伯爵令嬢は結婚したくない?
久しぶりの短編です。長編ほったらかして書いちゃってます。
ハイブルンブ公爵家の薔薇の温室で今、わたくしの婚約者であるヒューブリック様が栗色の髪の女性を抱きしめている。その姿はまるで運命で結ばれた恋人のようで何人も二人の愛を裂くことなどできないように見えた。
「なんてことでしょうか・・・わたくしという婚約者がありながら他の女性と・・・・なんて、ああ、なんて・・・」
わたくしはふるふると震える手で口元を押さえた。今にも溢れだしそうな感情を押し込めるように。
「なんて素晴らしいことなのかしら!!これでわたくしは結婚しなくても済みますわ!!」
駄目でした。嬉しすぎて全然感情を抑えられませんでした。きっと今わたくしの周りにはお花が飛んでいることでしょう。決して見えませんけど気持ち的にはそんな感じです。
あ、皆様ごきげんよう。わたくしはシュバルツァ伯爵家の長女ミッシェルです。皆様はどうして婚約者が不貞を行っているのに喜んでいるのかと疑問でしょう。これには深くはない理由があるのです。
わたくしの生家であるシュバルツァ家は伯爵家でありながら公爵家に匹敵するほどの財力と人脈がありその恩恵に肖りたいと下は子爵家から上は公爵家まで数多くの縁談が兄とわたくしのもとに舞い込みました。特に兄への縁談話は凄まじく、兄は軽い女性恐怖症に陥ったとか。ですが兄は同じ伯爵家の権力とは無縁のご令嬢と恋に落ち結婚しました。なんでも優しく陽だまりのような笑顔に荒んだ心を癒されたとか。まあ確かに義姉様はわたくしにも優しくてよくやった兄よとも思ったのですけどね。ですが兄が結婚してしまったので標的はわたくしに絞られてしまいました。毎日嫌になるほど姿絵を見せられましたがわたくしは首を縦には振りませんでした。だってわたくしには夢がありましたから。
そう、わたくしには小さい頃から夢がありました。わたくしが毎日着ている華やかなドレスを、自分で一から作り上げてみたいと。そしていつかは小さいながら自分だけの店を持ち、誰かに喜ばれるようなドレスを作って生きていきたいと。その為に毎日自室で縫う練習をしていました。古くなったドレスを解体して、どういう仕組みになっているのか研究しました。もしかしたら、断り続けたらわたくしは結婚しなくてもよくなるのではないかと期待していました。ですが現実はそんなに甘いものではありませんでした。お父様が彼、ヒューブリック・ハイブルンブ様との縁談を決めてしまったのです。
ヒューブリック様は社交界でも有名な方でした。公爵家だから勿論のこと背が高くスラッとしていてお顔も整っていて・・・世の女性は皆彼に夢中でした。その割に浮いた話もないので、きっと兄同様にお見合い話が殺到しているのではと思っていました。そんな彼とわたくしがなんて想像すらできません。他の家とは違って彼の家ならシュバルツァの力など必要ないのですから。疑問ばかりしか浮かばないうちに、ヒューブリック様とお会いする日がやってきてしまいました。
「初めましてミッシェル嬢。ヒューブリック・ハイブルンブです」
「初めまして。シュバルツァ伯爵家長女のミッシェルでございます」
初めてお会いするヒューブリック様は噂通り、とてもお顔の整った殿方でした。この甘いマスクで微笑まれ愛を囁かれればどんな女性も彼の虜でしょう。しかしわたくしは現実主義者です。彼がなにかしらの利益を我が家に求めているのだろうことはわかっておりますから変に夢など見たりはいたしません。頭はすっきりと明るくない未来を見据えているわたくしを余所に、話はどんどん進んでいきわたくしとヒューブリック様は正式に婚約者という立場になってしまいました。
「ミッシェル嬢、この薔薇を君に。これは我が家で育てたものなんだ」
「まあ、とても美しいですわ。こんなに素敵な薔薇を戴けてわたくし幸せですわ」
思いの外ヒューブリック様は律儀でした。仕事が休みの日にはこうやって我が家へ出向いてくださり細やかな贈り物をしてくださいます。それが甘味だったりこういったお花だったりするのは彼なりの配慮なのでしょう。形の残るものはなにかあったときの場合お返ししないといけませんし。その気持ちはとても有り難いのですがこう頻繁に来られますと正直、わたくしの練習の時間がかなり削られます。花嫁修行にと一般的なマナーからいらないでしょうと思う習い事までさせられているわたくしにはそれほど自由な時間はないのです。次の日に響くので夜更かしもできず、たまに現れるヒューブリック様のお相手をすると、布と向き合う時間なんてなくなってしまうのです。もうこうやって表向きは笑顔で対応している半面、頭の中では早く帰らないかしらととても失礼なことを考える始末・・・わたくし、絶対に結婚に向いてませんね。
そんな小さなストレスは時間がかかればかかるほど積もり積もって今では大きな山程に膨らんでしまいました。このままではいつ爆発するか分かりません。ですが結婚なんてしたくないとは言えません。予測ですが、お父様もお母様も、わたくしの花嫁姿を見たいのではないかと思うのです。義姉様も娘ではありますが、やはり血を分けた娘のそれとは比べ物にならないのでしょう。その気持ちが伝わってくるからわたくしは結婚はしないで夢を叶えたいとは言えないのです。ここまで育ててくれた両親に悲しい思いをさせたくはないのです。そうなれば、やはり諦めなくてはならないのはわたくしの夢の方で・・・諦めなければならない現実と諦めたくない思いがわたくしの中で何度もぶつかり合い、いつの間にかすべてが嫌になってしまっていました。そんなときでした。ヒューブリック様が女性と抱き合っていたのを見たのは。婚約者であるというのに、わたくしは喜んでしまいました。これで彼との結婚を拒否できると。一人で生きていきたいと言える理由になると。わたくしは跳ねるような軽やかな足どりで帰宅したのでした。
「お父様、お話があるの」
わたくしは帰宅するとその足でお父様の執務室へ向かいました。早く言ってしまいたい気持ちが大きかったのですね。
「どうしたんだい?ミッシェルがここに来るのは珍しい」
なにも知らないお父様は笑顔で迎え入れてくださいました。でもごめんなさい。これからわたくしはお父様を悲しませてしまいます。
「お父様にお願いがあって参りました。ヒューブリック様との婚約を破棄していただきたいの」
「・・・格下の此方から破棄など出来ないのは分かっているだろう。何故急にそんなことを言い出した」
今お父様の心中は動揺と怒りと困惑が入り交じっているでしょう。ですがここで引き返すわけにはいきません。
「今日、わたくしがヒューブリック様の邸に向かったことはお父様もご存知でしょう?」
「ああ、確かミッシェルが自ら作った菓子を届けに行くと言っていたな」
「はい、ヒューブリック様にはなにも伝えずに向かいました。驚かせたくて・・・ですがそれが間違いでした。わたくしは見てしまったのです」
「見た?なにを見たというのだ」
どんどん眉間の皺が濃くなるお父様にさらに追い討ちをかけるように、わたくしは彼の邸で見たことをそのまま伝えたのです。
「ヒューブリック様は、栗色の髪の女性と抱き合っておりました・・・彼に女姉妹がいないのは存じています。ですからその女性は・・・ヒューブリック様の好いている方なのでしょう」
「信じられん」
確かに、お父様は実際には見ていないし彼は社交の場でも良い評判しか出ないと言われているから、わたくしの言葉をそのまま信じたくはないのでしょう。
「ですがわたくしは確かにこの眼で見ました。ヒューブリック様はその女性を優しく抱き寄せておりました。わたくしという婚約者がありながらです。もしこのままヒューブリック様と夫婦になったとしても、彼の心にはその女性がずっと棲み続けるのです。わたくしはそんなことにはとても堪えられそうもありません。お願いです。此方からが無理ならばこのことをヒューブリック様に伝えて彼方から断ったことにしてください。そうすれば問題はないでしょう?」
「しかしそうなればミッシェル、お前に非があると思われ結婚自体が難しくなる」
優しいお父様。やはり家ではなくわたくしのことを考えてくださる。ですがそれがわたくしの望みです。
「いえ、構いませんわ。今回のことでわたくし、男性を信じられなくなりました。表では律儀に婚約者に贈り物をし、裏では不貞を働くなんて・・・わたくしは間近でお父様とお母様の仲睦まじい姿を見てきましたからその衝撃も大きいのです」
これは本当のことです。わたくしの両親は本当に仲の良い永遠の恋人です。子供の前でも平然とキスをするのですから。
「ミッシェルはそれで良いのか?結婚して愛する男の子を産むことは考えないのか?」
「それも確かに女性の夢ではありますけれど、わたくしには別の夢があるのです。お父様、わたくしは縫製職に就きたいのです。わたくしの生み出したドレスを世の女性達が挙って着る・・・それがわたくしの夢なのです」
いきなりの言葉にお父様は驚きで目を見開いています。それはそうでしょうね。可愛がっていた娘がいきなり独身を貫きますと言ったばかりか手に職をつけて働きたいと言い出したのですから。世間一般の令嬢ならばそんな思考には至らないですがわたくしはわたくしですので。
「・・・はぁ。お前の言いたいことは取り合えず解ったとだけ言っておこう。その夢の話は兎も角として、婚約解消のほうは先方に伝えておこう」
「っ!!有難うございますお父様!!」
一先ず婚約のほうは破棄の方向に進みそうで良かったですわ。夢のほうはこれからゆっくりと説得していきましょう。ふふっ、これからやることが沢山ありますね。とりあえず、ずっと触れなかった針と糸に会いに行きましょうか。久しぶりに凝った刺繍に挑戦するのも悪くありませんね。
心弾ませていたわたくしは、この後ヒューブリック様から絶対に婚約破棄なんてしないと言われることも、彼の邸に監禁に近い形で滞在させられることも知らず暢気に鼻唄を歌っていたのでした。この時のわたくしに言ってやりたい。わたくし、早く逃げて!!どこでもいいから彼の眼の届かない場所に全力で逃げてと・・・
普通の王道的な婚約破棄とは若干異なるものになったでしょうか。夢を捨てきれないミッシェルが婚約者の不貞を口実に自分のいいように持っていく・・・しかもミッシェルは悪くない。まあ心がないから言いようによっては悪いかもしれないですけど貴族同士の婚約なんてそんなものでしょ。ミッシェルが見た女性とヒューブリックの関係は?本当に浮気相手?次回を書くとしたらヒューブリック視点でお送りするでしょう。何故ミッシェルと婚約したのかとかね。やる気と気力と気まぐれが上手く噛み合えば続編として書くかもです。
追記、続編というかヒューブリック視点での話を制作中です。上記に書いてあることをすべて書こうと思うと字数が多くなりすぐにupは難しいので暫くは上げられません。それでも待ってくださっている方のために頑張るので出来上がった際には読んでやってください。