充実した人生
ぼくは生きているのが嫌になった。ぼくはいじめられっ子で、学校は地獄だった。かといって家が癒しだったかといえば、そうではない。両親の不仲によるぼくへの八つ当たりという名の虐待。よくある話だ。でも、ぼくはそれに耐えられなかった。もう嫌だ、痛い、疲れた。
だからぼくは自殺した。せめて最期は人の迷惑にならないように、樹海に入って睡眠薬を飲んだ。苦しさはあまり感じなかった。
これで終わるかと思ったら、終わらなかった。気がついたら白い空間にいて、神様と会い、転生をさせてもらえることになった。ぼくはあまり詳しくないけど、所謂テンプレというやつらしい。そのテンプレに則ってチート能力も貰った。転生先は剣と魔法の世界とのことで魔法の才能はもちろん、ありとあらゆる才能を貰った。
そうしてぼくは異世界に転生した。文化レベルは中世ヨーロッパくらいで、貴族制度があった。ぼくは幸運なことに貴族に生まれたらしい。地位も伯爵とそれなりに高く、お金に困ることはないだろう。前世では貧乏というわけではなかったけど暴力以外で何かを与えられるということ自体がなかったので、欲しいものはなんでも与えられるというのはなかなか新鮮だ。
十歳になったぼくは魔法学院に入学し、魔法の才能を遺憾なく発揮した。それは国一番の魔法使いを軽く越え、ぼくは神童と呼ばれるようになった。さらに剣の才能もあり、闘いでぼくに敵うものはいなくなった。まだ幼い子供であるぼくに大人がまったく敵わないというのは、なんとも奇妙な光景だ。
一年もしないうちに学院で学ぶことがなくなり、ぼくは別のことに手を出し始めた。商売だ。
転生する際に商売の才能も貰ったから怖いくらいに上手くいった。最初は細々と始めたのがどんどん展開していき、今では世界中に支店がある。この世界の経済はぼくの手に握られたといっても過言ではない。
そして、やることがなくなった。魔法や剣を極め、財産を築き、それからぼくは何をしたらいい? 困ったことに、ぼくには趣味というものがない。前世も含めて、何かに夢中になるということがないのだ。
一度頭を空っぽにするために散歩をすることにした。一人でだ。いつもは護衛がいるが今は一人で歩きたいし、そもそもそんなものはぼくには必要ない。たまに絡んでくるチンピラをあしらいながら、いつもは通らない薄暗い路地へとなんとなく足を進めた。そしてぼくはあるものを見つける。
檻の中に入った人達がそこにいた。人間、獣人、エルフと種族は様々だが、皆一様に金属の首輪をつけている。ぼくが呆然と立ち尽くしていると、黒い服の男が話しかけてきた。
「これはこれは、貴族の坊っちゃん。御一人のようでございますが、従者は連れていられないのですかな?」
「ぼく一人だ。……ここは、奴隷のオークション会場か?」
ぼくが檻の中の人達に目を向けながら問うと、にんまりと笑いながら男は答える。
「はい、そうでございます。子供から大人まで、種族は人間を多目に取り扱っております」
この世界に奴隷というものが存在しているのは知っていた。一部の国では奴隷制を廃止しているが未だ多くの国が奴隷を黙認しているということも、そしてぼくの住むこの国はその多くに属するということも。奴隷を見ること自体は今までも何回かあった。魔法学院に通っている貴族の子女が連れている従者にもいたし、商人が労働力として使っているのも見たことがある。だが、実際に売っている場面を見るのは初めてだ。
檻の中の奴隷たちの多くはうつむいていて、どんな表情かは分からない。だが、顔をあげている奴隷たちは絶望の色を浮かべているような気がした。もしくは、諦めだろうか。……まるで前世のぼくのようだ。そう思った、思ってしまった。
「坊っちゃんは今日、どのような奴隷をお求めで――ひぃっ!?」
次の瞬間には、ぼくは奴隷商人であろう黒服の男に向かって杖をつきつけていた。この世界での杖とはただの杖ではなく、魔法の媒体となるものだ。それをつきつけられている男は狼狽し、目に見えて青ざめた。
「ぼ、坊っちゃん? 何をなさるので?」
「この奴隷たちを解放しろ」
「は、はい? 今、なんと……」
「奴隷たちを解放しろと言ったんだ」
そうしなければ、と杖を持つ手に力を込める。ひっと喉をひきつらせたような短い悲鳴をあげた男は、ですが、と口ごもる。
「ですが、その、こちらも商売ですし、はい」
「聞こえなかったのか? ぼくは、奴隷たちを解放しろと命令したんだ。従え、愚民」
普段は絶対に口に出さないような、思い付きもしないような言葉が出てくる。久しぶりに、いや、もしかしたら生まれて初めて頭に血が上っているらしい。そんなぼくの剣幕に気圧されたのか、男はカクカクと首を縦に振った。そして懐に手を入れて取り出したのは、鍵束。
「こ、この鍵があの檻の鍵。こっちのが向こうにある、見目のいいものを集めた檻の鍵でございます。だから、どうか命だけは……」
魔法を使えるのは貴族だけのため、この男にぼくに逆らえる手段はない。それほどの力を魔法は持っているのだ。
ぼくはその鍵を手に、檻に近付く。さっきまでのやり取りを見ていたのか、どこか呆然としている彼らににっこりと微笑みかけて檻の鍵を開けると、恐る恐るといった体で檻の中から出てきた。彼らの首輪を魔法を使って外し、「さあ、君たちはもう自由だ」と言うと、感極まったのか泣き出す人が出てきた。ありがとうございますと言われ、なんだか照れ臭い。
ぼくは少し離れたところにあったもう一つの檻に近付いた。それに気が付いたのか、何人かがぼくを見上げてくる。男が言っていたように、たしかに見た目が整っている。だが、ぼくとあまり年の変わらない少女までいるという事実に心が痛む。
檻の前に立つと、彼らはぼんやりとぼくを眺めてきた。ここからではさっきの男とのやり取りは見えていなかったらしい。そこでぼくは、安心させるように優しく微笑みかけた。
「君たちはもう自由だ。行きたいところに行くといい」
突然のことに驚いたのか、彼らは目を見開く。その様子に苦笑しそうになりながら、鍵で檻を開け放った。しかし、先程と違って誰も出てくる様子がない。どうしたのだろうかと思って彼らに問いかける。すると、その中の一人の少女が答えた。
「私たちは奴隷です。自由などありません」
そんなことをぼくと年の変わらない少女が当然のように言い放つ。そのことに胸を痛めながら、ぼくは優しくを心がけながら言う。
「君たちは奴隷なんかではないよ。ぼくが奴隷商人とお話をしたからね。だから君たちは自由なんだよ」
すると、彼らは顔を見合わせる。戸惑っているようだ。しかしそのうちに一人が檻から出てくる。それに続いて他の人達も。彼らの首輪も外すと、今度こそ自由だという実感がわいたのか、さっきのように泣き崩れてしまう人がいた。そしてまた、ありがとうございますと感謝される。泣きながら、あるいは笑いながら。そのことに、胸が熱くなる思いだった。
その場から立ち去ったぼくは、一つの決意を掲げる。「人助けをする」。それだけのシンプルな、でも難しいことを。思えば、心から感謝されたのなんていつぶりだろうか。あんな風に泣きながら喜ばれるだなんて。嬉しかった。
今までだって、人の役に立っていなかったとは思っていない。神様から貰ったチート能力で幸せにできた人がいると知っている。でも、こんなに充足感に満ち溢れるのは初めてだ。やっぱり、直接お礼を言われたのが、しかも泣きながらというのが心に響いたのだろうか。
……いや、違う。ぼくは彼らを前世のぼくに重ねていた。それを助けたことで、こんなにも満ち足りているのだ。歪んだ自己満足の結果とも言える。
でも、これで誰かが不幸になったわけではない。むしろ幸せになったのだ。なら、これでいい。ぼくも幸せになれて、他の誰かも幸せになれる。それでいいじゃないか。
ぼくはこれから、弱い人を助けるために生きる。きっとそれがぼくの生きる意味なのだ。そうすることで、生きている実感を得られるのだ。
ぼくはこの世界で充実した人生を送った。
***
ある奴隷の話
私は奴隷でした。家は貧乏で、お金を得るために両親が私を奴隷商人に売ったのです。自分で言うのもあれですが容姿は整っているので高く売れたようです。今ごろはきっと、そのお金で慎ましく暮らしているのでしょう。
そのことについて、何か思うことなどありません。だってそんなこと、この世の中ではありふれた話なのですから。悲しいとも思いません。むしろ、幼い私にはこれくらいしか出来なかったので、これで当然だとも思っています。
奴隷として買われたのは、ある裕福な商人のところでした。手広く商売をしているということで人手が欲しかったのでしょう、私以外にも何人か買われていました。見た目がいいものばかりだったので、交渉などに使われていました。そこでの生活はとても充実していて、幸せなものでした。なにせ、食事が一日三食も食べられたのです。それも主食の麦におかずが一品、時にはデザートまでついていたのです。こんなもの、両親のところにいたら一生食べられませんでした。
しかし、それは長くは続きませんでした。商売が以前よりも上手くたち行かなくなったのです。詳しいことは分かりませんが、商売敵が出来たのだとか。余裕がなくなってきた商人様に、私たち奴隷はまた売られてしまいました。
次に買われるのはどなたのところだろうか、出来ればまた食事をくれる方のところがいいなあと思いながら、奴隷商人のところで買われるのを待っていました。そんなとき、私とそう年の変わらない一人の少年がやって来たのです。身に付けているのが仕立ての良い見るからに立派な服だったので、一目で貴族様だと分かりました。今までも貴族様は何度も見ていましたが、その貴族の少年は今までのどの貴族様よりも高級そうな服で、装飾品もどれも高そうでしたので、きっととても位の高い貴族様なのだと思いました。
その貴族様は私たち奴隷が入っている檻の前に立つと、にっこりと笑ってこう仰られました。
「君たちはもう自由だ。行きたいところに行くといい」
何を仰られているのか、すぐには分かりませんでした。すると困惑する私たちをよそに、貴族様は懐から鍵束を取り出すとその鍵で檻を開け放ったのです。しかし私たちは奴隷ですから、自らの意思で動こうとはしません。それを不思議に思ったのか、どうかしたのかと貴族様は問われました。私が「私たちは奴隷です。自由などありません」と言うと、貴族様は笑ってそれを否定なさいました。
「君たちは奴隷なんかではないよ。ぼくが奴隷商人とお話をしたからね。だから君たちは自由なんだよ」
私たちは顔を見合わせました。そこで戸惑いながらも一人の男の子が恐る恐る檻の外に出ました。それに続くように一人、また一人と。私も外に出ました。すると貴族様は私たちの首につけられた金属の首輪を杖の一振りで外されました。この首輪は奴隷の証です。それが無いということは私たちは奴隷ではないと言うこと。私たちは解放されたのです。
奴隷になったばかりの人や帰る場所がある人は喜んでいました。泣きながら貴族様にお礼を言っていました。ですが、私は喜びませんでした。だって、奴隷の暮らしが心地よかったから。買われても買われなくても、死なせないようにきちんと食事が貰えるんです。私は容姿が整っているので、なおさら。これは奴隷にならなければ手に入れることが出来なかった幸せです。だから、貴族様は私から幸せを奪ったということなのです。
ですが、そんな文句など言えるわけもありません。私は笑ってお礼を言いました。
そして、全ての奴隷を解放し終わって貴族様が立ち去ったとき、奴隷の多くはその場に立ち尽くしてしまいました。自由だと言われても、行きたいところに行くといいと言われても、どこにも居場所なんて無いのですから。私はこれからどうしたらよいのか、考えました。両親のところに戻ることはできません。今更帰ったところで、厄介者扱いされるだけです。それに、商人様の奴隷だったころの暮らしを思うと、あんなところに戻りたいだなんて思うわけがありません。なら、私はどうしたらいい?
……私はある考えに至りました。それを実行するために歩き始めます。すると、私の様子に気づいた一人の少女が問いかけてきます。
「どこに行くの?」
「新しい奴隷商人のところです」
「え?」
「そこに行って、また奴隷にしてもらうのです。私はそれしか生きるすべを知らないので」
それに、と私は続けます。
「また裕福な商人のところにでも買われたら、おいしいご飯が食べられるかもしれませんから」
私のその言葉に、何人かがはっとしたように顔をあげます。どうやら私の言葉に同意しているようで、顔をほころばせるものもいます。
私たちは奴隷として、この世界で充実した人生を送りました。
気持ち悪い話を書きたかった。(願望)