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五話

 なんとなくもやもやした気持ちを抱えながら店の戸を押す。

 と、外から吹き込んだ柔い風がリヒトの頬をかすめた。

 少し離れたところで伸びをしていたセオがリヒトに気付いて、こっちこっち、と手を振る。


「何か話してたの? あの人と」

「特に。気にするようなことじゃないわ」

「ふーん……」

「ああ、でも名前は教えられた。サティア、って言うんだって」


 サティア、ねえ。特に興味も無さそうにセオが反復する。

 彼はもう先程の話など忘れていたかのようだったが、リヒトはまだ、サティアと名乗る男の言葉が頭の中を回り続けていた。


 この時期に王都へ行くとなれば、聖夜祭目当てなのは間違いない。

 ただ、少し違和感を覚えたのだ。

 男は少し、聖戦について『知り過ぎている』気がした。

 聖夜祭は百年に一度の祭典だ。

 その内容は親から子へ、そのまた子へ、と語り継がれ、本にもなり、また政府から直々に発表もある。

 しかし、聖戦についてはほとんどが一般人には知らされない。

 セオは聖戦についてはあまり知らないようだったし、詳しい説明はリヒトとサティアが交互に行ったとはいえ、彼は少し聖戦について詳し過ぎるような気がしたのだ。


 それに、聖夜祭についての資料は沢山残されているが、聖戦に関する資料はほとんどない。

 政府による説明では、聖戦は『英雄を決める儀式』だとされている。

 一度足を踏み入れれば、自分以外の全ての出場者を殺さなければ外に出られないということなど、一般人が知る由もない。

 それを知っているものと言えば、政府の関係者や聖夜祭を主催する宗教団体、そして聖戦の出場者くらいしかいないだろう。


 __ではなぜ、リヒトが聖戦について知っているのか?なぜ、王都に向かうのか?

 答えは簡単だ。


「で、これからどうする? リヒトも王都に行くんだろ?」

「……ええ。行かなきゃ、いけない」


 そう。

 他でもないリヒトが、聖戦の出場者__女神の使徒(アパスル)だからだ。

 アパスルの印である、「A」の文字。

 右胸の辺りに刻まれたそれを服越しにぎゅっと押さえて、リヒトは頷いた。

 アパスルとして彼女は王都へ行き、命を懸けた戦いに身を投じなければならない。

 一歩前に出て、これから越えなければならない道を見つめる。

 小高い丘の上から見る平原は吸い込まれそうに広く、畏怖の念を抱くほどだ。

 少しの間彼女の横顔を見ていたセオが、呟くように言う。


「じゃあ、提案なんだけどさ」

「なに?」

「えーと……よかったら、このまま王都まで、一緒に行かないか? その……旅は道連れ、って言うだろ」


 銀色の跳ねた毛先を指で弄りながら、少し照れ臭そうに。

 ちらりとリヒトを窺う赤い目が、不安そうにゆらゆら揺れている。

 そんな目をされたら、断れる訳がない。

 リヒトは大きく息を吐いて、セオを見つめ返した。


「……いいわ。この平原、一人じゃ越えられそうもないし、ね」


 途端に、ぱあ、とセオの表情が輝く。

 細く引き締まった体に背中に背負った大剣、その姿とは似つかない無邪気な笑顔だ。

 多分年は近いのだろうが、童顔なのもあってとても幼く見える。


 リヒトは荷物を背負い直し、改めてレイモーン大平原に目を向けた。

 どこまでも続く緑の道。空には翼竜が飛び、地には鋭く牙の生えた獣たちが闊歩する。

 とても一人では越えられそうにもない、険しい道だ。

 でも、悪くない、とリヒトには思えた。


 胸に刻まれたAの文字。聖なる戦いに臨む、勇者の証。

 生きては帰れないかもしれない。もう二度と、故郷の空を拝む事はできないかもしれない。

 それでも行く。覚悟なら、とうに決めてきた。


「ずいぶん厳しい道だけど、あなた、ホームシックで泣いたりしないかしら?」

「上等だ。そっちこそ、魔物にビビって逃げるなよ」


 お互いニッと笑い合って、拳をちょんとぶつける。

 サティアがなぜ聖戦についてあそこまで知っていたのかは分からない。

 あの身なりからして、王都の人間である事は明らかだ。

 でも今は、そんな事どうだっていい。

 目の前に道があって、進まない理由があるか?ないだろう。


 もう一度視線を合わせて頷き合う。

 あそこから行ける、とセオが丘のすぐ下を指さした。

 先に飛び出すセオを追いかけ、リヒトも踏み出す。

 丘の下にそびえる岩の群を伝っていけば、安全に地面へたどり着けそうだ。

 手始めに、大きめな岩に足を降ろす。ここから飛び降りるにはまだ少し高い。

 隣の岩へ慎重に足を伸ばし、乗り移る。

 苔が生えて滑りそうな岩の上をゆっくりと歩きながら、隣の岩へ。


「平気?」

「これくらい余裕よ」


 先に岩から降りたセオが手を伸ばす。

 その手を取って、リヒトも岩から飛び降りた。

 革の靴が草を踏んで音を立てる。


 セオに手を引かれたまま、数歩歩いてみる。

 降り立った大平原は、丘の上から見るよりもずっとずっと広く感じた。

 足元を吹き抜ける風は緑の匂いを孕み、真上に広がる空はどこまでも高く、青い。

 どこか遠くで聞こえる唸り声は、魔物のものだろうか。空気ごと震わせる、力強い声。


「どう? 降り立った気分は」

「……最高」


 リヒトは、また己の鼓動が早くなっている事に気付いた。

 先程丘の上から見下ろした時よりもずっと強く、大きく、早く、鼓動を刻んでいる。

 体の内から熱くなるようなこの感覚。

 これ、クセになりそう。思わず少女は心で呟いてみたりする。

 病みつきになりそうな強い衝動に頬を紅潮させながら、ふとリヒトは気付く。


「……あのさ、そろそろ」

「え?」

「手。離して」

「うわあっ!? ご、ごめん、つい!」


 岩から降り立った時からずっと繋がれたままだった手を慌てて離し、セオは何度も頭を下げる。

 そんな大袈裟にする程でもないのに、よくまあころころと表情が変わる事だ。

 やっぱりこの子、犬みたい。そう思って、少女はぷっと吹き出した。

 くすくす笑うリヒトに、セオはますます顔を赤くして言葉もしどろもどろになる。


 そんな姿に少し悪戯心が働いて、リヒトは彼の手を自ら取った。

 えっ、と驚いた様にリヒトを見下ろすセオ。

 黒い手袋をはめた大きい手をぎゅっと掴んで、優しく微笑んでみせると__そのまま全速力で走り出す。

 突然腕を引かれて走り出されたものだから、セオは案の定泣きそうな悲鳴をあげた。


「ちょ、ま、待って! 靴脱げそう! っていうか腕取れる! 痛いって!」

「男ならこれくらい我慢しなさい! ほら、早くしないと日が暮れちゃうわ!」


 魔導士リヒトと、剣士セオの旅。

 始まったばかりの二人の冒険の先に待ち受けるのは、悲劇か、喜劇か。

 この出会いが彼らの運命を大きく変えるものになろうとは、まだ彼らには知る由も無かった。




***




「__研究長、この資料なんですが……」


 薄暗い研究室の一角。

 机の上には山のように積み重なった資料や本、魔物の臓器が入った瓶が散乱している。

 昼間でもほとんど光の届かない地下のその部屋で、数人の青年達が忙しく動き回っていた。


「その呼び方は止めろと言っただろう。名前で構わない。」

「し、しかし……」

「年もほとんど変わらないんだ、遠慮なんて必要ない。……どれ、見せてごらん。」


 研究長と呼ばれた一人の青年が、手渡された羊皮紙に目を通す。

 倉庫から持ち出されたそれは相当古い資料の様で、ところどころ字が擦れており、傷みも酷い。

 時々目を細めながら青年はそれに目を通していたが、ある程度読んだところでふと動きを止め、目を見開いた。羊皮紙を持つ手が小刻みに震えだす。


「これは……!」

「やはり、『あの病気』についてのもので間違いないかと……」

「ああ……これの解析を頼む、すぐに、すぐにだ!」


 ばたばたと研究員達が部屋を飛び出していくなか、一人立ち尽くしたままの青年。

 興奮からか驚きからかふらりと一瞬体勢を崩し、壁に手をついた。

 周りに人がいれば思わず心配するほど顔は青ざめていたが、その口元は笑みを浮かべている。


 __もうすぐ、君を助けられる。


 一人きりの研究室で、青年は呟く。その声は空気に溶け、外に聞こえる事は無かった。

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