善良な一般人と謎
少し雲行きがあやしいかもしれないです。
三話目です。
エスタロースが誰も知らないところで再び魔王の騎士となってから一週間。何も変わらない日々が続いたある日。
「今日は麓から物が届くので地下の冷蔵室への運搬の手伝いをお願いしていいですか?」
「はい。よろしいですが、なるほど。どうしてここには食料がたくさんあるのかと思えば人が運んでいたのですか」
「ええ、まあ。だいたいそんな感じですね」
キッチンで食器を洗っていたエスタロースが振り向くと、少女は言葉を濁して苦笑いした。
この小さな山小屋の地下には魔術で保護され常に温度と湿度が一定に保たれている冷蔵室がある。この魔術式は最近発見されたもので自分も王宮や身分の高い貴族の家でしか見たことがなかったので来てすぐは入り浸って研究していた。そして、その時備蓄を見た限り、少女が一人で運びきれる量ではなかったのでどうしてここまで運んで来れたのか少し疑問に思っていたのだ。
「何か今度持って来てもらいたいものがあれば考えておいてください。無茶なものじゃなければきっと持って来てくれますから」
「ご主人様は街に行かないのですか?
買いたいものがあれば、麓には立派な商店街がありましたが」
「そうなんですか?
わざわざここから出る必要もありませんし、というか外に出たくないです」
「ご主人様…」
世ではそれを引きこもり、と言うのですよ。
そんな言葉を飲み込んでエスタロースは少女にココアを出した。
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がらがらがら、荷台を引く音が静かな山肌に反響するのを聞きつけ、少女が家の扉を開けるとそこには赤髪の屈強な男がいた。年齢はエスタロースより少し年上程度で、無駄のない筋肉と所々にある刀傷が彼の自慢だ。所謂『色男』の部類に入る青年は、少女の元へ来ることを村で唯一許された存在だった。
「嬢ちゃん、久しぶり。
前に頼まれてた本も持って来たぜ」
「ありがとうございます、アルフレッドさん」
主人の後を追ってエスタロースが玄関にやって来た。それを目を見開いて驚いたアルフレッドにエスタロースは外向き用の爽やかな笑顔で挨拶をした。
「エスタロース・セイシス。正都でしがない魔術師をしています。
どうかよろしく」
「俺はアルフレッド・リーダ。麓の町のギルドで働いてる。
何かあったときはご贔屓に」
しっかりと握手しあった二人は早速協力して冷蔵室に物資を運び込む。きっと二人が協力し合えたのは互いが互いを悪いやつではないと認識し合えたからだろう。
肉、料理用の酒、小麦粉、魚、調味料、飲み水、本、エトセトラ、エトセトラ。
とにかく物資の八割を食料が占めている。話を聞く限り一ヶ月に一度しか来ないと言っていたのでこれがおおよそ一ヶ月分の食料なのだろう。本の種類は様々で、中には料理の教本もあった。
「お疲れ様です。アルフレッドさんには紅茶、エスはコーヒーでいいですよね?」
全ての物資を運び終わり疲れ果てて待っていたのは天使と見紛う主人の笑顔と盆になった飲み物。それだけ(主に笑顔)で全て報われた気になる。
「ありがとうございます。では遠慮なく」
ぐい、と一気に飲む。熱すぎで火傷しそうだが、こうしないと主人の笑顔のせいで昇天しそうだ。
しばし、温かい飲み物を飲みながら談笑が続く。気兼ねなく話す主人とアルフレッドに少々嫉妬心を覚えるが主人が楽しいならそれはそれで構わない。
「じゃあ、あんまり長居すると親父達に怒られちまうから帰るよ」
「また、来てください。アルフレッドさん。後、お母さんにどうかよろしくと」
そして荷台を引いて姿の遠くなっていく来客者。主人はそれが視界から消えるまでずっと手を振り続けた。家の中に入るとアルフレッドの人柄で賑やかだった部屋がやけに静かな気がする。
「彼は良い人間ですね。このご時世あそこまで善良な人間も珍しい」
「ええ。彼はとてもいい人です。それに甘えてしまっている気もあるのですが」
クスクスと笑ってほら、ご飯にしましょう、とキッチンへと向かう少女に言われ、エスタロースは地下に食料を取りに行く。
階段を降りていくうち、先ほどの会話を思い出す。少女の母、てっきり死んだものとばかり思っていた。どうして麓に母がいるのにこの山小屋に一人で住んでいるのだろうか。
込み入った事情に首を突っ込んでいいかは分からないが、何か主人が隠していることは理解できた。
(業が、深いな)
そもそも自分は主人の名前も知らないのだ。聞くことができなかったからかもしれない。
ああ、か細い声が自分を呼ぶ。
早く行かねば。