんな事を言った。


「肌の白い人間は神の化身と信じられています。しかし同時にそれは高い魔力の証なのです。私達の文化には食人というものがあります。それは神の化身や勇ましい戦士の亡骸を食べる事でその力を手に入れる儀式です。

族長の私の保護がなければ、貴方様の力を手に入れようと村人は貴方様を襲ってくるでしょう」


それは半ば脅しに近いものであった。




神の化身としての仕事は祈る事であった。

族長は私に村で一番大きな家を用意し、そこに住まわせた。戦は二週間後に行われるという。それまで私はこの屋敷で祈っているふりをすれば良い、そう言われた。外に出るのは許されていたが、あの様な話を聞いて一人でみだりに出る気にはならない。私は重い溜息をついた。


この村の家はみな、白い壁をしている。最初私はそれを土壁と思っていたのだが、実はそれは牛の糞であるという。村人は牛の糞を成形し、それで壁を作る。乾燥地帯であるここでは糞はすぐに乾く。そして臭いもしない。そうして出来た壁を繋げ、屋根まで作っていくのだ。家の中は意外にも冷んやりとして過ごしやすい。それは糞で出来た壁が熱を通さないからだ。それは草もほとんど生えない乾燥地帯で生きる、彼らの知恵であった。

入り口は一つで、扉がないためそこには布がかけられている。

それは私を酷く心許なくさせた。そのような鍵のない家ではいつ誰が家に入ってくるか分からない。

そう言うと族長は一人の男を紹介してくれた。

その男の名をジマといった。彼はこの村で最も強い戦士であるという。彼を護衛につけるから、もし外に出る際も彼と共にいるように、と。ジマは族長に信頼されている様であった。


「ジマはとても強い戦士です。族長の私が保証します。ジマがいれば護衛としては安心でしょう。何か困ったことがあればなんでも言ってください」


族長はジマの肩に手を置きそう言った。


「ジマ、よろしくお願いします」

「はい、大変だとは思いますが村のためにも辛抱してください。護衛のために俺はここに寝泊りします。それでも宜しいですか」

「もちろんです。ありがとうございます」


ジマは私とそう変わらない歳に見えた。見えた、というのは彼らには年齢を数える習慣がないからだ。彼らは自分が生まれた年や日にこだわらない。体の成長、即ち女性は初潮を、男性は精通を境に大人として認められるという。

ジマとは寝食を共にしたが、彼は寡黙ながらも気持ちの良い青年であった。彼らは私の事をウガリと呼んだ。それは神の化身として祈祷する者を指す言葉であるという。


私の家にはジマの他にエライケという少女も良く出入りした。彼女は族長の娘で、褐色の肌に紅の瞳をしていた。彼女はまだ初潮を迎えていないとの事であった。彼の民族はその様な個人的な事も気にせず口にする。そういった事を他人に話すのに抵抗がないのであろう。しかしながらその様な文化のない私は最初、とても戸惑った。


「ウガリ様、こんにちは。

ウガリ様は今日も琴を奏でられているのね。私にも教えてくださいな」


エライケは毎日私の家にやって来ては、ジマのいないところで私の体に触れようとした。それは子供らしからぬ艶やかな態度である様に思えた。


「エライケ、私の勘違いかもしれませんがその様に男の体にみだりに触れてはなりません」


私はある日、とうとうエライケの手を解きながらそう諭した。


「あら、ウガリ様はおかしな事を仰るのね。初潮前の女が男と関係を持つのは当たり前の事よ」


エライケは不思議そうにそう言った。


「私には良く分かりません」

「初潮を迎えた女は大人として認められるわ。それはその後に嫁いだ男に一生を任せる事を意味するの。

女の価値はそれより前にどれだけ良い男を袖にするかにかかっているのよ。多くの男を袖にした女は、男が一生をかけて大事にするべき女であるという証になる。それに、初潮前の女は妊娠する事がないもの」


それはあまりにも生々しい話であった。


「私にはその様な考えがありません。ですからやめてください」

「あら、残念ね。ウガリ様は他の男とは違うみたい」


エライケは呆れたようにそう呟いた。

エライケは関係を持っている男が五人ほどいると言う。それはみな成人を迎えた村の男で、優れた男と男女の仲であるというのが女性の価値に繋がるというのだ。この民族は皆一夫多妻であり、多くの妻を持つ男ほど優れているとされる。エライケと関係のある男も皆、妻が四人以上いる男であるらしかった。


私からすれば小さな子供でしかないエライケからその様な話を聞き、軽く目眩を起こしそうになった。


「もし私がウガリ様と関係を持てば、私の将来は約束されたも同然だわ。ウガリ様、私こう見えても寝台の中では男性に尽くすのよ」

「エライケ、やめてください。私はこの村の男ではありません。私の生まれた所では貴女の様な年齢の女性はまだ子供で、その様に男女の仲で考える事は出来ません」

「ふぅん」


エライケは私の顔をじっと見つめた。

その眼差しは年端も行かぬ少女のものではない。それは男と愛を交わしたことのある女性の眼差しだ。エライケが多くの男性と関係を持っているというのは本当なのであろう。

私は居心地の悪さを誤魔化すように話題を変えた。


「ではジマは女性から人気があるのですね。彼はこの村で一番強い戦士であると聞きました」


そう言うとエライケはあからさまに顔をしかめた。


「変な事を仰らないで。ジマはこの村で一番器量無しだわ。そんな男、相手にされるわけないじゃない」


エライケのその反応に私はいささか戸惑った。エライケは多くの男を袖にしていると言った。それは即ちエライケが多くの男からして魅力的に映るからだ。そしてそれを裏付けるかの様に、エライケが男に対してあからさまに非難をする様子を見た事がなかった。


「器量無し、というのはどこで決まるのですか。私にはその様には見えません」


ジマは背が高く、強い戦士と言われるだけあって逞しい体つきをしている。それは私から見ればとても魅力的な男性に思えた。


「ウガリ様、分からないの。ジマはとても肌の色が濃いじゃない。男も女も色が薄ければ薄いほど見目がいいのよ。だからウガリ様はとても素敵なのよ」


そう言うとエライケはまた私にしなだれかかって来た。


なるほど、この民族は褐色の肌を持つ。だからこそ色の薄い人間ほど、珍しく希少とされる。それが彼らの美的感覚に影響しているのであろう。

私はジマを他の村人に比べて特別色が濃いとは思わなかった。けれど彼らの中には明確な線引きがあるらしい。


その時ジマが部屋に入ってきた。

それを見てエライケはすっと私の側から離れた。


「ウガリ様、そろそろ夕飯にしましょう。

エライケ、今日もいたのか。あまりウガリ様の邪魔をするのは良くない」

「ウガリ様、私はそろそろ帰りますわ。また明日。もし気が変わったらいつでも教えてくださいな」


エライケはジマの言葉を無視し、私にそう言うとそそくさと帰っていった。

ジマはエライケに無視されたことにもあまり頓着せず、食事の支度を始めた。私はそれを制した。


「ジマ、今日は私が作ります。初日よりジマにはずっと世話になりっぱなしです。さすがに申し訳ない」

「ウガリ様、気になさらないでください。ウガリ様は神の化身です。その様な事はさせられない。

それに俺は妻も子供もいません。家の事は全て自分で行なってきました。こんな事は苦ではありません」


この村の男性は精通を迎えると共に結婚をする。ジマの様に成人を迎えてから何年も経っているというのに独身であるのはとても珍しい事であった。それは先程エライケが言っていたように、ジマの見た目が影響しているのであろうか。

私はジマに家族について尋ねた。


「ジマには家族はいないのですか」

「両親は共に俺が成人となる前に亡くなりました。父は戦で、母は流行病によってです。俺は色が濃く、器量無しの男です。女にはもてません。だから未だに妻も子もいない」

「ジマが器量無しというのは良く分かりません。ジマは強い戦士なのでしょう」

「ウガリ様・・・」


ジマは呆れた様な表情を浮かべた。


「俺は人よりも濃い褐色の肌を持っています。それは我々が信仰する月の神に嫌われているからです。月の神に見放された者は、対極に位置する太陽の神の加護を受けてしまいます。その様な人間は俺の様に色が濃く生まれるのです」


それは彼らの民族に土着の信仰であるのであろう。太陽の照りつけるこの地では、太陽は忌み嫌われ、月が神として信仰されるのだ。


「俺の様に太陽の加護を受けた者は牛を持つ事ができません。ですから私は戦士として身を立てたのです」


彼らはその見た目によって明確に村人を差別するらしい。

ジマは牛を持っていないと言う。彼らにはお金という概念がない。全て物々交換だ。それはこの村以外に外と交流する事がほとんど無いからだ。そんな彼らの財産を示すのは牛である。

私はここで過ごして数日、彼らの生活を観察していたが牛の所有数によって明確に貧富の差が現れている様に思えた。現に族長は牛を三百頭ほど所有しているという。


「けれど族長はジマを信頼している様に見えました。なぜその様にジマを差別するのでしょう」


ジマは怪訝な顔をして私を見た。


「差別・・・。俺にはウガリ様の言う意味が分かりません。俺が牛を持てないのは当たり前の事です。月の神に嫌われた者は財産を持つべきではありません。それは次の世代に引き継ぐ事ができないからです。だからこそ父が俺に与えてくれた牛は族長に捧げました。族長は俺を戦士として信頼してくださっています。だから俺は今まで族長の家の衛兵をしてきました」


私は差別という言葉を軽率に使ってしまった事を恥じた。私からすれば不可解と思う風習も、彼らには長年の生活の中で培われた文化であるといえる。それをこの村に来て数日である私が、断じるべきでは無い。


ジマが言うには、ジマの様に肌の色が濃く生まれた者は財産となる牛を所有出来ない。だから親より引き継がれた牛は族長に捧げるという。その代わり、村の戦士として育てられる。族長は戦士に寝場所と食料を与える。そうして彼らは牛は所有できないが、族長によって生活を保証されるのだ。もし戦士が結婚をした場合は、族長の保護を離れ、捧げたのと同じだけ牛が返されるらしい。

彼らはその生活に特に不満を持っていない様であった。


私の生まれた皇国では、強い男は一定の評価を持って迎えられていた。それは男の器量が良くなかろうと強ければそれを覆せるものであった。けれどこの村ではそうではないらしい。彼らは男が強いという事に重きをおかない。それよりもどれだけ肌の色が薄く、牛を持っているか、それが重要であるらしかった。


ジマと私は共に酒を飲むこともあった。私はジマと酒を飲み話をするのが好きだった。ジマは酒を飲むと饒舌になる。そして昼間とは違い、俗な事も話した。ジマはその日、牛の乳を発酵させて作ったという村の酒を振る舞ってくれた。それは少し酸っぱくて、独特の味わいをしていた。


「エライケは美しい娘でしょう。もしウガリ様のお気に召すのであれば彼女の男となってやってください」


ジマのその言葉に私は頭を抱えた。


「ジマ、私はエライケの事をそういった対象には見れない。彼女はまだほんの子供です」

「ではウガリ様の故郷では成人した大人しか抱かないのですか。それはとても不思議な文化ですね」

「・・・」

「実は俺はエライケが生まれた時から族長の家の衛兵をしていました。なのでエライケを妹の様に思っています」

「そうなのですね」

「今はエライケは俺を見ると嫌そうな顔をしますが、昔は良く懐いてくれていました。だからエライケがウガリ様の女になると俺は嬉しいのです。それだけエライケの将来が安泰となるから」


そう語るジマの顔は、真実妹を案ずる兄の顔であった。


「ジマ、エライケとの話をもっと聞かせてください」

「エライケは昔は俺の後をいつも着いて来ていました。そうして俺に肩車を強請ったものです。けれど一年ほど前からでしょうか。エライケは俺が村一番の器量無しである事に気付いたようです。それからは嫌われっぱなしです」


その時私は昼間にジマの話にしかめ面をしたエライケを思い浮かべた。あの時はエライケは本当にジマを嫌っているのだと思っていた。けれど事実は少し違うのかもしれない・・・。





次の日、私が部屋で見聞録を認めているとエライケが現れた。


「ウガリ様、おはようございます。」


エライケはそう言うと辺りを見回し、ジマのいない事を確認している様であった。

私はそこである確信を得た。


「ジマの居所が気になるのですね」

「別に気になってるわけじゃないわ。ウガリ様との間に邪魔者がいたら嫌だからよ」

「エライケ、貴女はいつもこの家にやって来ては辺りを見回し、最初にジマの居所を確認します」

「そんなの当たり前だわ。あんな器量無しの男、見るのも嫌なんですもの」


エライケは憮然とした表情を浮かべると私の横に腰を下ろした。エライケはいつも微笑んでいて、私の機嫌をとろうとする。こんな風に自身の感情を露わにするのは、ジマの話をする時だけであった。


「昨日ジマから聞きました。貴女とジマは昔は仲が良かったのですね」

「そんな話、しないで」

「私はエライケがなぜその様にジマを嫌うのか分かりません。兄の様に慕っていたのでしょう」

「・・・別に兄だと思ったことなんてないわ」


エライケは私に背を向けると膝を抱えて座った。

エライケは大人びた少女だ。それは多くの男と愛を交わしているからかもしれない。けれど、今見せる彼女の姿は年相応のものに見えた。


「私はこの村の者ではありません。この村の風習には馴染みがない。私が色が薄いからと持て囃されるのも、ジマが色が濃いからと忌み嫌われるのもよく分かりません」

「・・・」

「私の生まれた故郷では強い男や頭の良い男が持て囃されました。あまり見た目は関係ありません。ましてや肌の色は気にしません。その様な風習の民族もいるのです。この村の風習だけが全てでは無いと思いますよ」

「ウガリ様は本当にそう思うの。・・・ジマを醜いと、そう思わないの」

「ええ。私はジマは魅力的な男だと思います」


彼は強く、逞しい。生まれた時から恵まれていなかったであろうが、戦士としての仕事を実直に全うしている。そして妹の様に可愛がっている娘に無碍にされても、その娘の幸せを願う事の出来る、優しい男だ。


エライケは膝に顔を埋めて私に語りかけた。


「・・・私、ウガリ様がジマを知るずっと前から、ジマが優れた男だと知ってたわ。優しくて強いもの。いつも私を守ってくれた。それに背も高いから肩車だってお父様より高いところを見せてくれるの。

けれど村の人は言うの。ジマは醜いって。私、最初はよく分からなかった。だからそんな言葉気にしてなかったの。だけどね、私がジマの側にいると、皆ジマだけでなく私もおかしな人間かの様に言うの。頭がおかしい娘だって。そうやってお友達にも馬鹿にされた。

ジマは強いの。それは身体だけじゃなくて心もだわ。そんな風に村の人に馬鹿にされても平然としてる。けど私は弱いのよ。だから皆に笑われるのが耐えられなかった。酷い人間なの」


なるほど、そういう事情であったのか。

しかしそれは仕方のない事であろう。エライケは大人びているとはいえ、年端も行かぬ少女だ。周りから悪意ある言われようをすれば、傷つくに違いない。そしてそこから逃げ出そうとするのは当然であった。


「私はエライケを酷い人間だとは思いません。エライケはまだ子供です。その様に考えてしまうのも当然でしょう」

「・・・私、どうすれば良いのかしら。私はジマの事が好きよ。けれど今さらそんな事言えないわ」

「少しずつで良いのです。まずはジマの言葉を無視しない事から始めては如何ですか」


村の風習を変えるのは難しい。エライケがジマを好きと認めても悪意ある視線に晒され続けるであろう。そして、エライケはまた傷付いてしまう。

私は彼ら二人が周囲に祝福されるにはどうすれば良いのだろうと考えていた。




それからしばらくして戦の日がやって来た。戦は領土を争うのではなく、隣の村との間に見つけられた水源を巡ってのものであるという。村の戦士は平原へ赴き、そこで戦を行うのだ。戦士の中にはもちろんジマもいた。


「ウガリ様、しばしお暇を頂きます」

「どうか気をつけてください」


部屋の中でジマは私にそう告げた。彼らは鎧というものを持たない。それどころか上半身裸となり、腰には布を巻いた姿で戦に出かけるのだ。そして身体や顔には魔除けの文様を施す。その役割は神の化身とされる私の役目であった。

その場にはエライケもいた。エライケはおずおずとジマに近寄るとジマの額に手を当てた。


あの日よりエライケはジマに少しずつ、村人のいないところではあるが、話しかける様になった。ジマはそれを嬉しそうに私に話してくれた。


エライケはジマの額に手を当てると、手に付けた顔料で文様を施した。それは妻が、出稼ぎや戦に出かける夫の無事を願って施す文様であった。しかしジマにはその文様は見えていない様であった。


「エライケ、何を描いたんだ」

「戦に負けないように、月の神の文様よ」

「そうか、ありがとう。村のためにも必ず水源を勝ち取ってみせる」


そうして私とエライケはジマ達、戦士を見送った。





吉報はすぐにやって来た。その日の夕方には戦士達が帰って来たのだ。戦には見事勝利したという。

エライケは彼らが帰ってくるまで私の家にいた。それは戦士達が戦を終え、真っ先に神の化身とされる私の家に報告に来る予定だったからだ。


彼らは私と族長、そしてエライケの前に跪き、首を垂れた。彼らに祝いの言葉を述べるのが私のこの村での最後の仕事であった。


「ウガリ様、我々は勝利を収め、水源を手に入れました。どうぞ祝いのお言葉を賜りたい」

「皆さんよくぞ無事で帰って来られました。神は貴方達の勇姿を讃え、この地の安寧を約束するでしょう」


これは事前に族長に教えられた決まり文句であった。


「ジマの姿はどこなの」

「エライケ、やめなさい。ウガリ様のお言葉の途中だぞ」


エライケは取り乱した様に私の言葉を遮った。


見ると確かにその場にはジマがいない。後ろの方にいるのかと確認したがジマの姿は無かった。


「皆さん、ジマはどうしたのです」


私が尋ねると戦士達は顔を見合わせた。


「ジマは敵に捕らえられました。実は戦には勝利したのですが、帰り際油断していたところを襲われてしまいました。ジマは我々を逃そうと自ら囮となったのです」

「では今すぐにでも彼を助けに行かないと」


そう言った私に、戦士達は再び顔を見合わせた。


「恐れながらウガリ様、捕まった者はジマのみです。それに我々は戦に勝利し、水源を手に入れました。これほど喜ばしいことはないでしょう」

「しかし、彼は貴方達の仲間ではないのですか」

「ジマは村で一番醜い男です。妻も子供も持たない。牛も持っていません。その様な男のために再び兵を出すのですか」


彼らはこの村の戦士だ。それは即ち彼らも村の中では醜い男とされ、財産を持たない。村の中では軽んじられて生きて来たであろう。

自分にされて嫌だと感じた事を人に施してはならない。その様な教訓があるが、実際は難しい。人は弱い生き物だ。彼らは村で向けられている悪意を、今度は自分よりも劣っていると思う人間に対して向けるのだ。


「ウガリ様、恐れながら私も戦士達の言葉には賛成です。彼らは戦で疲れています。それにジマなら大丈夫です。彼は恐らく隣の村でサトゥルの加護を受けるでしょう」

「サトゥルの加護、それは何ですか」

「前にもお話しした通り、我々には食人の文化があります。それはジマの様に強い戦士やウガリ様の様に魔力の高い人間を食べる事で、その魂を身体に取り込む事です。この事を私達はサトゥルの加護を受ける、といいます。それは食べられる事で彼の者は人々の身体の中で生き続けるということ。それは永遠の命を約束されたも同然なのです。ですからサトゥルの加護を受ける事は喜ばしい事です」


族長のその言葉を聞き、私は卒倒しそうになった。

いくらそれが彼らの文化であるとはいえ、私は今一人の友人を永遠に失おうとしている。私にはそれを黙って見ていることは出来なかった。

私より先に口を開いたのはエライケであった。


「お父様、お願いです。戦士達も聞いて。ジマを助けてください。ジマは貴方達を助けたのでしょう。お願いします」


エライケはその場に膝を突き、額を地面に擦り付けた。


「エライケ、やめなさい。ジマはサトゥルの加護を受けるんだ。それは今まで蔑まれてきたジマが唯一喜ばしい加護を受けることができる最後の手段なのだ。それを邪魔するのは良くない事だ」

「違う、違うわ。私はジマがサトゥルの加護を受けなくたっていい。サトゥルの加護を受けるってことはジマが死んでしまうのでしょう。私はそんな物無くてもいい。ジマが生きていればいいの」

「お前、なんて事を・・・。我々民族の儀式を否定するのか」


族長は手に持っていた杖を振り上げた。私は咄嗟にエライケを庇った。果たして杖は強かに私の背中を打った。


「ウ、ウガリ様・・・。も、申し訳ございません」


慌てて平伏す族長に私は視線を向けた。

そこである閃きを得た。あまりこういうのは得意では無いが、友人を救うにはこの方法しかない様に思えた。


「族長よ、私を打った事で私は今大いに怒りを覚えている。私の怒りは神の怒りである。それは分かっているな」

「もちろんでございます。どうかご容赦を・・・」

「いや、この怒りは易々とは治らない。私の怒りを鎮めることが出来るのは私の友人のみだ。彼は私の心を癒す方法を知っているだろう」

「そ、その友人とは・・・」

「分かっておるであろう。この村で最も強い戦士である男だ。分かっているなら今すぐに彼をここに連れてこい」


最後に族長と戦士達を見回し凄んで見せる。強引ではあったが、閃きは上手くいったようだ。彼らは今までの態度が嘘の様にジマを助けに駆け出していった。

 




半日して彼らはジマを連れて戻ってきた。しかしながらジマは片腕を失っていた。片腕は既に隣の村でサトゥルの加護を受けてしまったらしい。私とエライケはその変わり果てた姿に絶句した。


「族長、ジマは助かるのですか」

「恐れながら、現時点ではまだ分かりません」

「分からないでは済まない。もしジマが助からなければ、私は・・・」


その後の言葉は続かなかった。



それから三日、ジマは眠り続けていた。

本来私は戦が終わればこの村を離れる予定であった。けれど、ジマの様子を確認せず去る事はできない。

私はジマが不当な扱いを受けないよう、私の家で治療を行わせた。そして村一番の薬師に治療をお願いしていた。

エライケは私の家に泊まり込み、ジマの看病をした。



三日目の朝、私はエライケの弾む様な声で目を覚ました。


「ウガリ様、ジマが、ジマが目を覚ましたわ」

「本当ですか」


慌ててジマのいる部屋に向かうと、ジマは確かに意識を取り戻していた。


「ジマ、目が覚めたのですね」

「ウガリ様・・・。ここは・・・」

「私の家です。ジマ、貴方は助かったのですよ」

「戦士達は」

「戦士達も皆無事です。エライケがずっと貴方の看病をしていました」


果たしてエライケは声もなく涙を流していた。そして寝たままでいるジマの胸に顔を押し当てた。


「ジマ、生きてる・・・生きてるのね」

「あぁ・・・エライケが助けてくれたのか」

「いいえ、ウガリ様が皆を助けに向かわせてくれたの」

「そうか・・・実は捕まった時、俺は少し嬉しかった」


ジマの言葉にエライケが顔を上げた。


「戦で捕らえられた戦士はサトゥルの加護を受ける。俺もそうなるだろうと思った。サトゥルの加護を受ければ俺は永遠の命を手に入れる。それは喜ばしい事だ」

「ジマ、その様な事を・・・」

「ウガリ様、ウガリ様には俺たちの風習が変わって見えるでしょう。けど俺は一度で良いから誰かに蔑まれず、敬意を持って扱われたかったのです。俺たちは強き者の魂を食す際、彼の者に最大限の敬意を示します」

「・・・」

「俺はこの前ウガリ様に、月の神に忌み嫌われた俺の様な者が妻も、財産も持てないのは当たり前だと言いました。俺もそう思っていました。けれど、実際は違った様です。俺は心の何処かで思っていたのでしょう。何故自分だけが理不尽に他人から蔑まれなければならないのか、と」


ジマは天井を見つめたままそう呟いた。


「だから捕まった際、やっと俺は人から敬意を持って迎えられるのだと思いました。けれど・・・腕を切られた時、俺は怖かった。怖かったのです。サトゥルの加護を受ける事が出来ると言うのに、死にたくないと思ってしまった。そして俺は加護を受ける事なく、助かってしまった・・・」


その言葉にエライケはジマの頬を抓った。そして強い口調で言った。


「ジマ、私はあんたが好きよ。だから私は戦士達の前で額を床に擦り付けてあんたを助ける様にお願いしたの。でもそんなの気にならない。だってあんたが助かったんだもの。それなのに・・・あんたが助かった事を後悔するの。そんなの許さない。

私はあんたがどんなに醜いと言われてもどんなに蔑まれても、私だけはあんたを世界一の男だと思ってるわ。あんたは私にとって唯一の男なのよ。それなのに生きている事を後悔する様な、そんな情けない男にならないで」


つい先日までエライケは自分を弱い人間だと嘆いていた。そしてそんなエライケを私は年相応の少女であると思っていた。けれど今目の前にいるエライケの姿は強く、逞しい大人の女性の姿であった。




それからまた一週間ほど経ち、ジマは立ち上がれるほどまでに回復した。流石は獰猛な猛獣も槍一本で仕留める民族である。彼の回復力には目を見張るものがあった。


ジマは私が族長や戦士達の前で慣れぬ演技をした事をエライケから聞いたようだ。彼らの信仰心の強さにはしばしばうんざりとしていたが、あの時ばかりは役に立った。ジマはしばらくはその話を私にさせては揶揄うように笑っていた。


エライケがジマの事を好きだと村人に公言し、私がジマを友人であると言った事で、ジマに対する風向きは変わり始めている。古くから続く風習を変える事は難しいだろう。けれどあの二人であればその様な困難も乗り越えて行ける。私はそう確信していた。


そうして私は村を旅立つ事とした。神の化身が村を旅立っても良いのかとも思ったが、彼らの信仰では神の化身は戦や飢饉など困難な時にしか村に現れない、その様な考えがあるらしい。


「ジマ、エライケ。ありがとうございました。私は貴方達の事を忘れません」

「私もよ、ウガリ様。おかげで私は大事なものを見失わずにすんだわ」


エライケはジマに寄り添ってそう言った。

ジマは妹と思っていたエライケからの想いに今はまだ戸惑っている様であった。けれどもそれも時間の問題であろう。


「ウガリ様、俺はウガリ様のおかげで自分を見つめ直す事が出来ました。口では蔑まれることに慣れた風を装っていましたが、そんな事はなかったようです。そして、ウガリ様に助けてもらった命を大事にします」

「えぇ、そうしてください。ジマが死ねば悲しむ人がここに二人います。それをどうか忘れないで」

「はい。ウガリ様、さようなら。どうかお元気で」

「ジマとエライケもどうか元気で。そして皆さんも」


彼らの後ろには族長と村人も見送りに来ていた。私は彼らに手を振ると村を後にした。


ジマとエライケとは未だに手紙を交わしている。私が色々なところを旅するので頻度はそう多くはない。

ジマはこの春、族長の保護を離れ、牛を手にしたと言う。


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