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六話

 ガラガラ、ガラガラ、と、重いタイヤが回る音。

 木製の大きなタイヤは柔らかい草の上をゆっくりと転がり、荷台を揺らす。


 ここは、レイモーン大平原南東部。

 二頭の馬が引く大きな馬車は、大平原を王都へと向かってゆったりと進んでいた。

 荷台には、王都へ向かう観光客が十人ほど。誰もみな百年に一度の祭典、聖夜祭が目的のようで、祭りの話や女神の伝説の話、剣闘大会の話など思い思いに言葉を交わしている。


 少女メイもまたその観光客の一人で、兄ウィルと共に王都へ向かうためこの馬車に乗っていた。

 フウロの北東に位置する都市アネモネを発ってから約一時間。

 立ち並ぶ民家は少しずつ減り、だんだんと周りの緑が濃くなっていく。空は青く澄み渡り、春の匂いを含んだ風が心地よい。車輪の回る音と馬のひづめの音が軽やかなリズムを刻み、眠気を誘う。


「思っていたより良いところだな、レイモーンも」


 木製の荷台の縁に頬杖をついて、隣に座ったウィルが呟く。

 麻のフードから顔を出してメイも頷いた。

 __大平原にはおっかない魔物が沢山居て、油断しているとぱくっと食べられちまうんだよ。

 と、寝る前に母が読んでくれた絵本の中身とはずっと違う世界。

 あの絵本で見た黒々しい空とは違ってここの空は青くどこまでも高いし、怖い顔の魔物も見当たらない。街の外は恐ろしい場所だと聞かされていたが、それは間違いなのだとメイは思った。

 きっと、見た事が無いから大人はあんな事を言うのね。

 帰ったら、お母様にも教えてあげなくちゃ。


「あなた方も、王都へ?」

「ええ、はい。」


 ウィルが荷台の方へ振り向いて、正面に座った少女に声をかけた。

 艶っぽい黒髪の少女が小さく頷き、その隣に腰掛けるまた違う少女に視線を向ける。

 あなたも?と言いたげな目に、もう一人の少女もこくりと頷いた。

 

 黒髪の少女は傍に赤く長い槍を置いている。

 まだ年齢は十六、十七くらいだろうが、恐らく戦士なのだろう。

 身を包む赤い衣服は、前に絵本で見た東国のものとよく似ていた。

 その隣の少女は淡い桃色の髪に白い短めのワンピースを着て、黒いスパッツを履いている。

 革のグローブやブーツを見るに、ハンターだろうか。

 足元に置いた弓と矢は立派だが、さっきから欠伸を繰り返していてどこか頼りない。


 馬車の中には、他にも武器を所持した客が数人。

 ウィルも自分の剣を小脇に抱え、鉄の胸当てと足当てもしっかり装備している。

 彼はまだ剣士の見習いで、剣闘大会に出られるほどではない。だが、王都までの長い旅、妹と己の命を守れるようにと父親から鎧と剣を授かった。魔物がいつ出てくるか分からない外の世界だ、自分の命は自分で守らなければならない。


 ウィルは今年で十五歳になる。メイはまだ七歳だ。自分もまだまだ未熟だが、妹を守れるのは自分しかいない。とは言っても、こんな大平原で魔物に襲われた時、果たして自分は戦えるのだろうか__

 少し考えると不安になって、ウィルはきゅっと唇を噛んだ。

 と、その時。


「あの、私メイ! お姉さんたちのお名前は?」


 少し退屈してきたのだろうか。 

 兄と二人の少女の間で視線をふらふらと揺らしていたメイが、不意に大きな声で言う。

 少女たちは驚いた様に一度顔を見合わせ、ふっと笑みを漏らすとメイに向き直った。


「私は……牡丹、一条牡丹。メイって言うのね、素敵な名前だわ」


 黒髪の少女が先に答える。

 色白い肌に黒く長い睫毛が良く映えて、まるで人形の様に整った顔立ち。

 思わず見惚れてしまうほどの美しさに、メイは少しだけ頬を赤くした。

 牡丹と名乗った少女は、ほらあなたも、と隣のひじを小突く。

 この短い間にうたたねでもしていたのか、少女はびくりと肩を揺らして同じ様にメイを見つめる。


「エール、って言います。綴りは、Y、E、L、L。……メイちゃん、と、ええと」

「あ、えっと、俺はウィルって言います」

「……ウィルさん。よし、覚えたよ」


 桜色の髪を指先で弄りながら、エールはぽつぽつと言葉を発していく。

 小鳥のさえずりの様な優しげな声に淡いブラウンの瞳。牡丹とはまた違った系統の美少女だ。

 そのおっとりした見た目とは裏腹に、手にはめた革のグローブには沢山の傷跡。

 何だか不思議な雰囲気の人だ、とウィルは心の中で思った。


「エールさんもアネモネから来たんですっけ?」

「え……そんな事話したっけ」

「さっき自分から話したでしょう」

「ああ……うん? うん、思い出した。確かに話したかもしれない」


 目の前でそんなのんびりとした会話を繰り広げる、エールと牡丹。

 先程ウィルがメイと話している間にも、二人はずっと雑談をしていた。

 見たところ知り合いと言う訳でも無さそうだが、この短時間で意気投合したようで、住んでいる街の事や王都の事、食べ物の事……と楽しそうに談笑している。

 談笑と言っても、ぼんやりとしたエールの言葉に牡丹が突っ込みを入れたり丁寧に訂正しているだけであまり会話は成立していない様にも見えるが……本人たちはどこか楽しそうだ。


「ええと、メイちゃんもアネモネから来たの?」

「うん! ウィルお兄ちゃんと、一緒にお祭りを見に行くの!」

「やはり皆さんお目当ては聖夜祭の様ですね……」

「私は違う。聖夜祭は沢山屋台が出るんだって。それが、目当て」

「……つまり聖夜祭でしょう」

「! 私も屋台に行きたい!」


 いつの間にかメイも二人の間に入って楽しそうに話をしている。

 妹のそのはしゃいだ様子を、ウィルは少し意外に思った。

 彼の父は王都に単身赴任していて、普段は母とメイとの三人暮らしだ。

 街の外は魔物が出るので、ウィルもメイもアネモネからは出たことが無かった。


 それ故か、メイは外で遊ぶよりも家で本を読んだりピアノを弾く方が好きな大人しい性格の子。

 年上の二人に自分から話しかけたりこんなに楽しそうな笑顔を見せるのはずいぶん珍しい。


 そうか、こいつも、初めての外の世界にわくわくしてるんだな。

 兄として、なんだか自分も嬉しくなってしまう。

 思わずくす、と笑みがこぼれてしまって、三人が不思議そうにウィルを見た。

 

「お兄ちゃん、にやにやしてて変だよ」

「にやにやしてないって」


 そんな二人の様子に牡丹とエールが顔を見合わせ、小さく笑い声を漏らす。

 カタコトと揺れる馬車の上で、四人の笑い声が響き合った。



 それから、十分も経たない頃だろうか。

 馬車は相変わらずゆったりと進み、空も雲一つない青さのまま。

 ただ少し変わったのが、背の高い草の多い場所に入ったということだ。

 このような場所では、馬車はあまり早く進めない。

 しかも、草の深い地では魔物が潜んでいる事が多く、細心の注意を払って進まなくてはならない。


「ここから先……魔物が増えます。御三方、気を付けて」

「危ないからメイちゃんはフードを被っててね」

「う、うん」


 先程まで楽しそうに話をしていた牡丹の目付きがすっと鋭くなり、人差し指を口の前に当ててメイを見る。

 運転手の手つきはより慎重となり、警戒するように周りを見回し始めた。

 メイはフードを深く被り、エールはグローブを嵌め直す。

 何も出てきませんように。そう心の中で祈ってウィルも、いつでも使えるように剣を腰の近くまで持ってくる。


 静寂。

 魔物の鳴き声も、息遣いさえも聞こえない。

 馬のひづめが草を踏む音だけが静かに響く。

 どくんどくんと、心臓の鳴る音がやけに煩い。

 危険な場所はもう抜けたのだろうか。

 確認しようとメイがフードを外し、馬車の外に顔をだした、その時だった。


「全員伏せてっ!!」


 突然、エールが上空を向いて叫んだ。

 反射的に頭を覆い、伏せようとした刹那。


 どおおおおん。

 爆風とともに、体中に衝撃が伝わる。ふわり、と浮くような感覚。

 と、次の瞬間には思い切り体が地面に叩き付けられ、ウィルの体はごろごろと草の上を転がった。

 急所は打たなかったようだが、全身にまるで力が入らず、立つどころか指一本も動かせない。

 何が、何が起きた?

 全身の痛みに呻きながらもぼんやりと目を開けると、そこには__


 屋根の飛んだ馬車の残骸。血を流して横たわる馬。倒れた乗客。

 そして土煙の向こうに浮かぶ、黒いシルエット。

 その姿を見た途端、ウィルの全身から血の気が引いていくのが分かった。

 槍を杖代わりにして立ち上がり、牡丹がそのシルエットを睨みつける。


「翼竜……上空までは警戒しきれなかった」


 馬車を襲った黒い……黒い竜。翼の生えた、巨大なドラゴン。

 その片手の中に、__メイが捕えられているのだった。

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