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第四章

 そして、約束の日はやって来る。

「やっぱり、ここにいたわね」

 夕暮れ時の花の丘。

 待ち合わせの場所も時間も、告げていなかったけれど。

 巴は花の中で佇む一人の青年を見つけ、歩み寄った。

「さあ、あなたの願いを聞かせて?」

 目の前に立つ青年は、百年前と寸分変わらぬ袴姿。でも、時は流れる。今日巴が纏うのも、百年前には最先端だった西洋ドレスだ。今となってはアンティーク。

 青年の瞳が、ゆっくりと巴に向けられた。青ノ民(パラ・サラム)でありながら青くない、二人の視線が交錯する。

 青年が口を開いた。

「…おれの願いは、君には叶えられない」

「そう…」

 巴は睫毛を伏せ、囁く。

「それがあなたの答えなのね、有…」

 わかっていたはずだった。それでも…

(あの子も、こんな気持ちだったのね)

 かつて、この丘で同じように有に別れを告げた人間の少女。

 巴は踵を返した。後は去るのみ。最後くらいは美しく、気高い自分でいたい。

(私はあの子みたいに可愛くなれない。みっともなく泣くのは似合わないもの)

 風で舞い上がる髪を抑え、歩き出す。ドレスの裾を翻して。足元に咲き乱れる花のせいで靴のヒールが響かせられないのが、少し残念だけれど。

 その時、

「巴!」

 有の、呼ぶ声がした。

 巴はハッとして足を止めた。

 振り返った先の青年は、真っ直ぐに巴を見据えている。

「おれの本当の願いは、たぶん誰にも叶えられないんだ」

「…あの子にも?」

「そうだ。あやめにも」

 それなら、彼の願いは一体なんだと言うのだろうか。

 有は、泣き出しそうな顔で笑った。

「おれはただ普通に幸せになりたかった。愛する人と同じ時間を生き、死にたい。ただそれだけだったんだ」

 あやめといると、有は自分が青ノ民(パラ・サラム)だと忘れられた。でも、巴は忘れなかった。彼女の存在は、有に自分が色褪せた子(アデューン・アイ)であることを思い起こさせる。帰る場所のない存在だと突きつけるのだ。

「おれは君を憎もうと思った。どうしようもない現実を誰かのせいにしたくて、君を敵だと思い込もうとしたんだ」

「私は、敵よ…」

「違う‼︎」

 一歩踏み込んできた有から逃れるように、巴は後退った。

「君はおれが忘れようとした現実から目を逸らさなかっただけだ。おれが逃げても、君は逃げなかった。そして、逃げたおれをずっと見捨てないでいてくれた」

 ついに、青年が巴の手首を捕えた。

「ごめん、巴。おれはずっと君のその優しさと強さに、甘えていたんだ」

 荒屋で一人弱りきっていた有はもういない。

 巴は抵抗を諦め、ふるふると首を横に振った。

「感謝するつもりならやめて。言ったはずよ。それは私が私のためにしたこと。優しさなんかじゃないわ」

「それでも、君はいつだって俺を救ってきたんだよ」

 有の両の瞳には、しっかりと巴が写り込んでいた。

 瑠璃の空が藍に変わる。地上にいながらまるで水中の世界に入り込んだかのように感じられる奇跡の時間が、青い花の丘に訪れた。

 巴は身構えていた体の力を抜いて、ふっと笑った。

「結局、霧原の言う通りだったって訳ね」

 霧原という語を聞いた有が何故かピクリと眉を動かした。

「君は俺に拒絶されたら、そいつの元に行くつもりだったのか?」

「はあ?ありえないわよ」

 有の返事がどうであれ、巴は消えるつもりだったのだ。

「あなたにあんなことをしておいて、私が只人を選ぶはずがないでしょう?」

 それに、愛し合っていたはずの有とあやめですら、二人で幸せになる未来は選べなかったのだ。まして、愛し合ってもいない巴と霧原がうまくいくはずは無い。霧原は確かに巴にとって特別だった。でも、愛しているのはたった一人。

「愛があっても無くても、うまくいかない。それは私たちが何処からもはじき出された色褪せた子(アデューン・アイ)だから」

 巴は青く澄んだ空気を吸って、天を仰いだ。

「だから私は消えるの。もう誰の前にも姿を現さない。それが正しい生き方なのかもって」

「そうかもしれない…」

 微笑みかけられた有は苦笑して頷いた。

 そして、ふと巴を見て囁いた。

「ならば、共に消えてしまおうか…?」

 巴もまた、囁き返す。

「本当に私でいいのかしら?あなたの願いを叶えられないこの私で」

 有は藍の空の下、巴に手を差し出した。

「巴がいいんだ。君がまだおれを選んでくれるなら」

 風が吹いた。青い花びらが舞って、お互いの視界を遮る。

 次の瞬間、有の掌の上に巴の掌がそっと重ねられた。

「……てる。私が選ぶのは、あなただけ」

 愛している。

(私はあなたしか選べない)

 巴の答えに、有は申し訳なさそうに眉尻を下げた。

「君こそ、本当にいいのか?おれは君に一番をあげられないのに」

 巴は返事の代わりに有の手を握った。タンっとステップを踏みながら近づく。

 有が手を引いた。

 くるり、くるり、くるり

 二人でターンを繰り返すたび、青い花が舞い上がる。

 彼は共にと言ってくれた。本当は共に生きようと言って欲しかったのだけれど、我儘は言っていられない。

 有が巴に向ける瞳には、痛みや憎しみ、甘えや後悔が混ざっている。あの子に向けられた、優しいだけのものとは違う。巴にだけ見せる、巴だけが知っているもの。

 その中にほんの一筋の愛おしさを見つけ、巴は微笑んだ。

(それだけで、十分)

 決して同じ思いを返されることはない、何処にも記されない、永遠の愛。それでも、巴が彼を愛したことも、今彼とこうして手を取り合っているのが彼女であることも、永遠に消えない事実なのだ。


 踊りながらとりとめのない話をした。ここ百年で凍えきっていた距離感を埋め合わせるように。

 そんな中、有が動きを止め、ふと溢した。

「巴、あの男だけは選ばなくて本当に正解だったぞ」

「はあ?誰のことよ」

「ほら、あれだ。丸眼鏡を掛けた、いけ好かない…」

「丸眼鏡って、霧原のこと?」

 有は額に皺を寄せながら頷いた。

「そうだ、その若造のことだ」

 巴は目を丸くした。

「あなた彼を知っているの、何故?」

 何を思い出したのか、有はさらに顔を顰める。

「あれは、今の言葉でなんと言ったか…」

「?」

「そう、やばい。やばいだ。兎に角あいつはやばい」

「いったい何があったっていうのよ。もしかして、私のことで何か言った?」

 確かに彼に話は聞いてもらったし、励まされもした。しかし、それでわざわざ彼が有を探し出して何か言うなんてことをするだろうか。そこまでする意味が、巴にはわからなかった。

 有は追及を躱すように、ふいと視線を逸す。

「まあ、そんなところだ」

 昨日の今日で有がここまで素直になったのは、もしかして彼が何かをしたからなのか。弱みを握って脅した、とかではないことを祈る。

 何はともあれ、霧原瑆司という男は最後の最後まで肚の読めない食えない奴だったということだ。

「まあいいわ。そんなことより…」

 巴はもう一度、有の手を取った。

「もう少しだけこうしていましょう?」

 お互いの輪郭が、闇に溶けるその時まで。

 有を巻き込んで踊り出す。百年間の埋め合わせは、こんなものでは全然足りない。

 まだ、奇跡の時間は終わっていない。

(あなたとなら…)

 冷たい水底に沈むより、青い花と夜の闇の中に埋もれたい。

次週、完結。

もう暫くお付き合いください。

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