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大垣城にて~行長と秀家~

関ヶ原の戦いにおいて、小西行長は関ヶ原へと進軍し、相良頼房は大垣城の守備を任されることとなった。行長と頼房は軍議の後に言葉を交わし、各々の持ち場へと向かった。

「摂州」

相良頼房と別れた後、自分の陣に戻ろうとしていた行長は一人の男に呼び止められた。

「これは中納言さま」

行長がそう言って頭を下げようとすると、その男――備前中納言、宇喜多秀家はサッとそれを制した。

石田方――後に西軍と呼ばれる勢力の副将であり、五大老の一人、亡き太閤秀吉の猶子と肩書は多いが、何よりもかつて行長の主君であった男である。

歳は今年で二十九、行長が宇喜多家に仕えていた頃はあどけない少年であったが、今は堂々たる風格の美丈夫である。

「そなたとわしの仲で堅苦しい挨拶もいるまい。……で、先ほど話しておったのは肥後の相良左兵衛か」

「見ておいででございましたか」

「隣国ゆえ積もる話もあろうが、わしもそなたと話をしたかったのじゃぞ」

少し拗ねたような表情に、行長は苦笑する。

「それで、あやつ信用できるのか」

「……よき御仁でござる。松尾山と南宮山よりは余程頼りになりましょうぞ」

行長がそう言うと、秀家は苦虫を嚙み潰したような顔をした。

石田方の拠点として整備していた関ヶ原後方の松尾山城に勝手に陣取った小早川秀秋、総大将毛利輝元の一族でありながら南宮山と呼ばれる小高い山に陣取り軍議にも姿を見せない毛利秀元と吉川広家。秀秋などとうに徳川方に通じているとの風聞しきりである。

「ろくに当てにならぬではないか」

「まあ、御案じめさるな。この行長と相良殿は昵懇の仲でございまするゆえ」

行長は秀家を安心させようと笑顔でそういうと、秀家は予想に反して行長の顔をじっと見てきた。

「……わしは?」

「は?」

「相良左兵衛は言うに及ばず、石田治部よりも誰よりもそなたと付き合いが長いのはこのわしじゃが」

真剣なその表情に、行長は思わず吹き出した。

「八郎さま、まさかこの弥九郎をお疑いか。宇喜多と小西は一心同体、昵懇などという言葉ではとても足りますまいて」

「弥九郎、そこまで笑わずともよいではないか。わかってはおるが味方がこうも頼りにならぬ奴らばかりじゃと不安になるのも当然であろう」

八郎さま、弥九郎、とかつて行長が宇喜多家に仕えていた頃の呼び名で呼び合う。

互いに微塵も疑っていないのだ、相手が自分の味方であることを。

「今この弥九郎があるのも、一介の商人であった拙者を侍にお取立てくださった御先代さまと、宇喜多の御家を離れたにも関わらず、陰に陽に気にかけてくださった八郎さまのおかげでございまする。八郎ぎみのためならば、この命、いささか惜しくもありませぬ」

すべて行長の本心である。

幼い頃から見てきたかつての主君であり、盟友でもあり、決して裏切ることはない味方でもある男。

「それでこそ弥九郎じゃ。戦に勝った暁には、共に豊臣を、何よりもご幼君秀頼ぎみを支えて参ろうぞ」

秀家はそう言って屈託なく笑う。

――ああ、やはり、八郎さまは八郎さまじゃ。

行長は心の中で感嘆するとともに、同じくらいの絶望が心の中に押し寄せてきた。

秀家は義に厚く一本気な性格で、養父であり主君である亡き太閤秀吉の恩に報いることを第一に考えている男である。

……故に、家の存続のために徳川に取り入るだの内通するだのの腹芸は一切しないし、考えもしない。戦に勝てればそれでいいが、負ければもはや退路はなく、ただ滅びるのみである。

そしてそれに従う行長も、また。

その点、相良頼房とその家老、相良頼兄は違う。彼らの行動はすべて鎌倉の昔より続く家を守ることにあり、それが何よりも優先される。個人の感情など二の次なのだ。

二人とも行長に好意を抱いてくれていることはわかるし、行長も彼らを友だと思っている。が、だからといって負け戦で共倒れになることは絶対にしないであろう。彼らにとって、自分たちの代で家を滅ぼすことこそが悪なのだ。

正直なところ、とうに内通していてもおかしくはないと思っているが、仮にそうだとしても彼らを責めるつもりはない。もしも行長の旧主であり秀家の父である直家が生きていたら、生き残りのために徳川に内通するくらいのことはしただろう。それが、武将としては当然なのかもしれない。

だが、そうしない秀家の性格が、行長は心の底から大好きで、その純粋さが眩しかった。唐入り以来、自分は諸将から恨みを買っていることを自覚している。仮に秀家と盟友である石田三成を裏切り徳川に付いたところで、そう長く生き残れるとは思えない。

小西家の生き残りをかける意味でも、秀家に殉じる。それが殿様としての行長の責務であり、そして商人から宇喜多家の家臣となり、肥後宇土十四万石の大名にまで上り詰めた、自分の生き方だ。

「いつまでも、いついつまでも、弥九郎は宇喜多の、八郎さまの味方でございます。……必ずや、生き残ってくだされよ」

「無論じゃ。幾久しく、頼りにしておるぞ。我が友、弥九郎よ」

「ありがたき幸せにございまする、八郎さま」

秀家の言葉に、行長は万感の思いを込めて、深々と頭を下げた。

「では摂州、そろそろ行こうか、関ヶ原へ」

「はい、中納言さま」

かつての小西弥九郎と宇喜多八郎から大名たる小西摂津守と備前中納言に戻った二人は、連れ立って各々の陣へと戻っていった。

――時は慶長五年九月十四日、かの関ヶ原の戦い前日のことであった。

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