二、微笑む笑う
喝采と怒号と拍手の嵐。
目の前に広がる全ての場所に人がいて、全員が全員喜びと期待に顔を輝かせている。
勇者様という声、救世主という声、英雄という声、王という声、果ては神という声まで聞こえてきた。どうやら、僕はずいぶんと神聖視されているらしい。
はは、まるで虫けら。誰かに頼ることしか脳のない、自分で考え行動することを止めた他人任せの蛆虫集団。虫、虫、虫、虫。虫が一面を埋め尽くしている。うわ、そう考えると気持ち悪いな。
そして今だ僕の腕を掴む、空間に浮いていた手の正体であるこの女の子も――。
「――貴方は道具よ」
あれ? 何だか随分と民衆の方々とは正反対な目付きじゃないか。もっと恭しく祭り上げてくれないのだろうか。盲信的に、狂信的に、愚かに、滑稽に、笑わせてくれ楽しませてくれ。世界から追い出された傷心の僕を、精一杯の献身と娯楽で慰めてくれよ。
けれどもそんな僕の希望とは裏腹に、女の子に一切の期待も希望も愉悦もない。僕に向けられるのは人間に対しての目ではなく、意志を持たない機械に対する冷たい瞳。
「取り乱したら指を折るわ。逃げようとしたら腕を折るわ。反抗したら足をちぎるわ。何も考えずに笑いなさい手を振りなさい。殺されたくないなら、私に従いなさい」
威圧的な脅迫。いや、威圧的じゃない脅迫があるのかどうかなんてわからないけれど、女の子の態度は質問を許さない高圧的なものだった。怖い、怖い。
僕は指示どおりににこやかに頬笑んで手を振る。自分でやっていて吐き気のする行為だ。
「――調子に乗るなよあばずれ」
笑んだまま呟く。
「あら、反抗的なのね。今までの豚とは違って面白いわ」
「はっ、雌豚が人間の言葉を使うな。人間の価値が落ちるだろうが。雌豚は浮浪者にでも股開いて薄汚い鳴き声をあげていろ」
笑って告げる。
「……たかが消耗品が言ってくれるじゃない」
「たかが玩具が何を言っているんだ? 嗜好品よりも劣るその存在価値に気付いて絶望して死ね失敗作」
笑顔はコミュニケーションに一番大事な要素である。とりあえず笑っとけ。笑えば大体丸く収まるさ。
「貴方こそ死になさい腐乱死体」
「もう死んでるじゃないか低能。大丈夫? 頭に蛆虫でもわいているんじゃない? 頭をかっさばいて脳みそ観察してやろうか。その後握り潰して、生ごみとしてだしてやるよ塵芥」
「まあ、ふふ愉快な方」
ぎしりと腕を圧迫する力が強くなり、僕の骨を脅かす。
「そうかな? 雌豚こそ滑稽な家畜だね」
笑う。笑う。手を振る。笑う。
何だか、面白いことになりそうだ。
場面は変わって。
僕はさっきまでの考えなしで一方的な希望に満ち満ちた視線とは打って変わった、爛々と輝く欲望色の汚らしい濁った瞳で値踏みする肥えに肥えた豚どもの前にいる。
恐らくこの国の要人達なのだろうけれど……。いつだって、権力者ってのはこうだ。国のため国民のためという建前の裏側で、必死になって私欲を求め続ける。いや違う、それは権力者という部類に限った話ではなく。それこそが人間の一番醜い部分であり、人間の一番正直な気持ち。みんなみんな自分が可愛い、全員が全員自分が大切なのだ。
「――皆さん」
冷たく静かな声が響く。
それは、僕をこの世界に引きずり込んだ張本人にして僕の腕に赤い跡を残した女の子。十二三歳くらいに見える容姿からは、想像つかない程性格が悪いので注意が必要だ。
「とうとう私たちの国にも勇者様が現れました。闇を払い、光をもたらす異なる世界の使者が、魔王を打ち倒し次代の王となる選ばれし戦士が顕現したのです」
きっとこの女の子は知っている。自分の引き立たせ方を、人の心を操る術を、人の動かし方を。
そして嗤っている。恐らく嘲笑っている。酷く愚かな民衆に対して、驚くほど欲に塗れた家臣に対して、こんなにも簡単な世界に対して、失望と絶望を抱きながら。
「国民の貴方たちの私の――この国の未来は、今彼の両手に委ねられました。ならば! 私たちには一体何ができますか? ただ祈ることですか? ひたすら待つことですか? ――違います! 神は怠るものを嫌い、歩みを止めるものに手厳しい! 私たちには彼を支えることができる、その義務がある。人は一人では生きていけません、そして彼だって一人の人なのです。手を取り合わずして、どうして世界を救えましょうか」
退屈な演説だ。
僕はあくびを噛み殺しながら、女の子の揺れる金髪を見やる。
「彼だけではなく、みんなで国を世界を守るのです」
しかし、世界を守るか……。女の子のほうが勇者みたいじゃないか、勇ましい。人間の小ささを知りながら、こんなことをいうなんて僕には出来そうにない。だってたぶん笑っちゃうだろうし。
演説はこの後十分ほど続き、終わる頃には欲深な豚は洗脳された信者へと変貌を遂げていた。
振り返り満足そうに近づいてくる女の子。
「人間て簡単だよね」
「いいえ、世界が簡単なのよ」
いつも思っていた。テレビを見ているときも、小説を読んでいるときも、占い師の旅語りを聞いているときも。何で僕のような召喚された人間は、異なる世界の説明をすんなりと受け入れることが出来るのだろうかと。
そりゃあ、いきなり知らない世界に投げ出された身とあっては、すがりつくものに全面的な信頼を寄せてしまうのも分からないこともないけれど。いくらなんでも『僕には分かるこの人は嘘をついていない』『何だか分からないけど信頼できると思った』『世界を守ってやる』『僕がみんなを救うんだ』なんて思えるわけがない。と言うよりそんなことを言う奴は全員頭がおかしいんじゃないのか? ああ虫酸が走る、鳥肌が立つ。
そんな簡単に嘘を見抜けるのか、随分と観察眼に優れているだな、どんな人生経験を送ってきたんだ一体。たかだか一個人が世界を救えるわけないだろ、自意識過剰が。何でその裏にある画策を謀略を感じ取れない。何で騙されている可能性を考慮しない。何で自分が生け贄だと考えない。だから勇者なんて呼称に酔い痴れて、最後の最後まで何も見抜けないんだ。
そういう奴らはどこかで自分はハッピーエンドに行き着くんだと思っている。だからいらつく、だから腹が立つ。
どんなにあがいても頑張っても決して報われない事が存在するのに、たゆたうだけで幸せに流れ着くと楽観視している屑がいる。屑がいる。屑がいる。屑だらけだ人間なんて。だったらいっそ、人類なんて全滅すればいいものを――。
「――それで? 僕は使い易い駒というわけか」
「いいえ、世界に希望をもたらす光の使者、あとついでに、私の国の外交的な立場を上げるとても重要な存在よ。貴方の頑張り次第で、世界を掌握できるかどうかが決まるのだから。血反吐吐いて馬車馬のごとく働いてもらわなくちゃね」
ふふ、あははと草原に吹く一陣の風よりも爽やかな笑い声が部屋に響く。ヨーロッパの王族のように絢爛豪華な家具の数々に、白を基調としたこの空間は、今の僕達によくマッチしていた。
僕の前にいるのは金髪碧眼で、前の世界に放り込めば直ぐにペドフィリアの餌食になるであろう均整のとれた容姿を持つ女の子。どうやら、この国の王女様らしい。
「別にいいじゃない。貴方は何も考えないで魔王を倒してくれば。帰ってきたときには英雄の称号とこの国の王の地位、おまけに私みたいに可愛い女の子までついてくるのよ? 名誉に権力に女。単純な男が求める全てを手に入れられるわ」
「それは、死ぬ危険性を無視した場合の話だろうが。第一、僕みたいな戦いのない世界からやってきた人間が魔王に勝てるわけない」
「大丈夫よ。召喚された勇者が強くなっていくシステムは完備してあるから。魔王の根城に着く頃にはちゃんと強くなっているわ」
「だったら、僕じゃなくてもいいじゃないか」
まるでゲームだな。表向きは魔王討伐、裏では国同士の支持集め、人気取り。
「だめよ、慣習だもの」
「慣習……ね。世界が驚異に晒されているのに、不確かな要素に頼るのか」
それは身の安全が保障されていなければ出来ない事だ。本当に危ういのなら世界が団結する協力する。なりふり構わずに驚異を打ち倒そうとする。それをしないというのはつまり……。
「なあ、この世界に国はどれくらいあるんだ?」
「二つよ。『岸草』『日森』。世界誕生の頃から変わらないといわれている二大国。ちなみに私たちの国は『岸草』だか
「――繋がってるだろ?」
女の子が言い終える前に割り込み、確証を持って言い切る。分かり易すぎる、あまりに安易で、理路整然とした世界の構図。
「……何の事?」
「とぼけるなよ。そりゃあ世界を馬鹿にするよな。全員――何の誇張表現でもなく、正に全員が君たちの掌の上で、出来の悪いダンスを踊らされているんだから。ばれないとでも思っていたのか? それとも、いきなり連れてこられた生け贄に、そんな思考は出来ないとでもたかをくくっていたか? ……まあ、どちらにしてもひどく無能な奴らだな」
「…………」
ほんと、なんてくだらない世界だ。王も民も、皆皆馬鹿ばっか。
与えられた喜怒哀楽に一喜一憂してやがる。
黙り込んだ女の子。きっとどうやって消そうか考えているんだろう。
「おっと、勘違いするなよ。別に僕はバラそうなんて思っちゃいない。むしろ喜んで協力するよ」
「? ……それで一体貴方に何の得が――」
「何でも損得勘定で考えるもんじゃないな。人の心を動かす大部分は、確かに自分にとって得がどうかだけど、たまには違うタイプの人間もいる」
「なら貴方は何を求めているの?」
「――暇つぶしだよ。面白くなかったんだ、前の世界は。占い師だけは違ったけど、あいつだけじゃ僕は満足できない。全部狂った世界がいい。道徳観念も倫理感も良心も、何もかも捨ててしまったような下衆のいる世界がいい。生も死もあやふやな、夢や想像上でしか会えない化け物のいる世界がいい。生きている無意味や死ぬことの意味を考える暇すら与えない、忙しない騒がしい世界がいい。その点この世界は合格だ。君みたいな、民を家畜程度にしか思っていない最悪の為政者がいる。魔王なんて分かりやすい敵もいる。僕が考える必要もなく、やることが決まっている。理想どおり希望どおりの世界。だから僕は今、凄く気分が良いんだ」
顔がにやけてしまう。楽しくてしょうがない、嬉しくてしょうがない、面白くてしょうがない。今なら世界は素晴らしいと、心の底から思うことすらできるだろう。
「……よくそんな考えが出来るわね。貴方が一番狂ってるじゃない」
上機嫌な僕とは対照的に、女の子は気味の悪いものでも見るような目で僕をねめつける。
「おいおい、それを君が言うのか? 狂ったシナリオ、狂った主人公、狂った民。ここまで揃っていたら、それをお膳立てした君達が一番狂っているのは自明の理だ」
「ふん、それもそうね。まあいいわ。貴方が私の思惑どおり動いてくれるっていうんなら、特にこれといった文句はないもの。魔王打倒を願っているわ。どうか私の国に希望をもたらしてね――勇者様」
「精一杯尽力するよ――気狂い王女様」