紳士
みやこが一歩踏み出したと同時に首筋に冷たい物が当たる感覚がした、みやこは一瞬ビクッと身体を跳ね上げ、驚きのあまり躓きそのまま転んでしまった。
首筋に当たった感覚は次第に熱を帯びジンジンと痛みに変わり手で触れて始めてみやこは切り傷を確認した。
怖かった。
今まで、あんなに平和に病気一つせず、健康そのもので生きて来たのに、生まれて始めて見る自分の血、それも手のひらいっぱいの血、ショックで失神するかと思った、でもそれ以上にショックな事を見つけられたから。
失神するわけにはいかなかった。
みやこはもう恐怖で自分の顔がどうなってるか気にする余裕もなかった、涙は堪え切れず、鼻で呼吸出来ないほど垂れ流し、恐怖と痛みと焦り、状況を理解しきれない苛立ちで吐き気までおこしている。
だけども目の前にいる『船長』と呼ばれていたこの男の視線からみやこはどうしても逃げることが出来なかった、それは恐怖と未知、そしてなんの躊躇もなく人の首に刃物を突き立てられる彼の異常性、それを見てしまったから。
やがて男は一歩、また一歩、みやこに近づきいよいよ手の届く距離まで来るとしゃがみ込み、みやこの顔を覗き込む。
みやこは恐怖のあまり遂に嘔吐した、あまつさえ漏らしてしまった。 きっと死ぬんだ、殺されるんだとそう思った時男はみやこの肩を掴みもう一方の手でみやこの顔を持ち上げた。
「い、いや、、、助けて、、。」
気付けばみやこはか細く掠れた声で命乞いをしていた。
そして男は微笑んだ。
みやこは殺される覚悟をした、その瞬間頭の中が一気にスッキリした、冷静に物事が見えるようになった。
さっきまで粗かった呼吸は平穏そのもの、涙も止まり男の目を真っ直ぐに見つめる、首の痛みも麻痺したのか今は何も感じない。
男は懐からハンカチを取り出すとみやこの顔を拭ってやった。
「美しい、なんて神秘的な。」
男はそれだけ呟きしばらくみやこの顔を見つめ続けた。
「殺さないの?」
「失礼な、私は海賊になる前に紳士としての教育を受けている!醜い老人や煩いだけの子供を殺したとしても美しい女性に手を出したりなんかしない!」
なにを言ってるのかよくわからないがみやこの知っている常識や教養が通用しない世界だと言うことが今この世界に転移して始めて知ったこの世界の知識だった。
そして次の瞬間、殺されないとわかったみやこは糸が切れたように倒れ、寝込んでしまった。
男はみやこの身体を支え、そして不敵に微笑んだ。